異世界引きこもり生活 ~引きこもりが異世界転移したらおもしろスキルが手に入ったので異世界でも引きこもり生活楽しみます~ 作:とけそうだら
その音で目が覚めた時、最初に思ったのは「まだ夜では?」だった。
こん、こん、こん。
妙に律儀で、妙に一定の間隔のノック。
寝ぼけた頭のまま毛布から顔を出し、窓の外を見る。
暗い。
いや、完全な夜ではない。
空の端がほんの少しだけ薄くなっているから、たぶん夜明け前だ。
つまり、まだ寝ていていい時間である。
こん、こん、こん。
「……誰だよぉ」
聞くまでもなかった。
この真面目すぎるノックをするやつは、たぶん一人しかいない。
昨日、カレーを二杯食べたあと、森へ帰る直前に「明日、続きをやる」「種芋も見ておけ」と言い残していった狼獣人。
ロエンである。
のそのそとベッドを抜け出し、半分閉じたままの目で扉を開ける。
そこには案の定、ロエンが立っていた。
朝露に少し濡れた銀灰色の髪。
いつも通り無愛想な顔。
そして、夜明け前から来たくせに悪びれた様子のない態度。
「……早くない?」
「遅い」
「いや、俺の台詞なんだよ」
「起きていた」
「起こされたんだよ」
ロエンは少しだけ首を傾げた。
「叩けば起きると思った」
「思った通りにはなったけどさあ……」
なんだろうな、この“悪気がないから余計に責めにくい感じ”。
俺はあくびを噛み殺しながら空を見上げる。
森はまだ薄暗く、冷えた空気が頬に刺さった。
こんな時間から畑をやる気なのか、こいつ。
真面目すぎて怖いんだが。
「……とりあえず、朝飯だ」
「うん」
今、すごく素直に返事したな。
やっぱりお前、それ目当ても半分あるだろ。
だが、俺も昨日のうちに少し考えていた。
畑作業の朝に向いた飯。
腹にたまって、手早く食えて、それなりに気分が上がるもの。
カップ麺は切り札。
おにぎりは昨日出した。
カレーは夕飯に使った。
なら、今日は別方向で攻めるべきだ。
答えは割と簡単だった。
ホットサンドである。
パンにハムとチーズを挟み、軽く焼く。
ついでに卵スープでもつければ、朝飯としてはかなり強い。
俺は簡易コンロに火を入れ、パンを準備しながらロエンを振り返る。
「入るなら静かにな」
「うるさくした覚えはない」
「夜明け前に人を起こした時点で十分うるさいんだよ」
ロエンは不服そうだったが、反論はしなかった。
たぶん少しだけ、自覚はあるらしい。
家の中へ入ってきたロエンは、昨日と同じくまず本棚を一瞥し、それから窓際のベッドを見る。
最後に、俺の手元――つまりパンとチーズのほうへ視線が移った。
「朝からまた妙な匂いがする」
「褒め言葉として受け取っておく」
「まだ評価はしていない」
「その言い方でだいたい好感触なの、もう分かってるぞ」
ロエンは鼻を鳴らしたが、耳はぴくりと動いていた。
分かりやすい。
パンが焼ける匂いって、どうしてこう抗いがたいんだろうな。
チーズがとろけて、ハムの塩気が温まり、部屋の中へゆっくり広がっていく。
そこへ卵スープのやさしい匂いまで重なるのだから、もはや勝負は見えていた。
「ほら」
皿を差し出すと、ロエンは少しだけ慎重に受け取った。
「これは挟んだだけか」
「焼いた」
「焼いて挟んだのか」
「どっちでもいいだろ」
ロエンはまず端を少しかじる。
さく、と軽い音。
そのあと、中のチーズが伸びた。
耳が立つ。
尻尾が揺れる。
はい、うまいやつ。
「どうだ」
「……外が硬い」
「うん」
「中が柔らかい」
「うん」
「熱い」
「うん」
「ずるい」
「ずるいって感想あるんだ」
ロエンは答えず、二口目へ行った。
つまり気に入ったのだろう。
卵スープも素直に飲んでいるし、やっぱり朝はこういうのが合うらしい。
腹が落ち着くと、さっきまでの眠気もだいぶ引いてきた。
