無題   作:MONO_

10 / 11
無題

 人は死ぬ間際、延命治療の手段として全身に種々の管を入れられ、モニタの為のケーブルが全身に絡まった状態に置かれる事がある。いわゆるスパゲティ症候群というやつだ。

 今目の前にある遺体が死の間際そういった状態を経験したとは考えにくいが、とは言え現在保存のために複数のチューブを体に入れられて防腐剤を注入されているのを見ると、それほどではないにしろ結局似たような状態になることに僅かな可笑しさを覚える。

 様々な事情で表には出しにくい損壊を負って出来上がった遺体を、表に出せる状態に持っていくことを生業にする私にとって、今日の仕事相手は割合やりやすい部類に入った。

 どうも手を下した人間が、私のような人間に幾らか配慮をしてくれていたらしい。勿論それは犠牲者が自らの死をきちんと覚悟していたことも大きく寄与しているのだろう。

 不意に、死後幾らか時間が経過しているため死後硬直がとけある程度の柔らかさを持った遺体に、防腐剤の循環を助けるためのマッサージを施しながらぼんやりと思考を回していた私の意識を処置室に設置された電話機からのコールが引き上げる。

 作業の手を止めて電話機に近づき、手袋を外してから受話器を取る。見知らぬ番号からの電話だが、馴染みの客から紹介されてきた新規顧客かもしれない。

「もしもし。」

 当然ながら名乗るべき店名のようなものは無い。

「あ、もしもし天笠さん?ワタシです。」

 耳に心地いいソプラノの声が、ただ話しているだけにも関わらずまるで美しい歌声のような質感を伴って耳に入ってくる。

 この番号にこれ程の気軽さでかけて来る上、こんな美声を持った女性などこの世界広しと言えども該当者は一人しか居ない。

「これはこれは、ミックス・フーガン。なにかご依頼ですか?」

 電話機の傍らに置かれたスケジュール帳を開きつつ、ペン立てからボールペンを手に取る。直近のスケジュールはある程度暗記しているが、念の為確認もしておく。場合によっては受ける予定でいた仕事を断ることさえ考慮に入れつつ、どの仕事なら断っても問題になりにくいか目星をつけることさえした。

 彼女からの依頼というのは、その規模での横紙破りが当然のように許容される。

「ハイ、突然で申し訳ないのですけどできれば天笠さんにお引き受けして頂きたい依頼がありまして。実は今職場の前に居るのですけど、上がってもご迷惑ではありませんか?」

 営業職の人間が『偶々近くを通りかかったので寄らせていただいた』なんて建前を口にするときの様な白々しさを載せて、そんな言葉が耳に入ってくる。

 彼女が直接私の様な末端の作業者に合うことは極めて珍しい。それもどこかへ呼びつけるのではなく自ら出向くなど、ついさっきまでなら『ありえない』という選択肢に全財産と命をベッドすることに何の躊躇もいらなかった。

 勿論断る様な命知らずな真似をすることなどほんの一瞬も考えること無く承諾する。声が震えないよう細心の注意を払って。

 受話器を置いた後、振り返ってエンバーミングテーブルに載せられた遺体を見やる。

 作業をこのまま中断しても問題ないかだけざっと確認してから処置室を出、エプロンの様になっている手術着を外し、マスクや手袋等と纏めて屑籠に叩き込んでから手を洗う。

 彼女を待たせる事に恐怖が無いかと言えば当然嘘になるが、とは言えこの手の手順を守らないといつかどこかで痛い目を見るというのは、医療に近い所を生業にする以上染み付いている。

 準備室を出て普段書類仕事をするのに使っている事務室の様な部屋へ移動する。

 殆ど作業場といっても良いこのテナントビルのフロアに応接室なんて気の利いた代物は存在しないが、仕事上のデータなどが入ったPCの乗った机で食事をするのに抵抗があったので事務所の隅にテーブルと一人がけのソファが用意されている。

