異世界引きこもり生活 ~引きこもりが異世界転移したらおもしろスキルが手に入ったので異世界でも引きこもり生活楽しみます~ 作:とけそうだら
引きこもり生活十四日目。
俺が異世界に来てから、二週間が過ぎた。
二週間。
たった十四日、と言えばそれまでだ。
だが、その十四日のあいだに、俺のログハウス周辺はだいぶ様変わりしていた。
何もなかった森の外れには小さな畑ができ、家の前にはアウトドア用のテーブルとキャンプチェアが置かれ、軒先には水汲み用の桶やら軍手やらが当然のように並んでいる。
もはや“森の中にぽつんと建つ謎の家”というより、“妙に生活感のある謎の拠点”である。
その日の午後、森を抜ける風は少しだけ生温かかった。
午前中、ロエンの容赦ない指導のもとで水汲みと石拾いをこなしたミリィは、文明の利器――具体的には、氷入り麦茶とキャンプチェア――の偉大さにすっかり感動していた。
そして現在。
自ら買って出た見張り役として、ログハウス脇の太い木に登っている。
木の上にちょこんと座り、時々尻尾を揺らしながら、森の奥をじっと見ている姿は、なんというか、かなりそれっぽい。
少なくとも、本人は完全にその気だった。
「だれかきたら、すぐおしえる」
と、さっきから何度も言っている。
いや、正直、俺としてはそこまで張り切らなくてもいい。
できれば誰も来ないでほしい。
だが、数日ほど前にシルフィに「ミリィとは別の気配があった」と言われてから、俺も少しだけ森の奥が気になっていた。
まだ他にも、この家に近づいている得体の知れない何かがいる。
そう考えると、見張りがいるのはありがたい。
ありがたいのだが。
「……俺、なんで自宅に見張りを置く生活してるんだろうな」
俺はキャンプチェアに沈み込みながら、紙コップに二杯目の麦茶を注ごうとしていた。
氷がカランと鳴る。
冷たい麦茶。
木陰。
椅子。
最高である。
これで来客さえなければ、完璧な午後だった。
そう思った、まさにその瞬間だった。
「コウタ!」
頭上から、ミリィの鋭い声が落ちてきた。
「きた! だれか、きた!」
「誰かって、獣か? 人か?」
立ち上がるより早く、ロエンが鍬を地面に置いていた。
いつも思うが、こいつの戦闘態勢への切り替えは異常に速い。
シルフィも同じだった。
さっきまでキャンプチェアに座って漫画を読んでいたはずなのに、もう弓を手にして森の入口を睨んでいる。
紙コップを持ったまま状況確認してるの、たぶん俺だけだ。
「……ひと! おんな! でも、でかい! すごくでかい!」
「雑な報告だな!?」
「あと、もってるのもでかい!」
「追加情報も雑!」
その直後だった。
森の奥の木立が、がさり、と大きく揺れた。
いや、揺れたというより、押し分けられた。
枝が折れる音。
草を踏み潰す音。
何か重いものが、迷いの森の奥から強引に道を作って近づいてくる音。
普通なら、こんな森の中で聞きたくない種類の音だった。
「……魔物か?」
俺が小さく呟くと、シルフィが目を細めた。
「いや。人だ」
「人があんな音立てて歩くの?」
「普通は立てない」
「普通じゃない人が来てるのかよ……」
答え合わせは、すぐに来た。
木々のあいだから出てきたのは、長身の女だった。
でかい。
いや、ミリィの報告が雑だと思ったが、訂正しよう。
あれは正確だ。
すごくでかい。
ロエンに迫るほどの身長。
無駄のない筋肉。
日に焼けた肌。
赤い髪を後ろでひとつに束ね、軽装の鎧の上からでも「この人は日常的に人をぶん殴る側です」と分かる迫力がある。
しかも背中には、俺の身長と大差ないんじゃないかってくらいの巨大な戦斧。
鎧のあちこちには、枝葉や土がついていた。
頬には浅い切り傷。
肩には、魔物の血らしき黒っぽい汚れ。
それでも本人は、疲れた様子よりも、ようやく目的地に着いたという満足げな顔をしていた。
一目で分かった。
強い。
そして、絶対に俺とは住む世界が違う。
「……おいおい」
思わず後ずさる。
前世でヤンキーに絡まれたことすらない俺にとって、目の前の女戦士の圧はだいぶ致死量だった。
あれに一発でも殴られたら、俺のHPはマイナスを超えて概念になる。
「止まれ」
ロエンが低く言い、女の前へ出た。
