異世界引きこもり生活 ~引きこもりが異世界転移したらおもしろスキルが手に入ったので異世界でも引きこもり生活楽しみます~ 作:とけそうだら
朝――いや、たぶん昼前。
俺が目を覚ましたのは、鳥のさえずりでも、眩しい朝日でもなかった。
あまりの寝心地のよさに、
「……ここ、どこだっけ?」
と、一瞬だけ脳がバグったからだった。
「……あ」
木の天井。
無垢材の壁。
風を遮る窓。
そして、体を優しく沈み込ませる、やわらかいベッド。
昨日の記憶が蘇った瞬間、俺は毛布にくるまったまま、じわっと押し寄せる感動に打ち震えた。
「家だ……」
当たり前の事実が、やけに胸にしみる。
壁がある。
屋根がある。
床がある。
しかも、フカフカのベッドまである。
昨日は肉体労働の疲労で、泥のように寝落ちしてしまった。
だが、目覚めた今、ようやくクリアな頭で実感できた。
俺は、ログハウスを建てたのだ。
異世界で。
自力というには、だいぶ《快適生活お取り寄せ》に頼り切った。
部材は通販。
工具も通販。
家具も通販。
だが、それを言い出したら現代人の生活なんて全部インフラ頼りである。
これは現代知識と物流システムの勝利ということでいいだろう。
ベッドの上で、ごろりと寝返りを打つ。
ふかい。
やわらかい。
最高か?
いや、最高だな。
「……今日は、もう何もしないでいいんじゃないか?」
誰に向けたわけでもない提案を、虚空に投げてみる。
返事はない。
当然だ。
ここには今、俺しかいない。
それがいい。
それが素晴らしいのだ。
誰にも急かされない。
誰の目も気にしない。
誰にも「起きろ」と言われない。
朝。
いや、昼かもしれないけど、それすらどうでもいい。
引きこもりにとって時間とは、あくまでゆるく把握する概念に過ぎない。
「午前中に起きたら勝ち、午後に起きてもまあ勝ち……」
かなり雑な勝利条件だが、今の俺にはちょうどよかった。
しばらく至福の時を噛み締めていたが、やがて腹が「ぐう」と鳴った。
現実である。
どれだけ情緒的に満たされても、空腹は容赦なく人間を現実へ引き戻してくる。
「……飯にするか」
のそのそと起き上がり、まだ少し散らかった室内を見回す。
昨日組み立てた折りたたみテーブル。
収納箱。
買ったばかりのカップと皿。
段ボールは隅に寄せただけで、床には細かい木くずが落ちている。
完璧な部屋には、ほど遠い。
だが、薄っぺらいテント生活に比べれば、まさに王宮と泥水ほどの差があった。
まずは朝食だ。
《快適生活お取り寄せ》で買っておいたインスタントスープとパン。
それから、少し贅沢にソーセージを追加する。
簡易コンロに火を入れ、小鍋でお湯を沸かす。
じわじわと温まる空気。
室内に広がる、コンソメスープの暴力的な匂い。
それだけで、もう俺の人生は勝っていた。
「室内で、安全に温かい飯が作れるって……こんなに偉大なことだったのか」
誰も聞いていないのに、独り言が漏れる。
俺はパンをちぎり、熱いスープをすすりながら、窓の外の森を眺めた。
木漏れ日が揺れている。
名も知らない鳥が鳴いている。
風が枝を揺らしている。
そして俺は、頑丈な壁の内側で、安全にそれを見ている。
完璧だ。
森の中にいながら、森の理不尽に直接殴られていない。
これだよ。
俺が欲しかったのは、これなんだ。
「……引きこもりって、実はめちゃくちゃ攻めの姿勢なんだな」
自分でも何を言っているのか分からなかったが、真理に近づいた気がした。
快適な屋内を確保してこそ、安心して「何もしない時間」を心ゆくまで楽しめる。
怠惰には、強固な土台が必要なのだ。
つまり今の俺は、究極の怠惰のための基盤整備に成功したわけである。
よし。
今日はこのまま、一生だらだらしてやる。
心に固く誓った――その、わずか十分後。
俺は外にいた。
「……水、いるなあ」
圧倒的現実である。
スープを作って、カップを洗っただけで、手持ちの水が底を突いた。
飲み水。
調理用。
手洗い用。
洗い物用。
生活というやつは地味に、しかし確実に「水」というインフラを要求してくる。
近くの小川から木桶で水を運びながら、俺は遠い目になった。
「引きこもり生活って、引きこもるためにけっこう働かなきゃいけないんだな……」
理想では、家にこもってベッドでゴロゴロしているだけのはずだった。
だが実際には、水は運ばねばならない。
薪も要る。
