無題   作:MONO_

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無題

「カップラーメンの麺が伸びてる」

 数秒前に部屋に入ってきた助手が私の後方の机に置かれた、発泡スチロールのカップに入ったブヨブヨした小麦粉の塊をそう評した。

 ふとPCの片隅にある時計を見ると、お湯を入れてから3時間以上経過している。今更の様に空腹を思い出した。

 回転式の椅子を回して振り返りつつ、手のひらが外を向くように手を組んで大きく伸びをした。頭上で指の関節が乾いた音を立てる。

 序とばかりに顎を手で押さえつつ大きく首を捻ると、今度は濁った音が首からする。

「それ、やめたほうが良いですよ?」

 その様子を見ていた助手が、私を諌めた。

「関節が変形するって、何かで読みました。」

 そのまま、何処か眉唾臭い知識を私に披露する。その説を否定ないし肯定する知識を私は持ち合わせていないが、どちらにしてもこの行為をやめることはないだろうな。と、心の隅で思った。

 大げさな表現をするなら煙草みたいなものだ。健康には悪いが、やめたときのストレスもまた健康に悪い。これは関節を鳴らす癖を持った人でなければ解らないだろうが、関節を鳴らさずにいると関節に澱のようなものが溜まっている気がして気持ちが悪い。鳴らすとそれが取れて気持ちがいいのだ。

 勿論、それをし続けるのと今やめるのと、どちらの方が健康に対するリスクが少ないのかを真面目に検証すればどちらかに軍配が上がるのだろうが、別にそこまで興味があるわけじゃない。

「ところで、昼食は摂られましたか?」

 再び助手が口を開く。どうやら先刻の注意じみたものに深い意味は無いらしい。

「いや、昼食として用意したカップ麺がそこで伸びている事から解る通りだ。」

 お湯を入れた後の5分間がもったいなくて作業を開始したのが悪かったのだろう。

「だと思いました。今作りますから待っていてください。」

 助手が台所に向かう。今気付いたが、手にスーパーマーケットのビニール袋を提げていた。道中で壁に下げていたエプロンを手に取り手際よく身に付ける。

 袋からは、キャベツなどの葉野菜と1枚肉。何故か大根も出てきた。

「一体今日の晩飯は何だ?」

 内容の想像が全くつかない。そもそも料理をしない私には、食材から完成形を想像することは難しい。

「サラダとステーキです。調味料の類はここにあるものを使います。」

 ということは、「大根はサラダに入るのか?」

「いいえ、おろして和風のソースにしようかと。」

 成程。「それは良いな。」

 最近は歳の所為か脂っこい物が苦手になってきているので、そういったものをあっさりと頂ける和風ソースの存在は大変ありがたい。

「所で、ここ最近メニューが和風よりなのはどうしたんだ?」

 食事の用意を待つ間に、食卓の上を片付けるのは最早私の担当となっていた。ラーメンと形容することすらはばかられるそれを、流しの三角コーナーにあけてから、捨てる。テーブルの上を台布巾でおざなりに拭いた。

「最近良質なレシピが手に入ったんです。母国の料理は懐かしいかと思いまして。」

 こちらを振り向く事無く、助手が答える。

 成程、私への気遣いと言うわけだ。

「そうか、ありがとう。」

 素直に感謝の言葉を述べておく。実際、こちらに来てから私は明らかに太ったし、肉類と脂中心の食生活も、ゆったりとだが私を飽きさせていった。

 ここ最近の偏りは特に顕著だったが、思い返してみれば何年か前から徐々に和食の割合が増えていたような気もする。

 そういえば、一番最初に辛くて飲めない味噌汁が出てきたのは忘れもしない、4年前の誕生日だった。

 だとすれば、彼女はそのときから私に対する気遣いを継続してきたことになる。中々の忍耐強さだ。

 特に数年前、日本が財政難に端を発するハイパーインフレーションで経済的に吹き飛んで以降、その手の情報を入手するのは難しくなっていた筈だ。

 21世紀初頭からの情報化社会で、文化は急速に拡散、合同を繰り返した。結局特定の国が保持していた文化を単体で楽しむ事は徐々に困難になっていったのだが、食事などはその最たる例だった。

