異世界引きこもり生活 ~引きこもりが異世界転移したらおもしろスキルが手に入ったので異世界でも引きこもり生活楽しみます~ 作:とけそうだら
引きこもりにとって、天候というのは“窓の外の映像エフェクト”に過ぎない。
晴れていれば、画面が明るいなと思う。
雨が降っていれば、環境音が心地いいなと思う。
風が強ければ、今日は外に出ない理由が増えたなと思う。
完璧なインフラと堅牢な壁の中にいる限り、天気が直接俺のHPを削ることはない。
そう。
元の世界、すなわち現代日本であれば。
「コウタ! 大事だ!」
その日の昼下がり。
ハンモックで漫画を読んでいたはずのシルフィが、血相を変えてログハウスに飛び込んできた。
銀色の髪が風で激しく乱れ、いつも静かなその顔に、はっきりと焦りの色が浮かんでいる。
「どうした。最新巻の発売日でも間違えたか?」
「ふざけている場合ではない! 来るぞ!」
シルフィは窓の外、森の西側を指さした。
「灰色の牙だ。森の木々を根こそぎなぎ倒し、川を氾濫させる、季節外れの大暴風雨が近づいている」
「大暴風雨……つまり、台風か」
「タイフウ? 言葉は知らんが、とにかく最悪の災害だ。森の動物も魔物も、今朝から奥地の洞窟へ逃げ込んでいる。なぜそんな呑気な顔をしている?」
「とりあえず空の色を見てから判断しようかと」
「今すぐ見ろ!」
言われて窓の外へ目をやると、たしかに異常だった。
さっきまで晴れていた空が、インクをこぼしたような赤黒さに染まり、生温かい強風が木々を激しく揺らしている。
雲の動きが、明らかに速すぎる。
遠くの森から、木々が軋む低い音が聞こえてきた。
自然の音というより、巨大な何かが歯ぎしりしているみたいな音だった。
プレハブ小屋の窓が勢いよく開き、ガランが顔を出した。
「おい坊や! こりゃあヤバい風が来るよ! アタシのせっかくの城が吹き飛ばされちまう! どうすんだい!」
「まず窓を閉めろ」
「それだけかい!?」
「最初の一手としては大事だろ!」
畑からロエンも戻ってきた。
いつもの無表情だが、目の奥に切迫したものが見える。
「コウタ」
「今度は何だ」
「豆と第二陣の種芋が、水に流される」
「重い」
短い。
だが、その重さはしっかり伝わった。
ロエンにとって畑は命綱であり、誇りであり、ほぼ信仰対象に近い。
その畑が吹き飛ばされるとなれば、これはもう戦争である。
「わたしのおうち、とんじゃう……!」
ミリィは自分のベルテントのポールにしがみつき、耳を寝かせて涙目になっている。
足元では、白いもふもふの火竜――ポテトが「ガウガウ!」と空に向かって吠えていた。
ただし、こいつは状況を分かっているというより、風に喧嘩を売っているだけに見える。
村は完全にパニック状態だった。
Aランク冒険者も。
森の民も。
経験豊富な狼獣人も。
小さな獣人も。
そして最強種の幼生も。
異世界の自然災害を前にすると、それぞれの強さがいまいち噛み合わないらしい。
この世界に“防災マニュアル”という概念が存在しないのだから、当然といえば当然だ。
だが、俺は落ち着いていた。
マグカップのコーヒーをひとくちすすり、ゆっくりと立ち上がる。
「落ち着け、お前ら。俺を誰だと思っている」
「……普段は漫画を読んでいる、ひ弱な人間だろ」
シルフィが即答した。
