催眠でエッチなことはしない「よう実」 作:樹神法正
皆さんのおかげです。ありがとうございます!!
ということで感謝の投稿。
五月二日の昼休み。俺は約束通り、綾小路と昼食を共にし交流を深めようとしていた。
「……食堂は今日も賑やかだなぁ」
食堂の喧騒の中、一人でトレイを持って歩いていた俺は、先に席を確保していた綾小路のところへ向かっていた。
綾小路清隆。ホワイトルームの最高傑作であり、本来の歴史ならこの学校のクラス間闘争で暗躍することになる少年だ。しかし今の彼は、俺の介入によって平穏な学園生活を享受する一人の一般男子高校生に過ぎない。
「おー、綾小路。わるい、待たせたな」
「正路か。待つというほど待っていない。気にしないでくれ」
綾小路はいつもの抑揚のない声で答え、自分のトレイを少し手前に引いた。彼のトレイに乗っているのは、この食堂でもっとも安価な……というか無料の山菜定食だ。四月から相変わらず、無駄を徹底的に省いた選択をしている。あるいは催眠の影響でポイント節約が染みついているのかもしれないが。
対する俺のトレイには、ボリューム満点の唐揚げ定食が乗っていた。カラリと揚がった狐色の唐揚げから、食欲をそそる香ばしい匂いが立ち上っている。
「いつもながら、綾小路は随分とヘルシーな昼飯だな」
「これと言って食べたいものが思い浮かばなかっただけだ。それに無料だからな。……もっとも、今の俺たちのクラスにはそんな貧乏性を発揮する理由はどこにもないはずなんだが」
綾小路は少しだけ不思議そうな顔をしながら、山菜汁を一口啜って、淡々とそう言った。
「まあな。でもたまには贅沢して美味いものでも食べてみろよ。そりゃあ贅沢に慣れすぎるのも良くないけどな。いつポイントが減るか分からないのが、この学校のシステムだし」
俺は唐揚げを一つ、箸で掴んで綾小路の皿の上に乗せてみせる。メインが山菜だけじゃ、ちょっと寂しいからな。
「これは?」
「たまには美味いもの食えって言っただろ。やるよ」
俺の言葉を聞いて、綾小路は目をしばたかせた。
「ありがとう、感謝する」
そんな綾小路のお礼を受け取りながら、俺は唐揚げを一口囓り、ジューシーな肉汁を味わう。ふと、綾小路が微かにその視線をこちらに向けた。
「お前は、本当に落ち着いているな、正路。昨日、茶柱先生があのシステムを発表したとき、クラスの誰もが驚き、同時に自分たちの選択が正しかったことに歓喜していた。だが、お前だけは最初からすべてを知っていたかのような顔をしていた」
「そう見えるか? 俺だって内心じゃバクバクだったよ。もし誰か一人でも寝坊したり、授業中にスマホをいじってたりしたら、簡単に減点されてたんだからな。みんなが俺の言葉を信じて、一ヶ月間真面目にやってくれたおかげだよ」
俺は極めて自然な笑顔で、クラスのみんなの成果だと言葉を紡いだ。
実際、彼らが襟を正して生活したのは事実なのだから。たとえそれが俺の言葉を信じた結果ではなく、『絶対催眠』によってクラス全員の精神に直接刻まれた絶対のルールによるものだったのだとしても、みんなの頑張りでAクラスに昇格できたということに変わりはない。
「……そうかもしれないな」
綾小路は納得すると、再び山菜定食に視線を戻した。そしてお互いに少しずつ定食を摘まみながら、この会話を続ける。
「だが、あの入学二日目にお前が言った『みんなでこれから頑張ろうぜ』という言葉がなければ、今頃うちのクラスは完全に崩壊していた。それは間違いない。須藤や池、山内のような、およそ規律とは無縁に見える人間たちまでもが、お前の言葉で目の色を変えた。お前には人の心を動かす才能がある」
「はは、それは買い被りすぎだって。俺はただ、せっかく高校に入って同じクラスになったんだから、全員で協力した方がいいと思っただけさ」
俺がそう言って笑うと、綾小路の平坦な瞳の奥に、ほんの少しだけ温かみのようなものが灯った気がした。本来、自身の力を隠し、平凡な学生生活を送ろうとしか考えていなかった綾小路清隆。だが、この一ヶ月間では常にクラスのみんなのために、実力を隠しつつも真っ直ぐに行動しているように見えた。
