# 26章 博士の遺産はUSB一本(土の中に埋まってた)
スタークが立っていた。
鉄塔の影から、まるで最初からそこにいたみたいに現れた。ワインレッドの装甲が夕陽に照らされて、血の色みたいに光っている。
「やぁ、お疲れ。土掘りご苦労様」
手を振る。散歩中の近所の人みたいな軽さだ。スチームブレードを肩に担いで、コブラヘッドゴーグルの奥で目が笑っている。
「スターク…!」
戦兎が身構えた。ドライバーに手をかける。龍我がポケットのUSBを押さえる。
「渡せよ。お前たちに持っている資格はない。それは俺が管理するべきものだ」
スタークがゆっくりと歩み寄ってくる。
「ふざけるな。これは京香さんから預かったんだ」
戦兎が前に出る。
「京香さんか。あの人も大変だなぁ」
スタークの声が一瞬だけ冷たくなった。だがすぐにまた軽い調子に戻る。
「でもまあ、そのデータは俺が預かるよ」
スタークが動いた。
速い。
さっきまで十メートル先にいたのが一瞬で目の前に来る。コブラの蛇行みたいな不規則な軌道。戦兎が反応する前にスタークの手が龍我のポケットへ伸びる。
「しまっ——」
龍我が腕を振り払おうとする。だがスタークの指は蛇みたいに滑り込んで、USBメモリーを掠め取った。
「ありがとう。頂戴するよ」
スタークがUSBを指先でくるりと回す。
「てめぇ!」
龍我が飛びかかる。拳を振り抜く。だがスタークは上半身を逸らして紙一重でかわす。
「荒いねぇ。データは手に入れた。後は遊んであげてもいいけど——」
スタークが指を鳴らした。
その音を合図にしたみたいに、もう一つの影が現れた。
黒と暗い灰色の装甲。金色のコウモリ。ナイトローグだ。
「二人もいるのかよ!」
俺は舌打ちした。スタークだけでも手一杯なのにナイトローグまで加わったら戦況が悪い。いや、最悪だ。
「変身!」
戦兎が叫ぶ。ラビットフルボトルとタンクフルボトルを装填し、レバーを回す。
『鋼のムーンサルト!ラビットタンク!イェーイ!』
赤と青の装甲が展開する。ビルドが立ち上がった。
「ビリー! お前は万丈とデータを!」
「わかってる!」
俺は龍我の前に出た。二丁のプロトトランスチームガンを構える。左手は通常弾。右手のスロットは——
(空だ。ロケットフルボトルはさっき京香さん救出時に使ったまま、まだ装填済みだったはず……いや、救出後に外したんだったか?)
俺は右手のガンを確認した。スロットは空だ。ロケットフルボトルは——
ポケットに入っていた。
救出後に外してポケットへ入れたんだ。戦兎には渡さなかった。渡す必要がなかった。消防車フルボトルは前に渡してある。ロケットは俺の武装だ。
(使えるか。試したことはない。でもやるしかない)
俺はロケットフルボトルを右手のガンへ装填した。
カチッ。
『ロケット!』
ガンが変形を始めた。
バキバキバキッ!
銃身が展開し、俺の右腕と接続する。腕全体を覆う巨大なロケットへ変形していく。青い装甲が右腕を包み込み、ノズルが手首の先に展開する。
(すごい。右腕がロケットだ。まるで某宇宙高校生のモジュールみたいだ。いや今は感心してる場合じゃない)
「ビリー、その武装は——」
戦兎が驚いた声を上げる。
「初めてだろ。俺も初めてだ。でもやるしかない」
俺はノズルをスタークに向けた。
「万丈、俺の後ろにいろ。データを取り返すまでは」
「お前の後ろだと狭いんだよ!」
「文句は後だ!」
スタークがUSBを指で回しながら笑っている。
「おや試作機くん、新しい玩具か。楽しみだな」
「玩具じゃない。相棒の遺品を守る武器だ」
俺は噴射した。
ドゴォォッ!
右腕のロケットが唸りを上げ、俺の体が弾丸のように加速する。視界が線になる。地面を蹴る必要がない。推進力だけで体が飛ぶ。
スタークの目の前まで一瞬で詰める。
「速いな。でも——」
スタークがスチームブレードを振る。俺は噴射方向を変えて横へ逸れた。刃が空を切る。
(当たらない。こいつの反応速度は異常だ。でも狙いは倒すことじゃない。USBを取り返すことだ)
俺は左手のガンでスタークの足元を撃った。パンパンパンッ! 牽制だ。スタークの注意が俺に向く。
「戦兎! スタークの注意は俺が引く! ナイトローグを頼む!」
「ああ!」
ビルドがナイトローグへ向かって突っ込む。ドリルクラッシャーが唸りを上げる。
ガギンッ!
