名探偵コナン Adrestian Empire Police Story 作:アサシン・零
桜の花びらが、春の湿り気を帯びた風に舞い、コンクリートの教場を淡いピンクに染めている。
江戸川コナンは、警視庁の裏庭でふと見上げた桜の木の下で、誰かに教わった「ある男」の物語を静かに口にした。
「……桜を見ると、いつも思い出すんだ。僕がかつて聞いた、ある伝説の刑事たちのことをね」
コナンは小さく息を吐き、視線を遠くへ投げた。
「これは、僕たちの知る警察学校の物語じゃない。遥か彼方、アドラステア帝国のアルタイルシティで起きた、5人の若者の絆の物語……。
そして、梶谷朝陽という男が、かつて
『アレクシヴァルト』と呼ばれていた頃の記録なんだ」
~アドラステア帝国警察学校編 Wild Police Story:黎明編~
ある朝、帝都アルタイルに建つ官舎の一室。
アレクシヴァルトは、静寂の中で目を覚ました。
軍務省政策執行補佐官の息子として育った彼にとって、規律は空気のようなものだったが、この日ばかりは微かに感覚が研ぎ澄まされていた。
「……今日は……警察学校の入学日だったか」
彼は独りごちると、習慣に従い、銀髪の長い髪を丁寧に梳き始めた。
手元には、湯気を立てるブラックコーヒー。苦味と温度が、彼の思考を軍人特有の明晰さへと引き戻す。一口含み、その鋭い瞳を窓の外の、まだどこかよそよそしい帝都の空に向けた。
「すっかり……忘れていた。私としたことが」
自嘲気味に口角を上げたが、その表情には微塵の動揺もなかった。彼にとって「忘却」などという贅沢は許されない。
それが彼という男の、高潔な義務感の表れだったからだ。
彼が足を踏み入れたのは、アドラステア帝国アルタイル州警視庁警察学校。
日本の警視庁警察学校も過酷で知られるが、ここは次元が違った。帝国の治安維持という、大陸全土を覆う巨大な歯車の最前線。脱落は死を意味し、妥協は国家の腐敗に直結する。誰もが息を詰めて歩くその場所は、鋼鉄よりも冷たく、そして厳しい。
日本の警察学校が「育成」の場だとするならば、ここは「選別と精錬」の場だった。
しかし、アレクシヴァルトは、その圧迫感の中でさえ、どこか静かな余裕を纏っていた。
その広大な教場の門をくぐったとき、一人の男が彼を待っていた。
桜並木の先で、誰よりも真っ直ぐに立ち、その眼光で新入生を射抜く男――レオンヴァルト。
「遅いぞ、アレクシヴァルト。……いや、お前がここに来ることは、最初から決まっていたようなものだがな」
佐藤が放つ重厚な威圧感に、他の新入生たちが気圧される中、アレクシヴァルトは優雅に歩みを止めた。
「待たせたな、レオ。……帝国の未来を語るのに、遅刻は似合わないからな」
桜の花びらが、二人の間に舞い落ちる。
桜並木の影が長く伸び、二人の銀髪が春の日差しを反射して、まるで金属の輝きのように揺れた。
アレクシヴァルトの瞳は静かに前を見据えていたが、その奥には血縁であるレオンヴァルトだけが読み取れる微かな動揺があった。
「いや……レオンヴァルト。なんでもないよ」
言葉を濁したアレクシヴァルトに対し、レオンヴァルトはふわりと微笑み、盟友の銀髪にそっと手を伸ばした。
かつて帝国の大学で共に学び、同じ血の系譜を継ぐ者として研鑽を積んだ二人。再会の喜びを噛み締めるように、レオンヴァルトは声音を和らげる。
「まさか……大学以来、アレクに再会できるとは思ってなかったからね」
その言葉に、アレクシヴァルトは少しだけ肩の力を抜いた。しかし、レオンヴァルトは鋭い眼光でアレクの表情を観察し、いたずらっぽく問いかける。
「ねえ……アレクは……まだ……緊張している?」
アレクシヴァルトは観念したように短く息を吐き、静かに答えた。
「緊張していないわけないよ。君と私は遠縁の血縁関係でもあるしね。この過酷な警察学校で、かつての学友であり、同じ血を分かつ君と肩を並べる……それが何を意味するか、君だってわかっているだろう」
「まあ、銀髪も赤眼も同じなのは……大学時代から知っていたからね。互いに『帝国の双璧』なんて揶揄されたものだ」
レオンヴァルトは肩をすくめ、話題をすり替えるようにニヤリと笑った。
「そういえば……君の彼女だけど?」
ア
レクシヴァルトは、呆れたように、しかし確かな温もりを含んだ声で即答する。
