異世界引きこもり生活 ~引きこもりが異世界転移したらおもしろスキルが手に入ったので異世界でも引きこもり生活楽しみます~   作:とけそうだら

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第九話 続きが気になるエルフ

 引きこもり生活三日目。

 

 その日の夕方、「また返す」と言って去っていったシルフィは、本当に戻ってきた。

 

 しかも、だいぶ早かった。

 

 日が完全に落ちる前。

 

 森の影が長く伸び始め、ログハウスの窓に夕方の赤い光が差し込むころだ。

 

 俺はちょうど、本棚の最後の板をはめ込み、「よし、終わった」と息をついたところだった。

 

 小型の本棚。

 

 収納力はそこそこ。

 

 高さも腰くらいで、ログハウスの壁際に置くにはちょうどいい。

 

 昨日まで床に積まれていた漫画たちが、ようやく正しい居場所を得た。

 

「……いい」

 

 俺は腕を組み、完成した本棚を眺めながら小さく頷いた。

 

 これだ。

 

 部屋には本棚が必要なのだ。

 

 本を床に積むのは敗北である。

 

 本棚に収まった本は、文化になる。

 

 床に積まれた本は、ただの地層になる。

 

 この差は大きい。

 

 などと、ひとりで文化論みたいなことを考えていた、その時だった。

 

 こんこん、と扉が鳴った。

 

 ノックの回数は二回。

 

 妙に遠慮がちで、それでいてリズムは一定。

 

 開ける前から、なんとなく分かった。

 

「……早かったな」

 

 俺が扉越しに言うと、少しだけ間が空いた。

 

「何のことだ」

「いや、三巻を借りに来るのが」

「誰がそんなことを言った」

 

 扉を開けると、シルフィはいつも通りのすました顔で立っていた。

 

 相変わらず、顔だけ見れば冷静そのものだ。

 

 だが、耳がわずかに落ち着かない。

 

 ぴくり。

 

 ぴくり。

 

 こいつ、絶対に気になってたな。

 

「返しに来ただけだ」

「二巻を?」

「そうだ」

「で、三巻もいるんだろ」

「……必要なら借りる」

「必要なんだな」

 

 ぴく、と耳が動いた。

 

 わかりやすい。

 

 顔は無表情なのに、耳がすべてを白状している。

 

 俺は笑いそうになるのをこらえながら、扉を広く開けた。

 

「まあ入れよ。ちょうど本棚もできたし」

「本棚?」

「お前のせいで必要性が増した」

「私のせいにするな」

 

 そう言いながらも、シルフィは素直に中へ入ってきた。

 

 昨日までより、部屋は少しだけ整っている。

 

 窓際にベッド。

 

 壁際に収納箱。

 

 テーブルの横には、作りたての小さな本棚。

 

 そこに並ぶ数冊の漫画が、ログハウスの木の内装と絶妙に噛み合っていない。

 

 異世界の森の小屋に、現代日本の漫画。

 

 合わない。

 

 合わないのだが、俺からするとそのチグハグさが少し好きだった。

 

 この場所が、俺の部屋になりつつある感じがする。

 

「……増えているな」

「本棚が?」

「本もだ」

「文化の拡張だよ」

「嫌な言い方だな」

 

 シルフィはそう呟きながらも、視線はすでに本棚へ向いていた。

 

 完全に獲物を見る目である。

 

 森で獣を見つけた時も、たぶんこういう目をするんだろうな。

 

 ただ、今の獲物は鹿でも兎でもなく、漫画の三巻だ。

 

「ほら」

 

 俺は二巻を受け取り、代わりに三巻を差し出した。

 

「読みたかったんだろ」

「……昨日の最後は卑怯だ」

「どこが」

「なぜ、あそこで終わる」

「そういう商売だからな」

「商売なのか?」

「読者を次へ引っ張るための技術だ」

「性格が悪い」

 

 それは否定できない。

 

 いや、待て。

 

 俺が悪いわけじゃない。

 

 作者と編集の仕事だ。

 

 だが、この世界の誰に説明してもたぶん伝わらないので、俺は適当に頷いておいた。

 

「まあ、続きが気になるってことは、作品の勝ちだな」

「負けた気がして腹立たしい」

「読者はだいたい負けるものだ」

「嫌な遊びだな」

「でも読むんだろ」

「読む」

 

 潔い。

 

 シルフィは立ったまま三巻を開きかけたが、ふと動きを止めた。

 

 視線が、床のクッションへ向く。

 

「座らないのか?」

「……いいのか」

「昨日も言ったろ。一緒に建てた家なんだから、それくらいは」

「妙な理屈だな」

「でも座るんだろ?」

「座る」

 

 即答だった。

 

 俺はクッションをひとつ投げてやる。

 

 シルフィは少しだけ警戒しながら受け取り、窓際の床に腰を下ろした。

 

 森のエルフが、ログハウスの床でクッションに座って漫画を読む。

 

 相変わらず絵面がすごい。

 

 しかも、妙に似合うのが腹立つ。

 