シルフィも少し離れた位置から弓を引き絞る。
矢じりは迷いなく眉間だ。
相変わらず容赦がない。
木の上のミリィも、枝の陰に身を隠しながら女を睨んでいる。
うちの見張り、昨日より仕事してるな。
成長が早い。
いや、感心してる場合じゃない。
「ほう?」
女は足を止めた。
それからロエンとシルフィを見比べ、口元をにやりと吊り上げる。
「だっはははっ! 狼の獣人に、エルフの射手かい。迷いの森を散々歩かされた先に出てきたのが妙な家で、しかも門番つきとはねえ。ずいぶん面白い場所じゃないか」
「門番でも番犬でもない。用がないなら去れ」
「ずいぶん冷たいねえ。こっちはここまで来るのに、だいぶ骨を折ったんだよ」
女は肩を回し、背中の大斧を軽く揺らした。
「道は曲がるわ、同じ木には何度も出くわすわ、妙な蔓は絡んでくるわ、猪みたいな魔物は突っ込んでくるわ。迷いの森ってのは、名前どおり性格が悪いねえ」
「それでよくここまで来たな」
シルフィが低く言う。
「匂いだよ」
女は笑った。
「森の中に、ずっと場違いな匂いが流れてた。肉と、香辛料と、甘い野菜と、焦げた油みたいな匂い。普通の森じゃ絶対にしない匂いだ。最初は魔物の誘いかと思ったけどね」
「……」
俺はそっと目を逸らした。
カレー。
シチュー。
焼き魚。
フランクフルト。
思い当たるものが多すぎる。
「街で聞いたんだよ」
女は続ける。
「迷いの森に入って命からがら戻った冒険者が、“森の奥から妙にうまそうな匂いがした”って酒場で騒いでてね。最初は酔っぱらいの寝言だと思ったんだが、別のやつも似たようなことを言い出した」
「うまそうな匂い……」
「そうさ。しかも、匂いのするあたりじゃ魔物の動きがおかしい。妙な音に怯えたみたいに近づかないやつもいるってね」
あー。
超音波害獣撃退器と、最近の飯の匂いか。
文明がだいぶ迷いの森に迷惑をかけている。
「それで、休みついでに確かめに来た。ところがこの森、まあ迷う迷う。匂いを追っても道がねじれる。音を頼っても場所がずれる。途中で魔物にも何度か絡まれた」
「何度かで済むのか……」
「蹴散らせば済む」
「発想が強者すぎる」
女は豪快に笑った。
「で、ようやく匂いの発生源を見つけたと思ったら、本当に家が建ってる。しかも妙な椅子に、妙な机に、妙な樽まである」
「樽じゃない。ウォータージャグだ」
「うぉーたーじゃぐ?」
「水とか飲み物を入れておく道具」
「なるほどねえ」
女の視線が、結露したジャグと紙コップに向く。
さっきまでの猛獣みたいな目が、一瞬だけ別の色になった。
あれは戦意ではない。
喉が渇いている人間の目だ。
森を歩き回り、魔物を蹴散らし、ようやく目的地へたどり着いた人間の目である。
「……それは、飲み物かい?」
「麦茶」
「むぎちゃ?」
「飲むか?」
「コウタ」
ロエンが低い声を出した。
完全に「軽率に餌付けするな」という顔である。
「警戒しろ。こいつは強い」
「でも喉は乾いてそうだろ」
「なぜ分かる」
「目だよ」
女の目は、戦場を見据える猛獣のそれではなかった。
冷えた飲み物を前にした、労働後の人間の目だった。
俺は新しい紙コップを取り出し、ジャグの蛇口をひねる。
氷がからんと鳴って、冷たい麦茶が注がれていく。
女は、少し訝しげにそれを受け取った。
「冷たいな。なんだい、この白い塊は」
「氷だよ」
「魔法か?」
「まあ、だいたいそんなもん」
女は匂いを嗅ぎ、一瞬だけ眉をひそめ、それから一気に喉へ流し込んだ。
「……っ!?」
目が見開かれた。
「な、なんだいこれは! 冷たっ……いや、うまっ……! 喉に入った瞬間、熱が引いていく! 香ばしいのに後に残らない!」
「だろ」
「酒場のぬるいエールより、よっぽどいいじゃないか!」
女は紙コップを見た。
次にジャグを見た。
最後に俺を見た。
「おかわり」
「落ちるの早いな」
「うるさい。早く」
「急に客の態度じゃなくなったな……」
二杯目を渡すと、女は今度は味わうように飲んだ。
完全に顔が緩んでいる。
さっきまで迷いの森を踏破してきた戦士の顔だったのに、今は冷たい麦茶に負けた人の顔だ。
この森、強いやつほど食い物と飲み物に弱くないか?
