催眠でエッチなことはしない「よう実」 作:樹神法正
「……以上の説明が、この高度育成高等学校の通称『Sシステム』の概要、Aクラスで卒業する特典。そしてこれが本日付のクラスポイント(CP)だ」
五月一日、ホームルーム。
教壇に立つDクラス担任、茶柱佐枝の言葉は、いつも通りの冷徹なトーンを装っていた。しかし、その手にある出席簿を握る指先は、わずかに震えている。
黒板に留められた紙に記載されている、各クラスの最新ポイント。
Aクラス:940CP
Bクラス:650CP
Cクラス:490CP
Dクラス:970CP
「な、なぁ……見間違いじゃねえよな?」
「嘘……私たち、本当にトップに立ってる……?」
教室内を、驚愕と、それ以上に「当然の結果をもぎ取った」という静かな興奮が満たしていく。
須藤健が頭を掻きむしりながら目を丸くし、軽井沢恵が隣の女子と顔を見合わせている。いつもは無表情な綾小路清隆すら、その瞳の奥に、ほんのわずかに、だが確かに動揺の光を宿していた。
本来の
遅刻、授業中の居眠りや私語、スマホいじり。何をしても教師から注意されないことで増長した彼らは、一ヶ月で毎月10万プライベートポイント(PP)分の1000CPを全てドブに捨て、茶柱から「お前たちはクズだ」と冷徹に宣告されるはずだったのだ。
しかし、結果は970CPの残存。
減点はわずかに30CP。それすらも、入学初日と二日目の不可抗力に近い微々たる生活態度の乱れによるものだけだ。
「……前代未聞だな。いや、高育史上初の『快挙』と言っていい」
茶柱がふっと、その端正な顔に信じられないものを見るような、それでいて深い歓喜を孕んだ笑みを浮かべた。
「入学からわずか一ヶ月。『不良品』のレッテルを貼られた生徒が集まるとされた我がDクラスが、全く規律を乱さず、Aクラスの背中を捉えるどころか、引きずり下ろしてその座に君臨するとはな。……本当によくやった。お前たちを誇りに思う」
あの冷酷な茶柱佐枝に、ここまで言わせた。
クラス中が歓喜に沸く中、俺――
(想定通り、いや、想定以上の出来栄えだな)
俺はどうしてそうなったのか知る由も無いが、ライトノベル『ようこそ実力至上主義の教室へ』の世界に転生した。
そして、この世界に生まれたときから、ある能力を持っている。
それこそが――『絶対催眠』。
相手の意識の底に、拒絶できない強力な暗示を植え付ける、文字通りの精神干渉能力だった。
神の祝福か、悪魔のいたずらか、あるいは転生特典というやつか、どうしてこんな能力を持って生まれたのかはわからないが、生まれ持った力なら遠慮なく使うべきだ。
******
遡ること一ヶ月前、四月初旬。桜の舞い散る中、俺は高度育成高等学校の門をくぐり、クラス分けの書かれた紙に自身のクラスを探し、そこにDクラスの文字を見た。
配置されたのが、作中屈指の曲者揃いであり、入学一ヶ月でクラスポイントを全て失うという最大のハンデを背負わされる「Dクラス」であることを知った時、俺の脳裏をよぎったのは絶望……ではなく、明確な『使命』だった。
この学校は、実力至上主義。そして最初の罠は、入学直後に与えられる10万PPという大金と、授業中に何をしていても注意されないというものだ。
原作の主人公である綾小路清隆や、プライドは高いが授業態度は真面目な堀北鈴音や幸村輝彦、優等生の櫛田桔梗や平田洋介といった面々はともかく、他のDクラスの面々は問題児ばかり。
初日の自己紹介では、原作と同じように赤髪の須藤健が「なにが自己紹介だ、俺らはガキかよ!」と自己紹介を拒否してクラスを出ていく光景をこの目で見た。
このまま原作通りに進むのなら、須藤は授業中に堂々といびきをかいて寝るし、池寛治や山内春樹は女子の品定めや私語、スマホゲーム。ギャルグループのリーダーである軽井沢恵たちも、授業中のお喋りやスマホいじりを止めないだろう。
平田や櫛田が注意をしても、意にも介さず授業中の不真面目な態度を続けるような彼らに懇切丁寧にこの学校の仕組みを説明して「ポイントが引かれるから真面目にやれ」と口頭で正論を説いたところで、聞く耳を持つはずがない。
(正攻法じゃ無理だ。なら、俺の持つ『力』を使うしかないな)
入学初日の茶柱先生の「この学校は実力を測る」という思わせぶりな説明と、この二日間で既に緩み始めている生徒たちの態度を見届けた俺は、放課後、ついに動くことを決意した。
入学二日目の放課後。
今日は部活動紹介が体育館で行われるらしい。授業が終わったばかりで生徒たちがまだ教室に残っている今のうちに動くべきだろう。
