黒原イトの青春 作:ナポリタン
アビドス高等学校の会議室は広く、人の少なさが余計にそれを目立たせていた。長い机、少し古い椅子、壁に貼られた砂漠化対策のポスター、棚に並んだ資料。きちんと片付けられているのにどこか寂しく、使われていない机だけが綺麗に並んでいる感じがした。
「こちらが、現在確認できている砂漠内の不審区域です」
ユメさんが机の上に地図を広げた。地図の端には、いくつも赤い印が付けられていた。古い線路跡、廃棄された資材置き場、風で埋もれかけた道路、使われていない観測塔。ホシノちゃんはユメさんの隣で腕を組み、こちらを見ていた。警戒心が全身から滲んでいる。
「このあたりで、砂嵐のようなものが何度か確認されています」
ユメさんが地図の一点を指す。
「ただ、普通の砂嵐とは動き方が違いました。風向きと合わない位置で発生して、しばらく同じ場所に残るんです」
「煙だね」
イツキ先輩が言葉を返した。
「おそらく、こちらが探しているものと一致する」
「煙、ですか」
ユメさんの表情が少し硬くなる。
「火事や事故じゃあ、ないですよね。砂漠ですし」
「事故ではない」
イツキ先輩は淡々と告げる。
「人為的……いや、超人為的な隠蔽工作だ」
「またそういう言い方を」
私は小さく呟いた。イツキ先輩がこちらを見る。
「私なりのユーモアだよ」
「お得意の力で心を読んでみてはいかがでしょう」
「君に、野蛇マヤと同じ体験を味わわせてあげよう」
やめてほしい。謝るから。ホシノちゃんの視線が私へ向いた。
「あなたたち、さっきから何の話をしてるんですか」
空気が少し止まった。全部を話せるわけではない。でも、何も話さなければ信用されない。私は黙った。こういう時に、私は口を出さない方がいい。たぶん、口を出すと余計なことを言う。
「全ては話せない」
イツキ先輩が口を開いた。
「ただ、君たちの砂漠に、ゲヘナ生徒会が関与する兵器が建造されている可能性がある。私たちはそれを確認し、必要なら止めに来た」
「ゲヘナ生徒会」
ホシノちゃんの声が低くなる。
「つまり、あなたたちの内輪揉めですよね」
「そう見えるだろうね」
「見えるじゃなくて、そうなんじゃないですか」
「否定はしない」
イツキ先輩はあっさり認めた。ホシノちゃんの目がさらに鋭くなる。ユメさんが少し困ったように二人を見た。
「ホシノちゃん」
「でも、ユメ先輩」
「うん。言いたいことは分かるよ」
ユメさんは頷いた。それから、こちらへ向き直る。
「正直に言えば、アビドスとしては、ゲヘナの問題に巻き込まれる余裕はありません。けれど、私たちの砂漠で何かが起きているなら、それを放っておくこともできません」
彼女の瞳が、私たちをまっすぐ見る。
「だから、協力します。ただし、アビドスの生徒の安全を最優先にしてください」
「もちろんだ」
イツキ先輩が頷く。
「こちらも、アビドスを戦場にするつもりはない」
その言葉に、ホシノちゃんが少しだけ鼻を鳴らした。
「つもりはなくても、なる時はなります」
重い言葉だった。この子は、たぶんそういうものを見ている。守ろうとしているものが、簡単に壊れることを知っている。私はホシノちゃんを見る。ホシノちゃんもこちらを見た。
「何ですか」
「いや」
「言いたいことがあるなら言えばいいです」
「目つきが鋭いなって」
「それだけですか」
「はい」
「……変な人ですね」
初対面で変な人認定された。心外である。私ほどの平和主義の博愛主義者はいないというのに。
「黒原さん」
アコちゃんの声が冷たい。
「今は雑談の時間ではありません」
「……はい」
怒られた。場所は変わっても、私の扱いは変わらないらしい。
「現地確認は、少人数で行う」
イツキ先輩が地図を示した。
「こちらからは私、空崎ヒナ、天雨アコ、黒原イト。アビドス側から案内役として一名欲しい」
「私が行きます」
ホシノちゃんが即答した。ユメさんが目を丸くする。
「ホシノちゃん?」
「ユメ先輩が行く必要はありません。生徒会長はここに残ってください」
「でも」
「私の方が砂漠に慣れています」
