宇宙世紀0153――。
地球圏ではザンスカール戦争の傷も癒えぬまま、表舞台から姿を消した海賊軍クロスボーン・バンガードは、いつしか過去の名となっていた。
歴史に埋もれた英雄たち。
木星帝国との死闘。
誰にも語られぬ真実。
それらは既に過去の物語であり、多くの人々にとっては遠い伝説でしかない。
だが木星に連なる闇の中では今なお、その残り火が燻り続けていた。
敗れたはずの亡霊たちは、誰にも知られぬ場所で牙を研ぎ続けている。
そしてその頃――。
サイド3宙域外縁。
無数の廃棄コロニーが漂う“ダストエリア”で、一人の少年ジャンク屋が運命に触れようとしていた。
――クロスボーン・ガンダムX-5――
宇宙は静かだった。
砕けたコロニー外壁。
朽ち果てた戦艦の残骸。
名前も失われた無数の機械たち。
それらが墓標のように漂う暗黒宙域を、一隻の小型作業艇が進んでいく。
艇内では一人の少年が鼻歌を歌いながら作業端末を操作していた。
「いやー、今日は当たり多いなぁ」
機嫌は上々だった。
回収した推進剤タンクはまだ使えそうだったし、古いセンサー類もそこそこの値段になる。
ジャンク屋にとっては十分な収穫だ。
少年の名はリオ・ガーランド。
16歳のジャンク屋だ。
この辺りの廃棄コロニー群を回りながら、その日暮らしの仕事を続けていた。
「次で最後にするか」
工具箱を肩に担ぎ、作業艇から外へ出る。
磁着ブーツが金属外壁を叩いた。
カン――。
乾いた音が宇宙服越しに伝わってくる。
目の前にあるのは巨大な残骸だった。
艦首は吹き飛び、装甲も半ば崩落している。
「ん?」
リオは眉をひそめた。
外壁に空いた亀裂の向こう側。
そこに格納庫らしき空間が見えたのだ。
「戦艦の格納庫か?」
半壊したシャッターの隙間から中へ入る。
懐中ライトの光が闇を切り裂く。
そして――。
「……なんだ、あれ」
思わず足を止めた。
暗闇の奥。
二つの光がこちらを見返していた。
ぼんやりと。
まるで長い眠りから覚めるのを待っていたかのように。
「MS(モビル・スーツ)……?」
息を呑む。
頭部のドクロ。
胸部のクロス。
細身のシルエット。
古い戦争資料で見たことがある。
ドクロの頭部と、胸のクロス。
ジャンク屋仲間の噂話やネットワーク上の古い記事でも、その姿は半ば伝説のように語られていた。
「まさか……クロスボーン・ガンダム……?」
ライトの光が機体を照らす。
白を基調に緑の色が入ったその機体は、装甲そのものは大きく損傷していない。
だが、長く放置されていたのだろう。表面には薄く汚れが積もり、整備の気配もなかった。
もったいないなあ、とリオは独りごちる。
それでもなお。
その機体には不思議な存在感があった。
長い年月を経ても消えない何かが。
「でもラッキー、こんな機体見つけられたのは僥倖だ」
思わず笑みを浮かべたリオは、吸い寄せられるように胸部へ視線を向ける。
そこには見慣れない形式番号が刻まれていた。
――X-5
「X-5……?」
聞いたことがない。
クロスボーン・ガンダムは知っている。
だが、この番号は知らなかった。
「コクピットだけでも見てみるか……」
ハッチ脇に残っていた手動解放レバーを引く。
ギィ……
重い音を立てながらコクピットハッチがゆっくり開いた。
中は暗い。
完全に電源は落ちているようだった。
リオは慎重に操縦席へ腰を下ろす。
その瞬間。
カチッ。
どこかで小さな作動音が鳴った。
「……?」
沈黙。
そして。
《待機状態解除》
突然、メインモニターへ文字が浮かび上がる。
「うわっ!?」
眠っていた機械が、ゆっくりと息を吹き返していく。
最低限の補助電源だけが起動したようだった。
《コクピット内搭乗者を確認》
《搭乗者照合開始》
