黒原イトの青春 作:ナポリタン
風紀委員会本部に戻ってから、カヨコちゃんはほとんど喋らなかった。怒鳴られるより、よほど怖い。
静かに隣に座っているだけなのに、こちらの動きは見逃していない。私が少し身じろぎするたび、視線だけがすっと動く。その目に責めるような色はない。ないのに、だからこそ逃げ場がなかった。
「カヨコちゃん」
「何」
「怒ってる?」
「怒ってる」
即答だった。取り付く島もない。
「ですよね」
「うん」
「……ごめんなさい」
「それ、何に謝ってるの」
言葉に詰まった。
勝手に死んだこと。カヨコちゃんの前で死んだこと。死ねば戻れるかもしれないなんて正気ではないことを考えて、それを実行したこと。それで助かったから、少しだけ仕方なかったと思ってしまっていること。
どれも口に出せなかった。口に出したら、カヨコちゃんがもっと怖い顔をする気がした。
「……色々」
「便利な言葉だね」
ぐさっと来た。言葉が刺さる。しかも正論なので抜けない。
私は膝の上で両手を握った。爪は戻っている。人の手だ。けれど、さっき自分の首を裂いた感触が、まだ指先に残っている気がする。気持ち悪い。自分でやったのに。
「イト」
カヨコちゃんが、ようやくこちらを見た。
「次やったら、怒るだけじゃ済まないから」
「……はい」
「ほんとに分かってる?」
「多分」
「多分じゃない」
「はい」
完全に怒られている。でも、少しだけ安心した。怒られているということは、まだ怒ってもらえる場所にいるということだ。
そんな都合のいい考えをしている時点で、私は多分、あまり反省できていない。
廊下の向こうから足音が聞こえた。早い。ほとんど走っている。扉が開く。
「イト」
ヒナちゃんだった。息が少し乱れている。顔色はまだ悪い。なのに、こちらを見る目だけは真っ直ぐだった。
「ヒナちゃん」
私は立ち上がろうとして、カヨコちゃんに肩を押さえられた。
「座ってな」
「はい」
従った。今のカヨコちゃんには逆らえない。ヒナちゃんは私の前まで来ると、まず全身を確認した。
顔、首、腕、手、胸、足。ゆっくり視線が降りていき、首元で止まる。傷はもうない。でも、何かは残っているのかもしれない。
「何があったの」
声は静かだった。静かすぎて、逆に怖かった。
「えっと」
私は返答に困った。横からカヨコちゃんの視線が刺さる。ごまかすな、と言外に言われている。
「マヤって人に襲われて、蛇がいっぱいで、毒で動けなくなって、カヨコちゃんが助けに来てくれて、それで」
そこから先を、どう繋げればいいのか分からなかった。ヒナちゃんの目が細くなる。
「それで?」
「……レイズを、試しました」
「どうやって」
質問が短い。逃げ道がない。私は目を逸らした。それが答えになったらしい。ヒナちゃんの表情が消えた。
「イト」
「はい」
「自分で?」
「……はい」
沈黙。息が詰まる。ヒナちゃんは怒鳴らなかった。ただ私を見ていた。それが一番きつかった。
「痛かった?」
思っていたのと違う問いが来た。私はうまく答えられなかった。
「一瞬、だったから」
「そう」
ヒナちゃんは小さく息を吐いた。それから、私の手を取った。少し冷たかった。
「もうしないで」
「……はい」
「約束して」
約束。できるのだろうか。次にまた同じ場面になったら。ヒナちゃんが危なかったら。カヨコちゃんが危なかったら。私は、本当にしないと言えるのだろうか。
口が動かない。ヒナちゃんはそれを見て、わずかに眉を寄せた。私は最低だ。約束くらい、すぐすればいいのに。
「努力します」
「イト」
「ごめん。嘘はつきたくない」
ヒナちゃんの手に力が入った。痛い。でも、離さなかった。
「……そう」
ヒナちゃんはそれだけ口にした。カヨコちゃんは黙っていた。その沈黙が、痛かった。
野蛇マヤは、風紀委員会本部の地下にある拘束室へ運び込まれた。完全獣化しかけた超人で、生徒会の役員。普通に考えれば危険人物だが、あの姿を見た後だと、危険物と言った方が近い気がした。