「アンタら、迷いの森の奥でこんなもん飲みながら休んでるのかい。贅沢だねえ」
「快適さは正義なんだよ」
「その台詞、なんか腹立つのに納得するね」
どかっと空いているチェアに腰を下ろす。
ギシッと音がした。
頼むから耐えてくれ。
お前は今、異世界の平穏を支えてるんだ。
「それで」
女は麦茶を飲み干し、腹をぽんと叩いた。
「正直に言おう。アタシぁ腹が減ってる」
「正直すぎる」
「匂いを追って、迷って、魔物を蹴散らして、ようやくここまで来たんだ。せっかくだから、その噂の正体を腹いっぱい確かめさせてくれないかい」
「噂の正体って、飯かよ」
「腹が減ってる時にいい匂いを追わされるのは、ほとんど拷問だよ」
うまい匂い、ね。
どうやら、この家は本当に迷いの森の奥で変な噂になり始めているらしい。
引きこもりなのに、匂いで客が来るのはどういうことだ。
「金なら払うよ」
女が革袋から銀貨を数枚、じゃらりと置く。
たぶんそれなりの額だ。
でも俺に必要なのはMPであって、現地通貨ではない。
「金はいらない」
「ほう?」
「代わりに、帰るついででいい。この近くに危険な魔物がいたら追い払ってくれ。飯代はそれで十分だ」
「だっはははっ! そんなことでいいのかい! ここに来る途中で何匹かぶっ飛ばしたが、帰りにも残ってたら軽く片づけてやるよ!」
「すでに何匹かぶっ飛ばしてるのか……」
それはだいぶ頼もしい。
あと声量だけは少し控えてほしい。
「悪かったよ、坊や。名乗るのが遅れたね」
女は紙コップを片手に、にやりと笑った。
「アタシはガラン。冒険者だ。街じゃ一応、Aランクなんて呼ばれてる」
「Aランク……」
シルフィが小さく呟く。
警戒は解いていないが、弓はほんの少し下がった。
「東の街の冒険者か。狂斧のガラン」
「お、エルフの嬢ちゃん、知ってるかい」
「知名度だけはある」
「言い方が棘だらけだねえ」
ガランは笑いながら、背中の大斧を地面に下ろした。
ドスン、ではなく、ズドン、だった。
地面が揺れた気がしたのは、たぶん気のせいじゃない。
「じゃあ、改めて頼むよ。飯をくれ。匂いでここまで釣られたんだ。食わずに帰ったら、さすがにアタシの腹が納得しない」
「……うち、食堂じゃないんだけどな」
「でも出せるんだろ?」
「出せるけど」
「なら頼んだ」
「押しが強い」
俺はため息をつきつつ、ログハウスの中へ向かった。
さて、何を出すか。
カレーはうまい。
だが時間がかかる。
カップ麺もいい。
だが、あの体格のAランク冒険者が一個で満足するとは思えない。
迷いの森を歩き回り、魔物を蹴散らし、匂いだけを頼りにここまで来た女だ。
たぶん、中途半端なものを出したら腹だけでなく魂まで納得しない。
なら、これだ。
『大盛りカップ焼きそば 濃厚ソース味』
『フランクフルト』
湯を入れ、待ち、湯切りをする。
ソースを絡めた瞬間、あの暴力みたいな匂いが立ち上った。
濃い。
強い。
理性を殴る系の香りだ。
ついでにフランクフルトを焼く。
皮がぱちっと鳴り、肉の匂いが追撃してくる。
ああ、これはだめだ。
夜中に食ったら絶対に後悔するやつだ。
でも、今は昼。
相手は迷いの森を突破してきた腹ぺこAランク冒険者。
つまり、条件は整っている。
皿代わりの器に焼きそばを盛り、フランクフルトを添えて、ガランの前へ置く。
ついでにフォークではなく割り箸も添えておいた。
