異世界引きこもり生活 ~引きこもりが異世界転移したらおもしろスキルが手に入ったので異世界でも引きこもり生活楽しみます~ 作:とけそうだら
引きこもり生活二十六日目の朝。
完璧な朝だった。
スマホのアラームではない。
誰かの大声でもない。
窓から差し込む、やわらかな朝日で自然に目が覚めた。
ベッドから身を起こし、静寂に包まれたログハウスの空気を胸いっぱいに吸い込む。
「……誰もいない」
素晴らしい。
つい昨日まで、朝起きればリビングにAランク女戦士が座り込み、エルフが漫画を読み、狼獣人が畑から顔を出し、小柄な獣人が冷蔵庫の前で尻尾を揺らしているという、カオスな状況だった。
だが、彼らにそれぞれの城――プレハブ小屋、ガーデンハウス、ベルテント、ハンモック――を与えた作戦は、見事に功を奏したらしい。
ログハウスの中にいるのは俺だけ。
俺の椅子。
俺のテーブル。
俺の冷蔵庫。
俺の静寂。
ああ。
これだ。
これこそが、俺の求めていた引きこもり生活である。
俺は優雅な手つきで冷蔵庫を開け、冷えた水で喉を潤したあと、インスタントのドリップコーヒーを淹れた。
テーブルの上の小型モニターの電源を入れると、四分割された画面に“村”の様子が映し出される。
左上。
ガランのプレハブ小屋。
カーテンが閉まっている。
どうやら徹夜でゲームをやり込み、今は泥のように眠っているらしい。
左下。
ミリィのベルテント。
入り口の隙間から、ふかふかのラグマットの上で大の字になって爆睡している尻尾が見える。
右上。
森の木陰。
シルフィがハンモックに揺られながら、相変わらず漫画を読んでいる。
朝から休日のオタクの完成形みたいな姿だった。
そして右下。
ロエンのガーデンハウスと畑。
「……ん?」
画面越しのロエンは、畑の畝の前にしゃがみ込み、微動だにしていなかった。
いつもの土の点検かと思ったが、様子が違う。
その目は、土ではなく、そこから生えそろった植物の葉を、射抜くように見つめている。
俺はコーヒーマグを片手に、ログハウスの扉を開けて外に出た。
春の朝らしい涼しさが、まだ空気の中に残っている。
だが、迷いの森特有の気候の乱れなのか、日差しにはもう少しだけ熱が混じり始めていた。
「ロエン、朝からどうした」
俺が声をかけると、狼獣人はゆっくりと立ち上がり、振り返った。
その顔は、かつてないほど真剣だった。
「コウタ。異常事態だ」
「えっ、魔物か!?」
「いや」
ロエンは首を振り、足元の畑を指さした。
「土の中が、限界を迎えている」
「……はい?」
俺はロエンの隣に立ち、彼が指さす畝を見下ろした。
そこには、俺が少し前に《快適生活お取り寄せ》で買って植えたはずのジャガイモとサツマイモの葉が、わさわさとジャングルのように生い茂っていた。
いや、生い茂っているだけではない。
葉の端が、少しだけ黄色くなり始めている。
農作業の知識がほぼないインドア派の俺でも、前世のネット知識の欠片が告げていた。
根菜類の葉が枯れ始めるのは、土の中の芋が育ちきったサイン。
……だった気がする。
「……待て。嘘だろ」
俺は震える声で言った。
「あれ植えたの、まだそんなに経ってないぞ?」
「ああ。俺の知る森の植物の成長速度とも、完全にかけ離れている」
ロエンが低く唸る。
「お前が取り寄せた培養土と肥料。そして、この迷いの森の濃い魔力。それが混ざり合った結果としか思えん」
「そんな化学反応みたいなことある?」
「魔力反応だな」
「便利な言葉だな、魔力反応」
ロエンは畝に手を当て、目を細めた。
「土の中で、すさまじい勢いで命が膨らんでいる。これ以上放置すれば、実が割れるか、腐る」
「芋が……限界突破してるってことか」
「そうだ」
「農業で聞きたくない言葉だな」
つまり。
異世界の豊かな土壌と、現代日本のチートじみた園芸資材と、迷いの森の魔力が組み合わさった結果。
超高速栽培が成功してしまったらしい。
「……掘るか」
「掘るしかない」
ロエンが鍬を手に取った。
その声を聞きつけたのか、プレハブ小屋の窓がガラッと開き、寝癖まみれのガランが顔を出した。
「なんだいなんだい! 朝から物騒な話かい! ボス戦ならアタシも混ぜな!」
「ボス戦じゃなくて収穫だ。起きろガラン。ミリィとシルフィも呼んでこい」
俺は畑の前で、ちょっとだけ胸を張った。
「今日は、この名もなき村の第一回収穫祭だ」
*
俺の宣言に、村の住人たちはあっという間に空き地へ集まった。