「今はそのド正論をしまう場面だ」
「しかし事実だ」
「事実だとしても、今は関係ない」
俺は空中に《快適生活お取り寄せ》のウィンドウを呼び出した。
「いいか。俺は現代の防災意識を完全にインストールしたプロのインドア派だ」
「インドア派と防災に、なんの関係があるんだ」
シルフィが眉をひそめる。
「大いにある。インドア派ってのはな、外に逃げるという選択肢を最初から持っていないんだよ。だから家の中で嵐を乗り越える準備を、本能的に考えている」
「……それは強みなのか、ただの外出嫌いなのか」
「両方だ。ただし今日は役に立つ」
「……続けろ」
前世で、台風のたびにカップ麺と水とポータブル電源を確認し、窓の隙間を塞ぎ、ベランダの物を室内へ入れ、完全引きこもり態勢を構築してきた俺の経験が、ついに異世界で火を噴く時が来た。
「ロエン! 畑を諦めるな。これを張れ!」
俺が召喚したのは、防風ネット、防水ブルーシート、ペグ、ロープ、土のう袋の束だった。
「畝の上から防風ネットを被せろ。低く、風を逃がす形だ。水が入りそうなところには土のう。シートはべったり被せるな。蒸れるし、風で持っていかれる」
「分かった」
「ガラン! 杭打ち担当だ。お前の腕力なら絶対に抜けない杭が打てるはずだ」
「だっははは! 任せな! アタシの剛腕で地面に縫い付けてやるよ!」
ロエンの目に光が戻った。
尻尾がびたんびたんと揺れている。
喜びと焦りが混在するとこうなるらしい。
二人は凄まじい手際で畑全体をネットとシートで覆い、見事な防壁を完成させていく。
「次は離れだ。ガランのプレハブ小屋とロエンのガーデンハウスは、ワイヤーロープで周囲の太い木に固定する。窓には外側から板を当てる」
「アタシの闘技場を縛るってわけかい!」
「飛んでいくよりはいいだろ」
「そりゃそうだ!」
「ミリィのテントは……この風だと危険だ。畳んで中にしまえ」
「おうち、しまうの?」
「一時避難だ。飛ばされないためだ」
「……わかった。おうち、まもる!」
ミリィは涙目のまま、しかし必死にうなずいた。
ガランがテントのポールを抜き、ロエンが布を畳み、ミリィが自分のラグマットをぎゅっと抱えてログハウスへ運び込む。
「シルフィ、周囲の木を見てくれ。折れそうな枝があったら教えろ」
「分かった」
「ポテト、お前は……」
「ガウッ!」
「火は出すな」
「ガウ……」
「分かったのか、本当に」
全員が持ち場につく。
嵐の前の台風準備という概念など存在しないはずのこの世界に、妙な一体感が生まれていた。
俺はログハウスの屋根までは上がらず、外からソーラーパネルの固定金具を確認し、飛来物よけの保護ネットを被せる。
無理に屋根へ上がらない。
こういう時に調子に乗って高所作業をすると事故る。
現代日本人の防災意識は、勇敢さより安全確認を優先するのである。
家の中に戻って、ポータブル電源を満充電しておく。
冷蔵庫の中身を確認。
水のストックを確保。
ライト、モバイルバッテリー、救急箱。
窓の近くに物を置かない。
よし。
「全員、ログハウスの中へ!」
最初の雨粒が、ぽつりぽつりと落ち始めたタイミングで、俺は全員を本館に叩き込んだ。
バタンッ。
頑丈な木製ドアを閉め、鍵をかける。
その数分後だった。
ゴオォォォォォォォォッ!!!