なんとなくだ。
「なんだい、この茶色い麺は。汁がない」
「焼きそばだからな」
「やきそば?」
「いいから食ってみろ。混ぜてからな」
ガランは割り箸を見た。
次に俺を見た。
それから、驚いたことに、二、三度指を動かしただけで普通に使い始めた。
「適応が早いな」
「冒険者を舐めるんじゃないよ。知らん道具は、とりあえず使ってみるもんだ」
そう言って麺を口に運んだ、その瞬間だった。
止まった。
本当に、ぴたりと止まった。
「……っ!」
肩が震える。
目が見開かれる。
歴戦のAランク冒険者が、たかがジャンクフード一口で石像みたいに固まっていた。
「お、おい?」
「なんだい、これ」
「焼きそばだけど」
「そういう話じゃないよ!」
次の瞬間、ガランが吠えた。
「なんだいこの味は! 脂が来る、しょっぱさが来る、甘みが来る、酸味が来る! 舌を順番に殴ってくるくせに、最後は全員で襲ってくるじゃないか!」
「食レポが物騒なんだよ」
だが、気持ちは分かる。
ソース焼きそばはだいたい暴力だ。
ガランはもう止まらなかった。
ずぞぞぞっと麺をすすり、合間にフランクフルトを噛みちぎる。
「っ、熱っ、うまっ! なんだいこれ、肉汁が飛び出してきたよ! 罠かい!?」
「ソーセージに対して罠って感想ある?」
「うまい罠だよ!」
ロエンが遠い目で言う。
「……また増えたな」
「何が」
「コウタの食い物に落ちるやつだ」
「不本意だなあ」
シルフィも呆れたように息を吐いた。
「赤い毒水の時もそうだったが、お前の家の食べ物は反応が極端だ」
「赤い毒水って言うな。コーラだ」
ミリィは俺の後ろから顔だけ出し、ガランの勢いある食べっぷりを見ていた。
「……あのおねえさん、だいじょうぶ?」
「だいぶだめかもしれない」
「おかわり!」
その声が、俺たちの会話をぶった切った。
だめだった。
完全にだめな方向へ落ちていた。
結局、ガランは焼きそばをきれいに平らげ、フランクフルトもぺろりと消した。
皿が空になる頃には、完全に“初対面で威圧感のあるAランク冒険者”ではなく、“腹が満たされて機嫌のいい豪快なお姉さん”になっていた。
「坊や」
「なんだ」
「アンタ、ただのヒョロガリじゃないね」
「褒め方の入りが毎回失礼なんだよな」
「こんな美味いもんを出せるやつは、それだけで強い」
「戦闘基準が独特だな」
俺が空き容器を片付けようとした、その時だった。
ガランの視線が、家の中の一点で止まった。
「……ん?」
嫌な予感がした。
「あの、光る箱はなんだい」
終わった。
そこにあったのは、小型モニター。
ポータブル電源につないだまま、昨日の夜に遊んで電源を切り忘れていたゲーム機。
画面にはちょうど、俺が前の世界でやり込んでいた格闘ゲームのデモが流れていた。
炎。
打撃。
必殺技。
派手な効果音。
筋肉のある男たちのぶつかり合い。
あまりにも、ガラン向けすぎた。
「あれは……箱の中で人が戦ってるのかい?」
「人じゃないけど、まあそう見えるよな」
「魔法の鏡か?」
「ちょっと違う」
「生きてるのか?」
「そこまでではない」
ガランはふらりと立ち上がり、家の中へ入っていった。
シルフィが眉をひそめる。
「勝手に入るな」
「ちょっと見るだけだよ!」
いや、その“ちょっと”で済んだ試しがないんだよな、この家。
モニターの前にしゃがみ込んだガランの目が、子どもみたいに輝いていた。