俺は教壇の前に立ち、黒板を軽く手のひらで叩いた。
コン、コン。
乾いた音が教室に響く。
「おい、みんな。ちょっといいか? 入学二日目だし、これからのクラスについて、少しだけ俺から提案があるんだ」
「あ? なんだよ正路。俺はこれから部活紹介に行かなきゃいけねえんだよ」
須藤が机に足を乗せたまま、面倒そうに睨んでくる。
池や山内も「なんだよ急に、昨日買ったゲームの話してたのに」と文句を隠そうともしない。
優等生の平田洋介が「まあまあ、正路くんの話も聞こうよ」と宥めるが、クラスの空気は冷ややかだった。
堀北鈴音にいたっては、読書を止めることすらなく、「無駄な時間を取らせないで頂戴」と言いたげな目で俺を睨んでいた。
(ふーん、冷たいなぁ。だが、それも今この瞬間までだ)
俺は深く息を吸い込み、脳内の『スイッチ』をオンにした。
絶対催眠。
発動条件は、「俺の声が対象の耳に明確に届いていること」、そして「俺の存在に一瞬でも意識を向けさせること」。
一対一なら目の前で喋れば、意識が向かないということは無いだろう。だが、こういったクラス全体に催眠をかけるような場面では注目を集める必要があった。
「――静かに。そして、俺の言葉を、魂に刻め」
俺の声のトーンが、わずかに変わる。発した言葉が、教室全体へ届いた。
その瞬間、須藤の動きが止まった。池と山内の口が半開きになり、軽井沢たちがピキリと硬直する。本を読んでいた堀北の手が止まり、その切れ長な瞳が、吸い寄せられるように俺を見た。
教室の隅で、いつも無機質な目をしている綾小路さえも、わずかに眉をひそめて俺を凝視する。
クラス全員の意識が、俺という一人の人間に完全に固定された。
彼らの瞳の奥から一時的にハイライトが消え、深い、深い、トランス状態へと引きずり込まれていく。
俺は全神経を集中させ、明確で、かつ強力な『暗示』を口にした。
「俺たちは、この高度育成高等学校の頂点を目指す。そのために、明日からの学校生活において、以下のルールを『絶対に』遵守しろ。」
一つ、授業は一言一句聞き逃さず、私語を慎み、居眠りをせず、真面目に受けて勉学に励むこと。
二つ、遅刻は厳禁。授業開始前には必ず着席していること。
三つ、校内外を問わず、無用なトラブル、暴力沙汰、素行不良、マナー違反は一切禁止、規則正しく生活すること。
四つ、このルールを、何よりも優先すべき『当然の義務』であり、遵守することに『絶対的な快感』を覚えること。
「――さあ、目覚めろ。そして、最高に真面目で模範的な生徒になるがいい」
パチン、と指をひとつ鳴らす。
その瞬間、クラス全員が「ハッ」としたように息を吐き、意識を取り戻した。
「……あれ? 俺、何話してたっけ」
須藤が不思議そうに首を傾げる。
「なんか、急に頭がシャキッとしたな……」
池が自分の手を凝視している。
「うおぉぉ! なんか勉強したくなってきたぜ!」
山内が教科書とノート、シャーペンを取り出して勉強を始める。
俺の催眠の素晴らしいところは、かけられた本人が「操られている」とは微塵も思わない点にある。彼らにとって、今植え付けられた暗示は、「自分の内側から突如湧き上がってきた、強烈な学習意欲と規律心」として処理されるのだ。
俺は満足げに微笑み、教壇を降りた。この様子ならきっとこれからの一ヶ月間は大丈夫だろう。
天井に取り付けられた監視カメラに映っているのは、俺が黒板を叩いてクラスの注目を集め、クラスに向けて何かを言い、そして最後にカッコつけて指パッチンしたという光景だけだ。何も問題は無い。
「いや、なんでもない。ただ、これから同じクラスなんだから、みんなで協力して頑張ろうって言いたかっただけだ。じゃあな」
堀北が怪訝そうな目で俺を見ていたが、何も言わなかった。
こうして、Dクラスの「異常な、しかし素晴らしき一ヶ月」が幕を開けた。
******
ケース1:朝の風景
翌日。
朝のホームルームが始まる十分前。Dクラスの教室は、かつてない異常事態に包まれていた。
「……は?」
ガラリとドアを開けて入ってきた担任の茶柱佐枝が、最初の一歩を踏み出したまま、文字通り硬直した。
教室内には、私語が一切ない。
全員が背筋をピンと伸ばし、前を見据えて静かに待機している。
いつもなら始業ギリギリに滑り込んでくる須藤が、髪をきっちり整えて姿勢を正して座っている。スマホをいじったり雑談しているはずの池や山内も、まるで入学試験直前のような緊張感で前を向いていた。
