異世界引きこもり生活 ~引きこもりが異世界転移したらおもしろスキルが手に入ったので異世界でも引きこもり生活楽しみます~   作:とけそうだら

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第十八話 川魚の朝と、働いたぶんの約束

 ロエンが持ってきた川魚を見た瞬間、ミリィの空気が変わった。

 

 さっきまで軒先でシチューを食べ終え、少しだけ眠そうにしていたはずなのに、今は完全に目が覚めている。

 

 耳はぴんと立ち、尻尾も不自然なくらいまっすぐ伸びていた。

 

 視線はロエンではなく、その左手にぶら下がっている魚へ固定されている。

 

 銀色の鱗。

 

 まだ新鮮そうな身。

 

 朝日を受けて、ぴかりと光る川魚が三匹。

 

 腹ぺこの獣人少女の目には、たぶん宝物みたいに映っているのだろう。

 

「……食うか」

 

 ロエンが短く言った。

 

 ミリィの耳が、ぴくりと跳ねる。

 

 だが、すぐには頷かない。

 

 魚はほしい。

 

 ものすごくほしい。

 

 でもロエンは怖い。

 

 その葛藤が、顔にも耳にも尻尾にも全部出ていた。

 

 忙しいやつだな、本当に。

 

「条件つきだ」

 

 ロエンが続ける。

 

 ミリィの表情が一気に渋くなった。

 

 あ、条件って言葉の意味はちゃんと分かるのか。

 

「……あう」

「おい、なんか朝から厳しいな」

「腹が減っているならなおさらだ」

 

 ロエンは真顔のまま言う。

 

「食うだけのやつは長く持たない。動けるなら動く。動いたぶん食う。それでいい」

 

 俺は少しだけ黙った。

 

 ぶっきらぼうだけど、たぶんこいつなりの筋なんだろう。

 

 昨日も「働くなら食える」と言っていた。

 

 ロエンの中では、それがいちばん対等で、分かりやすくて、長続きするやり方なのかもしれない。

 

 ミリィはまだ黙っていた。

 

 ただ、魚から目を離せていないあたり、心はかなり揺れている。

 

「……もう、はたらいた」

 

 ようやく、ミリィが小さく言った。

 

「え?」

 

 俺が聞き返すと、ミリィは軒先の横を指さした。

 

 そこには、小枝が小さくひと山まとめられていた。

 

 それから、昨日畑の脇に残っていた小石も、いくつか端のほうへ寄せられている。

 

 俺は思わず目を丸くした。

 

「……お前、朝からそれやったの?」

「おきたから」

「起きたからって働く発想になるの、偉すぎない?」

「たべるなら、はたらくって言った」

 

 ミリィはロエンのほうをちらっと見た。

 

 ロエンは小枝の山と石を確認し、短く頷いた。

 

「悪くない」

「……ほんと?」

「小さい石はまだ残っている。枝も湿ったものが混じっている。だが、最初なら十分だ」

 

 ミリィの耳がぴんと立った。

 

 褒められたのが嬉しいらしい。

 

 さっきまで警戒していた相手に褒められて、嬉しいのか怖いのか、自分でも処理しきれていない顔をしている。

 

 ほんと、わかりやすいな。

 

「じゃあ」

 

 俺はロエンの持っている魚を見た。

 

「朝ごはん第二部だな」

「ん? だいにぶ?」

「さっきシチュー食っただろ」

「……あれは、あさごはん」

「じゃあこれは?」

「……さかな」

 

 分類の問題じゃないんだよなあ。

 

 でも、ミリィの目があまりにも真剣なので、深く突っ込む気が失せた。

 

 ロエンも魚を少し持ち上げて言う。

 

「これは、働いたぶんだ」

「さかな?」

「昨日の約束と、今朝の分だ」

 

 その言い方は相変わらずぶっきらぼうだったが、昨日より少しだけ柔らかい気がした。

 

 たぶんロエンも、ミリィが逃げずに小枝や石を片づけていたことを、ちゃんと評価している。

 

 顔には全然出てないけど。

 

     *

 

 魚をさばくなら、中のほうが楽だ。

 

 そう判断して、俺はミリィをログハウスの中へ入れることにした。

 

 もちろん、最初から全部自由にどうぞ、ではない。

「台所には入るなよ」

「……なんで?」

「刃物もあるし、火も使うから危ない」

 

 相手は猫耳つきの幼女。

 

 年で言えば六、七歳くらいだ。

 

 子どもをケガさせないように気をつけるのは大事である。

 