生徒に対してその言い方はどうかと思うけれど、実際そうとしか言いようがない。彼女は特殊拘束具で固定され、薬品や能力による暴走に備えて、部屋全体に隔壁が下ろされた。私はその様子を、隣室のガラス越しに見ていた。
ヒナちゃんとカヨコちゃんもいる。キミカ先輩は腕を組み、イツキ先輩は端末を片手に立っていた。
「本当に大丈夫なんですか」
小声で尋ねると、イツキ先輩はあっさり否定した。
「大丈夫ではないね」
「え」
「相手は生徒会役員で、超人だ。万全ということはあり得ない。ただ、今できる限りの安全策は取っている」
「そういう意味の大丈夫でしたか」
「それ以外にどんな意味が?」
「安心できる言葉が欲しかったです」
「なら会長に頼むといい」
キミカ先輩が振り返る。
「大丈夫だ! 暴れたら私が殴る!」
方向性が少し違う気がする。でも、キミカ先輩が言うと本当に何とかなりそうな気もするから不思議だ。
「さて」
イツキ先輩が端末を閉じる。
「始めよう」
「尋問、ですか」
「尋問というより、記憶の確認だ」
記憶。その言葉に、私はイツキ先輩を見た。
「僕の能力はサイコ・シェアー。大雑把に言えば、イメージの送受信だ。自分の想像した像を相手に送りつけることができる」
「送りつける」
「言い方は悪いが、概ね正しい。相手の同意がある場合、あるいは意識が落ちている場合は、逆に相手の記憶やイメージを読み取ることもできる」
私は拘束室のマヤを見る。意識はない。眠っているようにも見える。でも、あれが目を覚ました瞬間に蛇になるかもしれないと思うと、全然穏やかではない。
「つまり、今なら」
「読める。断片的にだが」
イツキ先輩は淡々と告げた。ヒナちゃんが眉をひそめる。
「危険は?」
「ある。相手は超人だ。深く潜ればこちらも影響を受ける。だから浅く拾う」
「浅く」
「必要な情報だけだ」
イツキ先輩は拘束室に入った。キミカ先輩も続く。マヤの前に立ち、イツキ先輩が目を伏せる。何も起きていないように見えた。けれど、空気が少しずつ重くなっていく。
耳の奥がざらつく。コール。そう呼ぶのだと、イツキ先輩が教えてくれた。超人が変身や能力を使う時に漏れる、電波のようなもの。私はそれを、声のようなものとして感じ取るらしい。今、そのざらつきが、薄く、部屋に広がっていた。
「……砂」
イツキ先輩が呟いた。目は閉じたまま。
「砂漠。線路。巨大な砲身」
砲身。私は息を呑んだ。
「アビドス……か?」
キミカ先輩が低く口にする。
「おそらく。建造途中の兵器。列車砲に近い。名前は……シェマタ」
シェマタ。聞いたことのない名前だった。でも、聞いた瞬間に嫌な感じがした。大きい。遠い。こちらを向いている。そんな、根拠のない圧迫感。
「煙」
イツキ先輩の声が少し低くなる。
「施設を覆っている。外から見えない。煙の超人。煙羅……トモリ」
トモリ。初めて聞く名前だ。ヒナちゃんもカヨコちゃんも、表情を動かさない。キミカ先輩だけが、ほんの少し目を細めた。
「生徒会の隠し玉か」
「そう見ていいだろう」
イツキ先輩は言葉を繋ぐ。
「兵器の完成はまだ先だが、稼働試験は近い。完成すれば、ゲヘナだけでなく周辺学区にも被害が出る」
イツキ先輩の額に汗が浮かぶ。マヤの指先がぴくりと動いた。蛇の鱗のような模様が、皮膚に薄く浮かぶ。
「イツキ」
キミカ先輩が短く声を掛ける。
「分かっている」
イツキ先輩は目を開いた。その瞬間、部屋の空気が軽くなる。私は思わず息を吐いた。ずっと息を止めていたらしい。マヤはまだ眠っている。でも、表情が少し険しくなっていた。
「これ以上は危険だ」
拘束室から出てきたイツキ先輩は、明らかに顔色が悪かった。キミカ先輩がその肩を軽く支える。
「大丈夫か」
「問題ない。想定内だ」
「そういう顔じゃないぞ」
「これも含めてだ」
それは屁理屈では。と思ったけれど、口には出さなかった。