 俺はそんな様子を横目で見ながら、簡単に湯を沸かした。

 

 今日は茶がある。

 

 昨日の交換分だ。

 

 小さな鍋で湯がぽこぽこと音を立て、室内に湯気が広がる。

 

 部屋の中は静かだった。

 

 ページをめくる音。

 

 湯の沸く音。

 

 窓の外で揺れる葉の音。

 

 それだけなのに、不思議と退屈ではなかった。

 

 むしろ、ちょうどいい。

 

 誰かとべったり喋るのは疲れる。

 

 気を遣うし、沈黙が怖い時もある。

 

 だが、同じ空間でそれぞれ好きにしているのは嫌いじゃない。

 

 前の世界でも、こういう距離感の人間関係なら、たぶんもう少し楽だったのかもしれない。

 

 ……まあ、そもそもそんな相手はあまりいなかったけど。

 

「おい」

「ん?」

「この男は、なぜここで嘘をつく」

「どの男だ」

「主人公の友人だ」

「あー……それはたぶん、格好つけたいんだろ」

「面倒だな」

「わかる」

「最初から言えばいい」

「言えないから話になるんだよ」

「非効率だ」

 

 シルフィは心底納得いかない、という顔でページをめくる。

 

 だが読む手は止まらない。

 

 こいつ、物語の“面倒くささ”に対する耐性が低いな。

 

 森で狩りをして暮らしているエルフだから当然かもしれない。

 

 恋愛やら、すれ違いやら、言えない本音やら。

 

 そういう遠回りが、だいぶ不可解に見えるらしい。

 

 俺は茶を二つ淹れ、一つをシルフィの横に置いた。

 

「飲むか」

「……今はいい」

「そこまで集中するか」

「話しかけるな」

 

 ひどい。

 

 貸し主への態度ではない。

 

 だが、読んでいる顔が思ったより真剣で、つい笑ってしまう。

 

 外は少しずつ暗くなり、部屋の中にも影が濃くなっていく。

 

 俺は卓上ライトをつけた。

 

 ぱっと白い光が落ちて、木の壁を柔らかく照らす。

 

 その瞬間、シルフィが顔を上げた。

 

「……また、その火のない明かりか」

「ああ。電気のライト」

「でんき?」

「えーと、火じゃない力で光るやつ」

「……よく分からん」

「俺も細かく説明できるほど詳しくない」

「本当にお前の家は妙なものばかりだな」

 

 シルフィはあっさりそう言うと、また漫画へ視線を戻した。

 

 もう慣れてきたな、この流れ。

 

 現代アイテムに気づく。

 

 理解はしない。

 

 でも便利なら使う。

 

 実に合理的でよろしい。

 

 しばらくして、シルフィはようやく三巻を読み終えた。

 

 ぱたん、と本を閉じる。

 

 沈黙。

 

 俺はその沈黙の意味を、すでに理解していた。

 

 だから先に言った。

 

「四巻もあるぞ」

「貸せ」

「即答だな」

「今の流れで止めるのは卑怯だ」

「だからそういう商売だって」

「嫌いだ」

「でも読むんだろ」

「読む」

 

 強い。

 

 読者として、あまりにも強い。

 

 俺は四巻を差し出しながら、くすりと笑った。

 

「そんなに面白かったか?」

「……絵が多いのに、頭に入ってくる」

「漫画だからな」

「それだけじゃない」

 

 珍しく、シルフィが少しだけ言葉を探すように黙った。

 

「登場人物の顔が見える。動きも分かる。声はないのに、なんとなく聞こえる気がする」

「おお」

「なのに、文字を読む速さで先へ進める。妙だ」

「まあ、そういうメディアだな」

「めでぃあ?」

「文化の入れ物みたいなもん」

「便利な言い回しだな」

 

 だが、その言葉には、少しだけ感心が混じっていた。

 

 俺はなんとなく嬉しくなる。

 

 漫画を読んで「面白い」と言われるのも嬉しい。

 

 でも、「何が面白いのか」を言葉にされるのは、ちょっと別の嬉しさがある。

 

 ただの娯楽だと笑われることも多かった。

 

 前の世界でも、そういう空気は確かにあった。

 

 でも、自分が好きだったものを、まったく別の文化圏の相手が真面目に受け取ってくれるのは、不思議と胸にくる。

 

「……何だ」

「いや」

「気持ち悪い顔をするな」

「人がちょっと感動してたのに」

「感動するところか?」

「するだろ」

 

 俺が抗議すると、シルフィは本を抱えたまま少しだけ視線を逸らした。

 

「……悪くなかった」

「お」

「ただし、続きが気になる作りは腹が立つ」

「それ込みで楽しんでるだろ、お前」

「否定はしない」

 

 今日はやたら素直だな。

 

 やっぱり物語は心を柔らかくするのかもしれない。

 

 もしそうなら、漫画ってすごいな。

 

 いや、元からすごいけど。

 

 その時だった。

 

 窓の外で、ぱき、と小枝を踏む音がした。

 

 俺もシルフィも同時に顔を上げる。

 

