今回は大半が彩葉視点です。この1話で育児回終わるかなと思ってたんですが、良く考えたらこれ後々入れる余裕無いな?と思いこうなりました。いやー、進みが遅い……これ完結までどのくらいかかるんだ。
「……何かでかくなってね?」
「私もそう思う」
朝六時。酒寄が活動し出したのを確認した上で隣室を訪れると、布団の上ですやすやと寝息を立てている赤ん坊が目に入ったが、明らかに昨晩より一回りか二回りは大きくなっている。まあ元々ゲーミング電柱出身の摩訶不思議な存在だ、そんなこともあるのだろう。
てかあっぶね。店に着いてから詳しいサイズ測ってなかったことに気付いて、戻る時間も無くて記憶より大き目のサイズの色々買ったんだが、それが功を奏したか。ピッタリの買ってたら無駄になるところだった。それに、叢雲が途中から止まらなくなって、次男の話だけじゃなく今年六歳になる長男の話も途中まで聞かされたが、この分だとそれも良かったのかもしれない。
「この感じ……漏らしてんのか。とっとと色々着替えさした方が良いな」
「うん。まあ買いに行くにも開店時間はまだ――」
「ああ、夜の内に買ってきたぞ」
「へ?」
「ちょっと待ってろ。持ってくる」
赤ん坊の体に指をあてがい、話しながら大体のサイズを割り出し、それに合う物や哺乳瓶等のすぐに使うであろう物を酒寄の部屋に運ぶ。この歳になると、手の大きさの成長はほぼ止まるから、予め測って数値を把握しておくとこういう時便利である。
「ほい」
「あ、ありがとう……いくらだった? 結構したでしょ」
「さあな。レシートいつも貰わないし覚えてない」
「いや、ふじゅ~PAYの履歴見れば分かるでしょうが。良いから教えて、半分出すから」
「却下。ただでさえ金無いんだろ? 俺は配信で稼いでるし、俺が全額出す」
「いや、でも――」
「お前の部屋で赤ん坊の世話するんだ。なら、お前の方が相手する時間は多いし、場所代も含めてチャラってことにしとけ。……後で言われそうだから今の内に言うけど、机の上の金もそういう扱いな」
「むう……」
「それよりも、とっととシャワー浴びてきな。体ベタベタしてるだろ」
「……はーい」
不満げに風呂場へ向かう酒寄を放置し、湯を沸かしながら、赤ん坊を起こさないように慎重に、かつ手早く着替えさせていく。昨日よりでかくなったとはいえ、それでも迂闊に触れば壊れてしまいそうな存在に変わりは無い。起きて暴れられでもしたら、多少面倒なことに――良し、終わった。
「ふぅ……いや待て、落ち着くな」
一段落しホッと一息つきそうになるが、まだやることは終わってない。赤ん坊がいつ起きても良いように、態勢を整えておかなければ。
「んゅぅ……?」
「お、ちょうど起きたか――って」
「うぅ……ふぇぇ……!」
準備がほぼ終わるのを見計らうかのように、赤ん坊が目を覚まし、そしてぐずり始めた。タイミング的に、十中八九腹が減ったんだろう。
「少し待ってろ。今飲ませてやるからな」
仕上げに哺乳瓶を人肌程度まで冷まし、赤ん坊を抱き上げる。角度は大体この位か。
「んくっ……んくっ……」
「(中々良い飲みっぷりだな) 落ち着いて飲めよ。むせるぞ」
哺乳瓶の口をあてがうと、待ってましたと言わんばかりに、凄い勢いで飲み始めた。まあ俺達が拾ってからかなりの時間が経過してるし、そうなってもおかしくはあるまい。そうしてみるみる内に減っていく中身を眺めていると、脱衣所の扉がガラッと開き、ホカホカと湯気を纏いながら酒寄が出てきた。
「あ、起きたんだ。ていうか、ミルクまであげてくれてたの? ありがとね」
「気にするな。お前に任せきりにするつもりは更々無い。……お、飲みきったか」