 ロエンは当然みたいな顔で中へ入り、魚を流しの横に置いた。

 

 ミリィは扉のところでしばらく迷っていたが、魚の匂いに負けたのか、そろそろと中へ足を踏み入れる。

 

 その瞬間、耳がぴくぴくと動いた。

 

 本棚を見る。

 

 棚を見る。

 

 テーブルを見る。

 

 鍋を見る。

 

 最後にまた魚を見る。

 

 昨日のシルフィといい、ロエンといい、ミリィといい、みんな初めて入る時にだいたい同じような反応をするな。

 

「……へんないえ」

 

 ぼそっとミリィが言った。

 

「お前もその感想か」

「おちつかない」

「まあ、気持ちは分からんでもないな」

「家に住むお前が分かるのか」

 

 ロエンが淡々と言う。

 

「自分の家なのに、最近ちょっとそう思い始めてる」

 

 俺が答えると、ロエンは否定しなかった。

 

 代わりに、無言で魚をまな板に置く。

 

「コウタ」

「ん?」

「包丁」

「あ、はい」

 

 俺が渡すと、ロエンは慣れた手つきで魚の腹に刃を入れた。

 

 無駄がない。

 

 昨日の畑、昨日のカレー、今朝の魚。

 

 こいつ、本当に生活力が高いな。

 

 ミリィも、その手元をじっと見ていた。

 

 視線が魚から離れない。

 

 いや、正確には魚ではなく、ロエンの手元だ。

 

 包丁の入り方。

 

 魚の押さえ方。

 

 内臓を取り出す動き。

 

 それを、ものすごく真剣な顔で追っている。

 

 ロエンは一匹目の下処理を終えると、ちらりとミリィを見た。

 

「お前、魚はさばけるのか」

 

 俺ではなく、ロエンが聞いた。

 

 ミリィは一瞬だけ身構えたが、すぐにちょっと胸を張る。

 

「できる」

「そうか」

 

 ロエンは二匹目の魚をまな板に置き、短く言った。

 

「やってみるか」

「……いいの?」

 

 その“いいの?”がちょっと意外だった。

 

「ちょ、待て待て」

 

 俺は慌てて口を挟んだ。

 

「危ないだろ。包丁だぞ」

「危ないと思ったら止める」

 

 ロエンは当然のように言った。

 

「いや、そういう問題じゃなくて」

「手元を見れば分かる」

「お前は分かるかもしれないけど、俺は不安なんだよ」

「なら見ていろ」

「見てたら安全になるわけじゃないだろ」

 

 俺がそう言うと、ミリィがむっとした顔でこちらを見た。

 

「できる」

「いや、疑ってるわけじゃなくて」

「うそ」

「信用ないなあ……」

「あるわけない」

 

 即答だった。

 

 ひどい。

 

 でも、昨日会ったばかりの相手にそこまで言えるようになった時点で、少しは警戒が薄れたのかもしれない。

 

 ロエンは小さめの包丁を選ぶと、俺にではなくミリィの前へ置いた。

 

「ゆっくりやれ。急ぐな」

「……うん」

 

 ミリィは包丁を両手で受け取った。

 

 握り方は危なっかしくない。

 

 むしろ、かなり慣れている感じだ。

 

 俺は思わず黙った。

 

 ロエンもそれを確認すると、何も言わずに一歩だけ場所を空けた。

 

 ただし、完全には離れない。

 

 ミリィの手元がすぐ届く位置に立っている。

 

 なるほど。

 

 こいつ、本当に危ないと思ったら止める気だ。

 

 ミリィは一匹の魚をまな板に乗せると、耳をぴんと立てたまま、真剣な顔で腹へ刃を入れた。

 

 俺は思わず息を止める。

 

 手つきはロエンほど迷いがないわけじゃない。

 

 けれど、雑でもない。

 

 小さい手で魚を押さえ、内臓を出し、水で流し、鱗を落とす。

 

 包丁を動かすたび、ロエンの目がわずかに細くなる。

 

 だが、止めない。

 

 つまり、許容範囲なのだろう。

 

 その動きには「慣れているけど、急いで覚えた」みたいな妙な実感があった。

 

「……ほんとにできるんだな」

 

 俺が言うと、ミリィは少しだけ顎を上げた。

 

「できるっていった」

「はいはい、疑って悪かったよ」

「はじめからいえ」

「急に偉いな」

 

 するとロエンがぼそっと言う。

 

「手は悪くない」

 

 ミリィの耳がぴくりと揺れた。

 