画面の中では、重量級の戦士が相手を持ち上げ、地面に叩きつけている。
ガランの視線が吸い付く。
「……これ、いいね」
「反応が早いな」
「この大きいの、気に入った」
「キャラ選びまで早いな」
俺はため息をつきつつ、コントローラーを一つ持ち上げた。
「TVゲームっていうんだ。これを使って、画面の中のやつを動かして戦う」
「アタシが?」
「お前が」
「この小さい板で?」
「だいたいそう」
「面白いのかい?」
「人によるけど、ハマるやつはすごくハマる」
「……やらせな」
目が本気だった。
戦斧を構える時と同じ種類の集中だ。
嫌な予感しかしない。
「いいか、こっちで移動、こっちが攻撃。組み合わせると必殺技」
「ほう」
「相手の体力をゼロにしたら勝ち」
「つまり、アンタをぶちのめせばいいんだね」
「ゲームの中だけな。外でやったら俺が死ぬ」
「気をつけるよ」
「信用できるようでできない返事だな……」
第一戦。
俺はいつもの忍者キャラ。
ガランは、当然のようにパワー系の投げキャラを選んだ。
「始まったら動け。止まってると殴られるぞ」
「分かってる!」
分かっていなかった。
開始三秒で飛び込みを食らい、投げを空振りし、反撃を受け、画面端へ追い込まれ、そのままコンボで沈んだ。
パーフェクト勝ちだった。
「…………」
ガランが画面を見つめている。
「……な、なんだい今のは」
「格ゲー」
「違う、そうじゃない。アタシ、一発も当ててないよ?」
「まあ、初心者だし」
「アタシが?」
「このゲームではな」
「……もう一回だ」
火がついた。
完全に。
第二戦。
ガランはガードを覚えた。
しゃがみも覚えた。
投げ抜けはまだできない。
だが、理解は異常に早い。
「ほう、守るようになったな」
「戦いは、まず相手を見ることからだよ!」
いい台詞なのに、やっていることはログハウスの中のゲーム対戦なのがじわじわ来る。
それでもやっぱり初心者は初心者だ。
俺は下段、中段、投げを織り交ぜて崩す。
再び勝利。
「ぐおおおっ! 今のは防いだだろう!?」
「下段と中段の択だよ」
「たく?」
「二択」
「言葉は分からんが、腹は立つ!」
第三戦、第四戦、第五戦。
ガランは見るたび上手くなった。
コマンドを覚える。
間合いを覚える。
俺のジャンプ癖を読む。
大振りな技を減らし、待ちを覚え、ここぞという瞬間だけ踏み込んでくる。
適応が早すぎる。
さすがAランク冒険者、というべきか。
学習対象が魔物でも格ゲーでも、吸収速度が変わらないらしい。
「そこだァッ!!」
ガランの叫びと同時に、重量級キャラのコマンド投げが決まった。
画面の中で俺の忍者が豪快に地面へ叩きつけられる。
「うおっ、今の上手い!」
「だっははははっ! 見たかい! ついに捕まえたよ!」
「一発入っただけで喜びすぎだろ」
「一発が重いんだよ!!」
その笑い声に、外にいたロエンが覗き込んできた。
「……何をしているんだ」
「箱の中で殴り合ってる」
「意味が分からん」
「俺にも全部は分からん」
シルフィも後ろから来て、腕を組んだままモニターを見下ろす。
「お前たち、さっきまで本気で殺し合いそうだった相手と、なぜ今こんなに盛り上がっている」
「ゲームだからな」
「もっと理解できない」
ミリィはさらに率直だった。
「コウタ、あのおおきいおねえさん、あたまおかしくなった?」
「もともとかもしれない」
