異世界引きこもり生活 ~引きこもりが異世界転移したらおもしろスキルが手に入ったので異世界でも引きこもり生活楽しみます~ 作:とけそうだら
その日の夕方、シルフィは本当に呆れた顔でやって来た。
玄関の前に残っていた大きな足跡を見た瞬間、深いため息をつき、額に手を当てる。
「お前、狼獣人まで釣ったのか」
「俺だって釣るつもりはなかった」
「なら何をした」
「カップ麺を食べた」
「意味がわからない」
「俺もだよ」
説明している俺自身、だいぶ意味が分からなかった。
朝、見覚えのない大きな足跡があり、果実籠が空になっていて、銀灰色の毛が落ちていた。
怖いなと思いながらカップ麺を作ったら、その匂いに釣られて狼獣人が現れた。
そして半分食わせたら、畑を見て「また来る」と言って森に帰った。
事実だけ並べると、かなりひどい。
俺の家、罠か何かなのか。
シルフィは無言で足跡を確認していたが、やがて俺が布に包んでおいた銀灰色の毛を受け取ると、指先で軽くこすった。
「……たしかに狼獣人だな」
「知ってるのか?」
「ここよりも深い場所で時々見かける。群れない者も多い」
「危険?」
「個体による」
その答え、いちばん困るやつだな。
俺が顔をしかめると、シルフィは毛を返しながら続けた。
「だが、お前の家を壊していない時点で、理性はある」
「基準が低くない?」
「森では高いほうだ」
「この森の評価基準、だいぶ信用ならないな……」
シルフィは今度は家の横の空き地へ視線を向けた。
ロエンがじっと見ていた場所だ。
まだ何も植えていない、ただの空き地。薪や水桶を仮置きしているだけの、生活感だけが先に染みついた土のスペース。
「で、そいつは何をしに来た」
「カップ麺食って、畑を見て帰った」
「……は?」
「俺もその反応だった」
ひと通り説明してやると、シルフィは眉を寄せたまましばらく黙った。
そして、小さく息を吐く。
「ロエン、か」
「知り合い?」
「顔と名前くらいは。気難しいが、筋は通す」
「お、意外と高評価」
「ただし人付き合いは下手だ」
「急に親近感が増したな……」
シルフィがじろりと睨んできたので、それ以上は黙ることにした。
だが、少し安心したのも事実だ。
見た目の迫力に反して、ちゃんと話せる相手らしい。しかも“筋は通す”タイプなら、少なくともいきなり襲ってくるようなことはないだろう。
たぶん。
たぶんだけど。
「で、また来ると言っていた」
俺が言うと、シルフィは即座に言った。
「断れ」
「早いな」
「早くていい話だ」
「本人に言ってくれ」
「お前の家に来るのだろう。ならお前が断れ」
「“借りは返す”って真顔で言ってくる狼獣人相手に?」
「押しに弱いな、お前は」
「平和的に解決したいだけだよ」
するとシルフィは、ふと口元を緩めた。
「平和的に、か」
「何だよ」
「お前は自分で思っているより、他人を住み着かせる才能がある」
「引きこもり相手に最悪の才能を見つけるな」
否定したかった。
心の底から否定したかった。
だが、最近の状況を思い返すと、あまり強くは言い返せない。
漫画に釣られるエルフ。
カップ麺に釣られる狼獣人。
そして、そのどちらにも結局対応してしまう俺。
……俺の家、引きこもりの城じゃなくて、何かの誘引装置になってないか?
