黒原イトの青春   作:蝦蟇

29 / 33
守るべき子供たち

 

 実験室の床が震えていた。

 

 奥の格納部から立ち上がった巨大兵器は、天井近くまで届くほどの高さがある。厚い装甲、左右に展開する重火器、脚部に組み込まれた駆動機構。先生の端末には、警告表示とともに機体名が浮かんでいた。

 

 ゴリアテ。

 

 その名前を確認する間にも、機体の各部が起動していく。関節部のロックが外れ、装甲の隙間から熱が漏れ、複数の照準が先生たちの方へ向いた。

 その奥では、タンクの中の生徒がわずかに指を動かしていた。

 先生は、その両方を見なければならなかった。目の前には巨大兵器があり、横にはまだ生きている生徒がいる。カイザーPMC理事は、それを見せつけるように実験室の奥に立っていた。

 

「そんなものまで持ち出すんだ」

 

 ホシノが盾を構えながら呟く。

 理事は薄く笑ったように見えた。

 

「自社資産をどの場面で運用するかは、こちらが決める」

「生徒も資産って言うつもり?」

 

 ホシノの声が低くなる。

 理事はタンクへ視線を向けた。

 

「適性があるなら、運用価値がある。適性がなければ、処分する。それだけの話だ」

 

 先生は息を吸った。

 

「生徒は資産じゃない」

 

 理事の顔に表情はない。けれど、その沈黙は、先生の言葉を理解できないというより、理解する必要がないと切り捨てているように見えた。

 

「守るべき子どもたちだ」

「甘いな、先生」

 

 理事はそう言い、片手を上げた。

 ゴリアテの砲口が開く。

 

「その甘さで、どこまで守れるか見せてもらおう」

 

 砲撃が来た。

 ホシノが前へ出る。盾に衝撃が叩きつけられ、周囲の床材が跳ね上がった。先生の視界が砂煙と破片で埋まる。ハスミの射撃がゴリアテの右肩部へ入り、照準装置の一つを破壊した。ツルギはその隙に前進し、脚部へ向かって突っ込む。

 

「ツルギ、正面を押さえて。ハスミは肩部と火器管制を優先。ホシノは私の前を維持。ヒナ、タンクの方を見て」

 

 先生が指示を出すと、全員が即座に動いた。

 ヒナはゴリアテへ向かわなかった。彼女の視線は、タンクの中の生徒に向いている。布の外れた金剛星刀を握ったまま、距離を詰めすぎず、かといって離れすぎもしない位置へ移動した。

 カヨコも同じ方向を見る。

 

「先生、タンクの中の子、起きるよ」

 

 その言葉が終わる前に、透明な壁の内側で泡が大きく弾けた。

 タンクの生徒が目を開く。

 濁った目だった。完全に理性を失っているようには見えない。それでも、そこに普通の意識が残っているのか、先生には分からなかった。腕の一部は異常に膨れ、肩から背中へかけて獣のような筋肉が盛り上がっている。ヘイローはかすかに残っているが、輪郭は歪み、何度も明滅していた。

 タンクのガラスに、内側から亀裂が入った。

 ハルカが前へ出る。

 

「あの子の周囲を封じます」

「危険なら下がって」

「下がると、周りを巻き込みます」

 

 ハルカは床に手を当てた。

 鉄材が組み上がり、タンクの周囲に厚い壁が生まれる。壁の内側でガラスが割れ、液体が床へ流れ出した。生徒だったものは、濡れた体を引きずるようにして立ち上がる。

 その瞬間、実験室の空気が変わった。

 床に倒れていた獣化個体の死骸が、ぴくりと動いた。

 

 先生は目を疑った。

 獣化個体だけではない。先ほど通路で倒されたもの、実験室の隅に放置されていた失敗個体、砲撃に巻き込まれたカイザー兵の身体まで、ぎこちなく起き上がろうとしている。生命が戻ったようには見えない。糸で無理やり引き起こされる人形のように、関節の向きも、動きの順番もおかしかった。

 カヨコが低く言う。

 

「……ゾンビ?」

 

 先生は彼女を見る。

 

「ゾンビ?」

「超人には、それぞれモチーフになるようなものがある。あの子は、死んだものを使うタイプ……たぶん」

 

 タンクから出た生徒は、喉の奥で笑うような音を漏らした。声と呼ぶには濁りすぎている。周囲で起き上がった死体たちが、一斉に動き出す。

 ヒナが金剛星刀を構えた。

 