イツキ先輩は壁面モニターへ情報を映す。砂漠、線路、列車砲、シェマタ、煙の超人。断片的な単語と図面のような線が並んでいく。
「生徒会はアビドス砂漠で何かを建造している。おそらく、大規模砲撃兵器だ。トモリという煙の超人が施設を隠蔽している。マヤの記憶だけでは規模までは読めないが、放置できるものではない」
「ロカは?」
ヒナちゃんが問いかける。
「少なくとも、これには関与している。だが、現地に常駐している様子はない」
「じゃあ、本命はそのシェマタってやつか」
キミカ先輩が腕を組む。
「本命というより、布石だろうね。ロカが何を考えているかまでは、まだ見えない」
ロカ。またその名前。一体全体、何を考えているというのだろう。黒い超人に何かを期待して、マヤを送り込んできた。超人の薬を配り、アビドスに物騒な兵器を作ろうとしている。
遠くにいるはずなのに、こちらを覗き込まれているような気がした。私は拳を握った。手が少し震えていた。
「イト」
カヨコちゃんが横から小さく声を掛ける。
「無理に考えなくていい」
「……うん」
考えるなと言われても、考えてしまう。私がアンプルを使わなければ。ロカに見つからなかったのか。マヤは来なかったのか。カヨコちゃんが危ない目に遭うこともなかったのか。そういう考えが、頭の隅でぐるぐる回る。
「イト」
今度はヒナちゃんだった。
「それは違う」
「まだ何も言ってない」
「顔に出てる」
出ていたらしい。隠すのが下手すぎる。
「悪いのは、薬をばら撒いている側。人を壊している側。イトじゃない」
ヒナちゃんは断言した。
「……うん」
私は頷く。完全に納得できたわけではない。でも、今はそう言ってもらえただけでよかった。
その時だった。警報が鳴った。短く、鋭い音。訓練室でも、廊下でも、拘束室でも、赤いランプが点滅する。イツキ先輩が端末を確認し、ほんの少しだけ表情を変えた。
「来たか」
「生徒会か?」
キミカ先輩が問いかける。
「境界付近に三名。五摂ロカ、東宮斎ホノカ、畳紙メルリ」
空気が凍った。
「要求は」
「野蛇マヤの返還」
「早いな」
「想定よりも少しだけね」
イツキ先輩は端末を閉じた。
「どうする」
キミカ先輩の問いに、イツキ先輩は拘束室を一瞥してから答える。
「必要な情報は取れた。ここでマヤを抱え込む利点は薄い。むしろ、ロカ本人が来ている以上、拒否すれば交戦になる」
「返すのか」
「返す。ただし、こちらの条件で」
キミカ先輩は笑った。少しだけ獰猛な笑みだった。
「なら、私が出よう」
「キミカは当然だ。ヒナ、君も」
「はい」
ヒナちゃんが頷く。私は一歩前に出た。
「あの、私も」
「駄目」
ヒナちゃんが即答した。
「いや、でも向こうは私に用が」
「だから駄目」
強い。問答無用だった。しかし、イツキ先輩は少しだけ考える。
「いや、黒原イト君にも来てもらう」
「イツキ先輩」
ヒナちゃんの声が低くなる。
「ロカは彼女を見に来た。見せなければ、別の手で確かめに来る」
「それは」
「分かっている。危険だ。だから、こちらの戦力が揃っている場で対面させる」
ヒナちゃんは黙り込んだ。不安、怒り、迷い。その全部が、表情に滲んでいた。私は小さく手を上げた。
「私、行きます」
「イト」
「怖いけど。たぶん、ここで逃げた方がもっと怖いから」
ヒナちゃんは何かを言いかけた。でも、結局言葉を飲み込んだ。
「……私のそばから離れないで」
「うん」
「絶対に」
「うん」
絶対。今度は、ちゃんと頷けた。
正門前は、異様な静けさに包まれていた。風紀委員会の生徒たちが距離を取って包囲している。誰も引き金には指を掛けていない。掛けられない。重い空気が喉の奥に張りついて、息をするだけで胸が押し潰されるようだった。
正門の向こうに、三人が立っていた。一人は畳紙メルリ。昨日、ヒナちゃんを襲った折り紙の超人。一人は東宮斎ホノカ。背筋を伸ばし、冷たい目でこちらを見る生徒会副会長。指先に、時折小さな雷が走る。そして、その中心に五摂ロカがいた。