哺乳瓶が空になったのを確認し、赤ん坊を縦抱きにして背中をさすったりトントンと叩くと、然程時間はかからずに「けぷぅ」と空気を吐き出してくれた。赤ん坊によっては中々げっぷをしない子もいるようで、実際叢雲の次男はそんな感じらしいが、この子はその点手のかからない子らしい。
「何か手慣れてない? 経験あるの?」
「いや、夜に色々調べただけだ」
「そう……あと、言うの遅れちゃったけど、布団ありがとね。部屋から持ってきてくれたんでしょ?」
「どうも。どうせ予備のやつだし、このまましばらく使って良いぞ。何だかんだ汚れるかもしれないし」
「そうだね。ありがたく使わせていただきます」
「おう。で、これからのことなんだが。今日お前この後バイトだろ? その間は俺が一人でこの子の相手してるが、こっちの部屋使って良いか? 昨日の今日だから、まだ片付けられてなくてな」
「それは良いけど、良いの? 配信の予定とかあったんじゃ……」
「あるにはあるが、いつも通りのやつだし、キャンセルしたところで特定の奴に迷惑がかかるわけでもない。今はこっちの方が重要だ。しっかり見とくから、お前は安心して行ってこい。……ただ、ちっと眠ぃから、悪いがお前が出かけるまで寝るわ。時間になったら起こしてくれ」
「……分かった。お休み」
酒寄に赤ん坊を任せ、壁に背を預け瞼を閉じる。すぐさま特大の波がやってきて、俺の意識は一気に落ちていった。
≪彩葉SIDE≫
(……調べものに買い物までして。しかも多分私より起きたの早いだろうし。私が昨日意識飛んだのもかなり遅くだったのに、アンタ一体何時間寝たのよ。私のこと言えないじゃん)
苦笑しながら膝にタオルケットをかけてやる。人を布団で快適に寝かせておいて、自分は何の躊躇いも見せずによろしくない体勢で寝始めてしまった。仮にも
この人はいつもこうだ。基本人に対して必要最低限の対応しかしないくせに(最近は芦花とか真実とかには普通に接するようになったけど)、私に対しては無愛想ながらも良く気遣ってくれたり、いつの間にか色々手を回してくれていたりする。しかし、そこに下心のようなものは感じられず、あまり異性としても認識してなさそう――と思えば、時折このように一人の女の子として扱ってくれたりもする。
昨晩だってそうだ。はっきり意識があったわけではないが、誰かに優しく抱きかかえられるような感覚があった。朝起きた時の状況からして、恐らくはそういうことなのだろう。
「ホント、良く分かんない人ね。アンタって」
初めて会った時からずっとそうだった。
* * *
「は?」
「……え?」
去年の12月のある日の朝、寒さに身を震わせながら身支度を整え外に出ると、同じタイミングで隣の部屋のドアが開き、同じ学校の制服に身を包んだ男子と目が合った。微かに見覚えがある、確か何度か廊下ですれ違ったり、隣の教室から出てくるところを見たりしている。ということは、恐らく隣のクラスの生徒なのだろう。
ここに移り住んでからその時まで、隣人の顔は一度も見たことが無く、誰が住んでいるのかも不明だった。一度も会わないということは、生活時間帯が完全に違うということであり、きっとどこかのサラリーマンか、お年寄りの方でも住んでいるのだろう――そう思い込んでおり、完全に油断していた。
――マズい。
一瞬真っ白になった頭を、その思考が支配していた。私は学校で完璧女子高生として振る舞っている。それが実はこんな場所で、限界ギリギリの生活をしていることなんて、芦花達以外に知られたくなかった。
もう知られてしまったからには仕方ない。せめて、他の人にも広まるような事態は避けないと……!
