タイタスが書斎で本を読んでいると、玄関の扉を叩く音が響いた。
「タイタス、遊びに来たわよ」
聞き慣れた声に、タイタスは本を閉じて立ち上がる。
「アミア様!よく来てくれた」
扉を開けると、そこにはいつものように明るく笑うアミアの姿があった。
「こんにちは、タイタス。カルディアはいる?」
アミアがそう言った瞬間、タイタスの後ろから小さな顔が覗いた。
「アミア」
「こんにちは、カルディア」
呼ばれたカルディアは、少しだけ迷うように視線を揺らした。
けれど、以前ジョーニアスと初めて会った時とは違う。
警戒するように身構えることもなく、小さく手を上げた。
「こんにちは」
「ふふ、今日はちゃんと挨拶してくれたわね」
アミアが笑顔で手を振る。
カルディアの肩から、ほんの少しだけ力が抜けた。
タイタスはその様子を見て、静かに微笑んだ。
カルディアがU-40へ来てから、まだそれほど長い時間は経っていない。
それでも、少しずつ変わってきている。
最初は様子を見に来たエレクやロト達を警戒して、タイタスの傍から離れようとしなかった。
しかし最近では、アミアが訪ねてくることを知ると、少しだけ嬉しそうな顔をするようになっていた。
「今日は何をするの?」
カルディアが尋ねる。
「それは秘密」
「……秘密?」
「ええ。でも、勉強じゃないわ」
カルディアの目が僅かに輝いた。
「遊ぶの?」
「そうよ」
「……何して遊ぶの?」
アミアは笑った。
「それは外へ出てからのお楽しみ」
「うん」
カルディアは素直に頷いた。
それを見ていたタイタスが口を挟む。
「カルディア、昨日の歴史書は読み終わったのか?」
「まだ」
「では帰ってきたら……」
「タイタス」
アミアが呆れたような声を出す。
「今日は私が預かるわ」
「む?」
「この子、毎日勉強しているでしょう?」
「それは本人が望んで……」
「だから今日は遊ぶの」
タイタスは少し考えた後、カルディアを見る。
彼女はアミアを見上げていた。
その表情には、僅かな期待が浮かんでいる。
「……分かりました」
「やった!」
アミアが笑う。
カルディアも小さく笑った。
「じゃあ、行きましょう」
「うん」
二人は手を繋いで家を出ていった。
タイタスは玄関先でその背中を見送る。
「……すっかり仲良くなったものだ」
そう呟くと、タイタスは小さく笑った。
しばらく歩くと、二人の前に広い花畑が現れた。
一面に色とりどりの花が咲いており、風が吹くたび、花々が一斉に揺れた。
カルディアは思わず足を止める。
「……きれい」
「でしょう?」
アミアは嬉しそうに笑った。
「ここ、私のお気に入りなの」
カルディアは周囲を見回す。
赤、青、黄色、白。
ブラッド星で見た植物とは、どこか違っていた。
「これ、何?」
「それはね……」
アミアが花の名前を教える。
カルディアは一つ一つ覚えようとするように、花を見つめていた。
「じゃあ、あれは?」
「あれは薬草よ」
「食べられる?」
「少しならね」
「じゃあ、これは?」
「それは食べちゃ駄目」
「どうして?」
「毒があるから」
「毒……」
カルディアは興味深そうに花を見つめる。
「焼けば?」
「……どうしてそんなことを知っているの?」
「お兄ちゃんに教えてもらった」
アミアは一瞬だけ言葉を失った。
エボルトから、そんなことまで教えられていたのか。
しかし、カルディアにとっては当たり前の知識なのだろう。アミアは苦笑しながら、
「そう……でも、知らない植物は勝手に食べちゃ駄目よ」
「分かった」
カルディアは素直に頷いた。
その時だった。
「……あら」
アミアが空を見上げた。
一本の木の枝に、小さな鳥が止まっていた。
青と白の羽を持った、とても綺麗な鳥だった。
「見て、カルディア」
「ん?」
「あそこ」
アミアが指を差すと、カルディアも空を見上げた。
「鳥?」
「ええ、綺麗でしょう?」
アミアは鳥を眺めながら、優しく微笑んでいる。
カルディアはしばらくアミアの横顔を見つめた。
そして、鳥を見るて、もう一度アミアを見る。
「……アミア」
「なに?」
「あれ、欲しいの?」
「え?」
アミアが目を丸くする。
「どうして?」
「ずっと見てるから」
「ああ……」
アミアは少し困ったように笑った。
「欲しいんじゃないわ。綺麗だから見ているの」
「……?」
カルディアは首を傾げた。
理解できない、アミアは鳥を欲しがっている。
だから、あの鳥を捕まえてあげれば喜ぶ。
カルディアにとって、それは自然な考えだった。
「じゃあ、捕まえてあげる」
「え?」
カルディアが右手を掲げると、指先に紅い光が集まった。
「ちょ、ちょっとカルディア?」
「大丈夫、殺さないから」
「そ、そういう問題じゃ……!」
カルディアが光弾を放つ。
パシュッ!