「いも! ほるの!」
ミリィが目を輝かせて、ぴょんぴょんと跳ねている。
かつて俺が植えたばかりの種芋を掘ろうとして怒られた彼女にとって、ついに念願の瞬間である。
「まだ掘るなよ」
「もう、ほっていい?」
「合図してからな」
「いま?」
「まだ」
「いま?」
「待て」
尻尾が待てていない。
ガランは大斧を肩に担ぎ、畑を見下ろして笑った。
「だっははは! 魔物じゃなくて芋が相手かい! いいじゃないか、こういう戦いも嫌いじゃないよ!」
「斧は使うなよ」
「分かってるって」
「本当に分かってるか?」
「たぶんね!」
「不安しかない」
シルフィはハンモックから降りてきて、畑の周囲を見回した。
「これほど成長が早いとはな」
「お前、驚いてる?」
「少しは」
「ちょっと嬉しそうでもあるな」
「私が森の気配を絶ち、お前たちが安全に農作業に打ち込めた結果だな」
「お前、だいたい漫画読んでただけだろ」
「見張りもしている」
「漫画読みながら?」
「目は二つある」
「便利な言い訳だな」
ロエンはそんな会話には加わらず、畝の前に立った。
いつも以上に真剣な顔で、ジャガイモの茎を見ている。
これは、戦士が剣を構える顔ではない。
農夫が収穫に臨む顔だ。
「よし、ロエン。いってくれ」
俺が合図を出すと、ロエンは太い腕を畝の土に突っ込み、ジャガイモの茎を根元からしっかりと掴んだ。
「ふんっ!」
短い呼気とともに、狼獣人の強靭な背筋が持ち上がる。
ズボボボボボボッ!!!
土煙を上げて地中から現れたのは、俺の知っているジャガイモの常識を覆す光景だった。
一つの茎から、大人の拳よりもさらに一回り大きい、黄金色のジャガイモが、葡萄の房みたいに十個以上も鈴なりにくっついていたのだ。
「おおおおおっ!?」
「なんだいそりゃあ! 石ころの化け物かい!」
「でかい! コウタ、いもでかい!」
俺、ガラン、ミリィの三人が同時に叫ぶ。
シルフィも目を見開き、珍しく言葉を失っていた。
「……一つの種から、これほどの実が成るとは。森でも見たことがない」
「完璧だ」
ロエンの手が震えていた。
武者震いではない。
農夫の喜びの震えだ。
「形、大きさ、重さ……。俺は今まで、こんなに美しい作物を見たことがない」
「すごいな……通販の肥料、異世界だと効果がバグるのか」
「ばぐ?」
「説明しづらい異常現象ってこと」
「今の土には合っている」
「それはもう、見れば分かる」
そこからの作業は早かった。
ロエンが次々と芋を引き抜く。
ガランがその剛腕で土を払い、重い芋籠を軽々と運ぶ。
ミリィは自分の体より大きい籠に両手をかけ、嬉しそうに芋を一つずつ集めていく。
シルフィは周囲を警戒しつつ、時々「そこを踏むな」「畝を崩すな」と的確に指示を飛ばしていた。
サツマイモのほうも、とんでもなかった。
赤紫色の皮がはち切れんばかりに膨らんだ巨大な芋が、次々と発掘される。
一時間も経たないうちに、空き地には立派な芋の山が二つできあがっていた。
「だっははは! 大漁だねぇ! で、坊や。この土の塊みたいなやつはどうやって食うんだい?」
ガランが大口を開けて笑う。
「まあ見てろ。今日は通販で飯を買わない」
俺は芋の山を見て、少しだけ胸を張った。
「俺たちの畑で採れたものを食うぞ」
*
俺はログハウスの中からポータブル電源を引っ張り出し、さらに《快適生活お取り寄せ》のウィンドウを開いた。
ただし、今日買うのは食材ではない。
あくまで主役は、この畑で採れた芋だ。
『大容量 電気卓上フライヤー』
『業務用 キャノーラ油』
『有塩バター』
『天然塩』
『キッチンペーパー』
『アルミホイル』
ポータブル電源にフライヤーをつなぎ、たっぷりの油を注いでスイッチを入れる。
油が温まるまでの間に、俺はロエンにジャガイモをよく洗わせ、皮付きのまま細長くカットするように指示した。
「コウタ。この油の池に、芋を沈めるのか」
ロエンが細切りにした大量のジャガイモをボウルに抱え、怪訝そうな顔をしている。
「そうだ。これは“揚げる”っていう調理法だ」
「煮るのとは違うのか」
「違う。油で高温調理する」
「油で」
「そう。現代における、芋を最も悪魔的にうまく食う方法の一つだな」
「悪魔的」
「食えば分かる」
油の温度が上がる。
表面がゆらりと揺れ、熱の気配が立ち始めた。
俺はロエンから受け取ったジャガイモの束を、フライヤーの網カゴに入れて一気に油の中へ沈めた。
ジュワァァァァァァァッ!!!