「もう婚約者なんだが。彼女は検察学校だよ。……というか君の婚約者も、今頃検察学校で厳しい実務を学んでいるんじゃないかい?」
その指摘に、レオンヴァルトは一瞬きょとんとした後、心底納得したように空を見上げた。
「確かに……それもそうだな。僕らも彼女たちも、結局は帝国の法と秩序を守るための道を歩むことには変わりないか」
桜の木の下、運命に導かれるようにして三人の銀髪が集う。
かつての大学の学友であり、帝国のエリート街道を歩む彼らの会話は、春の陽気とは裏腹に、帝国と日本、そして魂の在り処を巡る冷徹な認識で満ちていた。
「おや……クリスも来ていたのか」
アレクシヴァルトの言葉に、クリスハルトヴァルトは呆れたような笑みを浮かべ、あえて少し毒を含んだ軽口を叩く。
「当然ですよ、アレクさん。私がいなければ、あなたは何一つ管理できないでしょうに」
「フッ……違いないか。言っておくが、この教場の班長でもあるんだからな、私」
アレクシヴァルトが冗談めかして班長としての立場を口にする。三人の視線は、校門の向こう側――帝国が抱える混沌とした極東の火種、日本へと向けられた。
「そういえば、クリスハルトヴァルトも警察官志望だったな」
「ええ……ただちょっと、私的な『諸事情』がありましてね。今はまだ話せませんが」
クリスハルトヴァルトの瞳に、深い影が過る。アレクシヴァルトはそれを追及せず、代わりに日本という存在が帝国にもたらしている軋轢へと話題を転じた。
「無理はするな。……なんせ、おまえの親たちは、日本人による――」
その言葉を継いだのはレオンヴァルトだった。冷ややかな声で現状を射抜く。
「ええ。日本人による犯罪の被害、最近増えましたよね。帝国全体が彼らの動向に神経を尖らせている」
「向こうが『移民、移民』と自らの苦境を訴えたとしても、こちらからすればその日本人によって日常が脅かされているのも事実だ。……まったく、複雑な話だ」
アレクシヴァルトの独白に、クリスハルトヴァルトが吐き捨てるように呟いた。
「……非国民が」
「日本の行く末を本気で案じるなら、あの時、無条件降伏など蹴るべきだったのにな」
レオンヴァルトの言葉に、アレクシヴァルトは帝国の軍務官僚らしい、俯瞰した眼差しで現状を定義する。
「ああ。今の日本は米国、露国、中国、そして欧州や東亜、中東に至るまで、世界中の利害の板挟みだ。彼ら自身の立場というものが、本当に理解できているのか疑わしい」
「立場か……」
レオンハルトヴァルトは鼻で笑った。
「戦うか、あるいは死してソブンガルデへ至り、古の戦士たちと永遠の宴に身を投じるか。その二択しかないというのに、今の彼らにはその覚悟すら欠けている」
クリスハルトヴァルトが皮肉げに口元を歪める。
「レオン、彼らにとっては『ニブルヘイム』へ送られなかったことだけが、唯一の正解だったのかもしれませんね」
アレクシヴァルトは、空を見上げて乾いた笑い声を漏らした。
「全くだ。今頃ヴァルハラで、先に眠るデンマーク人やノルウェー人の戦士たちに対し、無謀な銃剣突撃や万歳突撃を繰り返しては、彼らを呆れさせ困惑させているに違いないよ」
「フッ……確かに」
クリスハルトヴァルトの短い同意が、春の冷たい風に溶けて消えた。
アレクシヴァルト、クリスハルトヴァルト、レオンヴァルト。
アドラステア帝国の警察学校という「規律」の場にいながら、彼らの視線は常に、混乱の極致にある極東の島国・日本へと向けられていた。
コナンは物語る。彼らの冷徹な分析が、単なる政治談義ではなく、法治国家の根幹を揺るがす危機への「警鐘」であったことを。
「ところで……日本のこの『参政党』とはなんだ? クリス……」
アレクシヴァルトがふと問いかけたその先には、混乱する日本の政治状況があった。
クリスヴァルトは冷めた瞳で、手元に届いていた情報を切り捨てるように言った。
「なんでも、『日本人のため』などと言っていますがね。代表の神谷氏の知識たるや、誤謬だらけで……。あんなものが国民を先導している現状を見るに、もはや日本という国は、国家としての理性そのものが損なわれているのかと」
「社会科の教師が、歴史や法を誤った知識で教授する。それが日本の教育の末端なら、次代を担うはずの若者たちの知識がどれほど歪められているか……。日本の知識人層が機能していない証拠だな」