ナイトローグのスチームブレードとビルドのドリルクラッシャーが激突する。火花が散る。
俺はスタークの周囲をロケットの推進力で高速移動した。右へ左へ、不規則に。スタークの射界に入らないように。
「くどいよビリー。データはもう俺の手にある」
「返してもらうまでくどくていいよ」
俺は左手のガンを連射する。パンパンパンッ! スタークの進路を塞ぐ。直撃じゃない。だが動きを制限できる。
(USBはスタークの右手にある。奪い返すには接近するしかない。でもスタークの間合いに入ればスチームブレードが来る)
その時ナイトローグがビルドを弾き飛ばした。
ズドガッ!
ビルドが壁に叩きつけられる。瓦礫が崩れる。
「戦兎!」
俺は叫んだ。スタークからナイトローグへ意識が一瞬だけ逸れた。その隙をスタークは見逃さない。
ヒュッ。
スタークの手が俺の胸元に触れた。
(しまった)
ドガッ!
俺の体が後方へ弾き飛ばされる。右腕のロケットが唸るが体勢が崩れて噴射方向が定まらない。背中から地面へ叩きつけられる。
「ぐっ…」
装甲耐久度が警告を鳴らす。だがダメージは問題じゃない。問題は——
スタークがUSBを高く掲げている。
「いただき。ありがとう、試作機くん」
スタークが笑う。
「てめぇ!」
龍我が飛び出した。俺の後ろから。俺が止める間もなく。
龍我の拳がスタークの顔面を捉えた——かと思った。
スタークが首を傾けてかわす。だが龍我は止まらない。第二撃。右フック。スタークが腕で受ける。第三撃。膝蹴り。スタークが後退する。
(速い。龍我の動きがいつもより速い)
龍我の拳がスタークの腹部を捉えた。鈍い音が響く。スタークが一歩後退する。
「ほう」
スタークの目が変わった。余裕の笑みが消えて、品定めするような目になる。
「ハザードレベル上昇中か。面白い」
スタークが龍我の拳を掴む。龍我が腕を振りほどこうとするがスタークの握力は異常だ。
「離せよ!」
「まぁ、待て。そう焦るな」
スタークが龍我の腕を離した。そして——
USBメモリーを龍我の胸に押し付けた。
「はい、お返し」
「……は?」
龍我が目を丸くする。USBを持ったまま硬直している。
俺も硬直した。
(返した? なんで? 奪ったのに返した? 罠か? それとも——)
スタークが肩をすくめた。
「万丈、お前のその力。もっと見せてくれよ。楽しみにしてるからな」
「はぁ? 何言ってんだお前!」
龍我が叫ぶ。だがスタークはもう龍我を見ていない。
ナイトローグの方を向いた。
「ナイトローグ。引き上げるぞ」
「何? まだデータを——」
「いいから。今日はここまで」
スタークの声が一瞬だけ低くなった。命令だ。ナイトローグが一瞬躊躇したが、やがて舌打ちと共にビルドから離れた。
「チッ…次はないぞ」
ナイトローグがスチームを噴いて後退する。スタークもそれに続く。
(待て。どういうことだ。データを奪って、返して、撤退? 何のために来たんだ)
俺の処理回路が回る。だが答えが出ない。スタークの行動に一貫した意図が読めない。
(罠か。USBに細工をしたのか。それとも最初から返すつもりだったのか。それとも——)
考えるより先に、判断が先に来た。
(今は撤退だ。スタークの意図が読めない以上、ここに留まるのは危険だ)
「戦兎! 龍我! 下がるぞ!」
俺は叫んだ。右手のロケット武装を解除する。カシャン! 青い装甲が外れ、プロトトランスチームガンに戻る。
ビルドが瓦礫から立ち上がる。肩を押さえているが、動ける。
「ビリー、スタークが——」
「説明は後だ! まず離れる!」
俺は左手のプロトトランスチームガンの出力を切り替えた。牽制射撃モードから蒸気噴射モードへ。ガンの機関部が唸り、ノズルから白い蒸気が噴き出す。
プシュウウッ!