片づけもしないと部屋がゴミ屋敷になる。
飯を食えば洗い物が出る。
何かを買えば段ボールが増える。
文明の便利さを享受するためには、生活の土台を自分の手で回さなくてはいけないらしい。
世知辛い。
異世界のスローライフ、だいぶ世知辛い。
「スローライフって、ゆっくり休む生活じゃなくて、ゆっくり全部自分でやる生活なのか……?」
気づきたくない真実に触れてしまった気がした。
なんとか水を運び終えたころには、インドア派の貧弱な腕はすでに乳酸でパンパンになっていた。
俺は己の体力のなさを呪いつつ、次は収納の整理に取りかかる。
床に直置きした荷物をどうにかしないと、せっかくのマイホームの足の踏み場がなくなるからだ。
俺は《快適生活お取り寄せ》を開き、少し悩んだ末に、小さめのカラーボックスと簡易棚を追加購入した。
ぽんっ、と空中に魔法陣が浮かび、段ボールが現れる。
慣れてきたとはいえ、やっぱりこの光景はちょっとチートが過ぎて笑える。
「よし。文明の力で部屋を整えるぞ」
箱を開ける。
説明書を見る。
部品を並べる。
ネジを確認する。
そして、ドライバーを手にしたところで、俺は残酷な事実に気づいた。
「……これ、一人で組むの地味にキツくないか?」
ログハウス本体は、シルフィが手伝ってくれたからよかった。
だが今は一人だ。
つまり、「板を垂直に押さえながら、もう片方の手でネジを回す」という、家具組み立てにおける基本動作で、圧倒的に手が足りない。
くっ。
まさか家具の組み立てで「ぼっち」の現実が鋭く刺さってくるとは。
引きこもり生活、開幕早々に社会性を要求してくる。
「いや、負けるな。俺には壁がある」
壁と床と足を使って、どうにか板を押さえる。
ドライバーを回す。
板がずれる。
ネジが落ちる。
拾う。
また板がずれる。
「……家具って、こんなに反抗的だったか?」
独り言を言いながら格闘し、棚をひとつ、ふたつと設置していく。
途中で板の裏表を逆にして絶望したり、ネジを一本見失って床を這いずり回ったりしながら、なんとか形にはなった。
うん。
ちょっと歪んでる気もするけど、見なかったことにしよう。
部屋ってのは、完璧さより「とりあえず物を置ける場所があること」のほうが大事なんだ。
たぶん。
そう自分を無理やり納得させたころ、外から足音がした。
枯れ葉を踏む、軽くて静かな音。
「生きているか」
扉の向こうから、声だけで分かる。
シルフィだった。
「生きてる」
「本当か?」
「ちょっと怪しい」
「だろうな」
扉を開けると、シルフィは呆れたような顔で立っていた。
その手には、兎に似た小さな獣が吊るされている。
たぶん、狩りの帰りだ。
彼女の視線が俺を通り越し、背後の室内に向く。
「……ずいぶん物が増えたな」
「理想の引きこもり生活に必要な設備投資です」
「散らかっているだけに見えるが」
「それは過程だ。完成形を信じろ」
シルフィは中に入るなり、歪んだカラーボックスを見た。
テーブルを見た。
床の段ボールを見た。
最後に、窓際のベッドを見た。
「昨日よりは、人が住む場所になったな」
「だろ?」
「ただし、床に落ちているそれを除けば」
「言うな。さっきネジを一本なくして……って、え?」
シルフィはすっとしゃがみ込み、あっさり床からネジを拾い上げた。
「ここだ」
「見つけるの早いな!?」
「お前の目が節穴なだけだ」
「エルフの視力を家具組み立てに使う日が来るとは……」
悔しい。
でも助かる。
「で、今日は何をしていた」
「朝飯食って、水運んで、棚組んで、部屋を整えてた」
「ちゃんと生きるつもりはあるらしいな」
「あるよ。俺の引きこもりは計画的かつ戦略的なんだ」
そこでシルフィが、少しだけ面白そうに眉を上げた。
「計画的な引きこもりとは、なんだ」
「まず必要最低限の生活インフラを確保する。次に、外へ出る頻度を限界まで減らす。最後に、家の中で最高に快適に過ごせるようにする」
「怠けることにだけ、妙に立派な理屈があるのだな」
「最高の褒め言葉として受け取っておくよ」
シルフィは半分呆れ、半分あきらめたように小さく息を吐いた。
だが、それ以上は何も言わなかった。
代わりに、持っていた獲物を軽く持ち上げる。
「肉はいるか」
「え、くれるのか?」
「タダではない。その代わり、昨日のしゅわしゅわの赤水と、パリパリの乾燥芋をもう一度寄越せ」
「交渉成立だ」
