京香さんの家に泊めてもらった翌朝、俺たちは居間で作戦会議を開いた。
こたつの上には京香さんが出してくれた古い地図と、戦兎がノートに書き出した捜索ルート。そして俺は部屋の隅で正座。相変わらず機械の膝は畳にめり込む。
「研究データは東都にある」
京香さんが、湯呑みを両手で包みながら言った。
「巧が死ぬ前に、ある場所へ隠した。場所は覚えてる。でも」
京香さんの目が、戦兎と龍我を順に見た。
「データを渡すかどうかは、自分で回収して中身を確かめてから決める。息子が何を残したのか、まず私が見る」
「それは…」
戦兎が口を開きかけたが、京香さんは首を振った。
「あなたたちに渡すなとは言っていない。ただ、私にも確かめる権利があるの」
その言葉に、戦兎は口を閉じた。龍我も黙っている。
(そうだよな。息子が残した最後のものだ。母親が中身を知らないまま他人に渡すなんてできるわけない)
「俺たちも同行します」
戦兎が静かに言った。
「東都へ戻るのは危険です。でも、あなた一人で行かせるわけにはいかない」
「ここまで来て待っていられるかよ」
龍我が腕を組んで続く。京香さんはしばらく二人を見比べていたが、やがて小さく息を吐いた。
「…わかった。ただし、私の言うことを守ること」
「はい」
「あと、あなた」
京香さんが俺を見た。
「その体で目立たない方法を考えなさい」
* * *
京香さんの車は、古い型のセダンだった。色はくすんだ銀。北都の道を走るには十分だが、東都の検問を通過するには少し心許ない。
戦兎と龍我は後部荷室へ隠れることになった。トランクの内張りを外し、毛布に包まって小さくなる。
「おい、狭いぞ」
「文句を言うな。隠れてるんだから」
龍我と戦兎が荷室で押し合いながらもぞもぞ収まっていく。
問題は、俺だった。
「ビリー、お前は入れないな」
戦兎が荷室から顔を出して言った。俺の身長は百八十を超える。人型のままでは荷室に収まらない。ライドモードに変形しても、車のトランクには入らないサイズだ。
「車体の下に張り付く」
俺は言った。
「無茶だ。走行中だぞ」
「ガーディアンの固定力を甘く見るな。磁力吸着モードがある。車体の底部に張り付いて、走行中も離れない」
「お前…」
戦兎が何か言いかけたが、俺はもう決めていた。
「守護者は守る対象の近くにいるもんだ。荷室に入れないなら、車の下にいればいい」
「お前、それ本気で言ってるのか」
「本気だ。それに俺はロボットだ。人間より衝撃に強い」
戦兎はしばらく俺を見ていたが、やがて諦めたように息を吐いた。
「…わかった。だが、無茶はするなよ」
「しないさ。俺は道具だ。無茶はしない。仕事をするだけだ」
俺は車体の下へ潛り込んだ。
路面に背中を向け、両手足の磁力吸着パッドを車体底部に固定する。カチッ、カチッと四カ所のロックが決まった。
(よし。これで離れない)
エンジンがかかる。振動が車体を通して俺のフレームに伝わってくる。排気管から熱が流れてきて、俺の左肩の装甲が温められる。路面すれすれの視界。流れていく雪の粒。跳ねる小石。
(低い。路面がすぐそこにある。スピードが出たら石が当たるな)
車が動き出した。
俺の視界は、アスファルトとタイヤと時折覗く空だけだ。
* * *
検問所は、東都と北都の境界線にあった。
スカイウォールの麓に作られたコンクリート造りの小さな関所。ガーディアンが二体、門の両脇に立っている。青いパネル。北都の機体だ。
(青パネル…北都のガーディアン。俺の赤い識別灯を見られたら終わりだ)
俺は識別灯の出力を最低限まで落とした。通常の点滅も止め、完全な消灯モードに切り替える。各種センサーも同様に出力を下げる。熱源探知、音響探知振動探知、全部を最小限に。
(これで俺は、ただの鉄の塊だ。人間には見えない。ガーディアンにも反応しないはず)
車が検問所の前に停まった。
「身分証を」
検問官の声が聞こえる。男の声だ。低くて、事務的。
「葛城京香です。北都の住民です」
京香さんの声。落ち着いている。嘘をついているようには聞こえない。
「東都へ何をしに行く」
「親戚の墓参りです」
「荷物は」
「後部座席に着替えと線香。荷室は空です」
(嘘だ。戦兎と龍我がいる。でも京香さんの声は完璧に落ち着いている)
検問官の足音が近づいてくる。車の周りを一周しているようだ。俺のすぐ横を靴音が通る。止まる。
(見るな。見るな。俺はただの鉄だ)
「車体が汚れてるな」
「北都の道は舗装が荒いので」
「そうか。…よし、通っていい」
足音が離れる。エンジンが再びかかった。
車が動き出す。俺の視界で路面が流れ始める。
(通過した…!)
