「──ってわけで、二人とも座れ。話はそれからだ」
俺の声が地下基地に響いた後、沈黙が降りた。
龍我が舌打ちと一緒にソファへ沈み込む。戦兎が握りしめていた拳をゆっくり開いて、息を吐いた。長い息だった。人間の肺ってのは便利だな。俺だったら動力炉の圧を抜くだけなのに、戦兎はあの息一つで肩の力を抜いているように見えた。
「…悪かった。声を張り上げた」
戦兎がぼそりと言った。謝るとき、こいつは髪をかき上げない。跳ねた髪がそのまま垂れている。
「俺もだ。…葛城のリストを見て、頭に血が上った」
龍我がソファの背に頭を預ける。
(よし。収束した。俺の調停成功率、今ので七割を超えたぞ。交渉担当としての俺、悪くない出来栄えだ)
誰も言葉を探せない時間が続いた。
京香さんは階段の手前の椅子に座ったまま、暗いモニターを見つめている。息子の声を聞いた母親は、きっとまだあの声の中にいる。俺が声をかけるのは野暮というやつだ。
その沈黙を破ったのは、戦兎だった。
「…待て」
戦兎が急に画面へ向き直った。髪がピンと跳ねる。
「PROJECT BUILDのファイル、これで全部じゃない」
「は?」
龍我が身を起こす。
「昨夜の映像は『研究記録その二』だった。だがフォルダの中身はまだある。再生していない記録が──これだ」
戦兎がファイルリストを拡大する。
画面に浮かんだ見出しに、俺の光学センサーが勝手にフォーカスした。
『PROTOTYPE BUILD』
プロトタイプ。ビルドの、前。
「…プロトビルド?」
戦兎がクリックする。
砂嵐。そして博士が現れた。
だが、様子が違った。
昨日の博士は早口だった。図を切り替える手つきが慌ただしくて、声が弾んでいた。俺を紹介した時の博士は、あれは研究中の博士の素顔だった。
今、画面の中の博士は──静かだった。
白衣は同じ。ホワイトボードは同じ。だが手にマーカーがない。代わりに、一本のボトルを持っていた。
黒いボトルだった。
フルボトルだ。だが俺が知る六十本のどれとも違う。黒いボディに、恐竜を思わせる意匠。トゲと牙。光を通さない、深い黒。
『──PROTOTYPE BUILD。研究記録、その零』
博士の声が低い。
『これはビルドシステムに先立つ、最初期のライダーシステムの記録だ。フルボトルの概念自体は、このシステムで初めて実証された。コアとなるのは──』
博士が黒いボトルを持ち上げる。
『──恐竜フルボトル』
(……知ってる)
俺の記憶領域の奥で、古いファイルが開いた。
夜中の研究室。動力調整を終えた俺がドアを開けると、博士が一人で机に向かっていた。手の中に黒いボトル。振り返った博士は、俺を見て少しだけ驚いた顔をして、それからボトルを引き出しにしまった。
『まだ早い』
それだけ言って、博士は俺の調整データの話に戻った。俺は聞かなかったことにした。親友にも、言いたくないことがあるのだと、その時は思った。
(完成してたのか。あれ)
映像が続く。
博士の手元に設計図が広げられた。
ライダーの設計図。だがビルドじゃない。ビルドのような左右非対称ではない。滑らかで、どこか歪で、見ている俺の回路が嫌な警告を出したくなるようなフォルム。複眼の意匠すら、生物的だ。
『このシステムは単体で駆動を完了した。変身にはドライバーではなく、専用のトリガー機関を──』
画面の中の博士が、設計図から顔を上げた。
まっすぐ、カメラを見る。
『──完成体の名称は、仮面ライダーエヴォル』
カチッ。
戦兎が映像を止めた。
静止画。設計図と博士の顔。
「…エヴォル」
戦兎の声が絞り出したみたいだった。キーボードに手を伸ばし、設計図を拡大する。拡大する。ピクセルが崩れるまで拡大する。
「仮面ライダーだ。名前がある。ビルドと同じ形式の──いや、ビルドより古い」
「おい、何をそんなに睨んでる」
龍我が画面に顔を寄せる。
「これを見ろ。変身機構の中心回路。ビルドドライバーと同じ系譜だが、色々と出力が違う」
「どういう意味だよ」