そして、一人の『友人』として対等に接してくる俺という存在に、彼の心の氷は少しずつ、確実に溶け始めているようだった。こうして彼が少しずつ変わっていけるのなら、それは喜ばしいことだろう。
「正路」
「ん?」
「お前と話していると、時々、自分の中で凝り固まった考え方が少しだけ軽くなるような、変わっていくような、そんな気がする。……いや、ただの独り言だ。気にするな」
「なんだそれ。まあ、何かあればいつでも相談に乗るからさ。俺たちは友達だろ?」
俺がポンと彼の肩を叩くと、綾小路は驚いたように目を見開いた後、ごく微かに、本当に微かに、口元を緩めたのだった。
「さて、残りも食べきって教室に戻ろうぜ、綾小路」
唐揚げを一口食べた綾小路が少しだけトーンの高い声で俺に話しかけてくる。
「正路、この唐揚げ、美味いな。お前が勧めてくれた理由がよく分かる」
ここの唐揚げが気に入ったのかもしれないな。唐揚げ定食を薦めてみようか。でも美味しいのは唐揚げ以外にもいっぱいある。食べたことのある他の定食を薦めてみるもの悪くないかもしれない。
「だろ? 明日は唐揚げ定食にしてみたらどうだ? それか奮発してスペシャル定食とかさ。美味いし、ボリューム満点だぞ」
「ああ、それもいいかもしれない。ほとんど減点されなかったおかげで、ポイントはたくさんあることだしな」
******
綾小路との昼休みの交流を経て、放課後。
俺は綾小路ともう一人、このクラスの根幹を支える少女――堀北鈴音と共に、ケヤキモールへと足を運んでいた。
ケヤキモールは賑わいを見せていた。五月一日のポイント支給直後ということもあり、買い物を楽しむ一年生たちの姿が目立つ。だが、俺たちの最初の目的は娯楽ではない。五月二十二日に控えている『中間テスト』を見据えた勉強会のための参考書探しだった。
「それにしても、見事なものね」
モールの並木道を歩きながら、堀北が長い黒髪を揺らして呟いた。その瞳は、一ヶ月前のあの刺々しさを少しだけ和らげ、どこか理知的な落ち着きを宿している。
「何がだ?」
「クラスの様子よ。Aクラスに上がったことで、みんなのモチベーションがさらに跳ね上がっているわ。須藤くんに至っては、今日の放課後に図書室で正路くんに薦められた小説を借りてから遊びに行くそうよ。一ヶ月前なら、誰がそんな未来を想像できたかしら」
「現代文の勉強になるって薦めたからなぁ。まあ、須藤は根が真面目だからやるべき理由さえ分かれば、誰よりも努力できる男さ」
俺が須藤を褒めると、堀北はふっと柔らかい笑みを浮かべた。
「そうね。……でも、それを引き出したのは、他ならぬ正路くん、あなたよ。私は、あなたのあの時の提案には懐疑的だった。でも、結果としてクラスは救われ、私はこうして最高の環境でスタートラインに立つことができた。……そのことに関しては、素直に感謝しているわ」
「珍しいな、堀北が素直に他人に感謝するなんて」
俺がからかうように言うと、彼女はすぐにいつものツンとした表情に戻り、ぷいと顔を背けた。
「勘違いしないで。私は客観的な事実を述べただけよ。あなたの実力を正当に評価して、クラスへの貢献に感謝したに過ぎないわ」
だが、その耳たぶがほんのりと赤くなっているのを、俺は見逃さなかった。
孤独と孤高を履き違え、周囲の人間を「足を引っ張るお荷物」だと切り捨てていた原作の堀北鈴音。だが、俺の催眠によって社交性の種を植え付けられた彼女は、この一ヶ月間のクラスメイトたちの頑張りを認めていた。彼女の頑ななプライドの壁は、少しずつ削り取られるようにして崩壊しつつあった。
「さて、着いたぞ。ここが書店だな」
俺たちの目の前に、ケヤキモール最大の書店が現れた。
自動ドアをくぐると、静謐な本の香りが鼻腔をくすぐる。学生向けの参考書コーナーには、すでに何人かの上級生や、意識の高い他クラスの一年生がいた。
「授業の進度を考えると、基礎を網羅しつつ、応用問題にも対応できるものが望ましいわね。中間テスト対策の参考書だもの」
堀北は棚の前に立つと、鋭い視線で何冊もの書籍を吟味し始めた。彼女の選書眼は確かだ。一冊ずつ手にとっては目次を確認し、内容の難易度を測っている。