こうして、異世界らしい物々交換が成立した。
片方は森で獲れた肉。
片方はコーラとポテチ。
たぶん、どちらかといえば俺の方が得をしている。
いや、シルフィの表情を見る限り、あっちもだいぶ本気で欲しがっているので、等価交換なのかもしれない。
俺はシルフィが手早く処理してくれた肉をフライパンで焼き、通販で買った塩胡椒を少しだけ振った。
じゅうっ、と音がして、暴力的に香ばしい匂いが広がる。
シルフィが少しだけ目を細めた。
「その白い粉は、やはり便利そうだな」
「塩と胡椒は偉大だぞ。これさえあれば大抵のものは美味くなる」
「昨日からお前、壁と塩ばかり褒めているな」
「俺の生活を支える二大巨頭だからな」
焼きたての肉を口に運ぶ。
うまい。
シンプルにうまい。
やっぱり肉は正義だ。
昨日までの俺なら、異世界の謎肉なんて警戒していただろう。
だが、今は違う。
目の前でシルフィが普通に食っている。
火は通した。
塩胡椒もした。
なら、だいたい大丈夫だ。
サバイバル判断の雑さが、異世界二日目にして育ってきている。
シルフィも、無言でしばらく食べていたが、やがてぽつりと言った。
「……悪くない」
「勝ったな」
「何にだ」
「知らんけど、今ちょっと異世界のサバイバルに勝った気分」
食後、俺たちは温かいお茶をすすりながら窓を開け、少しだけ外の風を入れた。
森の緑の匂い。
木の匂い。
焼いた肉の余韻。
それらが混ざって、妙に落ち着く空気になる。
静かだった。
誰もいない森の奥。
たまにこいつが来て、一緒に飯を食って、また帰っていく。
それくらいの距離感なら、悪くないのかもしれない。
「コウタ」
「ん?」
「お前、たぶん自分が思っているより忙しくなるぞ」
「やめろ。今いい気分なんだから不吉な予言をするな」
「森で静かに暮らすのは、静かに何もしないこととは違うからな」
「その正論、胸に深く刺さるからやめて」
でも、たしかに彼女の言う通りだった。
家を持つってことは、それを維持するってことだ。
食う。
寝る。
片づける。
水を運ぶ。
薪を用意する。
道具をしまう。
壊れたら直す。
引きこもり生活は、ただベッドに寝転んでいれば成立する魔法の城ではない。
家を保つための細かい作業は、思っていた以上に多かった。
だが不思議と、それは嫌ではなかった。
学校に行くための準備でもない。
誰かに命じられた仕事でもない。
自分が、ここで気持ちよく暮らすためにやる「自分のための労働」だ。
そう思うと、水汲みも不格好な棚作りも、少しだけ意味のあることに思えた。
「……まあ、ほどほどには頑張るよ」
「最初からそうしろ」
シルフィはそう言って立ち上がると、弓を肩にかけ直した。
「今日はもう帰る。また来る」
「おう。肉、助かった」
「茶も悪くなかった」
「コーラとポテチは?」
「危険だ。定期的な管理が必要だ」
「気に入ってるだけだろ」
「否定はしない」
それだけ言い残して、シルフィは夕暮れの森へ音もなく消えていった。
扉を閉めて、鍵をかける。
家の中は、また俺一人だけの静かな空間になった。
けれど、昨日の夜に感じたような、森の闇に対する恐怖はもうなかった。
俺は窓際のベッドに腰を下ろし、ぐるりと室内を見回す。
まだ物は少ない。
棚は少し歪んでいる。
段ボールも片づけきれていない。
木くずも残っている。
完璧な部屋とは到底言えないだろう。
それでも、ここはもう、間違いなく俺の城だった。
いや、城というには小さい。
たぶん、世間的には小屋だ。
でも俺にとっては城だ。
風を遮る壁がある。
雨を防ぐ屋根がある。
鍵のかかる扉がある。
そして何より、明日もここで目を覚ましていいと思える、安心できる場所だった。
「……悪くないな」
誰もいない部屋で呟くと、その声は無垢の木の壁に柔らかく吸い込まれた。
異世界に来て、ようやく手に入れた自分だけの空間。
静かで、狭くて、少し不便で、でもとびきり落ち着く場所。
ここから始まるのだ。
俺の、理想の引きこもり生活が。
……たぶん、そんなに平穏にはいかない気もするけれど。
その予感だけは、とりあえず見なかったことにした。
俺は新しいフカフカのベッドへ、ごろんと大の字に寝転がる。
木の天井を見上げながら、今日のところはただ、この家がある幸せだけを全力で味わうことにした。
――異世界ログハウス暮らし一日目は、そんなふうに静かに更けていった。