カイザーPMC基地は、砂漠の奥に沈むように建っていた。
高い外周フェンスの向こうに、無機質な建物が並んでいる。監視塔のライトが砂の上をゆっくりと撫で、装甲車両の影がゲート付近に固まっていた。アビドス分校の校舎とは違い、そこには生活の気配がほとんどない。人を守るための施設というより、何かを隠し、近づくものを拒むための壁に見えた。
先生は車両から降り、端末に表示された時刻を確認した。
アヤネの通信はまだ繋がっている。少しノイズは混じるが、作戦に支障が出るほどではない。シロコはすでに裏手の搬入口へ向かい、セリカとノノミは救護班と搬送車両を待機位置に移していた。
正面には、先生、ホシノ、ヒナ、ツルギ、ハスミ、アル、カヨコ、ハルカ、ムツキがいる。
基地側もこちらに気づいていた。ゲートの上のカメラが動き、監視塔のライトがこちらへ向く。しばらくして、外部スピーカーから硬い声が響いた。
『ここはカイザーPMC管理区域である。関係者以外の接近を禁じる。ただちに退去せよ』
先生は端末を開き、通信を外部回線へ繋ぐ。
「こちらは連邦生徒会、S.C.H.A.L.E.の先生です。アビドス分校周辺で発生した生徒誘拐、違法薬物の流通、およびブラックマーケット北側倉庫で確認された超人薬関連物品について、カイザーPMC基地への強制調査を行います」
ゲートの向こうで、兵士たちが動く気配があった。銃口がこちらを向く。先生は声を変えずに続ける。
「ブラックマーケット北側倉庫では、拘束された生徒を複数保護しました。現場からはアンプルケース、搬送名簿、薬物使用の痕跡を確認しています。さらに、同倉庫周辺の搬送記録と、当基地への不審な搬入記録には時間帯の一致が見られます」
スピーカーから、少し間を置いて返答があった。
『当基地は合法的な契約に基づき運営されている。根拠のない調査には応じない。繰り返す。ただちに退去せよ』
先生はゲートを見上げた。
「これは要請ではありません。強制調査です。門を開けない場合、こちらで開けます」
返答はなかった。
代わりに、ゲート脇の装甲車両がわずかに前進した。監視塔の兵士が武器を構え、ドローンが数機、建物の上から浮き上がる。
先生は端末を下ろした。
「突入する」
その一言で、全員が動いた。
最初に前へ出たのはツルギだった。低く唸るような声とともに、正面ゲートへ向かって突っ込む。ハスミの狙撃が監視塔の照明を撃ち抜き、続けてドローンの一機を落とした。視界の端で火花が散り、砂の上へ破片が落ちる。
ホシノは先生の前に立ち、盾を構えた。カイザー兵の銃撃が正面から降り注ぐが、彼女は一歩ずつ前へ進み、先生と後方の動線を守る位置を維持する。
「先生、下がりすぎないでね。指示が届かなくなるから」
「分かった」
先生は戦況を見る。
正面ゲートはツルギが押している。ハスミは監視塔と重火器を優先して落としている。ヒナはまだ大きく動いていない。必要な時だけ銃を抜き、ツルギやホシノの隙間を抜けようとする敵を正確に止めていた。布に包まれた長い武器には触れていない。
アルたちは右側へ展開していた。
「ムツキ、側面の車両を止めて。ハルカは遮蔽物を作って、カヨコは進入口を確認」
「はーい」
「了解」
「はい」
ムツキの爆発が、ゲート横の装甲車両の進路を塞ぐ。ハルカは倒れた鉄柵と砂に埋もれた資材を組み合わせ、先生たちが前進するための遮蔽物を作った。カヨコは銃撃の合間を縫って、ゲート脇の制御盤へ近づいている。
アルは正面に立ち、声を張った。
「カイザーPMC! 生徒を誘拐し、怪しい薬に関わった疑いがある以上、見逃すわけにはいかないわ!」
カイザー兵が撃ち返す。
「勝手なことを言うな!」
「勝手ではないわ。こちらには先生がいるのよ!」