「お前たち……一体、何があった?」
思わずといった風に茶柱が尋ねるが、クラスを代表して平田が爽やかに答えた。
「何って、先生。もうすぐホームルームが始まりますから、準備をするのは当然ですよ。さあ、ホームルームを始めてください」
「……あ、あぁそうか……」
あの冷静沈着な茶柱佐枝が、この異様な光景に完全に気圧されていた。昨日とは打って変わったようなDクラスの生徒たちの姿に二の句が継げない。
いつまでも固まっているわけにもいかない茶柱は、心の中でふぅと深呼吸して気持ちを切り替えると、昨日と同じようにホームルームを始めるのであった。
それからの一ヶ月間でDクラスは『怪物クラス』へと変貌を遂げた。
ケース2:授業中の風景
四月も下旬になったある日の英語の授業。英文を訳する問題で本来なら絶対に手を挙げないであろう須藤が勢いよく手を挙げた。
「はい! 先生、この文は関係代名詞の制限用法なので、後ろから訳して――」
流暢に答えを出した須藤に、教師が「おぉ……よくわかったな」と驚愕の声を漏らす。まさか須藤が答えられるとは思っていなかったような驚き加減だ。
催眠の強制力は、彼らの「集中力」を極限まで高めていた。授業中に居眠りをしないどころか、一言一句を聞き逃さない須藤たちの学力は爆発的に向上しているのだ。もちろん中学レベルの基礎ができていなかった須藤たちである。授業だけでは理解度が追いつかなかったであろうが、そこは正路が放課後や夜に中学レベルから教え直してカバーしている。
数学の授業では、池と山内が競い合うように挙手して問題に答え、真剣な顔でノートを取り、休み時間には「なぁ、ここの因数分解だけどさ……」と、これまでは有り得なかった会話を展開していた。
元々、優等生であった平田や櫛田は、休み時間に「あぁ、ここの方程式の解き方はね……」といった具合に、クラスメイトの質問に答え勉強を教えていた。他の生徒たちもみな、真面目に授業に取り組み、休み時間にも復習や予習を欠かさなかった。
ケース3:生活態度
ある日、廊下でCクラスのガラの悪い生徒が、須藤に対して故意に肩をぶつけて挑発してきた。
「おい、テメエ、どこ見て歩いてんだよ」
本来の須藤なら、即座に胸ぐらを掴んで殴りかねない。しかし、今の須藤に植え付けられているのは「トラブル禁止」の絶対的な暗示。須藤は怒りに肩を震わせるどころか、深く頭を下げた。
「悪かった。俺の不注意だ。怪我はなかったか?」
「はぁ? わ、わかりゃいいんだよ、わかりゃあ」
Cクラスの生徒は完全に拍子抜けし、変なものを見る目で須藤を凝視したあと、そのまま退散していった。
さらに、生活におけるポイント消費も、全員が「規律正しい生活」の暗示に従い、必要最低限の生活必需品や勉強のための文房具などばかりで娯楽品などを一切購入しなかった。
そんな中、クラスの「異常さ」に違和感を覚えているクラスメイトがいた。
一人は、堀北鈴音。
彼女は元々プライドが高く、真面目で自己管理ができる人間だったため、催眠の暗示(真面目に授業を受ける)と彼女本来の行動指針が完全に一致していた。そのため、自身の行動のギャップは少なかった。しかしそのギャップの少なさによる余裕ゆえか、周りの不真面目そうな生徒たちが急に優等生のようになったことに、激しい違和感を覚えていた。
「正路くん。あなた、何か知っているの?」
ある日の放課後、堀北が俺を呼び止めた。
「何かって、何がだ? 堀北」
「須藤くんに池くん、山内くん。あの底辺のような人たちが、急に人が変わったように真面目な態度を取り始めたのよ。何かがおかしいわ。まるで……集団で何かに取り憑かれたかのような」
鋭い。さすがは堀北だ。だが、催眠の証拠などどこにもない。
「みんな、この学校の『実力を重視する』っていう言葉の重みに気づいて、必死に自分を変えようとしてるだけじゃないか? 良いことだろ」
「……そうね。結果としてクラスが機能しているのは認めざるを得ないわ。でも、私はこの不自然な変化が、何かの前触れに思えてならないのよ」
彼女はフンと鼻を鳴らして去っていった。
さらに、もう一人。俺の左隣の席に座る男――綾小路清隆。
彼は、授業中も真面目にノートを取っているが、その視線は時折、クラス全体ではなく、俺の手元や視線の動きに向けられていた。
ある日の昼休み、食堂で二人きりになった際、綾小路がボソリと呟いた。
「正路。お前、入学二日目の放課後、教壇でみんなに『頑張ろう』って言ったよな」
「ああ、言ったな。それがどうした?」