白い煙幕が旧研究所の敷地を覆い尽くす。視界が白くなる。
(スタークには暗視と熱源探知がある。煙幕だけで止まらない。でも一瞬の隙を作るには十分だ)
「こっちだ! ついてこい!」
俺は左手のガンで蒸気を噴き続けながら走る。右手は空だ。ロケット武装を解除したガンを握り直す。
龍我がUSBを握りしめて走る。戦兎が変身を解除しながら続く。
三人は煙幕の中を走り抜けた。フェンスを越え、雑草を踏み抜け、旧研究所の敷地から離れる。
背後で蒸気が晴れる音がした。だが追ってくる気配はない。
(なぜ追ってこない。スタークは何を考えている)
答えは出ない。だが今は逃げ切った。それが事実だ。
* * *
nascitaへ戻ったのは夜だった。
地下基地の灯りが暖かく見えた。コーヒーの香りが漂っている。惣一がカウンターの向こうで豆を挽いていた。美空がモニターの前で居眠りしている。いつもの光景だ。
京香さんが待っていた。
こたつの横に座り、湯呑みを両手で包んでいる。救出されてから数時間。顔色は良くなっているが、まだ目の下に薄い隈がある。
「戻ったわね」
京香さんが湯呑みを置いた。
「おかえりなさい」
美空が目を擦りながら声をかける。寝起きだ。気だるげな声がいつもより二割増しだる。
「ただいま。みーたん」
俺は軽口を叩いた。いつもの調子が出ない。出そうとして出ない。無理して出した感じが自分でもわかる。
龍我がポケットからUSBメモリーを取り出した。
「これが巧さんのデータです」
龍我が京香さんの前にUSBを置いた。
「スタークに一度奪われたけど…取り戻した」
「取り戻した?」
京香さんが首を傾げる。
「奪われて、返された、の方が正確ですけど」
戦兎が訂正する。眉が寄っている。スタークの不可解な行動が引っかかっているのだ。
「返された? なぜ」
「わかりません。スタークの意図は読めませんでした」
俺は正直に言った。嘘をついても意味がない。京香さんは嘘に敏感だ。息子を失った母親の直感は、俺のセンサーより鋭いかもしれない。
京香さんはUSBメモリーを手に取った。しばらく眺めてから、戦兎に差し出した。
「あなたに預けるわ」
「私に?」
「巧の研究を理解できるのは、あなたしかいない。私には中身がわからない。あの子が何を遺したのか、確かめるのはあなたの役目よ」
京香さんの手が、戦兎の手の上にUSBを置いた。細い指が、一瞬だけ戦兎の手を握る。
「お願い。あの子が何のために死んだのか。教えて」
戦兎は黙って頷いた。
* * *
深夜。nascitaの地下基地。
京香さんは惣一が用意した二階の部屋で休んでいる。美空も自室へ戻った。龍我はソファで横になっている。いびきがうるさい。だが、そのいびきが今は安心できる音だ。
戦兎がUSBメモリーをノートパソコンに挿した。
俺は戦兎の隣に立った。立っている。座れないわけじゃない。でも立ちたかった。博士の遺品を目の前にして、座って待つなんてできなかった。
(博士。あんたが何を残したのか。今見る)
戦兎がファイルを開いた。
画面に文字が現れる。
『PROJECT BUILD』
プロジェクト・ビルド。
その文字が、画面の白い光の中に浮かんでいた。
俺の動力炉がトクリと脈打った。
(プロジェクト……ビルド。ビルドシステムのことか。それとも別の何かか)
戦兎の手がキーボードに伸びる。だがその手が止まった。
「ビリー」
「何だ」
「お前が見るか?」
俺は首を振った。
「お前が開け。あんたが預かったんだろ」
「俺が預かった。でもこれは博士の遺品だ。お前の方が——」
「俺は道具だ。道具は使われるもので、使う側じゃない」
言いながら、自分でも嘘だとわかった。俺は見たい。博士が何を残したのか知りたい。でも知るのが怖い。中身によっては、博士が——葛城巧が、俺が知らない彼を暴くことになるから。
(知りたい。でも知りたくない。その二つが同時にある)
「開けてくれ戦兎。俺は隣にいる。それだけでいい」
戦兎が頷いた。マウスを握る。クリックしようとしたその瞬間——
画面が暗転した。
「え?」
戦兎がキーボードを叩く。だが画面は戻らない。
「パスワードか。暗号化されているのか?」
戦兎の指が止まった。髪の毛が跳ねない。閃いてない。わからない、ということだ。
「解析に時間がかかるな」
「どのくらいだ」
「わからない。暗号化のレベルによる。葛城巧の暗号なら……簡単には抜けないかもしれない」
(博士の暗号。あの人は何でも完璧にやる。暗号化も例外じゃないだろう)
俺は画面を見つめた。暗い画面に、俺の機械の顔が映っている。赤い識別灯が点滅している。
(PROJECT BUILD。プロジェクト・ビルド)
その名前を、俺は心の中で繰り返した。
博士。あんたは何を作ろうとしていた。ビルドシステムの完成か。それとも別の何かか。エボルトを倒すための最後のカードか。
答えはまだ画面の中に眠っている。
赤いスカーフが、地下基地の空調の風にヒラリと揺れた。
夜はまだ長い。