平日の午後6時近くという時間、どの局もやっている番組はニュースか子供向け番組で、正直退屈極まりない。
とは言え家事も全て済ませてしまいやる事がないのも事実で、凄惨とスキャンダルをない交ぜにしたニュースと、どうせ行くことの無い遠方にある行列の出来る飲食店、今話題のダイエット法なんかに関する特集が組まれた特に何の役にも立たないワイドショーを眼球と耳から脳へ流し込む。こんなものでも話の種にはなるだろうか。
ちらりと時計を見遣る。時刻は17時47分。定時に退社していると仮定すれば、あと15分前後で帰宅してくるはず。
普通の家であれば夕食の準備をしているべき時間だが、如何せん退社時間が定まらないのでそれも少し難しい。勿論、全て完成させて食べるとき暖めなおせば良いのだろうけど、それには心理的な抵抗があった。幼い頃の自分が置かれていた家庭環境に原因があるかもしれない。
結局、折衷案的解決策として暖める事無く食べるものは完成させ、暖めて食べるものは熱を加える直前まで調理手順を進めておくことにしている。
帰ってきて直ぐ食事を取りたいときは、最寄り駅に着いたときにメールをするよう言い含めてあるから、後は此方で調節できるシステムだった。
目の前のテーブルに置かれたスマートフォンを手に取り、メールと着信のチェックを行う。着信はいずれもゼロ。時間的にも既に最寄り駅についていておかしくない時間なので、今日メールが来る事は多分無いだろう。
そう思ってスマートフォンをテーブルに置いたタイミングで、インターフォンが鳴る。弾かれたように立ち上がった。
小走りになりながら玄関へ行き、鍵を開ける。ドアノブが外側から回って扉が開き、待ち人が顔を出す。
「ただいま。」
軽く笑いながら帰宅の挨拶をした薫へ僕はテンプレートに。
「お帰り。」
と返した。
薫は家の敷居を跨いだあと、革靴を乱暴に脱ぎ玄関から室内へ上がった。プラスチックがフローリングを打つ硬質な音が響く。普段より足音が荒い。疲れているのだろうか。
「アポとっていった相手先の会社が駐車場無くてさ、結構歩かされたんだよね、辛くって。」
そんな僕の心配を察知したわけでは無いだろうけど、薫がその理由を解説する。成程。常人にとっては何て事の無い仕事でも薫にとっては辛い。
「外せ~」
ソファーへ身を投げ出すように座った薫が、僕に要求する。
「はいはい」
答えながら、奥の和室にある箪笥からタオルを取りだし、彼女の正面に回る。
軽く足を開いて座っている薫がはいているのはタイトスカートなので、服を脱がさずとも薫の要求を満たす事は出来る。出来るけども。このまま作業を始めるとなると絵面が、その、ね?
「え~っと、正気?」
問わずにはいられない。
「勿論。」
そうですか。
それ以上何も言わずに、義足を外しにかかる。
半分以上スカートに手を突っ込んで作業を始める。鼓動が速くなって、顔が赤くなっているのが解る。自分だけ照れている事に決まりの悪さを覚え、あえて顔は上げない。
薫の両足を勤めている義足そのものは何かで体に固定されているわけでは無いので、太腿の断端を覆うカバー状の部分を手で持って引っ張って外し、シリコン製のライナーを取って、露になった断端を軽くタオルで拭う。
ライナーは明日までに洗っておかなければならないので、それらを一先ず風呂場へもって行こうと立ち上がった所で、耳まで真っ赤になって俯いた薫が目に入る。どうやら僕が実際に作業を始めた所で照れたらしい。まさか自爆しているとは思わなかった。
かける言葉が思いつかなかったので、そのまま風呂場へ歩く。それぞれ清掃をしなければならないがその前に。
「正広、ゴハン何?」
薫から食事の催促が入る。
「少し待って、掃除するから。」
特に今日は長い距離を歩いたらしいから、少し念入りにしておかないと。
「解った、なるべく速めにね。」
時間が遅いのは事実なので、少し急いでみることにする。僕だってお腹が空いた。
掃除、と言ってもそんなに大変なことは無い。