その直後、荷室から小さな声が漏れた。
「ふぅ…」
龍我の安堵の声だ。
「万丈、静かに」
戦兎の声が続く。京香さんがバックミラー越しに後部を睨んだのが、車体の振動でわかった。
「安全な場所に着くまで出てくるな」
京香さんの声が、低く響いた。
* * *
検問から十分ほど走った。
俺はそろそろセンサーを通常状態に戻そうとしていた。
(これだけ離れれば大丈夫だろう。識別灯を戻して、周囲を確認——)
その時だった。
――ヒュッ。
空気を切る音。俺の聴覚センサーが、何かを捉えた。
(何だ)
直後。
ドガァッ!!
車体底部に衝撃が走った。
「ぐっ!」
俺の磁力吸着パッドが四カ所のうち二カ所を剥がされた。残りの二カ所で必死にしがみつくが、遠心力で車体が揺れる。
(何が来た!? 熱源!? 蒸気弾!?)
車が急停車した。タイヤが悲鳴を上げ、荷室から何かがぶつかる音がする。
俺は残った二カ所の吸着も解除し、路面へ転がり出た。アスファルトに背中を打ち付け火花が散る。
(くそ、何が——)
白い蒸気が、道路を覆っていた。
その中から、見慣れたシルエットが現れる。黒と暗い灰色の装甲。金色のコウモリ。顔面を覆うゴーグル。
ナイトローグ。
「見つけたぞ、試作機」
低い声が響く。
「京香さんを狙ったな!」
俺は路面に手をつき、跳ね起きた。プロトトランスチームガンを二丁構える。
「その女が持っている。葛城巧の研究データの在り処をな」
ナイトローグがスチームブレードを構える。
「退け。お前の相手をしている暇はない」
「こっちのセリフだ。京香さんから離れろ!」
俺はガンを連射した。
パンパンパンッ!
光弾が蒸気を切り裂く。だがナイトローグはスチームブレードで弾き、さらに蒸気を噴き出した。
プシュウウッ!
白い蒸気が視界を覆う。熱源探知も遮断される。俺のセンサーが機能を低下させていく。
「ちっ、煙幕かよ!」
俺は蒸気の中を走った。京香さんの車の方へ。運転席へ。
「京香さん!」
蒸気が晴れた時。
運転席は、空だった。
「…え」
俺は立ち止まった。
路面には、引きずられた靴跡が残っている。小さな女性の靴の跡。それが道路の端へ、そしてスカイウォールの影へと続いている。
その先で、ナイトローグと京香さんの姿は消えていた。
「京香さん…!」
俺は叫んだ。だが答えはない。
背後で、歪んだ荷室の扉を内側から破る音がした。
「ビリー! 何があった!」
戦兎が荷室から転がり出る。龍我も続く。
「京香さんは!?」
戦兎の声が切迫している。
俺は答えられなかった。
ただ、空の運転席を見つめていた。
(俺が下に隠れるなんて言わなければ)
俺はアスファルトに指を食い込ませた。硬い路面。指先の装甲が削れる。それでも押し付けるのを止められなかった。
(博士。あんたの母親を、俺は守れなかった)
識別灯が、消灯モードのまま弱く明滅していた。
赤いスカーフが、冷たい風に揺れている。
俺は、空の運転席を見つめ続けた。