異世界引きこもり生活 ~引きこもりが異世界転移したらおもしろスキルが手に入ったので異世界でも引きこもり生活楽しみます~ 作:とけそうだら
翌朝。
玄関を開けた俺は、足元を見てしばらく固まった。
「……増えてる」
昨日見つけた果実の籠に加えて、今日は別の籠まで置いてあったのである。
片方には赤い木の実と、見たことのない白い茸。
もう片方には、干した香草の束と、きれいに皮を剥いた木の実が詰まっていた。
物々交換の気配がする。
すごくする。
しかも露骨に「対価を置いていきました」みたいな雰囲気がある。
俺は玄関先にしゃがみ込み、しばらく籠を見つめた。
「……いや、待て」
これ、もしかしなくても――。
「貸本屋、始まってないか?」
嫌な予感が、確信に変わる速度が早すぎる。
昨日の夜、シルフィが漫画を抱えて帰った時点で少しは予感していた。
こいつ、絶対どこかで話すだろうな、と。
自分から得意げに広めるタイプではないにしても、表情とか空気とかで周囲にバレるだろうな、と。
だが、まさか翌朝には果実で支払いが始まっているとは思わなかった。
「展開が早いんだよ、この森……」
とりあえず籠を持って中へ入れようとして、俺はそこで手を止めた。
「……ん?」
籠の端に入っていた赤い木の実が、ひとつだけ半分になっている。
いや、半分に切られているわけではない。
かじられている。
小さな歯形が、くっきり残っていた。
さらによく見ると、きれいに皮を剥いた木の実のほうも、何個か中身だけ消えている。
干した香草の束は無事。
白い茸も無事。
だが、甘そうな果実と木の実だけが、明らかに減っていた。
「……誰か食ってる」
俺は籠を見つめたまま呟いた。
差し入れられた食べ物を、誰かが途中で食べた形跡がある。
俺へのお供え物みたいに置かれていたはずの籠が、すでに誰かの朝食会場になっていた。
何だこれ。
怖い。
いや、怖いというより、地味に困る。
差し入れをくれた誰かも、まさか届けたものを別の誰かにつまみ食いされるとは思っていないだろう。
「森、治安が微妙だな……」
まあ、森に治安を求めるなという話ではある。
悪意は感じない。
むしろ、歯形の大きさからして、子供か小動物のような感じだ。
だが、俺としては困る。
困るのだが。
籠の中身は普通にありがたかった。
果実は食える。
茸もたぶん食える。
たぶん、はちょっと怖いが、そこはシルフィに確認すればいい。
香草なんて、自分では集める発想すらなかったから普通に助かる。
「くそ……ちゃんと生活の足しになるのが腹立つな」
俺はぶつぶつ言いながら、果実と香草をテーブルの上に並べた。
かじられた木の実だけは、少し迷った末に別の皿へ分ける。
さすがにこれは食べたくない。
誰の歯形か分からないものを食べるほど、俺は異世界に馴染んでいない。
部屋の中は昨日より少しだけ“本のある部屋”になっていた。
小さな本棚に数冊の漫画。
壁際には収納箱。
窓際にベッド。
そこへ今度は森の恵みが追加される。
なんかこう、目指していた引きこもり部屋と少し方向性が違ってきた気がする。
もっと無機質で、もっと閉じた感じを想定していたのに、だいぶ「森と交流する人の家」になりつつある。
いやだなあ。
でも、少し面白い気もするのがさらに嫌だ。
そんなことを考えていると、外から足音がした。
「いるか」
「いる」
最近このやり取りが定番になってきた。
扉を開けると、案の定シルフィだった。
腕の中には、四巻までまとめて抱えている。
「返却ですか」
「返す」
「ちゃんと読んだな」
「読んだ」
シルフィは四巻を差し出しながら、ほんの少しだけ眉をひそめた。
「だが、納得いかない」
「何が」
「なぜあそこで終わる」
「またその話か」
「重要だ」
重要らしい。
俺は受け取った四巻を本棚へ戻しながら、にやにやするのを隠せなかった。
昨日まで漫画なんて見たこともなかったエルフが、今や完全に“続きが気になる読者”になっている。
文化の勝利である。
「で、漫画の礼がこれか?」
俺は玄関脇の籠を親指で示した。
「お前が置いたんじゃないのか」
するとシルフィは、わずかに首を振った。
「私は果実の籠しか知らない」
「え?」
「香草と茸は別だ」
「別って……別の誰か?」
「たぶんな」
うわあ。
思っていたより話が広がっている。
俺はなんとも言えない顔で籠を見た。
昨日までは、シルフィが一人でこっそり読んでいるくらいの話だと思っていた。
せいぜい里で少し噂になる程度だと。
それがもう、複数口の支払いが発生している。
「あとさ」
「なんだ」
「この果実、誰か食ってない?」
「……何?」
シルフィの目がすっと細くなる。
俺は皿に分けておいた、かじられた赤い木の実を見せた。
