「くそっ遅い遅い! もっとスピード出せねぇのかよ俺!」
俺は自分のボディに文句を垂れながら夜の街を疾走していた。ライドモードの赤黒い車体がアスファルトを削り蒸気の尾を引く。
港から逃げ出した立弥……いやプレススマッシュの痕跡はネビュラガスの残り香として俺のセンサーに微かに残っていた。それを辿ってここまできたんだけどどうも匂いが強くなる一方だ。
「ビリー前方にスカイウォール! これ以上は東都の境界だぞ!」
戦兎が俺のハンドルにしがみつきながら叫ぶ。
「わかってるよ! でも匂いの源はこの先だ! あいつスカイウォールの方へ逃げ込んだんだ!」
俺はスチームブーストをさらに吹かして加速した。ビルの谷間を抜けると突然視界が開け目の前に巨大な壁がそびえ立った。スカイウォール。月明かりさえも遮断するこの国の傷跡。その威圧感は何度見ても慣れねぇな。
「おいビリーあれを見ろ」
戦兎が指差す先壁の根元に無数の人影があった。ガーディアンだ。東都政府の警備ロボットたちが整列している。でも何かが変だ。
「なんだあいつら整列してるけど何か待ってるみてぇだな」
俺はライドモードのままスピードを落とし物陰に滑り込んだ。人型に戻り二丁のプロトトランスチームガンを構えながら様子を伺う。
「戦兎あいつら東都のガーディアンか?」
「いや様子がおかしい。あいつら通常はパトロールしてるか封鎖線を張ってるかだ。壁の前で突っ立ってるだけなんて聞いたことないぞ」
戦兎が白衣の裾を気にしながら眉を顰める。俺はセンサーのズーム機能を使ってガーディアンたちを観察した。緑色のセーフティパネル……がない?
「おい戦兎あいつらパネル外れてねぇか?」
「え? ……本当だな。胸部と頭部のパネルがない。あれは」
「ファウスト仕様ってやつか」
俺と戦兎は顔を見合わせた。ファウスト。人体実験を行う秘密結社。そいつらが操るガーディアンはパネルを外されているって話は聞いてた。つまりここにいる連中は東都政府の命令で動いてるんじゃなくてファウストの指揮下にあるってことだ。
「立弥を連れ去ったのもそいつらってわけか」
俺は識別灯を危険色の赤に点滅させた。やっぱりな。普通のガーディアンがスマッシュを再ガス化させるなんて芸当できるわけがない。ボトルを狙い撃ったのもあいつらに違いない。
「どうする戦兎? あいつらぶっ飛ばして立弥を取り戻すか?」
俺は軽口を叩きながらも銃の安全装置を外した。数は多いが俺と戦兎ならやれる。そう信じてた。
「待てビリー数が多すぎる。それに立弥がどこにいるかまだ特定できてない。ここで派手に暴れればあいつらは立弥をどこかへ移動させるかもしれない」
戦兎が俺を制止した。冷静だ。相変わらず俺より頭一つ分くらい賢いぜ。
「じゃあどうするんだよじっと見てるだけか?」
「いやチャンスを待つんだ。奴らが何か動きを見せるまでな」
戦兎の目が真剣になる。俺は渋々銃を下ろし物陰に身を潜めた。スカイウォールの下でファウストのガーディアンたちが何かを待っている。そしてその奥に立弥がいるはずだ。
「なあ戦兎」
「なんだ」
「今度こそ絶対助けるぜ。あのアフロ野郎を俺が見つけ出すんだ」
nascitaの地下基地に戻るとすぐに重苦しい空気が漂い始めた。いや俺の排気口から漏れる蒸気のせいもあるかもしれないけどな。
「なぁ戦兎! なんで行かねぇんだよ! 立弥があいつらに連れてかれたんだぞ! 今すぐスカイウォールへ乗り込んでぶっ潰そうぜ!」
万丈がテーブルをバンと叩いた。コーヒーカップが跳ね中身がこぼれる。もったいないぜマスター特製のブレンドだぞ。