激しい音とともに、黄金色の油が細切りのジャガイモを包み込む。
空き地に、これまで彼らが嗅いだことのない、香ばしくて暴力的な油の匂いが爆発的に広がった。
「な、なんだこの匂いは……っ! 腹の底から直接食欲を殴りつけてくるような……!」
ガランが目を血走らせ、大斧を握る時のように拳を固く握りしめた。
「におい! コウタ、いいにおいする!」
ミリィの尻尾がプロペラのように回転している。
シルフィは一歩下がり、鼻を押さえるような仕草をした。
「……油を大量に使うとは、なんて野蛮な」
「お前、いつもポテチ食ってるだろ」
「ポテチは別だ」
「別じゃない。あれも油で揚げた芋だ」
「……薄いから別だ」
「理屈が薄いな」
「うるさい。あれは読書に必要な塩気だ」
「ポテチを文学の補助食品にするな」
表面がカリッときつね色になったところで、油から引き上げる。
キッチンペーパーを敷いたボウルに移し、そこへ天然塩をパラパラと振りかける。
ボウルを軽く煽り、全体に塩を絡ませた。
黄金色。
揚げたて。
湯気。
塩。
悪魔の条件がそろった。
「完成だ」
俺は山盛りのボウルをテーブルに置く。
「異世界初、採れたて超速ジャガイモのフライドポテトだ」
四人の手が、ほぼ同時に伸びた。
「あっちぃ! でも、うまい! なんだいこれ、外側はサクサクなのに、中はホクホクで、芋の甘みと塩気が……だめだ、手が止まらないよ!」
ガランがハフハフと息を吐きながら、猛烈な勢いでポテトを口に運ぶ。
「だっははは! 坊や、アタシの小屋に麦の酒はないのかい!? これには絶対酒が必要だ!」
「昼間から飲むな。コーラで我慢しろ」
「コーラも合いそうだね!」
「まあ、それは合う」
その言葉に、シルフィの耳がぴくっと動いた。
「……コーラも出るのか」
「出るけど、お前さっきまで野蛮とか言ってなかったか?」
「食べ物の野蛮さと、飲み物の必要性は別だ」
「都合よく分けるな」
「ポテチにも合う」
「完全に好物として認識してるじゃねえか」
ロエンは無言だった。
だが、その食べるスピードはガランに負けていない。
自分が見てきた土から育った作物が、これほど美味い形に化けたことに感動しているのか、目を閉じ、噛みしめるように味わっている。
「……土が、報われた」
「農夫のコメントだなあ」
「これはいい」
「めちゃくちゃ気に入ってるじゃん」
ミリィは両手にポテトを持ち、リスみたいに頬を膨らませている。
「コウタ、おいしい! これ、すごくおいしい!」
「熱いからゆっくり食えよ」
「むり!」
「無理なのか」
「てが、とまらない!」
そして、シルフィ。
彼女は一本のフライドポテトを指でつまみ、まじまじと観察してから、小さくかじった。
「……厚い」
まず、そこだった。
「ポテチより厚い」
「そりゃそうだ」
「だが、表面は香ばしい。中はやわらかい。芋の味が強い」
「おやつ評論家みたいになってるぞ」
「ポテチとは違う。これは……温かいポテチの親玉だな」
「急に雑な分類するな」
そこで、シルフィはもう一本取った。
もぐ。
もう一本。
もぐ。
三本目。
「……塩気が、絶妙だな。芋の素朴さを、油が暴力的に引き上げている。悔しいが、認めざるを得ない」
「だろ?」
「野蛮だ」
「食うのやめるか?」
「それは違う」
「違うんだ」
「味に罪はない」
「便利な言葉だな」
俺がコーラを注ぐと、シルフィは当然のように紙コップを差し出した。
「……少しでいい」
「少しで済んだ試しがないんだよな、お前」
「喉が渇いただけだ」
「ポテチの時も毎回そう言ってるぞ」
「事実だ」
「都合のいい事実だな」
俺は呆れながらも、シルフィの紙コップにコーラを注いだ。
しゅわしゅわと泡が立つ。
シルフィはフライドポテトを一本かじり、続けてコーラを一口飲んだ。
「……これは」
「どうした」
「危険な組み合わせだ」
「ポテチとコーラで散々経験してるだろ」
「これは熱がある。そこが違う」
「熱いポテトと冷たいコーラか」
「ああ。温度差が、さらに危険だ」
「危険って言いながら顔が幸せそうなんだよなあ」
シルフィは何も答えず、もう一本フライドポテトを取った。
完全に落ちていた。
俺はドヤ顔でコーラを飲み干した。
だが、収穫祭はこれだけでは終わらない。