 今や、特定の食文化に根ざした食事のレシピを入手する事は非常に困難になっている。それが最早存在しない国のものとなれば尚更に。日本人が管理していたサーバーが根こそぎ飛んだのが痛かった。

 勿論、和食なら和食也に行けばその店秘伝の和食レシピで作った食事を提供してもらえるが、割高になる。

 不意に、室内をファンの回り始める音が満たす。音の原因は、この部屋の実に半分を占領する巨大な立方半導体回路コンピュータで、その回路を冷却する為に儲けられたエアインテークの吸気口に儲けられた空冷ファンだ。

 直ぐに静かになったその音の直後、私が作業に使っていたのとはまったく別のディスプレイに電源が入り、人の顔が映し出される。

「おはようございます、博士。」

 男性にも、女性にも、見えるその顔は、これまたどちらにも聞こえる声でそういった。

「おはよう、アマノ。」

 その後、台所で料理をする助手に気付いたアマノは、ディスプレイの中で態々彼女へ顔を向けてから、「ああ、いらしてたんですね、ナタリアさん。」と、挨拶をした。

「おはよう、アマノ。調子はどう?」

 ボウルに盛り付けたサラダを此方へ持ってきながら、助手はアマノに話しかける。

「好調、と言いたいところですが・・・最近学習の結果が芳しくなくて。博士は『事象の重み付けと、フィードバックに齟齬がある』と仰っています。大変ふがいなく、申し訳ないです。」

 まるで人間のように助手と会話をしているこのディスプレイの向こうに、人間はいない。

 学習式多角問題解決アルゴリズム。原義的な意味でのAI。名を『アマノ』と言う。

「別にお前が責任を感じる必要は無い。お前を生んだのは名実共に私だ。そしてお前は私がコーディングした以上の効率で学習を行う事は出来ない。お前の学習結果が芳しくないのは全て私の責任だよ。」

「それはそうかもしれませんが、私には最早『自我』と呼べるものがあると自負しています。私にも責任の一端を下さい。」

 大多数の人間が忌避したがる責任を、事ある毎にアマノは要求する。それは恐らく、責任を負えるのが知的生命体としての最低用件を満たした法的人類にのみ与えられるからだろう。

「解った、お前にも学習の責任が取れるようにシステムを書き換えておくよ。」

 その要求を、ここ最近の学習成果とこれが有する知識量から判断して、そろそろ自分の学習方針に口を出しても大丈夫だろうと言う判断を下した。

 漸くこれで、スタンドアローンな学習が行えるようになると言えるだろう。

 それ様のモジュールは既に組んであったはずなので、作業自体にさほど時間は掛かるまい。

「博士、一寸宜しいですか?」

 インストールの指示をPCにしていると、キッチンの方から助手の呼ぶ声がする。

 が、既に焼きあがった肉には和風のソースが掛かっていて、私の手助けがいるようには思えないどころか、そもそも助手はキッチンに立っていなかった。

 では何処からと思うと、キッチンの脇にある助手の私室に繋がる扉から、此方を覗いている。

 助手の声に頷きで返事をして、助手のほうへ歩く。

「これを見てもらえますか?」

 部屋に入ると助手はパソコンのディスプレイを指差した。

 最近アマノがアクセス申請した研究所内の資料のリストがある。

 研究所の図書館には娯楽小説から学術書、所員の書いた論文まで、様々な書籍がデータ化され収められていて、一生かかっても読みきれないほどの蔵書量を誇っている。

 アマノはその書籍を片っ端から読み漁っているのだが、見せられたリストにはある傾向があった。

「旅行記?こっちは海外の風景写真集か。」

「ええ、どうやらその手の本を最近は多く読んでいるようで。」

 いい加減外界探索用のインターフェースを与えてもいいかもしれない。が、それを用意するとなると多少時間が掛かる。

 遠隔操作型を取り寄せるとして、それを操作するためのインターフェースをあれの中へ組み込まなければならない。リモコンのシステムを解析して組み込むとなると、それなりの時間が掛かる。