「あの――」
「お願いしますっ。私がここに住んでるってこと、誰にも言わないでほしいの!」
「あ、ああ。そういう――」
「あなたにはこんな頼み事、聞く理由なんて無いし、何のメリットも無いと思うけどっ」
「……えっと、さかよ――」
「それでもお願いっ! 何か出来ることがあればするから、周りには――」
「一旦話聞けや」
手を合わせ必死に頼み込んでいると、突然デコピンを食らった。全然痛くはなかったけど、予想外の衝撃によろめき、何をするんだと抗議をしようとして顔を上げる。すると、彼はぶっきらぼうな顔で、呆れたようにため息を吐いていた。
「んなことわざわざ言い触らさんわ。メリット云々の話なら、広めることこそ何のメリットも無い」
「そ、そう……?」
「そうだろうよ。広めて何になる」
「……分からないけど、私の評判を落として色々するとか」
「それをして、俺は何か得するのか? こんなとこに住んでるんだ、お前も何かしら訳ありなんだろうよ。そんな奴を悪戯に貶める程俺の性根は歪んじゃいねぇ」
「……ごめんなさい」
「分かれば良い。ほら、変なこと言ってないで、とっとと行け。いつまでものんびりしてるとギリギリになんぞ、『完璧女子高生』」
「う、うん」
彼に背を向け、駅へ向かおうと――ん?
階段を降りたとこで振り返ると、彼は手すりにもたれてスマホをいじっていた。どう見ても出発する様子ではない。
「え、あなたは行かないの?」
「時間空けてから行く。たまたま早く目覚めちまったから、コンビニでゆっくり物色しようと思って早く出ようとしただけだ。いつでも出来るし、今日じゃなくて良い」
「いや、いまいち答えになってないって。別に私、一緒でも気にしないよ?」
「そういうことじゃねえ。俺はお前ほど真面目じゃないんだよ。俺なんかといるの見られたら、お前の評価に影響出るかもしれん」
しっしっと追い払うようなジェスチャーを見せ、スマホに目線を戻してしまった。こうなっては埒が明かないため、仕方なく一人で出発する。疑うわけではないが、そこまで気にしてくれているということは、本当に広めないでいてくれるということなのだろうか。
それから数日。一応色々聞き耳を立てていたが、私に関するそういう噂は一切無かった。どうやら彼は宣言通り誰にも言わないでくれたらしく、変に疑ってしまったことが本当に申し訳なくなってくる。
と同時に、彼がどういう人なのかが妙に気になってしまった。まあ隣に住む人間のことだ、ある程度知っておいて損は無いだろう。
そうしてそれとなく周りの人に聞いていくと、思っていたよりもすぐに情報が集まった。
曰く、常にぶっきらぼうで、機嫌が良いところを誰も見たことが無い。
曰く、誰にも興味を持たず、話しかけられない限りは基本一切口を開かない。
曰く、協調性が全く無いわけではなく、聞かれたことにはちゃんと答えるし、ある程度周りにも合わせるが、態度が態度なため近寄りがたく思われており、教師にそれとなく言われても改善する素振りは無し。
曰く、遅刻こそ無いが朝はいつもギリギリの登校。
曰く、理数系科目、特に早い時間の授業はしょっちゅう寝ているが、成績は何故かいつもトップクラス――とまあ、こんな感じだ。
成る程。確かにこれは、本人の言う通り真面目とはあまり言えない。しかし、決定的な悪い噂が聞こえてくるわけでもない。今まで何も無かったことからも、ご近所トラブルが起きるようなことはそうそう無いだろう。
彼は隣人、それ以上でもそれ以下でもない。ただ隣にいるだけで、この先まともに関わることなど無いのだろう――この時はそう思っていた。
そのまた更に一週間後。
「……ん?」
部屋で勉強をしていると、不意にドアがノックされた。ドアスコープを覗いてみると……そこには景浦が立っていた。手には何やら袋を持っている。