「……ほんと?」

「魚だけならな」

「さかなだけっ!? ほかのもできる!!」

 

 でも、言われた本人はそこまで嫌そうではなかった。

 

 むしろ、ちょっとだけ嬉しそうですらある。

 

 ロエンに褒められたのが意外だったのかもしれない。

 

 それにしても、獣人同士ってもっと縄張り争いみたいな空気になるのかと思っていたが、食い物と仕事が絡むとわりと話が早いんだな。

 

 いや、単にこの二人がそういうタイプなだけかもしれないが。

 

 魚の下処理が終わるころには、台所が一気ににぎやかになっていた。

 

 俺が鍋で湯を沸かし、ロエンが塩を振って火加減を見る。

 

 ミリィは洗った山菜を並べながら、ちらちらと魚のほうを見ていた。

 

 どう見ても気になっている。

 

「そんなに見なくても逃げないぞ」

 

 俺が言うと、ミリィはむっとした。

 

「みてない」

「見てた」

「みてない」

「その会話、昨日もどこかで見たな……」

 

 ロエンは無言で魚を焼き網に乗せた。

 

 じゅう、と脂が落ちる音がする。

 

 途端に、部屋の空気が変わった。

 

 香ばしい匂い。

 

 焼ける皮の匂い。

 

 そこへ湯気の立つスープの匂いまで混ざって、朝飯としてはかなり強い。

 

 ミリィの尻尾が、ぶわっと一回だけ膨らんだ。

 

 あ、限界だな。

 

「お前、ほんと分かりやすいな」

「……うるさい」

「腹減ってるのは否定しないんだ」

「あさだから」

 

 すごく真面目な理由みたいに言ったな。

 

 でも実際、その通りだった。

 

 朝は腹が減る。

 

 ましてや、働いたならなおさらだ。

 

 俺は鍋の中に刻んだ山菜を入れ、簡単なスープにした。

 

 あとはパンを切るか、米を出すかで少し迷う。

 

 だが、焼き魚ならやっぱり米だろう。

 

 魚。

 

 米。

 

 汁物。

 

 この三つが並んだ時点で、俺の中の日本人が静かに頷いていた。

 

 ということで、今日の朝飯は、湯煎したパックご飯と焼き魚と山菜スープである。

 

 だんだん朝食のラインナップが妙に日本的になってきた気がするが、うまいんだから仕方ない。

 

「はい、できたぞ」

 

 テーブルに並べると、ミリィが目を丸くした。

 

「……さかないっぱい」

「三人分だからな」

「ミリィの、すくない」

「いや、ちゃんとあるだろ」

「おおかみの、おおい」

 

 ミリィはじっとロエンの皿を見た。

 

 確かに、ロエンの分は少し多めにしてある。

 

 体格差を考えれば当然なのだが、ミリィの目には不公平に映ったらしい。

 

「おおかみは、ケモノのにくがすき」

「偏見がすごいな」

「なのに、さかなもおおい」

「そこが不満なのか」

 

 ロエンが眉をひそめる。

 

「狼でも魚は食う」

「……ほんと?」

「食う」

「ケモノなのに?」

「獣でも腹は減る」

「それは、そう」

 

 妙なところで納得したな。

 

 ロエンは自分の皿を引き寄せながら、淡々と言った。

 

「それに、これは俺が獲った魚だ。だから俺の分が多い」

「む」

 

 ミリィの頬が、少しだけ膨らんだ。

 

 なんだろう。

 

 この二人、相性が悪いのかと思ったけど、もしかして普通に張り合うタイプなだけでは?

 

 ミリィはまだロエンを警戒していたが、昨日みたいに外で皿を置く必要はなかった。

 

 ちゃんとテーブルの端に座っている。

 

 椅子が高いのか、ちょこんと腰かける形になっていて、ちょっと面白い。

 

「食っていいぞ」

 

 俺が言うと、ミリィは少しだけためらったあと、小さく両手を合わせた。

 

「……いただきます」

「お、言えるんだな」

「ばかにするな」

「えらい」

「こどもあつかいするな」

 

 そのわりに、焼き魚をほぐす手つきは妙に真剣だった。

 

 箸は使えないらしく、指で慎重に身を分けている。

 

 そして一口。

 

 止まる。

 

 耳が立つ。

 

 尻尾が揺れる。

 

 はい、またうまいやつ。

 

「どうだ?」

 

 俺が聞くと、ミリィは口をもぐもぐ動かしたまま頷いた。

 

「……しお」

「塩焼きだからな」

「さかな、ちゃんとさかなのあじする」

「感想が素直すぎるだろ」

 