地鳴りのような轟音とともに、灰色の牙が森を丸ごと飲み込んだ。
窓の外の木々が真横にひしゃげ、豪雨が窓ガラスを叩きつける。
森が唸っている。
風が牙を立てている。
名前の由来を、嫌でも理解させられる光景だった。
「……ひっ」
ミリィが耳を伏せ、ポテトを両腕で抱きしめながら部屋の隅にぴったりと張り付いた。
そのポテトは、抱かれたまま「ガウ……」と小さく鳴いている。
さっきまで風に吠えていたくせに、実際に轟音が来ると少しだけびびっているらしい。
ガランは大斧を握りしめ、まるで嵐と斬り合おうとするかのように身構えている。
シルフィは窓際から少し離れた位置で、外を食い入るように見ていた。
「……信じられん」
シルフィが呟く。
「壁が、ほとんど揺れない。あれほどの暴風が吹いているのに、雨の音がずっと遠くで鳴っているみたいだ」
「だろ?」
俺はふんぞり返った。
「断熱材と防音材がたっぷり詰まった分厚い壁と二重窓の前では、多少の嵐はただの環境音に成り下がる。外で何が起きていようと、この家の中は完全に別世界だ」
「お前はいつの間に要塞を建てていたんだ……」
「俺の家はずっとこれだ」
天井のLED照明が、嵐の中でもちらつくことなく部屋を照らしている。
蓄電池の静かな駆動音だけが、落ち着いた低音で響いていた。
「すげえ……! 坊や、この家は本物の最強の城じゃないか!」
ガランが斧を下ろし、心底感心したように叫んだ。
ロエンもモニター越しに畑を確認し、防風ネットとシートがどうにか持ちこたえているのを見て、深く息を吐いた。
「……畑は生きている」
「よかったな」
「ああ」
「その顔、だいぶ安心してるぞ」
「気のせいだ」
「今日は気のせいじゃないと思うけどな」
さて。
安全が確保されたところで、次に必要なのは心の安定である。
人間、非常時にただ怯えていると消耗する。
やることをやり、逃げる場所を確保したら、あとは温かい飯だ。
俺は冷蔵庫を開けながら、全員を振り返った。
「日本では、ヤバい嵐が来た時にだけ執り行われる神聖な儀式がある」
「儀式?」
シルフィが眉をひそめた。
「嵐の神の怒りを鎮めるための祈りか」
「いや、ただ美味いものを食うだけだ」
「お前らしいな」
「褒め言葉として受け取っておく」
取り出したのは、ロエンの畑で大豊作となった黄金のジャガイモと、ガランが持ってきた猪肉を挽いておいたミンチ。
「外に出られない日に、家の中に閉じこもって、安全を噛み締めながらアツアツの揚げ物を食う。これを現代日本では台風コロッケと呼ぶ」
「タイフウ・コロッケ……!」
ガランの目がぎらりと光った。
「コロッケ! わたし、それたべる!」
ミリィが震えを止め、尻尾を振り始める。
切り替えが早い。
「ちなみに、コロッケとは何だ」
ロエンが真顔で聞く。
「食えば分かる」
「分かった。続けろ」
一言の確認で済ませるのがロエンらしかった。
俺は卓上フライヤーを準備し、調理を開始した。
茹でたジャガイモをマッシャーで徹底的に潰す。
炒めた猪肉のミンチと玉ねぎを混ぜ込み、塩胡椒で味を整える。
小判型に成形し、小麦粉、卵、パン粉の衣をまとわせる。
「手伝う!」
ガランとミリィが、わかりやすく前のめりになった。
二人に衣付けを任せると、ミリィはすぐに粉まみれになり、ガランは握力が強すぎて成形したコロッケを二個潰した。
「力加減しろ」
「だっははは! 芋がやわらかすぎるんだよ!」
「やわらかくていいんだよ!」
「コウタ、これ、ゆきみたい」
「粉だからな」
「たべていい?」
「まだだ。生の粉を食うな」
「む」
シルフィは、少し離れた場所から作業を眺めていた。
「また油料理か」
「ポテチとコーラが好きなエルフが何か言ってるな」
「ポテチは読書に必要な塩気だ」
「その理屈まだ続けるのか」
「続ける。真実だからな」
俺は成形したコロッケを、180度に熱した油の海へそっと沈めた。
ジュワァァァァァァッ!!!
外の嵐の音をかき消すような、景気のいい揚げ音が室内に響き渡る。
油の香ばしい匂い。
芋と肉の甘い匂い。
パン粉が色づいていく匂い。
密閉されたログハウスの中に、暴力的なまでの食欲が広がっていく。
「ガウゥ〜……」
ポテトがよだれを垂らしながら足元をうろうろし始めた。
「……なんという匂いだ」
シルフィがごくりと喉を鳴らす。
「嵐の恐怖が、食欲に上書きされた」
「それが目的だ」
「…………合理的だな」
「だろ?」
きつね色に揚がったコロッケを紙皿に盛り付け、中濃ソースのボトルを添える。
「完成だ。ソースをたっぷりかけて、熱いうちに食え」
ガランが真っ先に掴み、大口でかぶりついた。
ザクッ!!