*
翌朝。
扉を開けた俺は、二度見した。
「……いる」
いた。
ロエンが。
しかも家の横の空き地の前で、しゃがみ込んで土を触っていた。
朝の光の中、銀灰色の耳がぴくりと動く。ふさふさした尻尾は地面につかないよう器用に浮かせていて、でかい身体のわりに姿勢がやけに繊細だった。
来るとは言っていた。
言っていたが、本当に翌朝来るとは思わないだろ普通。
「おはよう、くらい言え」
俺が声をかけると、ロエンは振り返りもせずに答えた。
「遅い」
「いや、ここ俺んちだぞ?」
「日が高くなる前のほうがいい」
「何が」
「土を見るのにだ」
「本気で畑の話をしに来てる……」
ロエンはそこでようやく立ち上がった。
昨日より顔色はいい。腹が満ちたからなのか、目つきの鋭さにも少し余裕がある。相変わらず無愛想だが、朝露の匂いをまとったみたいな空気で、真顔のままこちらを見る。
「やるのか」
「何を」
「畑だ」
「その前にいろいろ段階があるだろ」
「ない」
「あるよ!」
俺の心の準備とか。
生活設計とか。
あと、農業知識ゼロの現代人が、いきなり畑を始める不安とか。
だが、ロエンの目は完全に本気だった。
狼獣人というより、畑を前にした職人の顔である。
「昨日、言っただろ」
ロエンが言う。
「土は悪くない」
「言ってたな」
「放っておくのはもったいない」
「急に土地活用の話になるな」
「食い物は、土から生える」
「それは正しい」
ぐうの音も出ない。
俺としても、家の横に畑がある生活には少し憧れがあった。
採れたての野菜。
自給自足。
異世界スローライフ感。
字面だけならかなりいい。
ただ、問題は俺が農業をまったく知らないことだ。
「俺、何を植えればいいかもよくわからんぞ」
「芋でいい」
「芋」
「腹にたまる。育てやすい。保存も利く」
「めちゃくちゃ理にかなってるな」
ロエンは小さく頷くと、空き地の端をつま先で軽く掘った。
「豆でもいいが、最初は芋のほうが失敗しにくい」
「へえ……」
「それに、お前はたぶん細かい世話を忘れる」
「初対面にしては容赦ないな?」
「昨日の家の中を見ればわかる」
「言い返せないのが悔しい……」
たしかに、俺のログハウスは少しずつ整ってきたとはいえ、几帳面な人間から見ればまだ“暮らし始めたばかりの雑な部屋”だろう。
そんな俺に、繊細な野菜の管理が向いていないのは事実だった。
「でも、芋ってどうやって始めるんだ?」
「種芋が要る」
「……なるほど」
その単語を聞いた瞬間、俺の頭の中に通販ウィンドウが浮かんだ。
そういえば、前に何となく検索した時、園芸用品の類も普通に出てきていた気がする。
土。
肥料。
種。
苗。
じょうろ。
軍手。
あの時は「異世界でベランダ菜園みたいなことしてどうするんだ」と流したが、今ならだいぶ意味が変わる。
「待ってろ」
「?」
俺はすぐに家の中へ戻り、《快適生活お取り寄せ》のウィンドウを開いた。
『種芋 じゃがいも』
『さつまいも 苗』
『培養土』
『野菜用肥料』
『園芸用スコップ』
『じょうろ』
ずらりと並んだ検索結果を見て、俺はちょっとだけ笑ってしまった。
「本当に何でもあるな……」
MP残量は少し気になった。
だが、家の快適さを上げる投資だと思えば悪くない。食料を少しでも自前で確保できるなら、長い目で見れば節約にもなる。
俺は種芋とさつまいもの苗、それから使いやすそうな土と肥料、最低限の園芸道具を選んだ。
ぽん、ぽん、と段ボールが床に現れる。
やっぱりこの光景、何度見ても異様だ。
ログハウスの床に、現代日本の園芸用品。
異世界感とホームセンター感が、今日も元気に殴り合っている。
俺が箱を抱えて外に出ると、ロエンの耳がぴくりと立った。
「それは」
「種芋とか、土とか」
「……早いな」
「文明の力だ」
ロエンは箱の中身を一つひとつ確認し、途中で完全に黙った。
特に培養土の袋を開けた瞬間の顔がすごかった。
目が据わるというか、真顔のまま思考が止まるというか、あまりに理想的なものを急に見せられて、理解が追いついていない感じだ。
「……どうした」
「この土」
「うん」
「整いすぎてる」
「そうなのか?」
「石がない。混ざり方が均一だ。匂いも悪くない」
ロエンは土をひとつまみ持ち上げ、指先で崩した。
その仕草は、昨日カップ麺を食っていた時より真剣だった。
鋭い目で土を見て、匂いを確かめ、指先で湿り気を見ている。
狼獣人というより、完全に農家の目だった。
「何なんだ、お前の家は」
「俺も最近そう思い始めてる」
ロエンは少しだけ黙り込み、やがてぽつりと呟いた。
「……すごい」
声が小さすぎて、最初は聞き間違いかと思った。
だが、尻尾が大きくぶわっと揺れていたので、たぶん本音なのだろう。
わかりやすいな、本当に。
「じゃあ、やれるか?」
俺が聞くと、ロエンは即座に頷いた。
「やる」
「今日?」
「今日」
「朝から元気だな……」
「土は待たない」
名言っぽいけど、たぶん勢いで言っているなこれ。
それでも、ロエンは本気だった。