「落ち着け万丈。あの数のガーディアン相手に正面から突っ込んで勝てると思うか?」
戦兎は濡れた髪をかき上げながら冷静に言い放った。さっきシャワー浴びてきたのかよ。場違いに爽やかだな。
「だったらどうすんだよ! お前は自分の過去を探す時もそうだったけどよ、いつも待て待てって! 俺の無実はどうなんだ! 香澄が待ってるんだぞ!」
万丈の声が震える。わかるぜ。自分の名前を取り戻したいって気持ちは俺だって同じだ。俺も葛城巧の真実を知りたいんだからな。
「準備が必要だ。奴らの防衛網を崩すにはデータが足りない。俺は少し調べることがある」
戦兎はそう言い残すと俺たちに背を向け地下基地の出口へと向かった。
「おい待てよ!」
万丈が追いかけようとするのを惣一が手で制した。
「万丈、少し落ち着きな」
「これが落ち着いてられるかよ! あいつはいつだって俺たちのことより自分の実験とか理屈とかを優先しやがって!」
万丈が壁を殴りつける。コンクリートが砕ける音が基地に響いた。あーあまた修繕費がかさむぜ。
「お前は勘違いしてる」
惣一がコーヒーのおかわりを注ぎながら静かに言った。
「勘違い?」
「ああ。あいつはな自分のことなんざこれっぽっちも考えてないさ」
「はあ? 自分の過去を探すために研究所に入ったんじゃねぇのかよ」
万丈が不審そうに眉を寄せる。俺も少し驚いたぜ。戦兎はいつも自分の記憶のことを気にしてたはずだろ?
「戦兎はな、自分が何者かわからないっていう不安を常に抱えてる。記憶がないってことは、自分が何をしていいのか何を信じていいのか何もわからないってことだ。だからこそあいつは演じてるんだよ」
「演じてる?」
俺が問い返すと惣一は深く息を吐いた。
「『愛と平和のために戦う天才物理学者』ってな。それは彼が心の中で描いた理想像だ。不安で押しつぶされそうになってる自分を支えるために作り上げた仮面だよ」
惣一の言葉が静かに基地に響いた。俺の冷却ファンの音だけが規則的に聞こえる。
「不安で…押しつぶされそう?」
万丈の声から怒りが消え代わりに戸惑いが混じる。
「ああ。記憶を失った人間が頼れるものは何一つない。過去も名前も家族も友達も全部失ってる。あるのは今の自分だけ。それでも前を向いて笑ってるあいつは…相当タフな心臓してるってことさ」
惣一はコーヒーを一口啜った。その顔にはどこか寂しげな影が落ちていた。
「俺たちじゃ計り知れない孤独を抱えてる…そういうことだ」
沈黙が降りた。万丈は拳を握りしめたまま俯いている。その肩が小さく震えているのが見えた。
(戦兎…)
俺は何も言えなかった。俺は機械だから人間の孤独なんて理解できるわけがない。でも胸の動力炉がやけに重く感じられたのはきっと故障じゃないだろう。
「…俺は知らなかった」
万丈が絞り出すように呟いた。
「あいつがそんなふうに思ってたなんて」
万丈は顔を上げ惣一を見た。その目にはもう焦りはなかった。代わりに仲間の痛みを知った者としての深い沈黙だけがあった。
「戦兎は強いぜ。俺が保証する」
俺は口を開いた。自分でも何を言ってるのかよくわからないけど何か言わなきゃいけない気がした。
「道具は使い手を選ぶって言ったろ。俺はあいつを選んだんだ。あいつのその仮面の下にあるのがどんな孤独だろうと俺が支えてやる。それが相棒ってやつだろ?」
惣一がふっと笑った。
「お前もいい相棒を持ったもんだな」
「まあな! 俺は博士の最高傑作だからな!」
俺は軽口を叩いて見せた。でも心の中では戦兎の背中がやけに小さく見えたあの瞬間のことを考えていた。