「先生、こっちは私が対応するわ」

 

 カヨコが隣に立つ。

 

「私も行く。あれは数で押してくる」

 

 ハルカも壁を作ったまま、静かに言った。

 

「私も、止めます。囲まれたら危険です」

 

 先生はゴリアテを見る。巨大兵器の次の砲撃が来る。ホシノとツルギ、ハスミだけでも対応できるが、指示が必要だった。同時に、ゾンビの超人を放置すれば、死体の群れが後方へ流れる。

 先生は短く息を整える。

 

「ヒナ、カヨコ、ハルカはゾンビの超人を止めて。倒れている個体を後方へ行かせないで。アルとムツキは遊撃、どちらかが崩れそうなら補助に回って」

「分かったわ」

「了解」

 

 アルとムツキが左右へ分かれる。

 その直後、ゴリアテが再び砲撃した。

 ホシノが盾で受け、ツルギが爆風の中を抜けて脚部へ斬り込む。ハスミの弾丸が関節部の外装を削り、先生は端末に表示される装甲の薄い部分を確認した。

 

「右脚の膝部、外装が薄い。ツルギ、そこを崩して。ハスミは右肩の火器を止めて」

「承知しました」

「……壊す」

 

 ツルギが低く答え、ゴリアテの足元へ潜り込む。

 ゴリアテは重量で押し潰そうと脚を振り下ろした。ホシノが先生の前から動き、盾を斜めに差し込む。直撃ではない。軌道をわずかに逸らすための動きだった。脚部が床を砕き、そこへツルギが踏み込んだ。

 金属が裂ける音が響く。

 

 同時に、実験室の反対側では、死体の群れが広がっていた。

 ヒナは金剛星刀で起き上がった個体を斬る。斬られたものはその場で崩れるが、少し離れた別の身体がすぐに動き出す。床に残った死骸、壁際に倒れていた獣化個体、処理台の上に放置されていた失敗作。数は減っているはずなのに、動くものが途切れない。

 

 ハルカは壁を作るだけでは終わらなかった。

 腕から伸びた刃が、横から迫る個体を切り払う。床から突き上がった鉄塊が、別の個体を天井近くまで押し上げ、崩れた配管に叩きつけた。さらに鎖が生まれ、複数の死体をまとめて縛り、ヒナの前へ流れる数を絞っていく。

 

 先生は、ハルカの動きに一瞬だけ目を奪われた。

 彼女は怯えていないわけではない。表情は強張っている。けれど、何を止め、何を通さないかを判断する動きに迷いは少なかった。守るために壁を作り、必要なら前へ出て斬る。その切り替えが速い。

 

 カヨコは姿を消すように動いていた。

 起き上がった死体の陰に入り、通路の影へ抜け、別の死体を盾にしてゾンビの超人へ近づいていく。彼女は群れ全体を相手にしていない。中心にいる生徒だけを見ていた。

 ゾンビの超人が笑うような音を漏らす。

 死体の一つがカヨコへ飛びかかった。カヨコは避けず、その身体を撃って軌道をずらし、自分とゾンビの間に盾として挟む。そのまま死体の脇を抜け、ゾンビの肩口へ銃撃を入れた。

 ゾンビの身体が揺れる。

 痛みはあるようだが、倒れない。周囲の死体が一斉にカヨコへ向かう。

 

「カヨコ!」

 

 アルが叫び、援護射撃を入れる。ムツキの爆発が死体の進路を乱した。

 

「アルちゃん、右!」

「分かってるわ!」

 

 アルはカヨコの退路を作りながら、ゾンビの注意を引いた。ムツキは爆発で群れをまとめて吹き飛ばすのではなく、死体同士をぶつけ、進路を絡ませている。軽い声は少ない。二人とも、笑って済ませる場面ではないことを分かっていた。

 先生はゴリアテとゾンビの両方を見ながら、指示を重ねる。

 

「ハスミ、ゴリアテ左肩の砲口。ホシノ、次の砲撃は右へ受け流して。アル、カヨコの退路を維持。ムツキ、死体を中央に集めないで、壁際へ流して」

 

 通信越しにアヤネの声が入る。

 

『先生、ゴリアテの背部に冷却機構と思われる熱源があります。そこを止めれば、出力が落ちる可能性があります』

「ハスミ、聞こえた?」

「確認しました。ですが、背部は正面から狙えません」

 