レオンヴァルトの嘆きに、アレクシヴァルトは銀髪を風に揺らしながら、乾いた笑みを浮かべた。
「まぁ、あの参政党という組織が『ヤバい』連中の集まりだとしたら……そもそも今の日本人は全員がヤバい奴らだがな」
「ですよねー」と、クリスヴァルトは呆れ果てた溜息をつく。「私もツッコミたいことが山積みです。特に、彼らが掲げる憲法案……あれは致命的です」
「なぜですか?」と問うレオンヴァルトに、アレクシヴァルトは警察学校の教官顔負けの鋭い眼光で答えた。
「レオン、まだ分からないのか? 彼らの憲法案は『創憲』だ。『改憲』や『護憲』ではない。憲法を新しく作り直すなどという狂気の沙汰を、今の日本がやれるはずがないのだ」
「憲法というのは法治国家の土台です。そこを一から変えるとなれば、当然、刑法や民法、それに連なる全体系を書き換えなければならない。国家という巨大な構造を、基礎工事から壊して建て直すなど、平時でも無理な話だ。ましてや……今の日本の権威では...」
クリスハルトヴァルトの指摘に、アレクシヴァルトはかつての皇室の系譜を思い出すように、遠い目をした。
「抜かったな、日本人。桓武天皇や嵯峨天皇、あるいは清和天皇の時代……あの頃の日本は、律令という名の法が血肉となって国家を支えていた。まさに国がしっかりしていた時代だ」
「やっぱり……どれだけ高貴な天皇であっても、法は絶対ですからね。法なき天皇に統治する資格なし、というのが僕らの帝国、そして歴史の教訓だ」
レオンヴァルトの言葉を受け、アレクシヴァルトは重々しく口を開いた。
「私達の帝国における皇帝家も、法の下の権威という点では同じだ。だが日本の場合は、ここ数百年でその法への敬意が衰退しきった。……残念で、無念でならない。法を知らぬ国家に、繁栄などありえないのだからな」
桜並木を通り抜ける風が、少しだけ冷たさを増した気がした。警察学校の教場という、国家の規律を学ぶ聖域で、三人の若き精鋭たちは日本という国の「死にゆく姿」を冷静に解剖していた。
「しかもここが……極めて重要なんだが」
アレクシヴァルトの声には、軍務省政策執行補佐官の息子としての、研ぎ澄まされた警戒心が宿っていた。
「日本のあの参政党は……『国民の手で一から作る創憲』と言った。手続きの厳密さも、過去の法制度との連続性も、その重要性を理解していない証左だ」
「曖昧だなあ……」とクリスハルトヴァルトは呆れ顔で吐き捨てた。「どうもきな臭い。法を『作る』という行為を、まるで子供の遊びか、あるいは無責任な理想論のように語っている」
レオンハルトヴァルトは冷めた瞳で空を仰いだ。
「まあ、権力を欲する連中というのは……何も失うことがない。いや、何かを失う覚悟でさえ持ち合わせていないからな。特に今の日本は、耳触りのいい言葉ばかりを並べ立て、その裏側にある責任の重さから逃げ続けている」
アレクシヴァルトは、腕を組みながら冷徹に指摘した。
「日本の場合だと、弁護士や検事、裁判官といった法の専門家を――あの組織は――使わないのか? いや、そもそも『法家』という概念自体を軽視している。国家の背骨である法を、専門家を排除して素人たちが作ろうなど、正気の沙汰ではない」
「まあ、かつて銃剣突撃を組織的に敢行したような国だ。ますます頭がイカれていると言わざるを得ない。……ほんの少しばかり、期待した僕たちが馬鹿だったようだな」
クリスヴァルトの辛辣な言葉に、レオンヴァルトは静かに頷き、話題をより深い「衰退の歴史」へと向けた。
「しかし……日本は急激に衰退しましたね。まるで最初からそうなることが決まっていたかのように」
アレクシヴァルトは、遠く離れた極東の島国に想いを馳せ、悲痛な響きを帯びた声で言った。
「高度成長期やバブルなど……結局は海の泡、あるいは波のように一瞬で消えてしまう幻影に過ぎなかったんだ。実体なき繁栄など、長続きするはずがない」
「大東亜戦争を始めてから、日本という国の歯車は狂い続けた。そこから先は、ただの緩やかな自殺行進だったのかもしれないな」
クリスハルトヴァルトの鋭い指摘に、レオンヴァルトは言葉を継ぐ。
「しかも、今度はバブルが崩壊し、加速的な衰退か。これは、いよいよ滅亡の足音が聞こえてきてもおかしくないレベルだ」
アレクシヴァルトは、自身の血筋である知的な重厚さを滲ませ、結論を口にした。