アルの言葉はいつものように大きい。けれど、先生には、その声が味方の位置を整えるための合図にもなっていると分かった。アルが敵の注意を引きつけ、その隙にムツキとカヨコが動く。
カヨコが制御盤から離れた。
「ロックは内側から固めてる。普通には開かない」
ツルギがゲートの前で足を止める。
「なら、壊す」
次の瞬間、重い衝撃音が砂漠に響いた。
ゲートが歪む。二度目の衝撃で接合部が飛び、三度目で片側の扉が内側へ倒れ込んだ。砂煙が上がり、その向こうに基地内部の通路が見える。
先生は端末を握り直す。
「全員、前進。救護班はまだ待機。内部の安全確認後に誘導する」
アヤネの声が通信に入る。
『了解しました。通信は継続しています。シロコ先輩から、裏手の搬入口に車両の待機を確認したと報告がありました』
「シロコには逃走車両を止める準備をお願い。深追いはしないで」
『了解です』
基地内部へ入ると、抵抗はさらに激しくなった。
外から見えていた軍事施設としての顔が、内側ではよりはっきりする。整備中の装甲車両、弾薬ケース、監視端末、複数の通路を塞ぐ簡易バリケード。カイザーPMCは、こちらを正面から足止めするつもりだった。
先生は地図と実際の通路を照らし合わせる。
「ハスミ、左の高所を。ツルギは正面のバリケード。ヒナ、右側から抜けようとしている部隊を止めて」
「承知しました」
「……潰す」
「了解」
ハスミの射撃が高所の銃座を沈黙させ、ツルギがバリケードごと敵の陣形を崩す。ヒナは最短距離で右側へ移動し、突入班の側面を狙った部隊を一瞬で制圧した。動きは静かで、無駄がない。先生には、彼女が必要な分だけ力を使っているように見えた。
アルたちは、基地内の倉庫区画へ入っていた。
「先生、こっちに薬品ケースらしきものがある」
カヨコの声が通信に入る。
先生が向かうと、そこには金属棚に並べられた細長いケースがあった。形状はブラックマーケットの倉庫で見た空のアンプルケースに近い。ただ、数がまるで違う。棚の上にも、床のコンテナにも、同じ規格のケースがいくつも積まれていた。
ハルカが距離を取ったまま確認する。
「先生、ブラックマーケットの倉庫で見たものと似ています。でも、こちらの方がずっと数が多いです」
声は硬いが、報告は落ち着いていた。
カヨコは棚のラベルを見ている。
「こっちが元かもしれない。ブラックマーケットに流れてたのは、ここから出たものの一部だと思う」
アルが歯を食いしばる。
「こんな量を……」
先生はケースに触れず、端末で記録を取る。
「アヤネ、映像を送る。記録して」
『受信しました。保存します』
その時、基地内の通信から慌ただしい声が漏れた。
『実験区画の封鎖を解け! 時間を稼げ!』
カヨコの目が細くなる。
「実験区画」
先生はすぐにアヤネへ確認する。
「この基地に実験区画と思われる場所は?」
『正式な図面にはありません。ただ、電力消費の偏りがある区画があります。倉庫区画の奥、地下に近い位置です。通常の整備施設としては電力使用が大きすぎます』
「そこへ向かう」
先生が言うと、ヒナが近づいてきた。
「先生、嫌な気配がするわ」
その言葉が終わるより早く、奥の通路から金属がひしゃげる音が聞こえた。
カイザー兵が数人、後退してくる。彼らは先生たちを見て撃とうとしたが、その背後から現れたものを見た瞬間、動きが乱れた。
通路の奥に、複数の獣がいた。
生徒の制服の名残をまとったもの。腕が異常に伸びたもの。顔の輪郭が崩れ、牙のような歯を剥き出しにしたもの。目は濁り、ヘイローは見えない。ブラックマーケットの倉庫で見た獣化個体と同じものが、そこに何体もいた。
先生の喉が詰まる。
一体だけではなかった。
あの倉庫で死んだ生徒は、例外ではなかった。
獣化個体の一体が、近くにいたカイザー兵へ飛びかかった。悲鳴が上がる。別の個体は壁を蹴り、先生たちの方へ向かってくる。