雷帝。もっと大きいと思っていた。もっと、化け物みたいだと思っていた。でも、そこにいたのは少女だった。普通に見える。少し退屈そうに立っている、ただの生徒に見える。
だからこそ、怖かった。あれが、ロカ。あれが、雷帝。あれが、ゲヘナを割った人。
ヒナちゃんが私の前に立つ。キミカ先輩が一歩前へ出る。イツキ先輩は少し後ろに控えていた。私も、ヒナちゃんのすぐ後ろにいる。正直、今すぐ帰りたい。でも、帰れない。
「やあ」
ロカが軽く手を上げた。友達の家に遊びに来たみたいな声だった。
「マヤちゃんを返してもらいに来たんだけど」
「返す」
キミカ先輩が応じた。
「ただし、こちらの敷地内では暴れるな」
「暴れないよ。今日はそのつもりじゃないし」
今日は。その一言だけで、背中が冷える。ホノカが一歩前に出た。
「早くしろ」
「ホノカちゃん、笑顔笑顔」
ロカが笑う。
「でもまあ、そうだね。返してくれるなら、それでいいよ」
拘束されたマヤが、風紀委員によって運ばれてくる。まだ意識はない。メルリの目が細くなった。
「マヤに何したん」
「拘束と最低限の処置だ」
イツキ先輩が答える。
「命に別状はない」
「当たり前やろ。あったらここ更地や」
メルリの声が低くなる。ホノカの雷が強くなる。キミカ先輩が笑った。
「やれるものならやってみろ」
空気が軋んだ。本当に。音がした気がした。
まずい。これはまずい。誰かが一言間違えたら、戦闘になる。戦闘になったら、ここが、風紀委員会本部が、全部。
「やめなよ」
ロカがぽつりと口にした。その一言で、ホノカの雷が収まる。メルリも舌打ちだけで黙った。ロカはキミカ先輩を見た。
「公佳キミカ。相変わらず元気だね」
「お前も相変わらずだな、ロカ」
「褒めてる?」
「まさか」
キミカ先輩の笑みは消えない。でも、横顔は固い。楽しんでいるように見えて、全身で警戒しているのが分かった。ロカは今度、ヒナちゃんへ視線を移す。
「君が空崎ヒナ」
ヒナちゃんは答えない。
「黒服が興味あるってさ。私も少し分かるよ。いい目をしてる」
「あなたに評価される覚えはない」
「そう?」
ロカは楽しそうだった。次に、その視線が私へ向いた。心臓が跳ねた。目が合った。軽い目だった。明るくて、無邪気で、好奇心に満ちている。そこだけ見れば、珍しいものを見つけた子どもみたいだった。
けれど、その奥が見えない。どこまで覗き込んでも底がない。
「あ」
ロカの顔がぱっと明るくなる。
「君だ」
逃げたい。足が動かない。
「黒原イト。黒い羽根の超人」
名前を呼ばれただけで、喉が乾いた。
「……あなたが」
声が震えた。でも、出た。
「あなたが、あのアンプルを」
「ん?」
ロカは首を傾げる。
「ああ。作ってるのは黒服だけど、元は私だね」
あっさり。そんなこと、なんでもないみたいに。
「なんで」
「なんで?」
「なんで、あんなものを」
ロカは少し考えるふりをした。そして、笑った。
「必要だから」
それだけだった。説明にもなっていない。でも、たぶんロカにとってはそれで十分なのだ。
「人が死んだんですよ」
「うん」
「……あの子は、マナカは、ミギとヒダリを殺した」
「……そうだね?」
一瞬、ロカの返事が遅れた。思い出しているようだった。誰の話だったかを。その程度のものとして。
「そうだね、じゃなくて」
声が大きくなりかけた。ヒナちゃんが少しだけ手を動かす。落ち着け。そう言われた気がした。でも、落ち着けない。
「あなたのせいで」
「だから?」
「……は?」
何を言っているのか、分からなかった。いや、言葉の意味は分かる。分かるのに、理解できない。
ロカは本当に不思議そうな顔をしていた。責められている理由が分からない、という顔だった。
「君が文句を言っても、その、マナカ? って子たちは生き返るわけでもないじゃん」
軽い声。軽い顔。