光弾は鳥のすぐ横を掠め、背後の枝を吹き飛ばした。
「ピィッ!」
鳥が驚いて飛び去っていく。
「カルディア!」
アミアは慌ててカルディアの腕を掴んだ。
カルディアはきょとんとしてアミアを見る。
「……?」
「駄目よ!」
「なんで?」
「鳥さんを撃ったら危ないでしょう!」
「でも、アミアが欲しいんでしょ?」
「違うの!」
「……?」
カルディアは本当に分からないという顔をしている。
アミアは一度深呼吸した。
「カルディアは、あの鳥を捕まえたらどうするつもりだったの?」
「アミアにあげる」
「私に?」
「うん」
カルディアは当然のように答えた。
「欲しいんでしょ?」
アミアはカルディアの顔を見つめる。
悪意など微塵もない。
ただ、喜ばせたかっただけなのだ。
「……ありがとう」
「?」
「私のために捕まえようとしてくれたんでしょう?」
「うん」
「でもね、鳥さんは捕まえなくてもいいの」
「どうして?」
「だって、あの子はあそこで自由に飛んでいるでしょう?」
アミアが空を指差す。
鳥は木々の間を飛び、遠くへ消えていく。
「綺麗なものを見たからって、必ず手に入れなくてもいいの」
「……」
「こうして眺めているだけでも、十分素敵でしょう?」
カルディアは空を見上げる。
鳥の姿はもう見えない。
「……変なの」
「そうかもしれないわね」
アミアは笑った。
カルディアは少しだけ考える。
「じゃあ、アミアは鳥が欲しくないの?」
「ええ」
「綺麗なのに?」
「綺麗だからこそ、自由にしておきたいの」
「……」
カルディアは黙り込んだ。
やがて、小さな声で尋ねる。
「……私、まちがえた?」
「大丈夫よ、今回の事で学んだでしょう?」
「……うん」
アミアはしゃがみ込み、カルディアと目線を合わせる。
「知らなかったなら、これから覚えればいいのよ」
「怒ってない?」
「怒ってないわ」
「……ほんと?」
「本当よ」
アミアはカルディアの頭を優しく撫でた。
「カルディアは、私を喜ばせたかったんでしょう?」
「うん」
「だったら、ありがとう」
カルディアは少しだけ目を伏せた。
「……うん」
それから空を見上げる。
「鳥は……あそこにいるのがいい?」
「ええ」
「分かった」
カルディアは頷いた。
その表情には、先ほどまでとは違う何かがあった。
「それじゃあ、気を取り直して!」
アミアは明るい声を出してカルディアと手を繋ぎ、花畑へ歩いていく。
「今日は良いものを作りましょう」
「何を?」
「花冠よ」
「花冠?」
「そう」
アミアはしゃがみ込み、小さな花を摘む。
「こうやって花を編んでいくの」
花の茎を一本ずつ組み合わせ、少しずつ輪を作っていく。
カルディアは興味津々にその手元を見つめていた。
「……どうして花?」
「綺麗だから」
「ふぅん……」
「やってみる?」
「うん」
アミアから花を受け取り、小さな手で編み始める。
しかし、なかなか上手くいかない。
茎がほどけたり、花が抜ける。
カルディアの眉間に皺が寄った。
「……できない」
「大丈夫。ゆっくりでいいの」
アミアが手を添える。
「ここをこうして……」
「こう?」
「そうそう」
もう一度、また失敗しても、もう一度。
何度も失敗しながら、少しずつ形になっていく。
「できた……」
暫くして、小さな花冠が完成した。
カルディアはそれをじっと見つめる。
「上手よ!」
アミアが拍手する。
カルディアは驚いたように目を瞬かせ、それから、少しだけ嬉しそうに笑う。
「……これ、アミアにあげる」
「え?」
アミアが目を丸くする。
「私に?」
「うん」
カルディアは花冠を差し出す。
「アミア、花が好きだから」
アミアはその言葉を聞いて、胸が温かくなるのを感じた。
先ほど鳥を捕まえようとした少女が、今度は自分の手で作ったものを差し出している。