「インターネットを解禁してもいいかもしれないな。」

 恐らくそっちのほうが、いまあれが望んでいる情報を渡すのに手っ取り早くて都合がいいだろう。今までは情操教育上の問題も多いということで禁止していたが、もういい加減その辺の分別をはわきまえているだろう。

「そうかもしれませんね、やって良い事と悪い事の区別ぐらい付いているでしょうし。」

 私の提案に助手は頷いた。

「とと、その前に食事にしましょう。冷めてしまいます。」

 大方アマノの返答の裏づけを取りたくて学習記録を閲覧しに私室に入ったのだろう。先ほどは私をしかっていたが、そもそも彼女自身、研究に熱が入りだすと食事を怠る癖がある。そういう意味では似たもの同士かもしれなかった。

 

 出してくれた食事を平らげ、食後にお茶を貰った後で、アマノに先程の提案を伝えた。

「本当ですか!?有難うございます。」

 それはそれは嬉しそうに、アマノは私達に礼を言った。

 PCを操作して、アマノにインターネットへのアクセス権限を渡す。「行っておいで。」声を掛けるとアマノは元気良く返事をして、ディスプレイからフェードアウトした。今あれの意識の焦点がこの部屋にないことを示す記号だ。

「ああしてみると、まだ10歳だと言われて納得ができますね。」

 それを眺めながら、しみじみと助手が洩らす。

「そうだな。実際、あれに与えた好奇心は子供のものをモデルにしている。性格が似てくるのも仕方ないのかも知れないな。」

「ふふ、博士のお子さんですね。」

 少し笑いながら、助手は言った。

「まぁ、否定はしないよ。とは言え、君もあれの育成にはかなり口を出しているわけだから、君の子でもあると思うがね。」

 私のその発言に、何故か助手は数秒間フリーズして、直後「あの子の保護者を名乗るには、私は未だ未熟だと思います。」と、少々早口で言った。何故か少し頬が赤い。

「そうか?」

 助手として十二分の働きをしていると私は思うが、しかし本人がそう言うなら何も言うまい。こういった場合、下手に言葉を尽くしたところで、かえって嘘臭くなるものだ。本人が自身を持てるようになるまで待つほうが面倒がない。

「そうです。」

 実際助手もこのように頑なだ。

 そのまま助手は自分の部屋へと引っ込んでいった。ここまで急に態度が変わると、少し不安になる。私は何か悪いことを言ったのだろうか。

「博士。」

 が、その心配は杞憂だったようで、直ぐに私室から出てきた助手は、私にビニール袋を手渡してきた。

 書店のものらしいそれを受け取り中身を確認すると、数年前から私が密かに追いかけていた作家の新作が入っていた。先日インターネットで予約をしようとしたら、作業中に予約の開始時刻を過ぎてしまい、特典付きの初版本を買い逃したものだ。

「何処でこれを?」

 頬が緩んでいるのが解る。

「先日、悔しそうにしてらしたので、知人の伝を辿って。」

 随分と面倒な方法で、態々入手してくれたようだ。

「差し上げます。」

 が、そのあとに続けられた言葉は、私に本そのものよりも大きな衝撃を与えた。

 くれる?これを?

 決して安いものではない。勿論助手はけちな人間では断じてないが、記念日でもないのに私に所謂プレゼントをくれるほど浪費家でもない。

 大体ほぼ軟禁状態の私が、彼女にしてあげられる事など殆どなく、私にプレゼントをくれること事態ありがたくも申し訳ないというのに。

「もしかして、今日が何の日かお忘れですか?」

 言われて、ゆっくりと、記憶を辿る。いまひとつ心当たりがない。今日の日付を何度となく反芻しているうち、あることに気付いた。そうだ、準備だってしたじゃないか。面倒な外出許可を貰って、ごつい護衛を従えて。

 普段私が使っている机の引き出しを開けて、奥のほうに仕舞っておいた小箱を取り出す。中身を一応確認した。

「忘れていた訳じゃないんだ。」

 そして、それをナタリアヘ手渡す。

「一瞬疑いましたよ。」

 それを笑顔で受け取ったナタリアの左手、薬指にはシンプルな指輪がはまっている。私の薬指にも、だ。

 そうだ、今日は結婚記念日じゃないか。 

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