車両は砂の道を進んでいた。
アビドス分校の校舎は、後方の砂に霞んでいる。前方には、ブラックマーケットへ続く古い道路が伸びていた。舗装はところどころ割れ、端には流れ込んだ砂が細く積もっている。
運転しているのはカヨコだった。
彼女はほとんど無駄な動きをしない。片手でハンドルを支え、もう片方の手で端末の地図を確認している。道の状態、廃墟の影、遠くを走る車両の動き。その一つ一つを、先生より早く拾っているように見えた。
助手席の後ろでは、アルが腕を組んでいる。
「ブラックマーケットね。いかにも悪党が集まりそうな場所だわ」
ムツキが楽しそうに笑った。
「アルちゃん、ちょっと嬉しそう」
「嬉しくなんてないわよ。風紀委員長として、無法地帯を取り締まる責任を感じているだけよ」
「うんうん。そういうことにしておくね」
「ムツキ」
アルが睨むと、ムツキは肩をすくめた。軽いやり取りに聞こえる。先生は少しだけ車内の空気が和らいだように感じた。
ハルカは装備の確認を終えると、膝の上で手を組んでいた。視線は前方の道に向いている。会議室で薬の噂が出た時、彼女の指がわずかに動いたことを、先生はまだ覚えていた。
先生はカヨコへ声をかける。
「ブラックマーケットには、よく行くの?」
「必要があれば」
「詳しそうに見える」
「詳しくなりたくてなったわけじゃないけどね」
カヨコは前を見たまま答える。
「向こうでは、正規の流通に乗らないものが集まる。武器、部品、薬、情報、生徒。何でもある。だから、変なものを見つけても勝手に触らないで」
その言い方は、アビドスの会議後に聞いたものと同じだった。
先生は頷く。
「分かった」
カヨコは少しだけバックミラーを見る。
「ハルカも」
「はい。分かっています」
ハルカの返事はすぐだった。緊張はある。それでも、仕事として受け止めている声だった。
ムツキが窓の外を見る。
「そろそろかな」
砂の向こうに、低い建物の集まりが見えてきた。
錆びた看板。増築を重ねた倉庫。色の違う鉄板で継ぎはぎされた壁。無造作に積まれたコンテナ。正規の店なのか、ただの物置なのか判別できない建物が、道の左右に並んでいる。
近づくほど、人の声と機械音が混じって聞こえ始めた。
ブラックマーケット。
先生は資料で名前を見ていた。実際に目にすると、そこは一つの市場というより、流れ着いたものがそのまま積み上がった場所に見えた。
武器の部品。古い医療機器。正規品かどうか分からない薬品ケース。用途の分からない機械。ヘルメット団の落書きが残る壁。荷台を布で隠した車両。
カヨコが車両を止める。
「ここからは歩く」
全員が降りると、アルがすぐに前へ出た。
「行くわよ。まずは聞き込みからね」
「アルちゃん、あんまり目立つと逃げられるよ?」
ムツキが軽く言う。
「目立つのは悪いことではないわ。こちらが堂々としていれば、相手も観念するものよ」
カヨコが短く言った。
「相手による」
アルは一瞬だけ言葉に詰まり、すぐに咳払いをした。
「とにかく、始めるわ」
最初に向かったのは、古い部品を扱う店だった。
店主らしき生徒は、先生たちを見るなり顔をしかめた。アルが一歩前に出る。
「少し話を聞かせてもらうわ。最近、この辺りでヘルメット団の動きが増えているでしょう?」
「知らないね」
即答だった。
アルは目を細める。
「本当に?」
「知らないって言ってるだろ。うちは部品屋だ。面倒事はよそでやってくれ」
店主はそっぽを向く。
ムツキがいつの間にか店の裏口側へ回っていた。逃げ道を塞ぐ位置だった。ハルカは入口近くに立ち、棚や積まれた荷物の位置を確認している。
カヨコは店内を見回した後、棚の下に置かれたケースへ視線を向けた。
「最近、医療品を扱う車両を見なかった?」
店主の肩がわずかに跳ねる。
先生にも分かる反応だった。
カヨコは続ける。
「ヘルメット団がよく出入りしてる倉庫も探してる。話してくれれば、今日はそれ以上見ない」
「……知らない。が、北側の倉庫街には最近よく人が集まってる」
店主は声を落とした。
「何をしてるかは?」
「本当に知らない。ただ、最近は荷物より人の出入りが多い。……連れてこられてるのかもな」
先生はその言葉を聞き逃さなかった。
「連れてこられる?」
店主は先生を見た後、すぐに目を逸らした。
「何度も言わせるな。俺は知らない」
それ以上は話さなかった。
カヨコは深追いしない。
「行こう」
店を出ると、先生はカヨコを見る。
「今の話、誘拐の噂と繋がる?」
「たぶんね」
カヨコは歩きながら答える。
「まだ確定じゃない……北側の倉庫街は調べる価値がある」
次の聞き込みでも、似たような話が出た。
最近、ヘルメット団の内輪揉めが増えている。
誰かが生徒を集めている。