「どうしたの?」
「ちと買い過ぎた。欲しかったらやる」
ドアを開けると、袋をずいっと差し出してきた。やけに重いそれを受け取り中を見てみると、そこには新鮮な色とりどりの野菜や、スープの素等が入っていた。
思わず生唾を飲み込んでしまう。家賃も生活費も全て自分で稼がなければならず、ギリギリの生活を送っている身としては、喉から手が出るほど欲しいが――
「いやいやいやいや、受け取れないってこんな良いもの。景浦のお金で買ったものなら、景浦が食べるべきでしょ」
「喉鳴らしといて何言ってんだ。説得力無ぇぞ」
「いやっ、でも……じゃ、じゃあお金! ちょっとは払うから、値段を――」
「いらん。……他の奴らには上手く隠してるつもりだろうが、見る奴が見ればお前が色々ギリギリなのは普通に分かる。そんな奴相手に、余剰分を売りつけるほど落ちぶれてねぇよ。それとも、そういう人間に見えるか?」
「そんなことは思ってない。でも……」
――都合の良い話は毒や。一番食ってかからなあかん。
お母さんの言葉が頭をよぎる。この世にタダより高いものは無いと。きっと景浦に変な考えは無いんだろう、それでも素直には受け取れなかった。
「一人じゃ消費しきれん。お前が受け取らないなら、いずれ廃棄になるだろうが、どうする?」
「それは……勿体ない……」
「なら決まりだな。じゃ、そういうことで」
「ちょっ」
言うが早いか、景浦は部屋に戻ってしまう。無理矢理返しに行くわけにもいかず、しばらくしたのちそれらは私の胃袋に収まっていった。
それからも、景浦は定期的に食材を押し付けてきた。また買い過ぎただの、懸賞で当たっただの、親戚から送られてきただのと毎回理由を付けていたが、これだけ回数が嵩めば――いや、正直最初から分かってはいたが、それらは全部私に受け取らせるための嘘だったのだろう。最低でも半年以上隣で一人暮らしをしておいて、今更食材が余りまくるわけがない。だが悲しいかな、頭では拒否しようとしてもお腹はそれに従ってくれず、次第に諦めて普通に受け取るようになった。
また、景浦からの贈り物は食材だけでは無かった。ある日のこと、ドアを開けると景浦は食材の他にもう一つ袋を持っていた。中を覗いてみると――
「……は?」
そこには、私の推しで生き甲斐で存在理由のヤチヨの、グッズがいくつか入っていた。しかもただのグッズではない。少し前にツクヨミ内で開催された『KASSEN』の大会の、優勝だか準優勝以上だかの景品の限定物だった。私なんかでは決して手の届かない領域に存在したもの、なので情報を調べた瞬間に諦めたものだったのだが……。
「えっ……ど、どういうこと……?」
「お前ヤチヨ好きなんだろ? ほら、そっちの神棚にアクリルスタンド置かれてるし。……たまたま手に入ったんだが、別に俺興味無いんでな、いらんからやる。まあお前もいらないって言うなら――」
「いる! いります! ……じゃなくて!」
「あ?」
踵を返そうとした景浦の腕を慌てて掴む。何さらっと流そうとしてるんだこの男は。
「これ大会最上位クラスの景品のやつでしょ!? 何であんたが持ってんの!?」
「何でも何も、優勝したからに決まってるだろ」
「いや、そんな簡単に言う事じゃ――待って、その時の優勝者って……」
急いで記憶を掘り起こす。そして辿り着いた答えを、恐る恐る口にした。
「あんたって……『影狼』なの?」
「ああ。『景』浦琥太『郎』、略して漢字いじって『影狼』だ。【プロフェッサー】とも呼ばれてる」
思わず立ち眩みがした。何でこんな身近にツクヨミ最強がいるんだ。
っていうか、『影狼』って配信者として物凄い収益得てるんじゃないの? こんなとこじゃなく、もっと良いところに住めば――
『こんなとこに住んでるんだ、お前