「聞こえてるよ坊や!!」
ガランは画面から目を離さず叫ぶ。
完全にもうこっち側だ。
戻れないところまで来てしまっている。
「コウタ!」
「なんだよ」
「アンタ、強いね! 剣も斧も持たないくせに、この指先だけで人を追い詰めるのかい!」
「ゲームの中限定だけどな」
「十分脅威だよ! この戦い、深い!」
分かる。
分かるけど、異世界のAランク冒険者にそんな目で見られるとは思わなかった。
結局、その日は日が暮れるまで対戦した。
俺の九十勝。
ガランの三勝。
普通なら心が折れてもおかしくない戦績だが、ガランはむしろどんどん目を輝かせていた。
負けるたびに改善点を探し、勝つたびに本気で雄叫びを上げる。
向上心が健康的な方向に向けば立派なのに、今は完全に格ゲーへ向いていた。
「はぁ……はぁ……今日は、アタシの負けだ」
ガランがコントローラーを置く。
額に汗を浮かべ、だが口元は楽しそうだった。
「だが、次は違う。次こそはアンタのその素早い動きを捕まえて、地面に叩きつけてやるからね」
「ゲームの中でな」
「分かってるよ」
ガランは立ち上がり、大斧を背負い直した。
「また来る」
「え、もう決定なのか」
「当然だろう? 次は勝つための対策を練ってくる」
「冒険者の仕事はどうするんだよ」
「後回しだよ。今はこっちのほうが大事さ」
「立派にダメな大人じゃねえか……」
Aランク冒険者が、格ゲーに脳を焼かれた熱血ゲーマーへ片足を突っ込んだ瞬間だった。
「よし、今日は引き上げる! 次はもっといい勝負をしてやるから、覚悟しときな!」
「了解了解。せめてコントローラーは壊さない程度に頼むぞ」
「だっはははっ! 善処するよ!」
「善処で済ませるな」
ガランは満足げに笑い、そのまま森の闇へ消えていった。
さっき現れた時より、足取りが明らかに軽い。
焼きそばと格ゲーが、人をここまで元気にするとは。
静けさが戻ったログハウスで、俺たちは顔を見合わせた。
「……また、面倒なのが増えたな」
シルフィが深くため息をつく。
「お前の家は、何か呼び寄せる呪いでもかかっているのか」
「俺が聞きたいよ」
ロエンは無言で麦茶の残りを飲み干した。
「だが、強い」
「どっちが?」
「両方だ」
「妙な評価だな」
ミリィはモニターを指さして言う。
「わたしも、あれやりたい」
「増えるなあ……」
「いや?」
「いやじゃないけど、静かには暮らせなくなる」
「もうむりじゃない?」
「言うな」
俺はキャンプチェアに崩れ落ちた。
静かに引きこもるために建てたはずのログハウス。
それなのに、貸本屋代わりに通うエルフ、畑を耕す狼獣人、木の上から見張る猫系獣人、そして今日、新たに加わったのは、焼きそばと格ゲーに落ちたAランク冒険者だ。
「……平穏って、どこにあるんだろうな」
天井を見上げて呟く。
答えるやつはいなかった。
だがその夜、ベッドに入って目を閉じた時、俺の気分は少しだけ妙だった。
疲れているのに、嫌な疲れじゃない。
昔、まだ学校に行っていた頃、放課後に誰かとゲームで盛り上がった日の夜みたいな、あの変に心だけ軽い感じに近かった。
面倒は増えている。
平穏は遠ざかっている。
引きこもり生活の定義は、たぶんもうだいぶ壊れている。
それでも――まあ、退屈しないのは悪くない。
そう思ってしまった時点で、俺は少しだけ、この森の暮らしに馴染み始めているのかもしれなかった。