「いや……あの瞬間から、このクラスの歯車が完全に噛み合い始めたなと思ってな。まるで何かに操られたかのように」
ホワイトルームの最高傑作である彼の洞察力は、俺の「催眠」という超常現象そのものは看破できずとも、「入学二日目の正路善人の行動が起点となってクラスが変わった」という因果関係を正確に捉えていた。
「操られるなんて、そんなバカな話はないだろ、綾小路。俺はただ、みんなのやる気に火をつけるキッカケになればいいなと思っただけさ」
「そうか、そうだよな。それならいいんだ。ただ……やはり何か引っ掛かる気がしてな」
綾小路はそれ以上追及してこなかった。彼にとっても、Dクラスが勝手に優秀になり、Aクラスへと勝手に駆け上がってくれるなら、自分が実力を隠して「普通の高校生」として平穏に過ごすための格好の隠れ蓑になる。俺と綾小路の間には『利害の一致』が成立しているはずだ。
そして最後の一人は、高円寺六助。綾小路に匹敵するスペックの持ち主だ。
「…………フム」
綾小路が不自然な作為を感じ取っている以上、彼もまた同じものを感じていてもおかしくはない。堀北や綾小路と違い、俺に直接話しかけてくることこそ無いが、時々その視線がこちらを注視しているのがわかる。性格上、彼自身への不利益がなければ特に何もしてこないだろうが、気まぐれな面もある。急に変なやる気を出して干渉してくる可能性が無いわけではない。こちらも気にかけておくべきだろう。
******
そして時間は現在――五月一日のホームルームに戻る。
茶柱佐枝は、黒板の数値を愛おしそうに見つめた後、再び生徒たちに向き直った。
「現在のクラスポイントだが、このDクラスは970クラスポイント。対するAクラスは940クラスポイント。よって、本日をもって、このクラスは『Aクラス』へと昇格する。お前たちは今日から『Aクラス』だ」
「うおおおおおおおおお!!!」
須藤が雄叫びを上げ、池と山内がハイタッチを交わす。
「やった、やったよ! 私たちAクラスになったんだ!」
軽井沢たち女子グループも抱き合って喜んでいる。
「静かに」
茶柱が言葉を制する。その顔には、これまで決して見せることのなかった、教師としての深い満足感と、一人の人間としての笑みが浮かんでいた。
「本来、Dクラスとはこの学校における『不良品』の集まり、最底辺のクラスだ。私は今年の一年生を受け持った時、例年通り、また一ヶ月でポイントを大きく吐き出す不良品どもだと確信していた。
……だが、お前たちは私の予想を見事に裏切ってくれた。この学校創立以来、入学わずか一ヶ月でDからAへストレートで上り詰めたクラスなど、ただの一度も存在しない」
茶柱の視線が、クラス全体を巡り――そして、俺、正路善人のところでピタリと止まった。
彼女の目には、何らかの『疑念』があった。
彼女は気づいているのかもしれない。この奇跡の中心に、淡々と黒板を眺めている俺がいることに。
******
ホームルームが終わり、教室が規則正しく、しかし静かな喜びに溢れる中、俺は小さく息を吐いた。
(まずは第一段階クリア、といったところか)
原作知識を使い、自身の能力である催眠でクラスを完全にコントロールする。これによって、Dクラスは最高のスタートダッシュを切ることができた。規則正しい生活でクラスポイントは守られ、勉強が苦手なクラスメイトたちは学力が向上して未来の可能性が広がる。いいことずくめだ。
しかし、これで終わりではない。これから先、原作においてCクラスの龍園翔による卑劣な妨害工作、一之瀬帆波率いるBクラスの団結力、そしてAクラスの坂柳有栖という天才との対決が待ち受けている。
「……だが、やるからには全力を尽くすだけだ」
俺はポケットの中で、自らの掌をそっと見つめた。この『絶対催眠』の力があれば、どんな無理難題も、どんな壁も、全て突破することができる。
「ようこそ、実力至上主義の教室へ、か。――生まれ持った才能が実力だというなら俺のこれだって実力だろうさ」
新しく『Aクラス』となった教室の中で、俺は次なる試練を見据え、静かに、そして強く拳を握った。
オリ主「いやー、良いことすると気持ちがいいなぁ」
うーん、これは間違いなく
もう一つだけ。
全国一千万の山内ファンの皆様。
山内くんをただの真面目な人間にしてしまい誠に申し訳ございませんでした。
戒めとしてアンチ・ヘイトタグを付けていますので、お許しください。
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