戦兎のスマホが鳴った。
地下基地のモニターの前にいた戦兎が画面をちらりと見て、眉をひそめた。その反応を俺の光学センサーは見逃さなかった。
「誰だ」
「マスターだ」
戦兎が短く言った。その手がスマホを握る強さが、普段より二割増しだ。俺のセンサーはそういう細かい変化を拾う。
「マスター? 何の用だ。店閉まってるのに」
「わからない。だが呼び出しだ」
戦兎が立ち上がった。椅子がガタリと鳴る。
「呼び出しって、いったいどこへ」
「東都の端。工場地帯」
戦兎がスマホの画面を俺に見せた。短いメッセージ。場所と時間だけ。無駄のない文章だ。マスターらしいと言えばマスターらしい。
「行くのか」
「行く。マスターが呼んでるんだ。行くしかない」
戦兎がコートを羽織った。いつものカジュアルなコートだが、その下にビルドドライバーを差し込む手つきがいつもより慎重だ。
「俺も行く」
俺は立ち上がった。いや立ち上がろうとした。メンテナンスポットから出てまだ十分に回復していない。膝のサーボがキシリと鳴った。
「行くな」
戦兎が俺を制した。
「は? なんで」
「お前は休め。動力炉がまだ警告域だ」
「もう大丈夫だ。百分之七十五まで回復してる」
「七十五じゃ足りない。万丈と二人で行く」
「万丈? なんで龍我が」
戦兎が振り返った。その目はいつもの軽い調子じゃない。天才物理学者の仮面の下、何かを計算している目だ。
「マスターの呼び出しはマスターの用事だ。お前が行くとまた無理する」
「無理なんて——」
「するだろ。さっきの追跡でもした。お前は自分の限界を超えるのが習慣になってる。俺がそれを止める」
戦兎の声に、いつもの軽口がない。だが冷たくもない。ただ真っ直ぐだ。
(戦兎。お前、俺を心配してるのか。それとも俺がまた壊れて戦力が減るのを警戒してるのか)
両方だろうな。この男はそういう奴だ。仲間を気遣う気持ちと、戦力を計算する頭脳が同時に動く。
「わかった。行かない」
俺は素直に引いた。膝のサーボがまだキシキシ言っているのは自分でもわかっている。
「でも龍我を連れて行くのか。あいつ指名手配中だぞ」
「だからこそ連れて行く」
「意味がわからない」
「万丈は今の状況で一番肩が重い奴だ。葛城巧殺害の冤罪。佐藤太郎の治験の件。全部自分に関わることだろ。放っておいたら一人で飛び出す」
戦兎が龍我の方を見た。ソファで寝転がっていた龍我が目を開けている。
「聞いたか万丈」
「聞こえてる」
龍我が起き上がった。
「お前も行くのか」
「ああ。行くに決まってんだろ」
龍我がソファから降りる。派手なジャケットを羽織って帽子を被った。
「でもよ、マスターが呼び出しって何の用だ」
「わからない。だが行かなきゃわからない」
戦兎が地下基地の出口の方を向いた。
「ビリー。留守番頼む」
「留守番? 俺に留守番?」
「ああ。美空とnascitaを頼む」
「俺はガーディアンだぞ。守衛じゃない。守護者だ」
「守護者の仕事には拠点の守備も含まれるだろ」
「含まれない。俺は現場だ。現場」
「今日は拠点だ。命令だ」
命令。戦兎はめったに命令を使わない。俺を道具として扱う時だけ、この言葉を使う。いや今のは違った。仲間として頼んでいる。でもあえて命令の形をとっている。
(わざとか? 俺に逆らえなくするためか。それとも自分に言い聞かせるためか)
戦兎のためらいは見えなかった。俺のためらいと違う。俺が躊躇う時、膝のサーボが鳴る。動力炉が脈打つ。身体が止まる。
だが戦兎のためらいは動きの中にある。歩きながら、コートを直しながら、ドライバーの位置を確認しながら。躊躇っているんじゃない。躊躇いを動きの中に溶かしている。
(そうか。お前もためらってるんだな。でも俺とはやり方が違う)
「わかった。留守番だ」
俺は座った。
「行ってこい。相棒」
戦兎が振り返った。少しだけ目が細くなった。
「相棒か。お前がそう呼んでくれると助かる」
「別にいつも呼んでるだろ」
「今はそうじゃない時もあるだろ」
戦兎が笑った。いつもの軽い笑みだ。でもその奥に何かあるのを俺は知っている。
「ビリー、戻るまで美空頼むぞ」
「わかってる」
「何かあったら通信しろ」
「通信する。お前こそ通信してくれよ」
「する」
戦兎が龍我を呼んだ。
「万丈、行くぞ」
「おう」
龍我が俺に目配せをした。
「おいビリー。戻ってきたら報告しろよ」
「当たり前だ」
「動力炉休ませとけよ」
「うるさい。お前こそ無理すんな」
「俺が無理するわけないだろ」
「いつもしてるだろ」
「うるせえよ」
龍我が歯を見せて笑った。そして戦兎の後を追って地下基地の出口へ向かって歩いていった。
二人の背中が階段を上がっていく。
(行ったか)
俺はメンテナンスポットの縁に手をついて座ったままでいた。動力炉の警告灯がまだ点滅している。あと二十四パーセントの回復が必要だ。
(戦兎。お前は俺を置いて行く時、ためらいを見せない。それが俺とお前の違いだ)
(俺は置いて行かれる時、ためらう。動力炉が鳴く。膝が鳴る。でも声に出さない)
(お前は声に出す。軽口にして、冗談にして、命令にして)
(どっちが正解かわからない。でも——)
(お前が戻ってくるまで、ここを守る。それが俺の仕事だ)
赤いスカーフが、地下基地の空調の風にヒラリと揺れた。
俺の識別灯が、薄暗い基地の中で静かに点滅していた。