給湯器の電源を入れて、蛇口をひねり出て来る水が温水になるまで待つ。ライナーを温水で濡らしてから、石鹸を手で泡立てて全体を洗う。
外側の洗浄が終わったら、今度は石鹸を袋状のライナーの内側に入れて温水で満たす。水中の石鹸を手でこすって泡だて、石鹸水にしてから石鹸を取り出し、ライナーの口を手で絞ってとじて振る。あとは中をすすぐ。
そのあと、ライナーが濡れている内にベビーオイルを適当に垂らして全体に塗り伸ばしたら、吊るして乾かす。
手洗いなのは確かに面倒だと感じる人が居るかもしれないが、実際かかる時間は大したことない。
手を拭きながらリビングへ戻り、ついでに薫へタオルを渡す。
「ん。ありがと。」
短く礼を言ってから、薫が足をタオルで拭う。汗で濡れて気持ち悪かったはずだ。
それを見てから、キッチンへ。コンロの火を入れる。
完成した料理を温め直すのには抵抗があるが、スープの類なら特に抵抗を感じなかった。多分元々そういう料理だという認識が自分の中にあるせいかもしれない。
今日の献立はロールキャベツだが、ポトフに近い。火を通した所で調理を止めたので、あとは本当に暖まれば良い。
温めている間に残りの調理を終えようと、戸棚の中からバゲットを取り出して切り分ける。それをキッチンペーパーを敷いたバスケットに移す。
あとは、冷蔵庫からサラダにする予定のレタスとトマト、それからキュウリを取り出す。
時折フライパンの中のロールキャベツの様子を見つつ、野菜をそれぞれ下処理してボウルに盛る。
サラダ用のトングを食器棚から出して、大体食事の準備は完了だ。
ロールキャベツを深めの皿に移して盛り付けた後で全ての料理と取り分けるための皿を食卓へ持って行く。
「おお、ロールキャベツだ。」
僕が持っていった皿の中身を見て、薫が声を出す。
「そう。この間食べたいって言っていたでしょう?」
まぁ見ていたのは何処かのレストランのメニューだったから、僕が作ったこれでは見劣りするかもしれないけれど。
「覚えててくれたんだ、ありがとう。」
ただ嬉しそうに答えてくれる薫を見ると、そいういう暗い考えは払拭される。こうやって素直に喜んでくれるから、こちらだっていろいろしてあげたくなる。
「いただきます。」
「召し上がれ」
食事を終えて、片付けを始めるのだが、その前に1つ薫に尋ねる。
「お風呂、すぐ入る?」
僕も彼女も湯船に浸かる習慣を持たないので、風呂に入るタイミングは本当に気分だ。
「んー、そうしようかな。」
僕は彼女が床を這う彼女を見たくないので、彼女が風呂にいつ入るか、尋ねることにしている。
すぐに入るという返答だったので、彼女を抱え上げる。両足がないのでその体重は成人女性としては異例の軽さだろう。僕みたいに非力でも、とりあえず抱え上げることは出来る。
風呂場の扉を開けて、浴室のイスに彼女を腰掛けさせる。服は1人で脱げるので、後は僕がすることといえば、バスタオルをバスマットの上に置いてあげることだけだ。
シャワーヘッドは元々低い位置に置いてある。
基本的に、彼女が家の中で移動する時は僕が抱えている。それは、家ではなるべく義足を外していたいという彼女の意志と、彼女が床を這う姿を見たくない僕の意志とを尊重した結果で、両者ともにそのことへの文句は一切ない。
ただ、今は室内だから彼女が床を這って移動することの不都合は僕の感情的な理由を除けば殆ど無い。
彼女の足は太ももの半ばぐらいまで残っているので、扉を開けることも出来る。実際、僕と結婚するまで実家ではそうやって移動していたそうだ。
しかし、これが屋外だったら。彼女は義足がなければ移動に大変な苦労を強いられる事になる。義足の着脱、手入れは彼女1人でやるにはかなり大変だ。
僕が毎日、彼女の義足を外す度、彼女が出来なくなることを想像し、僕に頼るしかなくなることを想像して少しだけ暗い優越感を覚えていることを彼女が知ったら、彼女はどう思うだろう。
彼女がこの家で義足を外すことを選ぶのは、僕への信頼があるからだ。それがとても嬉しくて、僕は彼女が出来ないこと、苦労している事を探している。
多分僕は、彼女に頼られたい。