戦兎がキーボードを叩く音だけが、地下基地に響いていた。
カタカタカタカタ。
深夜二時。美空は自室へ戻り、惣一は店じまいを終えて二階へ下がっている。京香さんは惣一が用意してくれた客用の部屋で休んでいるはずだ。龍我はソファで寝返りを打ちながら、いびきの合間に「むにゃ…」と呟いている。
俺と戦兎だけが起きていた。
「解析完了」
戦兎が呟いた。髪の毛がピンと跳ねる。
「葛城巧の暗号。三段階の入れ子構造だった。凝ってるよ。でも俺の方が上だった」
「すごいでしょ? 最高でしょ? 天才でしょ? …って言いたいところだろ」
「別に言わなくていい。自己満足だ」
戦兎がマウスをクリックした。
画面が明滅する。
暗転していたモニターに、光が戻る。
最初はノイズだった。白と黒の砂嵐が一瞬だけ画面を覆い、やがて映像が現れた。
──見慣れた、白衣の男が映っていた。
「っ——」
俺の動力炉が、不規則に跳ねた。
画面の中の男は、白衣を着て、ホワイトボードの前に立っていた。背筋が伸びていて、髪が少し跳ねていて、左手にマーカーを持っている。
葛城巧。
博士だ。
「……博士」
声が勝手に出た。
戦兎が俺を一瞬だけ見た。だが何も言わず、画面に向き直る。
映像の中の博士が口を開いた。
『──PROJECT BUILD。これは、仮面ライダービルドを中核とした防衛システムの構築プロジェクトだ』
声だった。
博士の声。
低くて、落ち着いていて、でも語尾が少し跳ねる独特的な話し方。俺の記憶領域に刻まれた音声データと完全に一致する。聴覚センサーが震えた。物理的に震えた。スピーカーじゃない。センサーそのものが共振したのだ。
『本システムはビルドドライバーを駆動核とし、フルボトルの成分組み合わせによるフォームチェンジ機構を実装する。変身者に求められる条件は二つ。第一にネビュラガスへの適性。ハザードレベル3.0以上が基準値だ。第二に──』
博士がマーカーでホワイトボードに図を描く。ビルドドライバーの断面図。二本のフルボトルスロット。レバー機構。エネルギー変換回路。手つきが速い。でも正確だ。一筆で描く線に迷いがない。
『──第二に、変身者の判断力だ。フルボトルの組み合わせは六十通りのベストマッチが存在する。戦闘中にどの組み合わせを選ぶか。敵の能力をどう分析し、どう対処するか。変身者の頭脳が、システムの性能を決定する』
戦兎が息を呑んだ音が聞こえた。
(博士。あんた、最初から変身者の頭脳を重視してたんだな。だから俺を……)
『ビルドドライバーの試作機は既に完成している。ただし単体での運用テストには限界がある。実戦データの蓄積が必要だ。そのための──』
映像が切り替わった。
トランスチームシステムの資料画面だ。
博士の声が変わる。研究記録の調子から、もっと事務的な口調になる。
『──こちらはトランスチームシステム。ナイトローグおよびブラッドスタークの変形を担うシステムだ。ビルドシステムの対抗馬として設計された』
画面に設計図が表示される。トランスチームガンの内部構造。スチームブレードの展開機構。蒸血システムの流路図。
俺の目が、ある一点に釘付けになった。
(この設計……俺のプロトトランスチームガンと同じ基礎構造だ)
ガンの内部パイプの配列。蒸気圧の制御バルブの位置。トリガー機構の連動方式。どれも俺のガンの設計と共通している。いや、俺のガンの方が古い。博士はトランスチームガンを作る前に、俺のガンで基本設計を試したのだ。
「ビリー、これ見ろ」
戦兎が画面を指差す。
「巧はトランスチームシステムの設計にも関与していた。ビルドドライバーだけじゃない。両方の技術を作ったのが葛城巧だ」
「ってことは、ブラッドスタークの装備も葛城が作ったってことか」
龍我が目を覚ましていた。いびきが止まっている。いつから起きていたんだ。
「あいつが研究を知り尽くしてた理由はこれか。作った本人だからだ」
龍我が拳を握る。
「でもよ、誰がブラッドスタークに変身してるかはこれじゃわからねぇな」
戦兎が頷く。
「映像が示しているのは装備の来歴までだ。変身者の正体までは載っていない」
(スタークは博士の発展型だと言っていた。俺の銃と同じ血脈の装備。博士が作ったシステムを、誰かが使っている。でも誰だ)
俺は考えを一旦止めた。映像が次へ移る。
──次の映像は、俺だった。
「え」
俺の声が漏れた。
画面に映っていたのは、真っ白な部屋。研究室だ。中央に、俺が立っていた。