出入りしている人間の数が合わない。
打てば強くなれる薬という噂。
人ではない、獣のような何かの目撃情報。
どの話も曖昧だった。
噂の出どころは分からない。買い手の名前も出ない。ヘルメット団が何をしているのか、はっきり見た者も少ない。
それでも、断片は少しずつ重なっていく。
生徒が消えている。
薬の話がある。
ヘルメット団が関わっている。
ある路地に入った時、アヤネから通信が入った。
「先生、通信状況は少し不安定ですが、まだ繋がっています。そちらの位置は確認できています」
「ありがとう。北側の倉庫街について、何か記録はある?」
「少し待ってください」
端末越しに、アヤネが操作する音が聞こえる。
「古い倉庫区画です。現在は正規の使用記録が少なく、持ち主不明の建物も複数あります。最近、夜間の出入りが増えているという情報があります」
「分かった。引き続き確認をお願い」
「はい。お気をつけて」
通信が切れる。
先生たちがさらに奥へ進もうとした時だった。
路地の向こうから、複数の声が聞こえた。
「だから、私は本当に、買い物に来ただけで……」
困りきった声だった。
先生が足を止める。
ムツキの表情から笑みが薄くなる。
「何かいるね」
カヨコが銃に手をかける。
「行こう」
路地を曲がると、数人のヘルメット団が一人の生徒を囲んでいた。
その生徒はトリニティの制服を着ている。手には小さな袋を抱えており、顔には困惑と恐怖が混じっていた。
「あ、あの……私はただ、限定ペロロ様グッズを見に来ただけで……」
「へえ、トリニティのお嬢様がこんなところにね」
「迷子かな? それとも売り物かな?」
ヘルメット団の一人が手を伸ばそうとした。
その前に、アルが声を張る。
「そこまでよ!」
路地に声が響いた。
ヘルメット団が一斉に振り返る。
アルは堂々と前に出た。
「アビドス分校風紀委員会委員長、陸八魔アルよ。無法な生徒誘拐の現場、見逃すわけにはいかないわ」
ムツキが横で小さく笑う。
「今の決まってたね」
「今はいいから」
先生は囲まれていた生徒へ声をかける。
「大丈夫?」
「は、はい……たぶん……」
彼女は袋を胸元に抱えたまま頷く。
ヘルメット団の一人が、先生の顔を見る。
「……なんだ、大人?」
声には苛立ちが混じっていた。
「アビドスの関係者か? それとも、ただの通りすがりかよ」
先生はすぐには答えず、囲まれていた生徒の位置を確認した。
カヨコが一歩動く。
「先生、下がって」
その言葉が終わる前に、ヘルメット団が武器を構えた。
戦闘は短かった。
ムツキが先に動き、路地の出口を爆発で塞ぐ。逃げようとした一人が足を止めたところへ、アルが正面から制圧射撃を加えた。
ハルカはトリニティの生徒の前に立つ。
「こちらへ。頭を下げてください」
「は、はい!」
ハルカは周囲の瓦礫と金属片を使い、即席の遮蔽物を作る。キヴォトスに来てからというものの、いくつも常識外の力を見てきたがそれは特に異質に思えた。
カヨコは無駄弾を使わず、武器を持つ相手から順に撃ち落としていく。足元、手元、壁際。相手の動きを止める場所だけを狙っていた。
先生は路地全体を見て、指示を出す。
「右側、逃げ道を塞いで。ハルカはその子を守って。アル、前を押さえて」
「任せなさい!」
「了解です」
最後の一人が壁際に追い詰められ、武器を落とした。
ムツキがにこりと笑う。
「逃げる場所、なくなっちゃったね」
ヘルメット団は舌打ちした。
カヨコが銃口を向ける。
「話を聞かせてもらう」
救出されたトリニティの生徒は、まだ状況を飲み込めていない様子だった。
先生は彼女に向き直る。
「怪我は?」
「だ、大丈夫です。助けてくださって、ありがとうございます」
彼女は深く頭を下げた。
「トリニティ総合学園の阿慈谷ヒフミです」
「私は先生。どうしてここに?」
ヒフミは少しだけ視線を泳がせた。
「その……限定のペロロ様グッズが入荷するって聞いて……。怪しいとは思ったんですけど、どうしても気になってしまって……」
先生は袋を見る。
中には、ペロロの小物らしきものが入っていた。
アルが腕を組む。
「まったく。こんな危険な場所に一人で来るなんて、無謀にもほどがあるわ」
ヒフミは縮こまる。
「す、すみません……」
ムツキが横から覗き込む。
「でも、ペロロ様ってそんなに大事なんだ?」
「はい。とても」
そこだけ、ヒフミの返事は少し強かった。
場の空気がわずかに緩む。
先生はその間に、カヨコの方へ視線を向けた。
拘束されたヘルメット団の一人が、悪態をついている。
「くそ、なんでこんなところに風紀委員がいるんだよ……」
カヨコは淡々と聞いた。
「最近、生徒を集めてるのは誰?」
「知らねえ」
「じゃあ、薬は?」