「ありがとう」
アミアは花冠を受け取った。
「とても嬉しいわ」
「……ほんと?」
「本当よ」
カルディアは嬉しそうに笑った。
「じゃあ、もう一個作る」
「ええ」
「今度は私の」
「ふふ、そうしましょう」
二人は並んで花を編み始めた。
日が傾き始めた頃、家へ戻るとタイタスが玄関で出迎えた。
「おかえり」
「ただいま、タイタス」
アミアの後ろからカルディアが顔を覗かせる。
その頭には、小さな花冠が乗っていおり、髪も綺麗に編み込まれている。
タイタスは思わず目を丸くした。
「その髪型は……」
「アミアがやった」
カルディアは少しだけ誇らしげに答えた。
「そうか」
タイタスはしゃがみ込み、花冠を壊さないように気をつけながらカルディアの頭を撫でる。
「とてもよく似合っている」
「……そう?」
「ああ」
カルディアは花冠へそっと触れると、嬉しそうに目を細めた。
「今日は何をしていたんだ?」
「花冠を作ったの」
アミアが答える。
「カルディアが私に作ってくれたのよ」
「それは素敵だ」
タイタスはカルディアを見る。
「自分から贈ったのか?」
「うん」
「そうか」
タイタスは優しく笑った。
「良い事をしたな」
その言葉に、カルディアは少しだけ照れたように顔を伏せる。
その日の夕食はいつもより賑やかだった。
夕食を終える頃には、カルディアの瞼は重くなっていた。
椅子に座ったまま、こくり、こくりと頭が揺れる。
「眠いのか?」
「……ねむくない」
明らかに眠そうな声に、アミアが笑う。
「眠いんでしょう?」
「……まだ」
カルディアは目を擦ろうとして、途中で手を止めた。
タイタスはそんな彼女の前へ歩み寄る。
「おいで」
カルディアは素直に立ち上がった。
そして、とことこと歩いていき、タイタスに抱き上げられる。
腕の中へ収まると、すぐに力を抜いた。
「今日はたくさん遊んだものね」
アミアが小さく呟く。
タイタスはカルディアの背中をゆっくり撫で初めてると、徐々にカルディアの瞼が閉じていく。
暫くすると、穏やかな寝息が聞こえてくる。
「眠ったわね」
「ああ」
二人は静かにカルディアを見つめた。
「最近、よく笑うようになったわね」
アミアが言うと、タイタスはゆっくり頷いた。
「最初に会った時より、ずっと表情が柔らかくなった」
初めて出会った頃、カルディアはただ兄を探していた。
知らない星、知らない人々。
そして、自分を置いて去っていった兄、あの時の彼女は不安でいっぱいだった、それが今では。
「……タイタス」
「何だ?」
「この子、あなたのことを本当のお兄ちゃんだと思っているんじゃないかしら」
タイタスは少し驚いたように目を見開くと、眠っているカルディアを見る。
少女は何も知らず、安心しきった表情で眠っている。
「……そうだったなら」
タイタスは小さく笑った。
「私は嬉しいよ」
アミアも微笑む。
「きっと大丈夫よ」
「……ああ」
「タイタスが傍にいるもの」
タイタスは答えなかった。
ただ、眠るカルディアの髪をそっと撫でる。
「知ることも」
静かな声が部屋に落ちる。
「遊ぶことも」
もう一度、優しく撫でる。
「笑うことも」
そして。
「この子には、まだまだたくさん経験してほしい」
カルディアは眠ったまま、小さく身じろぎしてタイタスの胸元へ、さらに身体を寄せる。
「……ああ」
タイタスは静かに微笑む。
その夜、U-40の小さな家で少女は穏やかな夢を見ていた。
もう、知らない星に連れてこられた少女ではない。
タイタスと暮らし、アミア達と遊び。
少しずつ、この星で生きることを覚え始めた。
そしてその小さな変化は、いつか彼女自身の「誰かを守りたい」という心にも繋がっていく。
花冠は、少女の頭の上で静かに揺れていた。
この幸せは次回で終わります。