以前、私がここに住んでいることがバレた時の景浦の言葉が、唐突に頭に浮かんできた。
……そっか、景浦も何か理由があってここにいるのか。危ない、うっかり口に出すところだった。変に藪を突いてしまうことは無い。
「めんどいことにもなりかねんから、あんまり他の奴には言うなよ」
「分かってる。と言うか言ったところで誰も信じてくれなさそう……」
「どうだか。お前の言葉なら皆信じるんじゃないか? まあかなり今更だが、これで対等ってことにしとけ」
「え」
まさか、私がここに住んでることと? 私が気にしないようにするためだけに、わざわざ教えてくれたの? ツクヨミ最強の正体と、いち女子高生の仮面なんて、全然釣り合ってないと思うんだけど。
「今回みたく手に入るようなことがあったら、またお前にやるよ。じゃ」
そうこうしてる間に、景浦は部屋に戻っていった。……何だかとんでもない物を貰ってしまった。これはどうしよう、大事に大事にしまっておくのも手だが、いつでも見れる場所に置いておくのも……うへへ。
「――取引をしないか?」
「……随分仰々しいわね」
それからまたしばらくしたある日。景浦が唐突に、神妙な顔つきで問いかけてきた。思わず身構えるが、景浦がバッグの中から取り出したのは、いくつかのタッパーだった。中身は……料理?
「学年末テストが近くなってきただろ?」
「そうね」
「現文古文がな……ちょっとヤバいんだ」
「はぁ」
「このままだとワンチャン赤点になるかもしれん。そうなると補習になって、『KASSEN』の時間が削れちまう。そこでだ、食事と引き換えに、俺に勉強を教えてほしい。今回のこいつらはとりあえず『試し』、これで満足いったら考えてみてくれ」
「……分かった」
「よろしく。そんじゃ」
ちょうどお腹も空いてきていたので、タッパーを一つ開け温める。以前貰ったパックご飯も用意し、いただきますをしておかずを口に――
(ナニコレ……うまっ)
気付くと箸が止まらなくなっていた。満足どころではない、下手したら普通にお店で出せるレベルなのではなかろうか。『KASSEN』は最強、理数系科目は授業を聞かずともいつもほぼ満点、料理はハイレベル……天は二物を与えないのではなかったのか。
他人に勉強を教えるというのは、実は自分自身にとっても良い復習になる。他人にも理解出来るよう、自分の中で理解を深め明確に言語化していくことで、より知識として深く定着するからだ。それをした上で、更に美味しい食事が貰えるだと……?
「『さっきの話、引き受けるよ』っと」
ノータイムで景浦にメッセージを送る。『分かった。よろしく頼む』と返ってきたのを見て、思わずガッツポーズをかました。
尚、以降テスト前に限らず普段でも勉強を教える度に食事を作ってくれるようになったが……どれもこれも凄く美味しかったです、はい。感謝や感想を伝えても、景浦は「……そうか。なら良い」としか返してこないけど、お世辞抜きに景浦が思ってるよりもずっと、日々の支えになってくれてると思う。
* * *
「……まさかこんな関係になるとはね。あの時は想像もしてなかったな」
正直最初は、私に好意があるのか?と思ったこともある。自慢ではないが、完璧女子高生として振る舞っているだけあって、学校では私にそういう感情を向けてくる人はそれなりにいる。何なら、告白だって何度もされてきた。だから、景浦のことだって、最初はそういう『裏』がある人なのかと思っていた。
だって、誰にも興味を示さないはずなのに、私にだけは隣人だからって何度も手を貸そうとしてくるんだもの。色々狙ってるのかと多少なりとも勘繰るのは仕方の無いことだと思う。
ただ、接していく内にそういうのではないと確信した。それどころか、思えば最初の頃なんて、私自身ではなくずっと『私を通して別の何かを見ていた』ような気さえする。