「ポテトが揚がってる間に、こっちも仕込んでおいた」
俺が取り出したのは、アルミホイルで何重にも包んだ塊だ。
朝のうちに、屋外の焚き火台の灰の中へ入れて、じっくり焼いておいたのである。
ホイルを開くと、黒く焦げた皮の隙間から、湯気とともに黄金色の中身が顔を出した。
焼き芋だ。
「さっきのは塩気だ。次は甘みといこうか」
俺は焼き上がったサツマイモを半分に割り、その熱々でトロトロの断面に、有塩バターの小さな塊を乗せた。
熱でバターがすうっと溶け出し、濃厚な乳脂肪の香りが、甘い芋の匂いと混ざり合う。
黄金色の芋に、黄金色のバター。
見た目だけでもう強い。
「じゃがバターならぬ、焼き芋バターだ。食ってみろ」
最初に陥落したのは、甘いものに弱いミリィだった。
スプーンでバターが染み込んだ部分をすくって口に入れた瞬間、彼女は目を丸くした。
それから、完全に言葉を失った。
「あ……」
小さな声が漏れる。
「あぁ〜……」
そのまま、溶けたみたいな顔になった。
「ミリィが溶けた」
「甘いものには勝てんらしいな」
ロエンが静かに言う。
いや、あんたもかなり真剣な顔で焼き芋を見てるけどな。
「どれ……っ!?」
シルフィも一口食べ、目を見開いた。
「なんだ、この蜜のような甘さは。森の果実など比較にならない。それに、この黄色い溶ける塊が、甘さに恐ろしいほどの深みを与えている……!」
「バターな」
「ばたー」
「そう」
「……危険だな」
「お前、うまいものだいたい危険判定するな」
「危険なものほど、うまいのではないか?」
「真理に近づくな」
ガランはフライドポテトを口に放り込みながら、焼き芋バターも豪快に食べた。
「だっははは! こっちは甘いねぇ! アタシは塩気のポテトのほうが好きだが、こっちも悪くない!」
「悪くないって言いながら、もう二個目いってるぞ」
「悪くないからね!」
「それ以上の意味で使ってるだろ」
ロエンは焼き芋を両手で持ち、じっと見つめていた。
「……俺の見た土が、最高の仕事をした」
「嬉しそうだな」
「ああ」
「珍しく素直だ」
「これは、誇っていい」
「そうだな。誇っていいと思う」
空き地の中心。
ログハウスと、三つの離れに囲まれた村の広場で、俺たちは大量の芋をひたすらに食い続けた。
ガランの豪快な笑い声。
ミリィの幸せそうな声。
シルフィの理屈っぽい食レポ。
ロエンの静かな満足感。
油の音。
バターの香り。
揚げたての熱気。
収穫したばかりの土の匂い。
その全部が混ざって、名もなき村の広場には、なんとも言えない幸福な騒がしさが満ちていた。
*
「……ふう」
俺はキャンプチェアに深く寄りかかり、満腹の腹をさすった。
すごいな。
今日、俺が通販で買ったのは、油とバターと塩と調理器具くらいだ。
メインの食材は、この異世界の村で自給自足したもの。
MPの消費を抑えつつ、これだけ満足度の高い食事ができる。
これは引きこもり生活において、劇的なコストダウンを意味する。
浮いたMPで、もっと高性能なゲームを買うか。
それとも部屋を拡張するか。
いや、MP回復ボーナスが切れる前に、保存設備をもう少し増やすべきか。
夢と物欲は広がるばかりだ。
「おいコウタ!」
ガランが空になったボウルを突き出してきた。
「芋はまだ腐るほどあるんだ! 第二ラウンドといこうじゃないか! アタシが揚げてやるよ!」
「油の温度に気をつけろよ。あと、斧で芋を切るなよ」
「切れるよ?」
「切れるかどうかじゃないんだよ」
「わたしも! まだあまいのたべる!」
「食べすぎると腹壊すぞ」
「こわい。でも、たべたい」
「アイスの時と同じ反応だな」
季節外れに少し暖かい春の風が、村の広場を抜けていく。
その風の中で、揚げ物の心地よい音が響き続けていた。
誰も、俺のログハウスの中には侵入してこない。
中には完璧なプライベート空間。
外に出れば、バカみたいに騒がしくて、頼もしくて、食欲に正直な連中がいる広場。
なんだ。
引きこもりとしては完全に道を間違えたと思っていたが、村長仮としてのスローライフも、案外悪くないじゃないか。
俺は、溶けかけのバターが乗った焼き芋の最後の一口を口に放り込み、幸せなため息をついた。
名もなき村の、大豊作の休日は、こうして騒がしく更けていくのだった。