 ここ暫くは仕事が暇だったのでここで食事を摂っていないから薄汚れているだろうから、軽く清掃をして彼女を迎えようと決めて扉を開けると、既にそのソファに座って優雅に飲み物を飲んでいる女性の姿が目に入る。濁った呻き声を上げそうになりすんでの所で飲み込むことに成功した。

 態々運んできたのだろうか、白磁の一見して高価だとわかるティーセットが持ち込まれており、ふわりと紅茶の香りが鼻腔をくすぐる。

 私の入室など意にも介さず紅茶と洋菓子―果物をふんだんに使ったタルトだった―を楽しむその女性は、その優雅な所作につられてまるで絹のように揺れる細く美しい金髪と透き通った緑眼が印象的な、皮膚が泡立つ程の美女だった。

 行動の突飛さにしろ美貌にしろ、噂には聞いていたがここまでとは。

「あら、お邪魔してます。どうぞかけてくださいな。」

 一瞬前に感じた驚愕と恐怖を忘れ、見惚れて立ち尽くす私を見かねてか、彼女が声を出す。

 それに曖昧な返事を返しながら、彼女の向かいにある一人がけのソファに腰を下ろす。中古のオフィス用品を扱う商店で員数不足の為格安で購入したソファとテーブルのセットに不足していたソファに。

「砂糖とミルクはどうします?」

 最早違和感などという言葉などでは表現のしようもないこの何から何まで間違った状況にあって、嫌になるほど普通な質問に思わず叫びながら逃げ出したくなるが、その衝動をどうにかこらえ質問に答えるべく声を出す。

「いえ、結構です。」

 個人的にはそもそも紅茶自体を断りたい位であったが、彼女はそう解釈してくれなかったようで、私の前に紅茶の入ったティーカップが揃いのソーサーに乗って置かれる。

 そのまま流れるように机上の白い箱から自身が食べているのと同じタルトを取り、気づけばそこにあった皿の上に置いてからフォークとともに私の前へ置いた。

 タルトの方には一切魅力を感じないが、嫌な乾き方をした喉を潤すのに紅茶の存在はありがたかった。

 油の足りない絡繰の様なぎこちない所作でどうにか紅茶を口に運ぶ私のことを彼女は柔らかな微笑みを浮かべて見守る。

「ごめんなさい、驚きましたよね?」

 私が一息つくことに成功したことを見届けてから彼女はそう言葉を切り出した。

「電話口では何度かお話してますけど、実際にお会いするのは今日が初めてですね。」

 そこから1分も必要とせず私に向こう10年分の驚きを纏めて提供した女性はそんな風に言葉を繋ぎつつ微笑んだ。

「早速ですけど本題に入りますね。私と雑談なんてしても貴方にとっては負担でしか無いでしょうし。」

 言いながら足元の鞄を探り、1束の書類を私に差し出した。

「仕事の内容はいつもとさして変わらないんですけど、扱ってもらう遺体はとびっきりの異常品なんです。」

 受け取った書類をめくると、どうやら私に修復を頼みたい遺体の状態が記されている書類のようだ。添付されていた写真を見て絶句する。『とびっきり』という言葉に一切の嘘偽りはなかった。

 仕事柄様々に損壊した遺体を目にするが、今までの人生で見た中で間違いなく最もおかしな壊れ方をした遺体だろう。いったい何を使ったら人体にこれだけ見事な切り欠きを作れるというのか。

 それこそ写真を画像編集ソフトか何かで切り取ったかのように頭や手足の一部が切り欠かれている。

 人体というのは様々な硬度や靭性を持った複数の素材が折り重なって形成される。それをこれだけ見事に、写真を信じるならば球形に切り欠く技術など、少なくとも私は知らない。

「これ、どの程度まで復元できます?要望としてはご遺族が遺体を棺の外から見た時に違和感を覚えない程度になってくれれば良いのですけど。」

 頭の中でその状態に遺体を持っていく手法を考える。常識的なやりかたで行くならこんなもの手の施しようがない。

「正直な所を言わせていただくなら、背格好をよく似せたマネキンに服を着せて、肌の出る部分は包帯かな何かを巻いて誤魔化したほうが間違いは無いですし安上がりだと思います。」