よし、やるか。
現実を受け入れよう。
今日は畑の続きと、種芋の準備である。
*
朝日が森のあいだから差し込み始めたころ、俺たちは家の横の畑に立っていた。
昨日作った畝は、冷たい朝の空気の中で少しだけ濃い影を落としている。
たった半日で整えただけなのに、もう“作業場”ではなく“育てる場所”に見えるから不思議だ。
ロエンはしゃがみ込み、種芋の入った箱を開けた。
「切る」
「切るの?」
「芽を見て分ける」
「へえ……」
俺は完全に見学モードだった。
いや、やる気がないわけじゃない。
ただ、下手に口を出すと怒られそうなくらい、ロエンの動きが真剣だったのだ。
種芋を手に取り、芽の位置を見て、迷いなく刃を入れる。
その様子は、昨日カレーの具を切っていた時よりもさらに丁寧だった。
こいつ、もしかして本当に“育てること”が好きなんだな。
「コウタ」
「ん?」
「ぼんやりするな」
「見惚れてたんだよ」
「変なことを言うな」
「畑仕事の手際に、な」
ロエンは一瞬だけ黙り、それから少しだけ耳を伏せた。
あ、今ちょっと照れたな。
尻尾の先が落ち着かなく揺れているし、わりと分かりやすい。
「お前は、こっちだ」
そう言って、ロエンは俺に小さな木灰の袋を渡してきた。
「切ったところにまぶす」
「おお、急に役割もらえた」
「簡単だからな」
「言い方ァ!」
だが、実際その通りだった。
俺にもできる。
こういう“俺でも役に立てる工程”を渡してくるあたり、ロエンは案外、人に作業を任せるのがうまいのかもしれない。
しばらく二人で黙々と作業する。
切る。
灰をまぶす。
並べる。
単純な繰り返しだが、不思議と落ち着いた。
朝の空気は澄んでいて、遠くで鳥が鳴き、家の裏手からは木の匂いがする。
こういう時間、嫌いじゃないなと思う。
だが、その静けさは長くは続かなかった。
「……何をしている」
聞き慣れた声がして、俺は振り返る。
シルフィだった。
森の道の向こうに立ち、こちらを見ている。
片手には、昨日借りていった漫画が一冊。
もう片方の手は弓の近くにある。
見回りなのか、返却なのか、たぶん両方だろう。
視線はまず俺、次にロエン、そして足元の種芋の箱へと移った。
「見ての通り、畑」
「見れば分かる」
「じゃあ聞くなよ」
シルフィは俺を無視して、ロエンを見た。
「お前、本当に夜明け前から来たのか」
「来た」
「住み着くなよ」
「住み着いてはいない」
そこは否定するんだな。
でも、夜明け前に来るやつの台詞としては、あまり説得力がない。
シルフィもたぶん同じことを思ったのだろう。
目が少しだけ細くなっていた。
「コウタ」
「ん?」
「お前の家、思っていたより増えるな」
「俺もそう思ってる」
「他人事みたいに言うな」
そのままシルフィは近づいてきて、畑を見下ろした。
ロエンが切り分けた種芋を見て、少しだけ眉を上げる。
「……ちゃんとしている」
「誰に言ってる」
「半分はお前じゃないほうだ」
「ひどいな?」
シルフィは小さく息をついたあと、腕に抱えていた本を差し出した。
「返す」
「あ、漫画」
「夜のうちに読み終えた」
「夜のうちに?」
「止まらなかった」
完全にハマってるじゃねえか。
だが、その横でロエンが本に視線を向けたのを、俺は見逃さなかった。
「あ」
「何だ」
「お前も気になるのか?」
ロエンは少し黙った。
そして、ほんのわずかに視線を逸らす。
「……別に」
「分かりやすいなあ」
「お前が笑うな」
シルフィがちらりとロエンを見る。
「気になるなら借りればいい」
「お前が言うのか」
「私はもう読んだ」
何なんだ、その妙な先輩面は。
でも、少し面白い。
漫画にハマったエルフが、カップ麺に落ちた狼獣人へ読書を勧めている。
俺のログハウス、文化の流れがおかしくないか?