「バランスを取る必要がないんだ。抑えるものが、最初からない」
戦兎の指が、止まった。
「再生する」
俺は小さく言った。声が出たのは、たぶん俺の方が先に知りたかったからだ。
* * *
再生。
博士が再び動き出す。
『──ここからが本題だ』
博士の声が、一段低くなった。
『このシステムは現在、誰にも取り出せない場所へ封印した』
京香さんの息を呑む音が聞こえた。
『封印の場所は、この記録には残さない。解除手順も残さない。意図的に残していない』
博士が首を振る。
『そして、これは頼みではなく警告だ。仮にこのシステムが再び動いた場合──』
一瞬、言葉が途切れた。
『──絶対に、動かしてはならない』
そして映像が切れた。
ノイズ。砂嵐。
そして黒い画面。
「……おい」
龍我が立ち上がった。
「途中だろこれ! 何だよ『動かしてはならない』って言い捨てて終わりって! 肝心なところで切れてんじゃねえか!」
「ファイルはここまでだ」
戦兎がUSBを抜き差しする。何度も。
「破損じゃない。記録そのものがここまでだ。……途中で切れてる。編集されたのか、録音自体が中断したのか」
「はあ!? そんな危ねぇもん作ったなら壊せよ! なんで場所まで隠すんだよ!」
龍我の声が部屋に跳ね返る。もっともな怒りだ。俺も同じことを聞きたかった。
博士は答えない。もう答えられない。
「巧……」
京香さんが、小さく呟いた。
「あなた、まだ何か隠してたの……」
その声には責める色より、悲しい色の方が濃かった。息子をもう一度失うみたいな声だ。俺の聴覚センサーが、その声を勝手に保存してしまった。
* * *
「──探すべきだ」
戦兎が口を開いた。
「封印場所を探す。博士は残さなかったけど、博士の行動記録の中にヒントがあるかもしれない。旧研究所の利用履歴、研究機材の発注先、北都との手紙のやり取り──」
「待て待て待て」
「中身もわからねえのに掘り出して、それで何か起きたら誰が責任取る? 葛城は隠したんだよ。隠したものは隠したままにしておけ」
「だがファウストはどうだ」
戦兎が立ち上がる。
「スタークは博士の研究を知り尽くしてた。この記録の存在に気づいていない保証があるか? 俺たちより先にあいつらが封印を見つけたら──『絶対に動かしてはならないもの』が、あいつらの手で動くんだ」
「だからって──」
「万丈、お前の言うことも正しい。だが『知らない』は『安全』じゃない」
二人の視線が、交錯する。
昨日と逆だ。昨日は龍我が追い、戦兎が冷静だった。今日は戦兎が追い、龍我が留めている。
「……ビリー」
龍我が俺を見た。
「お前はどうなんだ。お前は葛城の相棒なんだろう? 博士が隠したものをほじるのは、相棒としてどうなんだよ」
来た。
まっすぐきた。
俺は自分の手を見た。鈍鉄色の指先。博士に作られた手。
(博士は俺には言わなかった)
俺の動力炉にはリミッターがある。自爆の危険があるからだと、博士は自分で教えてくれた。自分の体の危険すら俺に隠さなかった人が、エヴォルの行方だけは隠した。
(なぜだ。俺が漏らすのが怖かったのか? 俺に近づいてほしくなかったのか? それとも──)
「……俺は、博士の言いつけを守りたい」
俺は言った。
「博士は『動かすな』と言った。それは守るべきだと思う」
龍我が少し頷く。
* * *
議論は朝まで続いた。
決着はつかなかった。戦兎は解析を続けると言い張り、龍我は「勝手にしろ。けど勝手に掘れ」と突き放し、京香さんは最後まで何も言わずに画面を見つめていた。
みんなが寝静まった後、俺は一人でモニターの前に立っていた。
電源の切れた黒い画面に、俺の顔が映っている。赤い識別灯だけが点滅している。
(エヴォル)
文字が一つ違う。
それだけのことに、俺の冷却系が不要な速度で動力炉の熱を逃がしていた。
博士、あんたは最後まで隠し事を持っていく奴だ。
赤いスカーフの千切れた端が、空調の風にヒラリと揺れた。
朝になったら、また動く。
答えが出るまで、俺は観測を続けるしかない。