「ハルカ、保護線を作って!」
「はい!」
ハルカが前へ出て、資材と床材を組み上げる。厚い壁が通路の中央に立ち、獣化個体の進路を一瞬だけ塞いだ。爪が壁を削り、金属が裂ける音が響く。
アルが撃つ。
「止まりなさい!」
弾は当たっている。それでも、獣化個体は止まらない。ムツキの爆発で足元を崩しても、カヨコが関節を狙っても、すぐに別の個体が前へ出る。
通路の向こうには、救護班が通る予定だった後方ルートがある。
獣化個体の一体が壁を乗り越えようとした。
ハルカがすぐに動く。
「こちらで進路を制限します。先生、後方の避難経路はまだ使えます」
「無理はしないで」
「止めます。ここから先には、行かせません」
ハルカの声は震えていなかった。彼女は壁をさらに厚くし、横から回り込もうとした個体を鉄塊で押し戻す。防ぐだけではなく、進む方向を限定しようとしていた。
先生は戦況を見た。
時間をかければ、こちらが崩れる。獣化個体は痛みで止まらない。彼女たちの身体は、もう長く持たないのかもしれない。ブラックマーケットの倉庫で見た最後の痙攣が、先生の脳裏に浮かぶ。
カヨコが隣に来る。
「先生。ここで迷うと、こっちが崩れる」
その声は低かった。
先生は答えられなかった。
獣化個体の一体が、壁の隙間を抜けてくる。ホシノが盾で受け止めるが、衝撃で砂と破片が舞った。ハスミが狙撃で足を止め、ツルギが前へ出る。けれど、さらに奥から別の個体が現れる。
先生は、ヒナを見た。
ヒナはもう布で包まれた武器に手をかけていた。
何をするのか、先生には分からない。だが、カヨコとハルカの反応で、それが獣化個体を止めるためのものだと分かる。
先生は息を吸う。
「ヒナ」
ヒナが先生を見る。
その目は静かだった。命令を待っているのではない。責任の所在を、先生に預けようとしているように見えた。
先生は、倉庫で死んだ生徒を思い出す。
今度は、判断を曖昧なまま生徒に渡すわけにはいかない。
「止めて」
先生は言った。
「その判断の責任は、私にある」
ヒナは一度だけ目を伏せた。
「……分かったわ」
布が解かれる。
中から現れた刀身は、普通の武器には見えなかった。光を反射するのではなく、周囲の空気ごと薄く切り取るような冷たさがある。先生はその名を知らない。それでも、その場にいる何人かが息を詰めたのは分かった。
ヒナが前へ出る。
獣化個体が飛びかかる。ヒナは最小限の動きでそれを避け、刀を振るった。
音はほとんどなかった。
獣化個体の動きが止まり、次の瞬間、体が崩れる。黒く濁った血が床に広がった。ヘイローは戻らない。声もない。
ヒナは続けて二体目へ向かった。
速い。だが、華やかではない。先生には、彼女が戦っているというより、これ以上苦しみが広がる前に終わらせようとしているように見えた。獣化個体が爪を振るう前に、ヒナの刀がその動きを断つ。壁を越えようとした個体も、後方へ向かいかけた個体も、短い時間で床へ沈んだ。
誰も歓声を上げなかった。
最後の一体が倒れると、通路には銃煙と薬品の臭いだけが残った。ハルカは壁を維持したまま、床に倒れた獣化個体を見ている。アルは銃を下ろせず、ムツキも口を開かなかった。
先生はヒナの背中を見る。
刃を握る手は揺れていない。けれど、平気なようには見えなかった。
「ヒナ」
先生が声をかけると、ヒナは振り返った。
「辛くない?」
その問いを口にしてから、先生は自分でも残酷なことを聞いたと思った。
ヒナは少しだけ目を伏せる。
「……少し」
短い返事だった。
彼女は倒れた獣化個体へ視線を戻す。
「でも、止めなければもっと増えるから」
先生は何も言えなかった。
ヒナは刃を下ろし、再び布を巻き直そうとはしなかった。まだ必要になるかもしれないからだと、先生は思った。その考えが浮かんだこと自体が、重かった。