 ロエンがスープを飲みながら言う。

 

「昨日のシチューより好きそうだな」

「……こっちのほうがすき」

「へえ」

「でも、あれもすき」

「欲張りだな」

「だめ?」

「だめじゃない」

 

 そこから先は早かった。

 

 ミリィは、魚の身をひと口、ふた口と食べ進めるごとに、だんだん無口になっていった。

 

 いや、もともとそんなに喋るほうじゃないんだけど、今は完全に“食べることに集中している”顔である。

 

 小さい指で骨を避けながら身をほぐし、熱いところはふうふうと息を吹きかけ、それからまた口へ運ぶ。

 

 妙に手慣れているあたり、ほんとに魚はよく食べていたんだろう。

 

「……お前、きれいに食うな」

 

 俺が言うと、ミリィは顔を上げずに答えた。

 

「へんなところ、ほめる」

「大事だろ、そういうの」

「そうだな」

 

 ロエンまで普通に頷いた。

 

 なんだろう。

 

 朝から妙に保護者っぽい空気になってないか、これ。

 

 いや、俺は保護者になるつもりはないんだけど。

 

 ないんだけど、焼き魚の身をほぐして夢中で食っている小柄な獣人を見ていると、なんかこう、ちゃんと食えてよかったなという気持ちになってしまう。

 

 だめだな。

 

 俺、こういうのに弱すぎる。

 

「ごちそうさま」

 

 ミリィは最後に山菜スープをきれいに飲み干して、ぽつりと言った。

 

 皿にはほとんど何も残っていない。

 

 魚の骨だけが、妙に整って並んでいた。

 

「おお」

 

 俺は思わず感心した。

 

「ほんとにきれいに食うな」

「またばかにした」

「いや、でも大事だって」

 

 ミリィは少しだけ不満そうだったが、その耳はぴんと立っていた。

 

 たぶん悪い気はしていない。

 

 ちょろいな、とは口にしないでおく。

 

 たぶん怒られる。

 

 ロエンは自分の皿を片づけながら、短く言った。

 

「じゃあ働け」

「うっ」

 

 食後の余韻を一瞬で叩き割るな、お前。

 

 だが、ミリィも約束は覚えていたらしい。

 

 露骨に嫌そうな顔をしつつも、椅子から下りる。

 

「なにすればいいの」

「まず水だ」

「わかった」

「そのあと石」

「おおい……」

「当たり前だ」

 

 ロエン、容赦ないな。

 

 でも、ミリィも本気で嫌がっているわけではなさそうだった。

 

 文句は言う。

 

 けど、逃げない。

 

 そこはえらい。

 

 ミリィは自分の空になった皿とコップを両手で持ち上げると、とてとてと流しのほうへ歩いていった。

 

「……ここ、おいとく」

「おう。洗うのは俺がやるから、そこに置いといていいぞ」

「これもしごとじゃないの」

「家の中のことは俺の領分だ。お前は外でロエンの言うことを聞け」

「……わかった」

 

 ミリィは食器をことんと置くと、少しだけ名残惜しそうにログハウスの中を見回してから、ロエンの後を追って外へ向かった。

 

 その後ろ姿を見送りながら、俺は食後のコーヒーでも淹れようかとマグカップを手に取る。

 

 引きこもり生活の朝は、本来もっとだらだらしているべきなのだが。

 

 窓の外から聞こえてくる獣人二人のやり取りは、俺の想定に反して妙に活気があった。

 

 朝飯の焼き魚をきれいに平らげたあと、ミリィの労働はすぐに始まった。

 

 ロエンの指示は、俺が思っていたよりもずっと的確だった。

 

 ただ「働け」と丸投げするのではなく、ミリィの体格と体力に合わせた作業を割り振っている。

 

 小さな桶で水を運ぶ。

 

 畑の端の小石を拾う。

 

 芽が出る前の畝を踏まないように歩く。

 

 時々、森のほうへ耳を向ける。

 

 なるほど。

 

 確かにこれは、ちゃんと仕事だった。

 

「……働いたぶんの約束、か」

 

 俺は窓の外を眺めながら、ぽつりと呟いた。

 

 ミリィは文句を言いながらも逃げない。

 

 ロエンは厳しい顔をしながら、ちゃんと加減している。

 

 そして俺は、その二人を見ながらコーヒーを淹れている。

 

 引きこもり生活八日目。

 

 俺のログハウスには、腹ぺこな小さな働き手が増えつつあった。

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