歯形つきである。
シルフィはそれをしばらく見つめ、それから玄関先へ出て周囲を確認した。
地面。
草。
籠の置かれていた場所。
そして、ログハウスの脇の柔らかい土。
「……小さい足跡がある」
「小さい足跡」
「人ではない。だが、ただの獣とも違うな」
「待って。怖い方向に行かないで」
「怖いかどうかは分からない」
「分からないのが怖いんだよ」
シルフィはしゃがみ込み、土に残った跡を指でなぞった。
「果実だけを食べている。茸と香草には手をつけていない」
「偏食だな」
「甘いものが欲しかったのかもしれない」
「腹ぺこのつまみ食い犯か……」
言葉にすると少しだけ緊張感が薄れた。
だが、得体の知れない誰かが、俺の玄関前で果実をかじっていたという事実は普通に嫌だ。
しかも、俺が寝ている間に。
引きこもりの城に、早くも玄関先つまみ食い事件が発生している。
「なあシルフィ」
「なんだ」
「俺の家、もしかして思ったより注目されてる?」
「されている」
「即答やめろよ」
「事実だ」
ぐうの音も出ない。
シルフィは部屋の中を見回し、小さく息をついた。
「エルフの集落の者は、お前の家に直接来るのをまだ遠慮している」
「まだ、って言ったな今」
「言った」
「やめろ。不穏な未来を確定させるな」
「だが気にはなっている。妙な家、妙な道具、妙な本。興味を持たないほうが難しい」
まあ、そうだよな。
森の奥に急にログハウスが建ち、そこに住み始めた人間が、見たこともない物を次々出している。
しかも今度は、絵と文字でできた娯楽本まで出てきたのだ。
俺でも気になる。
当事者じゃなければ。
「で、どうするんだ」
「どうするって?」
「このまま放っておくのか、貸すのか、断るのか」
そう言われて、俺は少し考えた。
正直、知らない相手が次々来るのは疲れる。
そこは本音だ。
俺は社交的な人間ではないし、むしろこの家は静かに引きこもるために建てた。
だが一方で、対価がちゃんとしているのも事実だった。
果実。
香草。
茸。
たぶん今後は他にも何か来る。
それに――。
「……読みたいのに、直接来るのは遠慮してるんだよな」
「たぶんな」
「なら、別に悪いやつらじゃないのか」
「少なくとも、今のところは」
シルフィはそこで少しだけ笑った。
「お前、顔が少し緩んでいるぞ」
「そうか?」
「自分の好きなものが、思ったより受け入れられて嬉しいんだろう」
「……否定はしない」
言われるとちょっと悔しい。
だが、その通りではあった。
漫画なんて、俺の中では完全に“自分の側の文化”だった。
前の世界の、気楽で、くだらなくて、でも大事だったもの。
それがこの森の中で、エルフにまで刺さっている。
それはやっぱり、少し嬉しい。
「よし」
俺は小さく頷いた。
「貸すのはいい」
「ほう」
「ただし、ルールを作る」
「るーる?」
「返却期限は緩め。汚すな、破るな、燃やすな。あと勝手に持っていくな」
「最後がいちばん大事だな」
「だろ? あと、玄関先の差し入れはつまみ食いしない」
「それは貸す相手に言うことなのか?」
「分からん。とりあえず森全体へのお願いだ」
シルフィは腕を組み、少しだけ考え込む。
「なら、私が伝える」
「え、お前が?」
「里の者も、そのほうが安心する」
「……ああ、まあ、そうか」
たしかに、見知らぬ人間の家にいきなり行くより、知っているエルフを通したほうがまだ安全だろう。
俺としても、いきなり来客ラッシュになるよりよほどありがたい。
「つまり、お前が仲介役か」
「不本意だが」
「そこはもう少し好意的に言えないのか」
「貸本屋の管理役など聞いたことがない」
「俺だって始めた覚えはないよ」
なのに始まってるんだよなあ。
森って怖い。
そんな話をしているうちに、シルフィの視線が本棚の一角で止まった。
「……それは何だ」
「ん?」
「そこの箱」
「ああ、ゲーム機」
「げーむき?」
「漫画とは別の文化だ」
「まだあるのか」
うんざりしたような声だったが、目は完全に興味を持っていた。
わかりやすいな、こいつ。
「まあ、その話はまた今度だ」
「なぜだ」
「一気に出すとお前の処理が追いつかない」
「馬鹿にするな」
「昨日、三巻の終わり方に本気で怒ってただろ」
「……あれは仕方がない」
仕方がないらしい。
俺は笑いをこらえつつ、二巻の隣に別の漫画を何冊か並べた。
「もし他に貸すなら、このへんからにしとけ」
「なぜ選ぶ」
「わかりやすいし、最初に読むには向いてる」
「お前なりの配慮か」
「文化布教ってのは順番が大事なんだよ」
シルフィはその言葉に小さく眉を上げたが、結局は何も言わず、その中の一冊を手に取った。
「……これは?」
「料理漫画」
「戦わないのか」