リオは息を呑む。
《登録データなし》
《操縦権限なし》
《待機状態を維持します》
「……動かないのか」
思わず苦笑する。
「そりゃそうだよな」
軍の機体なら当然だ。
勝手に動かせる方がおかしい。
その時だった。
モニターが赤く染まる。
《警告》
《高熱源接近》
《木星識別信号を確認》
リオの表情が凍り付く。
「木星……?」
聞き間違えるはずがない。
木星。
その単語だけで、教科書の中の戦争が脳裏をよぎる。
「まさか……木星帝国なのか……?」
次の瞬間。
轟音。
格納庫外壁が吹き飛んだ。
爆風。
金属片。
崩落。
吹き飛ばされた外壁の向こう。
三機のバタラが静かに銃口を向けていた。
「その機体から離れろ」
外部スピーカーから男の声が響く。
「クロスボーン・ガンダムは我々に必要な象徴だ」
「回収させてもらう」
リオは絶句した。
「従わない場合は排除する」
ビームライフルがこちらへ向く。
閃光。
爆発。
格納庫全体が激しく揺れる。
天井が崩れ始める。
巨大な鉄骨が落下してくる。
「くそっ!」
逃げ場はない。
外へ出ても撃たれる。
ここにいても潰される。
リオは操縦桿を握り締める。
左右へ倒す。
反応はない。
足元のペダルを踏み込む。
何も起こらない。
「ええいっ!」
目についたスイッチを片っ端から叩く。
レバーを押す。
引く。
それでも機体は沈黙したままだった。
さらに爆発。
コクピット全体が激しく揺れる。
落ちてきた鉄骨が装甲を叩いた。
「頼む……!」
もう一度、操縦桿を力いっぱい握り締める。
「このぉ……!」
「動けぇぇぇぇ!!」
その瞬間だった。
今まで沈黙していたモニターへ、新たな文字が浮かび上がる。
《機体損傷危険》
《搭乗者生存率低下》
数秒の沈黙。
そして。
『緊急事態を確認』
突然、聞き覚えのない声がコクピットへ響く。
リオが目を見開く。
「……え?」
『緊急プロトコルを実行』
『搭乗者の生存を最優先します』
《暫定操縦権を付与》
《搭乗者暫定承認》
一斉に計器類へ光が走る。
眠っていたシステムが次々と起動していく。
メインモニター点灯。
各部システム起動。
そして――
ギィン。
ドクロのアイセンサーが翠色に輝いた。
十数年の眠りを破り、クロスボーン・ガンダムX-5が、ゆっくりと立ち上がる。
「なに!? 起動した!?」
木星兵が叫ぶ。
リオはそれどころではなかった。
「待て待て待て! 俺、作業用プチモビしか乗ったことないぞ!?」
警告音。
ビーム接近。
モニターが真っ赤に染まる。
「うわああああ!!」
反射的に操縦桿を倒した。
だが。
X-5は人間の反応とは思えないほど滑らかに機体を傾ける。
閃光が機体の脇を掠めて通過した。
「え?」
背部スラスター噴射。
残骸を蹴り飛ばしながら急加速。
慣性がリオの身体を座席へ叩きつけた。
「馬鹿な! 素人の動きじゃない!」
木星兵が叫ぶ。
だが一番驚いているのはリオ自身だった。
「なんだこれ……勝手に動いてる……」
その時だった。
X-5の右腕が動く。
まるで何かを思い出したかのように。
崩れた武装ラックへ手を伸ばす。
掴んだのは一本の柄。
次の瞬間。
眩いビーム刃が展開した。
暗い宇宙を切り裂く蒼白の光。
「なっ!?」
「撃てぇ!」
バタラが突撃する。
リオは半ば悲鳴を上げながら操縦桿を握り締めた。
「うあああああ!!」
振り抜く。
光の軌跡が宇宙に走る。
一閃。
バタラの右腕が宙を舞った。
「ぐあっ!?」
リオ自身が硬直する。
「き、切れた……!?」
次の瞬間。
X-5が残骸を蹴った。
急旋回。
死角へ潜り込む。
リオの視界が激しく流れた。
「うおおおお!?」
直後。
機体が勝手にトリガーを引く。
ザシュッ!!