「……誰かいるのか?」

 

 俺が小声で言うと、シルフィの表情が一瞬で引き締まった。

 

「動くな」

 

 さっきまでの読書モードとは別人みたいな声だった。

 

 シルフィは本をテーブルに置き、静かに立ち上がる。

 

 足音ひとつ立てず窓へ寄り、外を一瞥したあと、そのまま扉を開けて外へ出た。

 

 俺は慌てて後を追いかけかけて、やめた。

 

 こういう時に俺が出ても、たぶん足手まといだ。

 

 大人しく家の中で待つ。

 

 数秒。

 

 数十秒。

 

 森の空気だけが、しんと張りつめる。

 

 さっきまで心地よかった静けさが、急に別のものに変わる。

 

 誰かがいるかもしれない静けさ。

 

 何かが見ているかもしれない静けさ。

 

 引きこもりにとって、これはだいぶ嫌な静けさだった。

 

 やがて、シルフィが戻ってきた。

 

「何だった?」

「気配だけだ。もういない」

「動物?」

「……たぶん違う」

「え」

「だが、今は追えない」

 

 さらっと怖いことを言うな。

 

 俺の家の近くに、“たぶん違う何か”がいたってことか?

 

 いや待て。

 

 普通に嫌なんだが。

 

 引きこもり生活に監視イベントは求めていない。

 

 俺の不安を読んだのか、シルフィはすぐに続けた。

 

「心配するな。敵意がある気配ではなかった」

「じゃあ何だよ」

「好奇心、だろうな」

 

 好奇心。

 

 その言葉で、俺たちの視線は自然とテーブルの上に集まった。

 

 漫画。

 

 明かり。

 

 見慣れない本棚。

 

 ログハウス。

 

 そして、妙な道具を次々に出す人間。

 

 ……まあ、好奇心は持たれるか。

 

「もしかして」

「たぶん、お前の家が目立ち始めている」

「やめてくれよ……」

「無理だな」

 

 シルフィはきっぱり言った。

 

「森の中で、妙な家が建ち、妙な道具が増え、妙な本まで出てくる。気になる者はいる」

「俺の引きこもり生活、思ったより隠密性が低いな?」

「最初から低い」

「言い方」

 

 くそ。

 

 言い返せない。

 

 俺は頭を抱えたくなったが、同時に少しだけ理解もした。

 

 そりゃそうだ。

 

 何もない森の奥にログハウスが建った。

 

 そこに人間が住み始めた。

 

 しかも見たこともない物を次々出している。

 

 目立つなというほうが無理だった。

 

「……で、どうする」

「どうもしない」

「え?」

「少なくとも今日はな。追えば余計に騒ぎになる」

 

 シルフィは四巻を手に取り、脇に抱えた。

 

「ただし、お前は少しだけ自覚しろ」

「何を」

「お前の家は、もうお前だけの箱ではなくなり始めている」

「その言い方、なんか嫌だな」

「事実だ」

 

 ぐうの音も出ない。

 

 このログハウスは、俺の引きこもりの城になるはずだった。

 

 静かで、閉じていて、必要なものだけがある場所。

 

 だが、いつの間にかそこに本棚が置かれ、エルフが漫画を読み、誰かが外から様子を窺っている。

 

 閉じているようで、少しずつ外と繋がっている。

 

 それはたぶん、悪いことではない。

 

 でも、完全に想定外ではあった。

 

「じゃあ帰る」

「四巻持って?」

「必要だ」

「完全に続き読む気だな」

「お前が貸すと言った」

「いや、言ったけどさ」

 

 理屈は通っている。

 

 俺は観念して扉を開けた。

 

「返しに来る時は、せめて昼間にしてくれよ」

「善処する」

「絶対しないやつだ、それ」

「……気が向けばな」

 

 そう言って、シルフィは珍しくほんの少しだけ笑った。

 

 そのまま森へ消えていく背中を見送り、俺はひとり、扉を閉める。

 

 鍵をかける。

 

 窓も確認する。

 

 部屋はまた静かになった。

 

 けれど、さっきまでとは少しだけ意味の違う静けさだった。

 

 誰かがこの家を気にしている。

 

 たぶん、シルフィ以外にも。

 

 ログハウスの中で一人、俺はテーブルの上に残った一巻から三巻を見た。

 

 漫画は減り、棚は増え、家は少しずつ“人を呼ぶ場所”になっている。

 

「……困るんだけどな、ほんとは」

 

 そう呟いた声は、木の壁に吸い込まれた。

 

 困る。

 

 困るのだが。

 

 もし次に誰かが来るとして、その理由がまた漫画だったら――ほんの少しだけ、面白いかもしれないとも思ってしまう。

 

 引きこもり失格だな、これ。

 

 俺は苦笑しながら、残った巻を本棚へ戻した。

 

 そして次の日の朝。

 

 玄関の前に、見覚えのない森の果実が小さな籠に入れて置かれているのを見て、俺はようやく理解することになる。

 

 俺のログハウスで、“貸本屋みたいな何か”が始まりつつあることを。

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