今の俺と違う。装甲が新品のように輝いていて、スカーフもまだ千切れていない。左側頭部のヒビもない。胸部の封印ボルト痕もない。出来立ての状態の俺だ。
博士が画面の端から入ってくる。白衣の袖をまくり上げ、俺の隣に立つ。そして──早口になった。
『──こちらがビルドシステムに先立って開発した試作型ガーディアン。コードネーム「ビリー」だ』
博士の声が変わった。
さっきまでの研究記録みたいな落ち着いた調子じゃない。声が一オクトーブ高い。言い淀みがない。言葉と言葉の隙間が詰まっている。
『ビルドドライバーの耐久テストおよび実戦データ収集を目的として設計した。機体構造は難波重工のガーディアンフレームをベースに独自改修。動力には試作型高出力機関を内蔵!現在、開発中のシステムのプロトタイプを内蔵しており、これによりトランスチームシステムにあったハザードレベルが上がらないという問題点を克服した。だが、長時間運用にはリミッターが──』
博士が画面の外へ手を伸ばす。図を切り替える。俺の動力炉の断面図が表示される。リミッターの位置。出力曲線。安全域と危険域の境界線。
『──安全域を超えると自爆の危険がある。そのため運用時は出力を制限する。だが、この機体の価値は出力だけじゃない』
博士が俺を指差した。
画面の中の博士の指が、画面の中の俺を指差している。
その指先が、まっすぐ伸びていた。
『こいつがビリーだ。ビルドの隣に立つ、最高の相棒になる』
──俺の動力炉が、止まった。
一瞬。本当に一瞬。動力炉の脈動が途切れた。0.2秒。呼吸をするみたいな間。機械に呼吸はない。でもその0.2秒は、間違いなく俺の中の何かが止まった時間だった。
「相棒」
俺は呟いた。声が掠れた。スピーカーの出力が不安定だ。
「博士……俺のこと……」
軽口を返そうとした。「相棒だってさ、お熱いねぇ博士」とか、「最高の相棒なら請求書を送ってくれ」とか。いつもの俺なら言えたはずだ。
でも言葉が出ない。
口元のサーボが動く。でも音にならない。
俺は画面の中の博士の指先を見た。
それから自分の手を見た。
画面の中の俺の手は、新品のように白銀に輝いている。今の俺の手は、鈍鉄色で、傷だらけで、関節のサーボがキシキシ鳴る。
でも同じ手だ。博士が作った手だ。
「ビリー……」
隣で戦兎が俺を見た。その声が、普段より柔らかい。
「お前、葛城にそう言われてたんだな」
「……ああ」
それしか言えなかった。
画面の中で、博士が更に続ける。早口のまま。
『ビリーには戦闘支援AIを搭載しているが、学習機能により独自の判断パターンを形成する。命令に従うだけでなく、状況に応じて自律的に行動を選択できる。これは──』
博士が一瞬言葉を切った。画面の中の博士が、画面の中の俺を見た。
『──これは僕の判断だ。道具は使い手を選ぶ。だが、道具自身も選ぶべきだ。何のために使われるかを、自分で選べる道具。それがビリーだ』
俺の指先が震えた。
機械の指が震える。サーボの制御エラーじゃない。何か別の要因だ。俺には名前がつけられない。でも確かにそこにある。
京香さんの気配が、部屋の奥から近づいてきたのがわかった。
足音が階段を降りてくる。裸足に近い、かすかな足音。廊下を渡る。地下室の扉が開く。
京香さんが立っていた。
寝間着の上にカーディガンを羽織っている。髪が少し乱れている。だが目は覚めている。
京香さんは何も言わなかった。
ただ、モニターを見た。
画面の中の博士が、画面の中の俺の隣に立っている。白衣の袖をまくり上げて、俺の肩に手を置こうとしている。
「……巧」
京香さんが呟いた。
息子の名前を呼ぶ母親の声だった。研究の話をしていた頃の息子の声を聞いて、母親の顔に戻った。
京香さんは動かなかった。画面を見つめたまま。息子の声を、聞いていた。
* * *
映像が終わった。
画面が暗転する。USBメモリーのデータは以上だった。残りのファイルは暗号化されていて、戦兎が後で解析すると言った。
龍我が口を開いた。
「……人体実験のデータも入ってた。スマッシュの生成プロセス。ネビュラガスの投与記録。全部葛城が作ったものだ」
龍我の声が低い。拳が握られている。
「葛城はビルドシステムを作った。人を救うためのシステムを。でも同時に、人を壊すシステムも作ってた」
「万丈……」
戦兎が龍我を見た。
「俺はファウストの実験台にされた。香澄もそうだ。その裏で葛城が研究してたってことだろ。認められねぇよ」