蒼白の刃が敵機を斜めに切り裂いた。
一瞬の静止。
そして爆発。
火球が闇を照らす。
残る二機が慌てて距離を取った。
「まさか……」
「あの機体がまだ動くというのか……!?」
動揺は隠せなかった。
ドクロのガンダムは、その動揺を見逃さない。
X-5は蒼白のサーベルを横なぎに振る。
一機が胴を裂かれ、爆散した。
「馬鹿な、寝ていたMSのくせにこうまで!?」
最後の一機がビームライフルを放つ。
だが、X-5はすでに射線の外へ滑り込んでいた。
返す刃が、残るバタラの胴を貫く。
火球がもう一つ、暗闇に咲いた。
静寂が戻る。
リオは荒い息を吐いた。
心臓がうるさいほど脈打っている。
握った操縦桿は汗で濡れていた。
「なんなんだよ……これ……」
その時。
コクピット内に新たな表示が浮かび上がった。
《統合支援システム起動》
《HALO-PROTOCOL ONLINE》
「……は?」
『起動確認』
突然響いた声に、リオは飛び上がりそうになった。
『反応速度、最低基準未満』
『操縦技術、論外』
「な、なんだ!?」
『試作型戦術支援AI“ハロプト”』
『クロスボーン・ガンダムX-5専属サポートユニットだ』
リオは数秒固まった。
「AI……?」
『肯定』
「いや待て」
リオは額を押さえる。
「なんでMSに人格入ってんだよ……」
『人格ではない』
『戦術支援、機体制御補完、生存補助を目的とした統合支援システムだ』
少し間を置いて、
『もっとも、搭乗者との円滑な意思疎通のため、会話機能は実装されている』
「それを人格って言うんじゃないのか?」
『違う』
即答だった。
「あ、そうですかっと……」
リオは深くため息を吐く。
「なんなんだよ、今日は……」
伝説のガンダムを拾ったと思ったら木星帝国残党に襲われた。
しかも喋るAI付きだ。
頭が追いつかない。
その時。
《警告》
コクピット内に赤い表示が浮かび上がる。
リオが顔を引きつらせた。
「まさか……」
《熱源反応接近》
《複数》
「また!」
『当然だ』
ハロプトの声は妙に落ち着いていた。
『先程の戦闘で本機の存在は露見した』
『追撃が来る可能性は高いと予測していた』
モニターに二つの光点が表示される。
新手のバタラが接近してくる。
「くっ、わらわら来て……!」
『増えているな』
「他人事みたいだなお前!」
『事実を述べただけだ』
『私はAIだ』
「そういう意味じゃねぇ!」
敵影は徐々に距離を詰めてくる。
木星兵の通信が割り込んだ。
「X-5を返還しろ」
「その機体は我々のもの。それは木星再興の鍵だ」
リオは頭を抱えた。
「だから何なんだよ、そのX-5って……」
沈黙。
数秒後、ハロプトが答えた。
『回答不能』
「は?」
『機密保持権限により開示できない』
「おい」
『だが一つだけ言える』
ハロプトの声がわずかに低くなる。
『この機体は、木星にとって都合の悪いものを運び出した』
リオが眉をひそめる。
「何を?」
『回答不可』
「そこまで言っといて!?」
『機密保持権限だ』
融通の利かない声だった。
その時。
敵部隊が砲撃を開始する。
ビームが残骸群を貫いた。
爆発。
破片が四方へ飛び散る。
『戦闘を推奨』
「推奨じゃなくて強制だろこれ!」
『否定しない』
X-5がスラスターを噴射する。
残骸地帯へ飛び込んだ。
「うわああああ!?」
『舌を噛むな』
「今それ言うか!?」
ビームが飛び交う。
だがX-5は紙一重で回避していく。
敵機のパイロットが叫んだ。
「この機動……!」
「あり得ん!」
残骸の陰を縫うように加速。
急旋回。
急停止。
そして再加速。
まるで機体そのものに意志があるかのような動きだった。
向かってきたバタラ二機へ、X-5は迷いなく踏み込む。
蒼白のサーベルが二度閃く。
二機は反撃する間もなく爆散した。
リオは思わず唖然とした。
「お前か!?」
『補助している』
「補助のレベル超えてるだろ!」
『搭乗者の生存率を優先した結果だ』
リオは言い返そうとして、
言葉を飲み込んだ。
確かに助けられている。
認めたくはないが。
そして、
その時。
遠方宙域に巨大な熱源反応が現れた。
ハロプトが沈黙する。