 ツルギがゴリアテの足元で言う。

 

「……倒せばいい」

 

 ホシノが盾を構え直す。

 

「じゃあ、倒す方向を決めようか。先生、右側なら空いてる」

 

 先生は実験室の配置を見る。右側には破壊された棚があるが、退避は可能。左側にはタンクとゾンビの戦闘がある。倒すなら右へ倒すしかない。

 

「ゴリアテを右へ崩す。ツルギは右脚、ハスミは左肩の火器を止めて。ホシノ、正面から押し返すタイミングを合わせて」

「了解」

 

 ゴリアテが次の砲撃姿勢に入る。

 ハスミの弾丸が左肩の砲口へ吸い込まれ、内部で爆ぜた。火器が沈黙し、機体がわずかに傾く。ツルギが右脚部を裂き、ホシノが盾で正面から衝撃を受け止めながら、角度を変える。

 巨大な機体が、わずかに右へ傾いた。

 

「今!」

 

 先生の声に合わせて、ツルギが脚部へさらに踏み込む。

 ゴリアテの関節が折れた。

 機体が右へ崩れ、床を砕きながら倒れ込む。まだ停止はしていない。背部の冷却機構が露出し、熱を吐き出している。

 ハスミが照準を合わせる。

 

「撃ちます」

 

 一発目で外装が割れ、二発目で内部が露出し、三発目で冷却機構が破裂した。蒸気と火花が噴き上がり、ゴリアテの動きが大きく鈍る。

 それでも、機体は腕部を動かし、先生たちを狙おうとした。

 ツルギがその腕へ飛び乗る。

 

「止まれ」

 

 短い声とともに、重い打撃が落ちた。

 腕部が捩じ切れ、ゴリアテの上半身が床へ沈む。最後に機体全体が震え、端末の警告表示が赤から灰色へ変わった。

 

 ゴリアテ、機能停止。

 

 先生は息を吐く間もなく、ゾンビの方を見た。

 そこでは、戦いがさらに荒れていた。

 ヒナが何体も斬り伏せている。ハルカの鉄塊が死体の波を押し返し、鎖が床を走って個体を縛る。アルとムツキが左右から援護する。カヨコはもう一度、ゾンビの超人へ近づいていた。

 

 ハイエナの超人は、傷だらけになっていた。

 肩口、脇腹、脚。カヨコが入れた弾痕が増えている。それでも倒れない。死体を起こし、前へ押し出し、自分の身体が撃たれるたびに別の死体を盾にする。統制された戦術というより、周囲の死を全部かき集めて暴力に変えているように見えた。

 

 カヨコは、倒れたカイザー兵の身体が起き上がる瞬間を待っていた。

 その身体がゾンビの視界を遮る。カヨコはその陰に入り、足元を滑るように抜けた。ゾンビの腕が振るわれる直前、彼女の銃口が胸部へ向く。

 

 銃声が続いた。

 ゾンビの超人が膝をつく。

 カヨコはさらに一歩踏み込み、至近距離で撃った。

 ゾンビの身体が床に倒れる。

 周囲の死体が、一斉に糸を切られたように崩れた。

 

 先生は息を止めた。

 終わったように見えた。

 しかし、次の瞬間、倒れたゾンビの指が動いた。

 ヘイローの濁った光が強く揺れ、身体が痙攣する。倒れていた死体の一部が、再び持ち上がる。ゾンビの胸部が不自然に膨らみ、折れていたはずの関節が音を立てて戻った。

 カヨコが後ろへ跳ぶ。

 

「レイズ」

 

 ヒナが前へ出る。

 

「次で仕留める」

 

 先生は声を出そうとして、喉が詰まりかけた。

 ゾンビの超人は、まだ生きている。薬に適合した生徒。失敗作ではないと理事が言った個体。けれど、その身体はもう限界に近いように見えた。動くたびに皮膚が裂け、呼吸のたびに黒い液体が床へ落ちている。

 ヒナとカヨコが並ぶ。

 ハルカが二人の前に流れ込む死体を壁で分断し、鎖で押さえた。アルとムツキが左右から援護を入れる。先生は、ゾンビの動きと周囲の死体の流れを見た。

 

「ハルカ、そのまま中央を維持。ヒナとカヨコの正面だけ通す。アル、左の群れを止めて。ムツキ、右奥の死体を遅らせて」

「はい」

「任せなさい!」

「了解」

 