アヤネの通信が入る。
『先生、電力消費の大きい区画はこの先です。今の通路を抜けると、地下へ続く階段があります』
「分かった。救護班はまだ入れないで。安全確認が終わるまで待機」
『了解しました』
先生たちは、獣化個体の倒れた通路を越えて奥へ進んだ。
そこから先は、基地の雰囲気が変わった。
整備施設や兵器庫とは違う。壁は厚く、扉には複数のロックがかけられている。ガラス越しに見える部屋には、拘束台のようなものが置かれていた。冷却装置、薬品棚、空になったタンク、血液保存用と思われる容器。床には急いで運び出された跡があり、端末のいくつかは破壊されていた。
カヨコが低く言う。
「ここで、何体も処理してる」
先生は、ガラスの向こうの部屋を見る。
椅子に固定するための拘束具。壁に残った爪痕。床の排水溝。先生は一つ一つを見て、ここで何が行われていたのかを想像しそうになり、途中でやめた。
やめても、分からなくなるわけではなかった。
アルが震える声で言う。
「こんなの、実験場じゃない」
カヨコは否定しない。
ハルカが薬品棚の前で立ち止まる。
「先生。ここにもアンプルケースがあります。空のものが多いです。使用済みだと思います」
「触らないで。記録だけ取ろう」
「はい」
ムツキが奥の扉を見る。
「ねえ、あそこ。まだ電気が生きてる」
重い扉の向こうから、低い機械音が聞こえていた。先生は端末で位置を確認する。アヤネが示した電力消費の中心は、その扉の奥だった。
ヒナが前へ出る。
「開けるわ」
カヨコが横につき、制御盤を確認した。
「ロックは生きてるけど、外から開けられる。向こうに誰かいる」
先生は全員の位置を見る。
「準備を」
ハスミが後方で構え、ツルギが扉の正面に立つ。ホシノは先生の前で盾を構え、アルたちは左右へ分かれた。ハルカはすぐに壁を作れる位置に立ち、ムツキは退路を確保している。
カヨコがロックを解除した。
扉が重い音を立てて開く。
その奥に、広い実験室があった。
天井は高く、中央には大型の機械が置かれている。壁際には薬品保管庫と端末が並び、床には太いケーブルが這っていた。奥には透明なタンクがあり、その中に一人の生徒が浮かんでいる。
彼女の身体は、人の形を保っていた。
だが、完全に普通の生徒でもなかった。腕や肩の一部が歪み、皮膚の下に獣のような筋肉の隆起が見える。ヘイローの光はかすかに残っているが、その輪郭は不安定に揺れていた。
カヨコが低く呟く。
「適合した個体……?」
ヒナが刃を握り直す。
実験室の奥で、スーツ姿の機械の男が振り返った。
銀色の装甲に覆われた顔。黒いスーツ。鮮やかな橙のネクタイ。人の形をしているが、表情と呼べるものはほとんどない。それでも、先生にはその男がこちらを見下ろしているように感じられた。
「やはり来たか。シャーレの先生」
ホシノの目が細くなる。
「カイザーPMC理事……」
その名を聞いて、先生は男を見る。
「ここで何をしている」
理事は答えず、タンクの方へ視線を向けた。
「失敗作ばかりではないということだ」
その言葉と同時に、実験室の奥で大型機械が動き出した。
床が震える。格納されていた装甲が展開し、巨大な兵器の影が立ち上がる。先生の端末が警告を表示した。
ゴリアテ。
その名前が画面に浮かぶ。
同時に、タンクの中の生徒の指が、わずかに動いた。
先生は息を呑む。
カイザーPMC理事は、薄く笑ったように見えた。
「実用段階へ進めるには、少々予定が早まったが」
タンクの中で、かすかな泡が上がる。
ヒナの刃を握る手に力が入る。ホシノが盾を構え直し、ツルギが前へ出た。ハスミは照準を上げ、アルたちは先生の左右に展開する。
先生は、タンクの中の生徒を見つめた。
まだ生きている。
その事実だけが、次の判断を重くした。
ゴリアテの駆動音が、実験室を満たしていく。