その隣で、綾小路は文芸書の棚をぼんやりと眺めていた。
「綾小路、お前は参考書は見ないのか?」
「俺は、二人のほうが良い本を選べると思っているからな。それよりも、この学校の図書館にはない本に少し興味があるんだ」
「ほー、なるほどな。じゃあさ、図書館に置いてない本ってことで勉強の合間の息抜きに、これなんてどうだ?」
俺は漫画コーナーから、最近話題になっている心理戦重視のサスペンス漫画を手に取り、綾小路の前に差し出した。
「漫画……? 正路くん、私たちは今、試験の対策という重大な目的のためにここに来ているのよ。それを忘れるなんて――」
見咎めて小言を言おうとする堀北だったが、俺は笑ってそれを遮った。漫画だからってバカにするもんじゃあない。
「まあ待てって。この漫画、ただの娯楽じゃないんだ。登場人物たちが限られたルールの中で、どうやって相手の裏をかくか、どうやって味方と協力するか、っていう心理描写がもの凄くリアルなんだよ。これ、これからの特別試験とか、クラスの連携を考える上で、絶対に参考になると思うんだ」
「心理戦、か。確かにこの学校のシステム自体が一種のゲームのようなものだからな。読んでおいて損はないかもしれない」
綾小路が興味深そうに目を細め、本を手にとった。こういうものに今まで触れたことが無かったからだろうか、意外と興味津々な様子だ。
「正路くんがそこまで言うなら……少しだけ、見てみようかしら」
堀北も渋々といった様子で、綾小路の手にある漫画の表紙を見つめる。
「勉強ばかりじゃ頭が固くなる。たまにはこういうので脳を刺激するのも悪くないさ」
俺の提案に、二人は静かに頷いた。二人とも漫画に興味を持ってくれたようだ。これならおすすめした甲斐があったかな。
「あとは参考書を決めるだけだな」
堀北が、一冊の分厚い参考書を棚から取り出して、こちらに向ける。
「あ、そうだわ、正路くん。これなんてどうかしら?」
表紙には『基礎から始める高校数学・ステップアップブック』と書かれている。参考書選びで何度も名前を見たことのある有名な出版社のもののようだ。
「イラストを豊富に使って理解しやすく解説されているわ。これなら、須藤くんや池くん、山内くんたちにぴったりだと思うのだけれど……どうかしら?」
「いいなそれ! 解説が分かりやすいのは重要だ。文字ばかりだとあいつらが理解するのに時間がかかりそうだしな。さすが堀北、よく分かってるじゃないか」
俺が手放しで褒めると、堀北は嬉しさを隠すように、ふふんと小さく鼻を鳴らした。それが褒められて喜ぶ小さな子どものようで少し可愛らしい。
「これくらい、朝飯前よ。当然のことだわ」
その誇らしげな笑顔は、かつての彼女からは決して見られなかったであろう輝きに満ちていた。
それから少しして、漫画と参考書を購入した俺たちは書店を出てすぐのベンチで休憩していた。スマホで時間を確認すると、いつの間にか時間がそれなりに経っていたらしい。
「さて、最初の目的も達成したことだし、池たちじゃないけどさ、カラオケなんてどうだ?」
「放課後に一緒に遊ぶと昨日の夜に約束したからな。俺は勿論賛成だ」
娯楽の無いホワイトルームで育った綾小路は、初めて行くカラオケにワクワクしているのか、心なしかその目が輝いているようにも見える。
「じゃあ堀北は……俺たちと遊ぶのは嫌か?」
「そうね……。遊んでばかりというのは論外だけれど、たまには息抜きも必要だもの。ご一緒させてもらうわ」
少し柔らかな表情の堀北も賛成したので、俺たちはベンチから立ち上がり、購入した本の入った紙袋を抱えながら、二人と並んでカラオケ店へ歩きはじめる。
最初はただのクラスメイトでしかなかった関係。だが、こうして同じ本を眺め、他愛のない会話を重ねる中で俺たちの間には、確かな友人としての空気が、少しずつ確実に形成されていた。
なんていい話ナンダー、これは間違いなく普通の青春ストーリー。うん、間違いない。きっと。
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