「あふっ、はふっ! んまァァァァイ!!」
雄叫びが上がる。
「なんだいこの衣のサクサクは! 中からホクホクの芋と肉の旨みが溢れ出してきやがる! しかもこの黒いソースの酸味と甘みが油を受け止めて……無限に食えるじゃないか!!」
「お前、毎回その反応するな」
「毎回それ以上の衝撃があるんだよ!」
「おいしいっ! コウタ、これすっごくおいしい!」
ミリィもハフハフしながら満面の笑みを浮かべる。
ロエンはコロッケを半分に割り、その湯気の立つ断面をじっと見つめた。
「……俺の見た芋が、また別の形になった」
「うまいか?」
「外は鎧のように。内側は雪のように」
「うまいな?」
「最高の料理だ」
「よかったな」
「ああ。これは畑に報告する」
「畑に?」
「あとでだ」
「まあ、好きにしろ」
そしてシルフィは、腕を組んで一歩引いたまま言った。
「また油料理か。エルフの胃袋には少し……んっ!?」
一口かじった瞬間、抗議が止まった。
彼女はしばらく動かなかった。
目を細め、口の中の何かを確かめるように、ゆっくりと咀嚼している。
「……サクサクとした衣のあとに、芋の甘みが来る。そしてこのソース……果実と香辛料が複雑に溶け合った、深みのある味だ」
「うまいだろ」
「……認めよう」
「素直だな、今日」
「嵐の夜に腹を空かせていると、人間に素直になるらしい」
「それは俺だけでなくお前もそうだったんだな」
「うるさい」
俺は冷たいコーラをぐびっと飲み干し、自分のコロッケに噛みついた。
うまい。
外では世界が終わるような嵐が吹き荒れている。
窓を叩く雨音。
森を揺らす風。
遠くで折れる枝の音。
それなのに、壁一枚隔てたこの空間には、温かい食事と、明るい光と、やかましい仲間たちの声だけがある。
「最高だな、引きこもりって」
俺は心からそう思った。
「坊や! おかわりだ! 芋はまだあるだろう!」
「わたしも! ソースいっぱいで!」
「ガウッ!」
「ポテトはもう食ったろ」
「ガウッ!!」
「……分かった分かった。油の温度が下がるから順番にな」
窓を叩きつける雨音をBGMにして、俺たちの台風コロッケパーティーは続いた。
モニターにはゲーム機の映像が映し出され、コロッケを片手にガランがコントローラーを握っている。
シルフィはソファの端を陣取り、コーラとポテチとコロッケを妙にバランスよく配置しながら、漫画の八巻を読みふけっていた。
ロエンはポテトの背中を撫でながら、時折モニターに映る畑をちらりと確認している。
ミリィはすでに、俺の膝の上で目を細め、猫の子みたいに丸くなっていた。
さっきまでコロッケを頬張っていたと思ったら、満腹と室内の暖かさに負けたらしい。
「ミリィ、そこで寝られると俺が動けないんだけど」
「……あったかい」
「それはまあ、そうだろうけど」
「ねむい……」
ミリィは小さく呟くと、俺の服の裾をぎゅっと掴み、そのままさらに深く丸まった。
「……まあ、いいか」
引きこもるために建てた家は、いつの間にか全員の避難所になっていた。
俺一人だけの城だったはずのログハウス。
今は、嵐の夜になるとみんなが集まる場所になっている。
それでも今夜ばかりは、騒がしいのも悪くないと思う。
窓の外では、灰色の牙がまだ森を噛み砕くように荒れ狂っている。
けれど、その音は遠い。
このログハウスの中には、明かりがあって、揚げたてのコロッケがあって、腹いっぱいになって眠る小さな住人がいて、足元には白い火竜の仔犬が丸まっている。
俺はミリィを起こさないように、そっと背もたれへ体を預けた。
異世界引きこもり生活二十九日目。
窓の外の嵐は、遠くで鳴っている。
そして俺の家の中だけは、今日もだいぶ平和だった。