 ハルカの壁が左右に割れる。

 その細い道を、ヒナが進んだ。

 ハイエナの超人が吠えるような音を出し、周囲の死体を引き寄せる。カヨコがそのうちの一体を撃ち抜き、さらに別の死体を踏み台にして横へ抜けた。ゾンビの視線が一瞬だけカヨコへ向く。

 

 その隙に、ヒナが間合いへ入る。

 金剛星刀が振るわれた。

 ゾンビの腕が落ちる。続いて、カヨコの射撃が脚を止める。ヒナがさらに踏み込み、胸部へ刃を通した。

 ゾンビの超人の身体が、今度こそ床へ沈んだ。

 それでも、ヘイローの濁った光がもう一度揺れようとした。

 周囲の死体がわずかに動く。

 

 先生はそれを見た。

 まだ、戻ろうとしている。生きようとしているのか、薬がそうさせているのかは分からない。だが、その身体はもう耐えられない。皮膚は裂け、関節は変形し、呼吸の音はほとんど潰れていた。

 ゾンビの口がわずかに開いた。

 言葉にはならない。

 次の瞬間、光が消えた。

 動きかけていた死体たちも、同時に崩れ落ちる。

 ゾンビの超人は、もう動かなかった。

 

 

 

 

 

 

 実験室に、重い静寂が戻った。

 ゴリアテは沈黙し、ゾンビの超人も倒れている。動いているのは、破損した配管から漏れる蒸気と、警告灯の赤い明滅だけだった。

 誰も勝利を口にしなかった。

 

 ハルカは鎖を解き、床に倒れた死体たちを見ている。アルは銃を下ろしたが、表情は硬い。ムツキは壁際に視線を向けたまま、何も言わない。カヨコは倒れたゾンビの近くに立ち、しばらく動かなかった。

 

 ヒナは金剛星刀を下ろしている。

 先生は彼女に近づきかけ、足を止めた。

 聞くべき言葉が分からなかった。

 つらくないのか、と聞くには、もう遅い。つらいことは分かっている。それでも彼女は斬った。先生が止めると決めたから、ヒナはそれに応えた。

 

 先生は、倒れたゾンビの超人を見る。

 まだ生きている、と思った瞬間があった。救えるかもしれない、と考えた瞬間もあった。けれど、最後には止めるしかなかった。

 その判断の責任を背負うと言ったのは、自分だ。

 先生は拳を握った。

 理事の姿は、すでに実験室の奥から消えていた。

 

「逃げた?」

 

 アルが低く言う。

 カヨコが周囲を確認する。

 

「……奥の非常通路。戦闘の間に抜けたんだと思う」

 

 ムツキが端末を拾い上げる。

 

「こっちはデータ削除中。まだ全部は消えてないけど、かなり急いでるね」

 

 アヤネの通信が入る。

 

『先生、基地内部の一部端末で大量の削除処理を検知しました。外部への転送ログもあります。すぐに保全しないと、記録が失われる可能性があります』

「分かった。戦闘区域の安全を確認してから、資料を押さえる」

 

 先生は実験室を見回した。

 タンクは割れ、薬品棚は空のものが多い。端末のいくつかは破壊され、床には急いで運び出したような跡が残っている。ここで全てが行われていたのか、それとも、すでに重要なものは別の場所へ移されたのか。

 先生には、まだ判断できなかった。

 ただ、この場所が使い終わった後のように見えることだけは分かった。

 ホシノが隣に立つ。

 

「先生」

「うん」

「たぶん、ここで終わりじゃないね」

 

 先生は答える前に、倒れたゾンビの超人と、動かなくなったゴリアテを見た。

 そして、実験室の奥に残された空の保管ケースへ視線を移す。

 

「まずは、ここに残ったものを全部確認しよう」

 

 ホシノは頷いた。

 遠くで、救護班を呼ぶための通信が入る。ハスミが周辺警戒へ移り、ツルギは黙って扉の前に立った。ヒナは金剛星刀を布で包み直さず、しばらくそのまま握っていた。

 

 先生は端末を開く。

 赤い警告の消えた画面に、今度は保存中の記録が並んでいく。

 実験室に残ったものを、番号ではなく、名前へ戻すために。

 先生は、最初の記録を開いた。

 




カヨコはゾンビの超人と言っていたが、正確にはハイエナの超人
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。