「戦わない」
「面白いのか」
「めちゃくちゃ面白い」
「理解できない」
そう言いながらも、ちゃんと持っていく気でいるあたり、かなり毒されてきている。
よしよし。
その時、ふと外から風が吹き込んだ。
扉の隙間がかすかに鳴り、森の匂いが流れ込んでくる。
さっきまで気づかなかったが、今日は少し空気が乾いていた。
夕方が近いせいか、木々のざわめきもいつもより低い。
シルフィが一瞬だけ耳を動かす。
「どうした」
「……いや」
そう言ったが、その視線は扉の外を向いていた。
「また誰かいるのか?」
「気配が遠い。だが、いるな」
「ええ……」
嫌だなあ。
でも昨日と違って、今日はそこまで怖くはなかった。
敵意があるわけじゃないと知っているからだろう。
たぶん、また好奇心の類だ。
問題は、その好奇心がどこまで膨らむかだけだ。
「来るなら来ればいいのに」
俺がぼそっと言うと、シルフィは即座に首を振った。
「お前がそれを言うのか」
「言うだけだ。実際に来られると困る」
「面倒なやつだな」
「引きこもりだからな」
そこは譲れない。
だが、譲れないわりに、こうして少しずつ周囲と繋がっていくのを完全には嫌がれていない自分もいる。
たぶん俺は、本当に一人きりになりたいわけじゃないんだろう。
ただ、距離を選びたいだけで。
家の中まで土足で踏み込まれるのは嫌だが、玄関先に果実が置かれるくらいなら悪くない。
……つまみ食いされていなければ、なおよかった。
そういう勝手な距離感を、俺は今ここで作ろうとしているのかもしれない。
「……何を考えている」
「いや。案外、悪くないのかもなって」
「貸本屋がか?」
「それもあるけど、この感じ」
俺は部屋の中を見回した。
本棚。
漫画。
木のテーブル。
窓際のベッド。
玄関に置かれた籠。
そして、返却に来たエルフ。
「静かなまま、少しだけ人と繋がる感じ」
「贅沢な条件だな」
「理想ってそういうもんだろ」
シルフィは少し黙ってから、ふっと息を吐いた。
「まあ、お前らしい」
「褒めてる?」
「半分くらいは」
またそれか。
でも、悪くない。
シルフィは新しく借りる本を脇に抱え、扉のほうへ向かった。
今日は漫画が二冊追加されている。
仲介役の仕事を本気でやるつもりらしい。
「返しに来るのはまたお前?」
「たぶんそうなる」
「大変だな」
「元はと言えば、お前の家に妙なものが増えたせいだ」
「否定できない……」
扉を開けたところで、シルフィがふと足を止めた。
「コウタ」
「ん?」
「たぶん、近いうちに“本”以外にも興味を持つ者が出る」
「……何に」
「お前の家そのものだ」
それだけ言って、シルフィは森の中へ消えていった。
俺はしばらく、開いた扉の前で立ち尽くす。
家そのもの。
まあ、そりゃそうか。
漫画だけでも、この騒ぎだ。
火を使わない明かり。
やわらかいクッション。
整った本棚。
見たこともない道具。
金属の鍋。
そして、森の中に突然現れた、壁と屋根のある小さな家。
外から見れば、気になる要素しかない。
俺にとっては、ただ静かに引きこもるための城だ。
だが、この世界の住人から見れば、正体不明の道具が詰まった、不思議な箱なのかもしれない。
「……平穏って、案外難しいな」
そう呟いて、俺は扉を閉めた。
鍵をかける。
念のため、窓も確認する。
部屋へ戻ると、本棚にはまだ残りの巻が並んでいた。
テーブルには、差し入れの果実籠。
窓際にはベッド。
ランタンの光に照らされた木の壁は、いつも通り静かで、温かくて、落ち着く。
静かな家。
少しずつ増える気配。
閉じたいのに、閉じきれない暮らし。
面倒だ。
正直、ものすごく面倒だ。
それでも、思っていたほど嫌ではなかった。
自分の好きなものが誰かに届くこと。
自分の作った場所に、ほんの少しだけ意味が増えていくこと。
そういうものは、引きこもりの敵だと思っていた。
けれど、どうやら全部が全部、そうでもないらしい。
そして翌朝。
玄関を開けた俺は、言葉を失った。
昨日見つけた小さな足跡が、まだ土の上に残っていた。
だが、その横に。
身に覚えのない、大きな足跡が増えていた。
「……おい」
俺はしゃがみ込み、足跡を見つめる。
明らかに人間のものではない。
獣のようにも見える。
けれど、ただの獣にしては形が妙に整っている。
そして玄関脇。
昨日まで果実が入っていた籠は、きれいに空っぽになっていた。
かじり残しもない。
種だけが、几帳面に端へ寄せられている。
「……食べ方、妙に礼儀正しいな」
薄気味悪さと、妙な生活感が同時に押し寄せてくる。
どうやら、この“家”に興味を持ったのは、エルフだけではないらしい。
そして、そいつはたぶん――かなり腹を空かせている。