「民族学の博士である母方の伯父上に聞いた話だが……日本がこれほどまでに急激に衰退した本質的な原因は、外部の圧力ではなく、日本人自身にあるそうだ。他者のせいにし、自らの内なる腐敗を見ないふりをする。その民族的な特性こそが、崩壊の主因だと」
「まあ……日本という国は、少なくとも民主主義というシステムには適合できなかったのでしょうね」
レオンヴァルトの言葉に、三人は同時に無言になった。
それは冷徹な断罪であり、かつて栄光の歴史を持った国家に対する、彼らなりの哀悼でもあった。
桜の木の下、三人の銀髪の若者は、もはや警察学校の教官すら立ち入ることのできない歴史の深淵へと足を踏み入れていた。
かつての帝国での学びと、今の日本の迷走。それは彼らにとって、単なる他国の政治状況ではなく、世界秩序が崩壊へと向かう予兆そのものだった。
アレクシヴァルトは、冷めたコーヒーを飲み干し、静かに問いかける。
「そうだな……参政党の騒ぎよりも、かつての民主党政権時代を、日本人はもう忘れてしまったのか? あの混沌の記憶を」
クリスハルトヴァルトは冷笑する。
「多分、忘れているだろうよ。影も薄かったしな……民主党だの、民進党だの。歴史の教科書に一瞬だけ現れて消えるエラーのようなものだ」
レオンヴァルトは、記憶を辿るように視線を落とした。
「そもそも私たちが帝国で学んだ知識によれば……民主党というのは、官僚を蛇蝎の如く嫌い、遠ざけ、その身一つで政治を主導したかったはずだ。結果として何が起きたか……。専門家を排し、現場を理解せぬまま『政治主導』を掲げた末路は、無惨なものだった」
「今の立憲(立憲民主党)だの国民(国民民主党)だのはどうなるか分からんが」とクリスハルトヴァルトが割って入る。
「少なくとも、あの時掲げた高速道路無料化にしろ、その他のマニフェストにしろ、霧のように消えてしまった。彼らにとって公約とは、実現するための約束ではなく、ただ選ばれるための甘言だったんだろう」
アレクシヴァルトは、銀髪を整えながら、歴史の重みを口にした。
「まあ、当時バブルを崩壊させたのは実質的に自由民主党の長きにわたる慢心だ。当時の絶望した若者たちが、藁にもすがる思いで民主党という『毒』を選びたがった心理は理解できる。選択肢が毒しかなければ、誰だって新しい毒を試したくなるものだからな」
「まあ、そうですよね」レオンヴァルトが頷く。「金が無くなれば銀行に駆け込むように、追い詰められれば誰でもいいから救済を求める。自民党のツメが甘かったのも事実だが、民主党のツメの甘さはそれ以上だった。結局、どちらも日本の未来に対して無責任だったということですよ」
アレクシヴァルトは遠く、極東の島国を見つめるように深く溜息をついた。
「結局、日本人と日本という国は、一体全体何をやりたいんだと、ツッコミたくなる。……だが、その滑稽なまでの迷走っぷり、嫌いではない。彼らなりに必死に『別の何か』を探し続けている証拠だからな」
彼は一瞬、険しい表情を見せた。
「ただ……その迷走の果てに、日本が完全に滅亡してしまったらどうなるか。それは米国と露国の直接的な核戦争のトリガーになりかねない。アジアの真空地帯は、世界を焼き尽くす燃料になるのだからな」
桜並木の下を歩む三人の銀髪の若者は、その背負った血筋ゆえの「特権的な視座」から、淡々と、しかし残酷なほど冷徹に、一国の終焉を予測していた。彼らの会話には、同情も熱狂もない。
あるのは、巨大なシステムを管理する者特有の、数式を解くような静寂だけだ。
「父が軍務省政策執行補佐官、母が教務省文部科学局局長……。まあ、その血のおかげで、少なくとも物事の『裏側』を幼少期から学べたのは幸いだったよ」
アレクシヴァルトが呟くと、レオンヴァルトが続く。
「それを言うなら私も……法務庁長官の父と、元女性警察庁長官の母を持つ息子だ。法と治安、その二つの鎖が私の人格形成の根底にある(2人とも既に故人だけどね...)」
「それを言えば、私の父は内務省農林水産局局長、母は経済産業局の局長。食と経済という国家の血管を管理する両親の下で育った」
クリスハルトヴァルトの言葉に、三人は互いの出自を確認し合うように視線を交わした。
彼らは帝国のエリートではなく、帝国の「中枢そのもの」が結晶化した存在だった。