その言葉で、ヘルメット団の表情が変わった。
カヨコは見逃さない。
「知ってるんだね」
「……さあね」
ヘルメット団は口元を歪める。
「しぶとそうな奴を集めてるだけさ」
先生の背筋に、冷たいものが走った。
「それは、どういう」
ヘルメット団は笑う。
「知らないの? 最近流行ってる薬。強くなれるんだってさ。耐えられればだけどね」
ハルカの顔色が変わった。
アルが一歩前へ出る。
「あなたたち、それがどういう意味か分かって言っているの?」
「こっちは運ぶだけだ。買うやつがいるから、売るやつがいる。それだけだろ」
カヨコの銃口が、少しだけ上がった。
声は低い。
「誰に売ってる」
「言うわけないだろ」
ムツキの笑みも消えていた。
ヒフミは会話の意味を全て理解した様子ではなかった。それでも、自分が何に巻き込まれかけたのか、少しずつ察しているように見えた。
「この子を狙ったのも、そのため?」
先生が聞くと、ヘルメット団は目を逸らした。
それが答えに見えた。
カヨコが端末を取り出し、アヤネへ通信を繋ぐ。
「アヤネ。阿慈谷ヒフミ、トリニティ生。保護対象。こちらの位置まで車を回せる?」
少しノイズが入った後、アヤネの声が返ってくる。
「確認しました。シロコ先輩と向かいます。先生、周辺にまだヘルメット団がいる可能性があります」
「了解」
先生はヒフミへ向き直る。
「この後、アビドスの生徒が迎えに来る。安全なところまで送ってもらおう」
「ありがとうございます……。あの、先生」
「何?」
「私、トリニティに戻ったら、このことを報告します。ペロロ様の件は、その……少し反省します」
先生は小さく頷いた。
「報告はお願い。ペロロ様の件も、次からは一人で来ないように」
「はい……」
しばらくして、アヤネとシロコが車両で到着した。
シロコは周囲を見回し、短く言う。
「ん。まだいるかもしれない。早く離れた方がいい」
アヤネはヒフミへ丁寧に頭を下げる。
「アビドス分校の奥空アヤネです。安全な場所までお送りします」
「す、すみません。よろしくお願いします」
ヒフミはもう一度先生たちへ頭を下げる。
「助けてくださって、本当にありがとうございました」
アルが腕を組む。
「今後は気をつけることね。ブラックマーケットは、限定グッズ目当てで一人歩きする場所ではないわ」
「はい……」
ムツキが小さく手を振る。
「ペロロ様、無事でよかったね」
「はい!」
その返事だけは、ヒフミらしい明るさが少し戻っているようにみえた。
アヤネとシロコの車両が出発する。
先生はそれを見送った後、拘束したヘルメット団の端末を確認した。
カヨコが画面を覗き込む。
「北側倉庫街の位置情報がある」
「さっきの聞き込みと一致するね」
「うん。最近の移動履歴もそこに集中してる」
アルが銃を持ち直す。
「なら、次はそこね」
ハルカが静かに頷いた。
「拘束された生徒がいるかもしれません」
ムツキは路地の奥を見る。
「急いだ方がよさそうだね。今の騒ぎで、向こうに伝わるかもしれないし」
先生は周囲を見た。
ブラックマーケットの音は戻り始めている。遠巻きにこちらを見ていた者たちは、何事もなかったように店へ戻り、路地の奥ではまた別の取引の声が聞こえた。
この場所では、誰かが連れていかれかけても、すぐに日常へ戻る。
先生は端末に表示された倉庫街の位置を見る。
「行こう。誘拐された生徒がいるなら、今助ける」
カヨコが頷く。
「こっち」
夕方が近づいていた。
ブラックマーケットの騒がしさは、倉庫街へ近づくほど遠ざかっていく。代わりに、古い金属が風で鳴る音と、砂を踏む足音が目立つようになった。
先生たちは、建物の影を選んで進む。
アルは前方を警戒し、ムツキは横道を見ている。ハルカはいつでも遮蔽物を作れる位置に立ち、カヨコは端末の地図と実際の建物を照らし合わせていた。
やがて、目的の倉庫が見えた。
外壁は錆び、窓の多くは塞がれている。正面の扉には新しい鍵がかけられ、横の搬入口にはタイヤの跡が残っていた。
中に何があるのか、外からは分からない。
先生は、アビドスでカヨコが言っていた言葉を思い出す。
今ここで話すには、重すぎる。
そして、先ほどヘルメット団が吐き捨てた言葉。
薬に耐えられそうな生徒の方が高く売れる。
先生は息を整えた。
「突入の準備を」
アルが頷く。
「任せなさい」
ムツキが爆薬を手に取る。
「静かに開ける? 派手に開ける?」
カヨコが短く答えた。
「まずは静かに」
ハルカは扉の横に立つ。
「中に生徒がいる可能性があります」
先生は倉庫の扉を見つめた。
砂の混じった風が、足元を抜けていく。
その向こうに何があるのか、先生にはまだ分からない。
先生は小さく頷いた。
「行こう」
倉庫の扉へ、カヨコが手を伸ばした。