龍我が顔を背ける。その声には怒りがある。だが同時に、何か別のものも混じっている。
「でも……あの映像の中の葛城は、俺が想像してた奴と違った」
「違った?」
「俺が殺したとされてる男が、ロボットに『最高の相棒』って言ってる。変な気分だ」
龍我がポツリと言った。
戦兎も黙っていた。映像の中の技術に目を奪われていたのは俺にもわかる。ビルドドライバーの設計思想。フルボトルのシステム構造。トランスチームガンの基礎設計。どれも天才の所業だ。だが、その技術が人を救うためにも使われ、人を壊すためにも使われた。戦兎はそれを無視できない。
「科学は人を傷つけるためのものじゃない。誰かを救うためにある」
戦兎が呟いた。いつもの軽口じゃない。自分に言い聞かせているみたいな声だ。
「でも葛城巧の科学は、両方を作った。救う力も、壊す力も。それが俺が背負ってるものの正体だ」
戦兎が拳を握った。白くなるまで握りしめられている。
俺は何も言えなかった。
博士の言葉が、頭の中で繰り返されている。
「道具は使い手を選ぶ。だが、道具自身も選ぶべきだ」
「何のために使われるかを、自分で選べる道具。それがビリーだ」
俺は道具だ。博士が作った道具だ。でも博士は、俺に選ぶ力をくれた。何のために使われるか、自分で選べる道具。
でも今、俺は迷っている。
博士の言葉を喜んでいいのか。「最高の相棒」と呼ばれたことを、素直に受け取っていいのか。
俺は博士の親友だった。でも博士は、人を壊すシステムも作っていた。その博士の相棒である俺は、何なんだ。
(映像の中で博士は、俺を指差して言った。「最高の相棒になる」って。「なる」だ。「なった」じゃない。未来形だ。博士は、俺がこれから相棒になると思ってた。誰の? 博士自身の? それとも──)
俺は戦兎を見た。
戦兎が隣に立っている。博士と同じ顔をした、博士じゃない男。
映像の中で博士が「相棒」と呼んだのは画面の中の俺だ。でも今、俺の隣にいるのは戦兎だ。
(博士。あんたは俺を誰の相棒にしたかったんだ)
答えは出ない。
でも一つだけわかることがある。
今ここで、戦兎の隣に立っているのは俺だ。それを選んだのは俺だ。誰に強制されたわけでもない。俺が選んだ。
* * *
京香さんは、映像が終わった後もしばらくモニターの前に座っていた。
戦兎が「もう休まれてください」と声をかけるまで、動かなかった。
龍我は再びソファに横になった。だがいびきはかいていない。目を閉じているが起きている。
俺はモニターの前に立ち尽くしていた。
画面は暗い。電源が切られたモニターに、俺の機械の顔が映っている。赤い識別灯が点滅している。
(博士の声。久しぶりに聞いた。いや、聞いたんじゃない。録画だ。記録映像だ。博士はもういない。残っているのはデータだけだ)
でも声は、本物だった。博士の声だ。語尾が跳ねる話し方。早口になると止まらない癖。全部、俺の記憶と一致する。
「ビリー」
戦兎が呼んだ。
俺は振り向かなかった。モニターに映る自分の顔を見ていた。
「ビリー、終わったぞ」
戦兎がもう一度呼ぶ。
俺は振り返った。
「ああ。わかってる」
いつもの調子で答えた。つもりだった。
でも声が、少し遅れた。
0.3秒。サーボの反応遅延じゃない。声を出すまでに0.3秒かかった。何かが喉の奥で詰まっていた。
「大丈夫か」
戦兎が俺を見た。その目は心配しているようで、でも踏み込まない。俺の領域に、無理に入ってこない。戦兎の優しさはいつもそうだ。不器用だけど、的確だ。
「大丈夫だ。大丈夫だよ」
俺は答えた。二回言った。一回目は戦兎に。二回目は自分に。
赤いスカーフが、地下基地の空調の風にヒラリと揺れた。
千切れた端が、まだヒラヒラしている。
博士がくれたスカーフ。赤は目立つからやめろって言ったのに、巻いてくれたスカーフ。
(博士。あんた、俺のこと「最高の相棒」って言ったな。まだなってないかもしれない。でも俺は、あんたの隣に立ってた。今は戦兎の隣に立ってる。それが俺の選んだ使い方だ)
俺はプロトトランスチームガンをホルスターに戻した。
二丁の銃。左は通常弾。右のスロットは空。ロケットフルボトルはまだポケットの中だ。
夜は長い。でも朝は来る。
来たら、また動く。戦兎の隣で。博士がくれたこのスカーフを揺らしながら。
「おやすみ、博士」
俺は小さく呟いた。
戦兎には聞こえないくらい小さな声で。
でも、動力炉には聞こえた。