「ところで……日本がいつ滅亡するか、賭けてみるか?」
アレクシヴァルトの問いかけは、あまりに不穏で、そして唐突だった。しかし、他の二人は顔色一つ変えずに自らの予測を提示する。
「そうですね……。私が長く見積もっても、2236年には日本という国家は実質的に消滅しますね」
「私も……2243年が限界でしょう。その頃には、日本という概念自体が歴史の墓標に刻まれているはずだ」
アレクシヴァルトは、少しだけ思案するように空を見上げた。
「私はもう少し早い、2195年あたりと見ている。衰退の加速度は、一度閾値を超えると指数関数的に増大するからな」
クリスハルトヴァルトは、まるで執刀医が手術計画を練るかのような口調で言った。
「いずれにせよ、国家という身体を内臓だと思えばいい。そこにメスや鉗子を入れ、病巣を摘出しなければ、外科手術は不可能です。……今の日本は、麻酔も打たれず、ただ壊死を待っている状態ですよ」
レオンヴァルトが、興味深そうに首を傾げた。
「しかし、中国や米国、あるいは露国が日本列島を奪ったとして……それはそれで、彼らにとって特に価値があるものなのだろうか?」
アレクシヴァルトは、冷酷なまでにその地政学的価値を断じた。
「いいや。米国には、いざという時に『皇室復活』というカードがある。支配の正統性を利用するには最適だ。だが、露国や中国が奪えば、そこはただの軍事的な領土になる。まあ、あまり期待はしないほうがいい。日本自身にも期待していないし、彼らが列島を統治したところで、期待するような変革も起きないだろう。ただの『場所』が変わるだけだ」
クリスハルトヴァルトは、桜の花びらの一枚を指先で弾きながら、歴史の重みを口にした。
「まあ、どの国も、どの王朝も、永遠に生き続けることなどできません。ローマ帝国ですら、神聖ローマとビザンツに引き裂かれる過程で、かつての姿は滅亡したのですから。……日本も、ただその長い歴史の列に並ぶだけのことです」
桜並木の木漏れ日が、三人の銀髪の影を細長く引き伸ばしていく。彼らの会話は、もはや警察学校の敷地内にあるとは到底思えないほど、冷徹な文化人類学的観察へと滑り込んでいた。
「でも日本人って、責任転嫁のスキルだけは異常に高いですよね?」
レオンヴァルトの問いかけに、クリスハルトヴァルトは冷笑を浮かべる。
「ああ。日本人のすべてを否定するつもりはないが、こちらの正論を突きつけると、途端に全員がぺちゃくちゃと騒ぎ立てて論点をぼかす。責任の所在を不明確にすることにかけては、世界屈指の熟練度だ」
アレクシヴァルトは、どこか遠いフィクションの世界を思い出すように、呆れた溜息をついた。
「……どこぞの日本製アニメの犯罪者が、『計画通り』と嘯きながら多数の犯罪を成功させておきながら、いざ最終的に追い詰められた途端、部下に責任を丸投げし、最後は拳銃で惨めに撃ち抜かれていたな。あの結末こそが、日本人が心の奥底で抱える『責任からの逃走』の究極の投影のように見える」
「そう思うと……」とクリスハルトヴァルトが呟く。「日本人は自分たちの姿を、鏡越しにどんな風に見ているんでしょうね? あれほど自己を正当化する術に長けているのに」
「他国よりは、少なくとも自国を上位に置こうとするバイアスは強いだろうな」とレオンヴァルトが分析する。「客観的な経済指標や社会の閉塞感は無視して、精神的な優越感だけを拠り所にしている」
アレクシヴァルトは、ふと日本食の話を切り出した。
「あれらの食文化も理解に苦しむ。納豆だのオクラだの、我々の感覚では吐き気を催すようなネバネバしたものを、彼らは『健康』という大義名分だけで、平気な顔をして食べやがる。生理的な嫌悪すらも合理化してしまう……それが彼らの生存戦略なのかもしれんが」
「あと、『日本製だからゲームは素晴らしい』『日本製だからアニメは素晴らしい』という、根拠なき神話も厄介ですね」レオンヴァルトが付け加える。「品質や物語の構造を客観的に評価せず、産地というラベルだけで崇拝する。そんなものは現実ではないのに」
クリスハルトヴァルトは、冷酷なまでに簡潔にその本質を言い当てた。
「それは、努力の方向性の違いというより、現実逃避の精巧さの違いでしょう。……彼らは、自分たちが作った幻想という檻の中で、一生懸命に踊っているだけなのですから」