「私も、これやめるつもりないし」
ロカは笑った。
「意味ないよ」
声が遠くなる。手足が冷えた。それなのに、体の奥から何か熱いものがこみ上げてくる。胸の内側を引っ掻かれるみたいだった。喉が焼ける。視界が狭くなる。
気づけば、私は一歩前に出ていた。
「ッふざけるな!!」
背中が熱い。黒い羽根が腕を覆う。爪が伸びる。視界が少し高くなる。変身している、と理解した時には、もう地面を蹴ろうとしていた。
「イト!」
ヒナちゃんの声が聞こえた。でも、止まれない。
「お前は! 人を! 何だと思って!」
「おお」
ロカの顔が輝いた。
「それが君の力なんだね!」
こいつ。その顔で。そんな顔で。
私は翼を広げた。次の瞬間、頭の奥に冷たいものが差し込まれた。
『サイコ・シェアー』
声ではなかった。けれど、イツキ先輩のものだと分かった。怒りが消えたわけではない。消えていない。ロカに飛びかかりたい衝動は、まだ胸の奥にある。
けれど、その熱だけが急速に遠ざかっていく。自分の感情を、透明な壁の向こうから見ているような感覚だった。足が止まる。翼が震える。
「君のその善性は美徳だが」
イツキ先輩の声が、すぐ後ろから聞こえた。
「感情に振り回されてはいけない」
私は何も言えなかった。言えないまま、変身が少しずつ解けていく。羽根が落ちる。爪が戻る。熱が引いていく。
イツキ先輩は私の前に立たなかった。私を庇う位置ではなく、私がこれ以上前に出ない位置に立っていた。
「すまない。こちらの人間が粗相を起こしてしまって」
「いいよー」
ロカは気にした様子もなく笑った。
「煽ったの私だし」
悪びれもない。むしろ、満足そうだった。
「見たいものも見れた」
その視線が、もう一度私に向く。
「期待してるよ」
ロカが口にした。その言葉は軽かった。けれど、私の奥の方に、ずしりと落ちた。
「黒原イト」
キミカ先輩が一歩前へ出た。声が低い。
「話は終わりだ。マヤは返す。さっさと帰れ」
「うん。そうする」
ロカはあっさり頷いた。拘束を解かれたマヤを、メルリが受け取る。マヤはまだ眠っていた。メルリが乱暴そうで、意外と丁寧に抱える。
「マヤがおればそれでいい」
小さく、そう聞こえた気がした。ロカは背を向ける。ホノカが続く。メルリもマヤを抱えて歩き出す。その時、ロカがふと振り返った。
「そうだ」
指先が、こちらへ向いた。砲身のように変形する。
一瞬で空気が凍った。キミカ先輩が前に出る。
ロカの指先から、何かが放たれた。音より先に、衝撃が来た。キミカ先輩が腕を振る。
弾いた。弾いたのだと思う。
見えなかった。ただ、キミカ先輩の後ろの地面が抉れ、風紀委員会本部の外壁にひびが入った。誰も動けなかった。ロカは笑っていた。
「うん。やっぱり元気だ」
「ロカ」
キミカ先輩の声が低くなる。
「今のは挨拶だよ」
「次は殺すぞ」
「怖いなぁ」
ロカはくすくす笑う。
「じゃあね。黒原イト」
もう一度、私を見る。
「また会おうね」
今度こそ、ロカたちは去っていった。誰も追わなかった。追えなかった。正門前に残ったのは、抉れた地面と、ひび割れた壁と、息が詰まるような沈黙だけだった。
私は膝が震えていることに気づいた。立っているのがやっとだった。
「イト」
ヒナちゃんが振り返る。私は笑おうとした。でも、うまくいかなかった。
「……怖かった」
それだけ口から零れた。ヒナちゃんは何も言わず、私の手を握った。キミカ先輩はロカが去った方角を見ていた。イツキ先輩は端末を開き、何かを記録している。たぶん、次の戦いのために。
雷帝。私はその日、初めて五摂ロカを見た。普通の少女みたいに笑う怪物を。
そして、その怪物が私に向けた言葉は、いつまでも耳の奥に残っていた。嫌な言葉だった。とても、嫌な言葉だった。
五摂ロカ(ごせつろか)
ゲヘナ学園生徒会長。2年生。自称戦争の超人。
東宮斎ホノカ(とうぐうさいほのか)
ゲヘナ学園生徒会副会長。2年生。雷の超人。