袖を少しまくり、空き地の端にしゃがみ込むと、手で土を掘り返し始める。
最初は様子見かと思ったが、違った。
掘る。
崩す。
石を避ける。
根を抜く。
その一連の動きが、やけに手慣れている。力任せではなく、ちゃんと土を見ながら触っている感じだ。
昨日、森の中から現れた時のロエンは、正直かなり怖かった。
鋭い目。
大きな身体。
銀灰色の耳と尻尾。
いかにも戦えます、という雰囲気。
だが、今のロエンは違う。
土を触る手つきが、妙に優しい。
「……お前、ほんとにそういうの好きなんだな」
俺が言うと、ロエンは土から目を離さないまま答えた。
「好きだ」
「お」
「育つのを見るのは、嫌いじゃない」
それは、昨日までの警戒心むき出しの顔とは少し違う声だった。
低くてぶっきらぼうなのは変わらない。
けれど、そこだけ妙に柔らかい。
こういう瞬間があるから、人って見た目だけじゃわからないんだよな。
狼獣人で、強そうで、森の中を一人で歩いていて、カップ麺に釣られて来た腹ぺこ青年。
情報だけ並べるとだいぶ変なのに、土を触っている今のロエンは、なんだかすごく自然に見えた。
「前も畑をやってたのか?」
何気なく聞くと、ロエンの手が一瞬だけ止まった。
耳が少し伏せる。
「少しな」
「そうか」
それ以上は聞かなかった。
今の声は、踏み込まないほうがいいやつだ。
人付き合いが下手なのは俺も同じなので、そういう空気だけは何となく分かる。
代わりに、俺は段ボールから園芸用の手袋を取り出した。
「使うか?」
「何だ、それは」
「手袋。手を保護するやつ」
「土は素手で触る」
「だと思った」
ロエンは当然のように断った。
まあ、そうだろうな。
俺は自分の手に軍手をはめる。
こっちは素手で土を触り続けるほど野生的にはできていない。
「で、俺は何をすればいい?」
「邪魔をしない」
「手伝わせる気ゼロかよ」
「最初は見ていろ」
「職人だ……」
ロエンは淡々と作業を続ける。
空き地の土が、少しずつほぐされていく。
ただの地面だった場所に、畑の輪郭が生まれていく。
それを見ていると、不思議な気分になった。
昨日までは、ここは何もない場所だった。
荷物を置くか、薪を積むか、その程度の空きスペース。
だが今は違う。
ここに芋が植えられる。
芽が出る。
葉が伸びる。
たぶん、収穫もできる。
そう考えると、ただの土が急に未来を持ったみたいに見えた。
「……畑って、なんかすごいな」
「何が」
「何もない場所が、食い物になる」
「当たり前だ」
「その当たり前がすごいんだよ」
ロエンは少しだけこちらを見た。
そして、ふいと視線を戻す。
「お前は変なことを言う」
「よく言われる」
「だが、嫌いではない」
「お、今ちょっと褒めた?」
「作業を見ろ」
「照れるなよ」
「黙れ」
尻尾が揺れていた。
やっぱり分かりやすい。
しばらくして、ロエンは一度手を止めた。
「水は」
「水ならある」
「近くに?」
「桶に汲んである。あと、追加で運ぶこともできる」
「ならいい」
それから、土の上に指で線を引き始める。
「ここに芋。こっちは少し空ける」
「何で?」
「詰めすぎると育ちにくい」
「へえ」
「水はやりすぎるな」
「はい」
「毎日見る」
「はい」
「忘れるな」
「先生か?」
思わず言うと、ロエンは真顔でこちらを見た。
「枯らすな」
「急に圧が強い」
だが、嫌な圧ではなかった。
この土をちゃんと見ているからこその圧だ。
俺は少しだけ背筋を伸ばす。
「分かった。忘れないようにする」
「する、ではない。忘れるな」
「はい……」
強い。
畑に関しては、完全に主導権を握られている。
だが、不思議と悪い気はしなかった。
少なくとも、俺一人では絶対にここまで考えなかった。通販で種芋を買うことはできても、それをちゃんと育てる知識はない。
この家に必要なのは、便利な物だけじゃない。
それを使う知恵も、たぶん必要なのだ。
「……じゃあ、朝飯のあとに本格的にやるか」
俺が言うと、ロエンがぴたりと動きを止めた。
「朝飯」
「お前、まだ食う気か?」
「……借りは返す」
「便利な言葉だなおい」
だが尻尾が揺れている時点で、本音はだいたい分かる。
俺は思わず笑ってしまった。
どうやら俺のログハウスは、漫画を読むエルフに続いて、畑を作る狼獣人まで引き寄せ始めたらしい。
引きこもりの城のはずなんだけどなあ、と心の中でぼやきつつ、俺は朝飯を二人分に増やすことを決めた。
台所に戻りながら、ふと窓の外を見る。
ロエンはまた土を触っていた。
真剣な顔で、指先に土をのせ、匂いを確かめている。
その横顔は、昨日カップ麺の匂いに負けていた狼獣人と同じ人物とは思えないくらい、落ち着いていた。
森の匂い。
朝露の匂い。
そして、掘り返されたばかりの土の匂い。
その全部が、少しずつ俺のログハウスの周りに混ざっていく。
「……まあ」
俺は小さく呟いた。
「芋が採れるなら、悪くないか」
引きこもり生活六日目。
俺の家の横に、畑ができることになった。