 遠回しに『処置なし』と伝える。

「それは、そうなんですけど。私が個人的に故人と約束をしてまして。極力遺体を葬儀に使いたいんです。」

 資料に載っている男と彼女がどのような関係だったのかなど知る由もないが、彼女ほどの人物がこれだけ手を尽くすからにはよっぽどの人物なのだろう。

「何とかなりませんかね?」

 権力や暴力ではない純粋なお願いに、これだけの強制力をもたせられる女性もそうは居ないだろう。

 手を口元に持っていき、考える仕草をすることで時間を稼ぐ。

 ここまでの振る舞いや言動から与えられた印象からして、彼女に関して私が耳にしたありとあらゆる噂、伝説と言い換えても良かったそれらは一切の誇張を含まない、いや、下手をすればかなり控えめに語られた事実だったのだろうと言える。

 『有用な人間に対しては極めて友好的だが、そもそも個人として認識される事を避けるべき人物』というのが概ね彼女に関する評価だ。

 勿論、彼女にとってのその他大勢として生きることは、知らず彼女の謀略に巻き込まれて命を落とすという危険を孕むが、そんなものは旅行に行く時登場する飛行機が墜落することを心配するに等しい。

 尤も私は既に個人として認識されてしまっているので、何にせよ一定の利用価値を示し続ける必要がある。

「手足や胴体については、傷口そのものに覆いをしてシルエットをごまかす事は何とかできるかもしれません。着せる衣服には幾らか制限が必要になるでしょうが。」

 妥協案として何とか容認されそうなものを口にしていく。正直作業としてはかなり荒っぽい。

「ただ顔については諦めていただくしか無いと思います。」

 何しろ頭の2/3は欠けてしまって存在しないのだ。修復のしようがない。

「生前のお顔に似せてマスクを作り被せる位であればどうにかなりますが。ただこれだけ開口部が多いとどうしても防腐処理に難が出てきます。葬儀や火葬の方はいつ頃のご予定でしょう?」

 裸体を見られるならばともかく、上部分を外した棺に衣服を着せて入れることが出来るなら誤魔化す為の努力というのはやりようがある。が、腐敗というプロセスの進行を遅らせるのは中々に難しい。

「その辺はそちらのご都合に合わせましょう、技術的な問題もありますし。」

 式場や火葬場というのは取ろうと思ったその日に取れるようなものではないのだが、そういった常識は彼女の前で障子紙1枚の強度すらあるまい。

「では、それでお願いします。いつ頃着手できます?」

 先程確認した予定を頭の中に浮かべて答えを弾き出す。

「今の仕事は今日明日で終わりますから、その後でしたら。次の予定はさほど難しく無いですし、貴女の名前を出す許可さえいただけるなら断りようは幾らでもありますので。」

 驚きがようやく薄れてきたお陰で、普段電話口でしているときのような応対が出来るようになってきた。

「それは良かった。勿論、私の名前で断りを入れていただいて良いです。何なら根回しもしましょう。」

 わざとらしく手を叩いて喜びを示しつつそう言った後で、彼女は鞄から小切手を1枚切ってよこす。金額は書かれていなかった。

「必要経費と、技術料、それから特急料金その他諸々を合計したものにゼロを1つか2つ足して請求してくださいな。」

 間違いなく口止め料を含んだ法外な報酬を約束しつつ彼女は席を立つ。

「では、着手日が決まったら連絡してくださいね。遺体を運ばせますから。」

 それだけ言うと、見送りは不要だと行動で示すように自らドアを開けて部屋を後にする。走って部屋の外に出たとしても後ろ姿は見えないだろうという確信があった。

 この仕事が終わったら、少なくとも半年は休暇を取ろうと心に決めつつ振り返ると、彼女が置いていったティーセットが目に入る。差し当たってこれの扱いをどうすべきか考えることから始めよう。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。