そんなことを考えていた時だった。
森の少し奥から、がさり、と低い音がした。
三人とも同時に顔を上げる。
シルフィの耳が動き、ロエンの視線が鋭くなる。
さっきまでの空気が、一瞬で変わった。
「……何かいる」
シルフィが小さく言う。
「獣か?」
俺が聞くと、ロエンは短く首を振った。
「獣なら、もっと堂々と音を立てる」
「じゃあ何だよ」
「見ているやつだ」
その一言で、背筋がぞくりとした。
好奇心か。
警戒か。
あるいは別の何かか。
まだ分からない。
だが少なくとも、俺の家と畑が、もう完全に誰にも知られていない場所ではなくなったことだけははっきりした。
シルフィが一歩前へ出る。
ロエンも、それに合わせるみたいに少しだけ位置を変えた。
守るように、自然に。
その動きに、俺は少しだけ息を呑む。
ついこの前まで一人だった家の前で、今は二人が当たり前みたいに立っていた。
「コウタ」
「な、何」
「家に入れ」
「お、おう」
言われるまま一歩下がりかけて、俺は止まった。
地面には、切ったばかりの種芋が並んでいる。
今日これから植えるはずだった、最初の一歩だ。
こんなところで放り出すのは、なんだか少しだけ嫌だった。
「……せめて箱だけ中に入れる」
「こんな時に何を言っている」
「大事なんだよ!」
俺が慌てて箱を抱えると、シルフィが呆れたように息を吐き、ロエンはほんの少しだけ口元を緩めた。
「お前、本当にそういうところだな」
「生活がかかってるんだよ、こっちは!」
その瞬間、森の奥の気配がふっと遠ざかった。
逃げたのか、様子見をやめたのかは分からない。
だが、張り詰めていた空気は少しだけ緩む。
シルフィはしばらく森を睨んでいたが、やがて弓にかけた手を下ろした。
「……今日は引いたか」
「何だったんだ」
「まだ分からん」
「分からんの怖いな……」
ロエンは土の上に残った小さな跡を一度見てから、短く言った。
「でも、次は来る」
「分かるのか?」
「腹が減っているやつの気配だった」
「またその方向かよ……」
その言い方が妙に確信に満ちていて、俺は思わず黙った。
来る。
誰かが、この家を見ている。
畑を。
食い物を。
漫画を。
妙な家を。
俺の引きこもり生活は、静かに広がっていたはずなのに、同時に静かに見つかり始めてもいた。
……まあ、今さらか。
エルフと狼獣人が普通に家の前に立っている時点で、だいぶ普通じゃないし。
「とりあえず」
俺は箱を抱えたまま言った。
「畑、どうする?」
するとシルフィが、少し呆れた顔をしながらも答える。
「やるに決まっている」
「え、手伝うの?」
「見回りついでだ」
「便利な言い訳だな」
「半分は本当だ」
ロエンも頷いた。
「途中でやめるほうが気持ち悪い」
「畑に対して真面目すぎるんだよな、お前」
なんだろうな。
頼もしいんだけど、基準が二人とも生活寄りすぎる。
でも、その答えで少しだけ安心したのも事実だった。
誰かに見られていようが、面倒ごとの気配があろうが、飯を食って畑を作る。
そういう地に足のついた日常が、妙に強く感じられたのだ。
俺は箱を置き直し、小さく息を吐く。
「……よし」
どうやら今日も、平穏と面倒ごとのあいだで生活は続くらしい。
ロエンが穴を作る。
俺が種芋を渡す。
シルフィが周囲を警戒しながら、時々土をかける。
奇妙な共同作業だった。
けれど、悪くない。
朝の光が少しずつ畑に差し込んで、まだ新しい土の上を照らしていく。
俺は最後のひとつを手に取り、そっと穴へ置いた。
土がかぶせられる。
それは本当に小さな作業だった。
だが、妙に大きな意味があるように感じた。
そして俺たちは、その朝、ようやく最初の種芋を土に埋めた。
それはたぶん、このログハウスで初めて“育てる未来”を地面に置いた瞬間だった。