搬出口の坂を駆け上がる時、前輪がコンクリートの境界を噛む感触がフレーム全体に走った。
戦兎の重みがサスペンションを沈める。変身解除直後の体は鉛みたいに重い。俺のセンサーにはそう映る。だが戦兎は俺のタンクにしがみついたまま、一言も文句を言わない。
(しっかり掴まってろ相棒。落とすわけにはいかない)
地上に出た瞬間、夕陽が視界を焼いた。
研究所裏の搬送路。狭い。両側に資材置き場の壁が迫り、路面は補修されずに荒れている。その通路を、スタークが走っていた。
速い。
徒歩だ。だがワインレッドの装甲が蒸気を纏っている。脚部から噴出する蒸気が推進力を兼ねているのか、人間の走りじゃない速度で通路を滑るように進んでいく。
「追いつけないのか!」
戦兎が叫ぶ。風に煽がれて声が擦れる。
「うるせえ! まだ加速——」
言いかけた瞬間、動力炉の警告灯が一段強く明滅した。
(まずい。残り出力百分之二十八。ロケット武装なし。長時間の高速走行は……言ってる場合か)
俺はアクセルを開けた。
タイヤが荒れたアスファルトを噛む。振動がフレームを突き抜けて戦兎の膝に伝わる。背後の照明が点滅する非常灯の緑に変わって、流れるように後ろへ消えていく。
距離が詰まる。四十メートル。三十。
スタークが角を曲がった。資材置き場の隙間へ滑り込む。狭い。俺の車体幅じゃ擦る。
「ビリー、curb ! 隙間じゃ通れない!」
「わかってる!」
俺はブレーキをかけた。タイヤが悲鳴を上げ、車体が傾く。戦兎の膝が俺のタンクに叩きつく。
(くそ、狭い。スタークは徒歩だからこの幅でいい。俺はバイクだ。バイクのままじゃ追いつけない)
だが変形する暇はない。人型に戻れば速度が落ちる。このまま追うしかない。
スタークが曲がり角の向こうで振り返った。コブラヘッドゴーグルの奥の目が、笑っている。
プシュッ。
路面に何かが撃ち込まれた。
次の瞬間、白い蒸気が搬送路全体に爆発的に広がった。
視界が白一色に変わる。熱源探知がノイズを吐き出し、距離計測が「———」を表示する。
(くそ、また蒸気か!)
速度を落とすわけにはいかない。落とせばスタークは見えなくなる。だがこのまま走れば壁に突っ込む。
「戦兎!」
「右! 右側に壁がある! 左は空いてる!」
戦兎の声が蒸気の中から届く。俺のセンサーが機能しない中で、戦兎は音で位置を判断している。
(天才物理学者の耳かよ。頼もしいこった)
俺はハンドルを左へ切った。傾いた車体が蒸気の中を滑る。タイヤが路面の継ぎ目を噛む感触だけが頼りだ。
直後、俺の元いた位置を金属が切り裂く音がした。
ヒュンッ、という風切り音の直後にガキンッという衝突音。スタークの斬撃だ。もし俺があの位置にいたら——
(当たってた。やっぱこいつ、蒸気の中でも俺の位置を——)
「ビリー、前!」
戦兎の声に反射的にブレーキをかけた。タイヤが滑り、車体が前のめりに傾く。目の前に壁。資材置き場のコンクリート壁が迫っていた。
(危ねえ……!)
俺は体勢を立て直した。蒸気が薄れ始める。視界の端にワインレッドの残影が見えた。スタークはまだ走っている。距離は開いていない。
「追うぞ!」
「おう!」
俺は再び加速した。だが——動力炉の警告灯が、また一段強く明滅した。
(だめだ。これ以上急加速したら動力炉が持たない。残り出力百分之二十四。警告域に入ってる)
「戦兎、急加速はもう無理だ。動力炉が警告してる」
「どのくらい」
「百分之二十四。長距離の高速走行は……無理だ」
「ちっ、じゃあどうする。このまま追いつけないのか」
「進路を読め。スタークが逃げる方向を予測してくれ。俺はその予測に合わせて走る」
戦兎が一瞬黙った。俺のタンクを掴む手に力が入る。
「……研究棟の脇。あそこに短い連絡通路がある。搬送路を迂回するなら、あそこを通るしかない」
「研究棟脇の連絡通路。了解」
俺はハンドルを切った。搬送路から分岐して研究棟の方へ向かう。路面がアスファルトからコンクリートに変わる。タイヤの音がカチカチと硬質になる。
「ビリー、あそこだ! 狭いけど通れるか」
「通る!」
研究棟の壁と資材置き場の間。幅一メートルほどの隙間。俺の車体幅は五十五センチ。ギリギリだ。
壁が両側から迫る。戦兎の足が壁に擦れる。
「いってえ!」
「我慢しろ!」
隙間を抜けた瞬間、視界が開けた。研究棟の裏手。搬送路より広いスペース。
そして——スタークがいた。
距離二十メートル。搬送路を迂回した俺たちの方が、スタークの進路より近い位置に出た。
「読み通りだ!」
戦兎が叫ぶ。
(よし、距離を詰め——)
その時、動力炉の警告灯が激しく点滅した。残り出力百分之十九。危険域。
(やべえ。もう……)
俺は速度を緩めた。緩めざるを得なかった。タイヤの回転が鈍り、エンジンの唸りが細くなる。
スタークは気づいた。俺たちの速度が落ちたことに。コブラヘッドゴーグルの奥で目が細められる。
「ビリー、動力炉は」
「百分之十九。警告域。このまま走れば……いつ止まるかわからない」
「ちっ……」
戦兎が舌打ちした。だが諦めていない。俺のタンクを掴む手が、さらに強くなる。
「まだ走れるだろ」
「走れる。でも長くはない」
「長くていい。あと一分でいい」
「一分か。やってやるよ」
俺は走り続けた。スタークの背中が近づく。十メートル。八メートル。
ふいに研究棟の扉が開いた。
白衣を着た研究員が一人、扉から出てきた。スタークと鉛合わせる形になる。
「え、な——」
研究員が驚きの声を上げた。スタークが足を止める。
(今だ! 隙ができた!)