途中からそういったのは無くなったと思うけど、それでも私に対して特別な反応を示すことは一切無い。やっぱり、そういう対象としては全然意識されてないのだろう。
(……それはそれで癪なんだよなぁ)
別に、あえて邪な感情を向けてほしいとは思わない。しかし、全くのゼロというのもどうなのか。
まるで仮面を脱いだ私に、女性としての魅力が無いみたいじゃないか。いやまあ、毎日フラフラなことも、少し前までは時折エナドリで体に鞭打ってたことも、いつも不調を化粧で無理矢理隠してることも全部バレてるんだから、そんな扱いされても無理も無いけど。
「どうして……いつも気にかけてくれるの?」
穏やかに寝息を立てる姿に問いかけるも、勿論返答は無い。
差し入れだけではない。私が理数系科目で詰まってる時は、理解の邪魔にならない程度に道筋を示してくれるし、先生からの頼まれ事でちょっと困ってる時は、さりげなく手を貸してくれる。落とし物をした時なんかは、見つかるまでずっと付き合ってくれたりした。
料理に関してだってそうだ。私がエナドリを買い込んでるのを見つけた時は、呆れつつも「精のつくものなら俺が作ってやるから」と言ってくれたり、好きなもの食べた方がやる気が出るだろうからという理由で、リクエストを聞いて実際に後日作ってくれたりする。ちょっと勉強を教える対価としては、明らかに釣り合っていない。
私は大したものなんて返せていない。それなのに、景浦はいつだって――
「あぅー?」
「こらこら。お父さんはお疲れなんだから、邪魔しないの」
「……誰がお父さんだ」
「あっ、ごめん。起こしちゃった?」
動かない景浦が気になったのか、赤ちゃんが脚をてしてしと叩く。それを抱き上げて止めさせるのと同時、衝撃で目覚めたのか、景浦がゆっくりと目を開けた。先程の赤ちゃんを抱いた姿が良く似合っていたので、つい呼んでしまったが、景浦がお父さんなら――いや待て、思考が変な方向に行ってる。これ以上考えるのは止めておこう。
時計を見ると、予定時刻が少しずつ迫ってきていた。色々思い出している内に、結構時間が経っていたらしい。
「まだちょっとは時間あるし、寝てて良いよ」
「いや、もう大丈夫だ。眠いことには眠いが、さっきよりかは大分スッキリした。ギリギリで焦って事故っても困るし、余裕持って出な」
「分かった。ありがとう」
景浦に赤ちゃんを預け、身支度を手早く済ませ、朝食を口に放り込み家を出る。玄関先まで赤ちゃんを抱いたまま見送ってくれたが……やっぱりどう見てもお父さんじゃないか?
「さ、頑張りますか」
後のことはまだ分からない。だが、どういう結論になるにせよ、少なくともこの三連休はあの子の世話をすることになると思う。私一人なら途中で折れていたかもしれないが、景浦と一緒ならどうにかなるとは思うし、当の景浦も世話をすることに前向きみたいだし。まあ深夜に一式揃えてくれてたことにはビックリしたけど。
だったら、せめて私が出来る範囲のことは私がやるべきだ。景浦には景浦の生活がある、本人は任せきりにするつもりは無いと言ってくれたけど、それは私だって同じこと。差し当たっては、バイトが終わったら早く帰って、私も赤ちゃんの扱い方について色々学ばなければ。
(それに――)
赤ちゃんにミルクをあげていた、あの時の姿。すぐに戻ってしまったけど、扉を開けたほんの一瞬、確かに彼はいつもの仏頂面ではなく何処か穏やかな顔をしていた。あれを見られるなら、これからの生活も悪くないかもしれない――理由は良く分からないが、そんな考えが頭の中にあった。
まだ朝だと言うのに、体を蒸し暑い空気が包み、今日もしんどい一日になることを否応にも伝えてくる。それでも、二人のことを考えると、何処かから活力が湧いてきていた。