俺は加速しようとした。だが——スタークが、研究員に向かって手を伸ばした。
手のひらが、研究員の顔に触れる。
その瞬間、俺のセンサーが異常を検知した。
生体反応の急変。
研究員の顔つきが、変わった。
骨格の形状が変わった。目の位置が変わった。顎のラインが変わった。同一人物のはずの生体反応が、別人のそれに入れ替わった。
(……は?)
俺の処理回路が一瞬フリーズした。
同一人物の生体反応を追い続けていた。番号も、脈拍も、体温も、同じ個体をトラッキングしていた。それが——変わった。別の人物に入れ替わった。
(見間違いじゃない。俺のセンサーは確かに同じ人物を追っていた。それが今、別人の生体反応に置き換わった。これは——)
「ビリー! 何を止まってる!」
戦兎の声に、俺は思考を引き戻された。
スタークが顔の変わった研究員を押しのけて、再び走り出した。箱を抱えたまま。
戦兎が振り返った。研究員を見た。その研究員の顔が、さっきまでの顔と違っていることに気づいた一瞬。
「……何だ、あいつ」
「今はいい! 追うぞ!」
俺は叫んだ。追跡を止めるわけにはいかない。だが脳内——いや処理回路内には、さっきの映像が焼き付いていた。
スタークが、人間の顔を変えた。
あの能力は何だ。あれは俺が知っている科学じゃない。ビルドシステムの技術じゃない。トランスチームシステムの技術でもない。
(……答えは後だ。今は追う)
俺は残りの出力を絞り出した。
スタークの背中が近づく。五メートル。三メートル。
「戦兎! 飛び降りる準備をしろ!」
「何をする気だ」
「進路を塞ぐ! 俺が先に回り込んで止める。お前は飛び降りてスタークを抑えろ」
「動力炉は大丈夫か」
「……やるしかない」
俺は縁石を越えた。タイヤが縁石の角を噛み、車体が跳ねる。戦兎の体が浮き、俺のタンクに叩きつく。
スタークの前方へ回り込む。
タイヤを横滑りさせる。ブレーキがスキール音を上げ、車体が横に滑ってスタークの進路を塞いだ。
ズザザザッ!
衝撃。フレーム全体にブレーキの荷重がかかる。戦兎が車体から降りるために、俺は姿勢を保った。傾いた車体。擦れるタイヤ。止まる。
戦兎が飛び降りた。
俺は人型へと変形した。カシャン。フレームが展開し、立ち上がる。膝が笑った。いや、関節のサーボがキシキシと鳴っている。動力炉の警告灯が、消え入りそうに明滅している。
(残り出力……百分之十五。やばい。このままじゃ——)
戦兎がスタークと、顔の変わった研究員を見比べた。
スタークは箱を抱えたまま立ち止まっていた。余裕の笑み。いつもの顔だ。
研究員は何が起きたのか理解できていない様子で、自分の顔を手で触っている。
「……戦兎」
俺は声を絞り出した。
「空間を作りたい。俺は下がる。お前がスタークと……話す余地を作る」
戦兎が頷いた。俺は一歩、二歩と下がった。動力炉の熱がボディ全体に広がっている。冷却系が悲鳴を上げている。
戦兎がスタークの前に立った。
「今、何をした」
戦兎の声が低い。天才物理学者の仮面の下、葛城巧の影を背負った男の声だ。
スタークが肩をすくめた。その口元に、いつもの余裕の笑みが張り付いている。
俺の警告灯が、一段強く明滅した。
赤いスカーフが、夕暮れの風にヒラリと揺れた。