言い方は硬い。でも、理由は分かる。ユメさんを危険な場所へ行かせたくないのだ。その感情が、少し見えた。
「では、小鳥遊ホシノに案内を頼む」
イツキ先輩はあっさり決めた。
「ユメ君は学校に残り、連絡役を。何かあればすぐに通信を入れる」
「分かりました」
ユメさんは頷く。それから、ホシノちゃんを見る。
「無茶しないでね」
「ユメ先輩こそ、何かあったらすぐ隠れてください」
「うん。分かってる」
「本当に分かってますか」
「分かってるよ」
「前もそう言って」
「ホシノちゃん」
ユメさんが少しだけ困った顔で笑う。ホシノちゃんは口を閉じた。この二人の距離感。少し分かる。
ヒナちゃんが私を見る時と似ている。守りたい人と、守られたくない人。どっちがどっちかは、場合による。たぶん、すごく面倒くさい。
砂漠は、思っていたより歩きにくかった。足が沈む。砂が靴に入る。風が顔に当たる。太陽が強い。乙女として、日焼けが気になるところである。
「大丈夫ですか」
アコちゃんがこちらを見る。
「暑い」
「それは分かります」
アコちゃんは額の汗を拭った。ヒナちゃんは黙って歩いている。外套を羽織っているのに、足取りは乱れない。すごい。砂漠でもヒナちゃんはヒナちゃんだった。
イツキ先輩も涼しい顔をしている。いや、顔色は少し悪い。体力は高くない人なので、たぶん無理をしている。でも、本人はそれを表に出さない。面倒な人だ。
「この先か」
イツキ先輩がホシノちゃんに尋ねる。
「はい。古い線路跡に沿って進めば、例の不審区域に近づけます」
ホシノちゃんは先頭を歩いていた。足取りに迷いがない。砂の硬い場所を選んで進んでいる。自己申告の通り、慣れているのだ。
「詳しいんだね」
私は声を掛けた。ホシノちゃんは振り返らない。
「自分たちの土地なので」
「そっか」
「ゲヘナの人は、自分たちの土地以外には興味がないんですか」
まだ心を開いていないようで、ハリネズミみたいにツンツンしている。
「人によると思う」
「あなたは?」
「興味はあるよ」
「本当に?」
「少なくとも、今は」
ホシノちゃんが少しだけこちらを見た。
「正直なんですね」
「嘘つくとバレるので」
「誰に」
「周りの人に」
主にカヨコちゃんとヒナちゃんとアコちゃん。あとイツキ先輩。キミカ先輩にも多分バレる。
「ふぅん」
ホシノちゃんはそれだけ口にして、また前を向いた。会話はそこで終わった。アビドスにいる間に、仲良くできたらいいんだけど。
しばらく進むと、砂の中から古い線路が見えてきた。錆びた鉄。半分埋もれた枕木。ところどころ、砂に飲まれて消えている。その先に、煙のようなものが見えた。かなり遠いが、確かに揺らいでいる。
「見えますか」
アコちゃんが望遠鏡を覗き込む。
「砂嵐……ではないですね」
「動きが変だ」
ヒナちゃんが静かに言う。イツキ先輩は端末を確認していた。
「通信状態も少し悪くなっている。コールの影響かもしれない」
私は耳を澄ませる。ざらつきはある。遠いけれど、さっきよりはっきりしている。煙の奥から、何か重いものが軋むような感覚があった。金属のようで、巨大で、こちらを向いている何か。
「イト君」
イツキ先輩が私を呼ぶ。
「上から確認できるか」
来た、鳥の出番だ。私はヒナちゃんを見る。ヒナちゃんもこちらを見ていた。
「何も言われずとも、心得ておりますよ」
「それだけ言い聞かされてきたってことよ」
「黒原イト、偵察に行ってまいりまぁす!」
これ以上は藪蛇だ。私は変身した。背中が熱くなる。黒い羽根が広がる。手足の感覚が変わる。砂を踏む足に力が入る。ホシノちゃんが息を呑んだ。
「あなた」
「情報部です」
「それで済むと思ってるんですか」
「済まないとは思ってる」
私は苦笑しようとして、嘴があることに気づいた。物理的に笑えない。仕方ないので、軽く翼を広げた。
「すぐに戻るよ」
ヒナちゃんにそう告げて、私は地面を蹴った。風が体を持ち上げる。
砂漠の空は広かった。遮るものがない。ゲヘナの街を飛んだ時とは違う。建物の間を縫う必要がない。煙突も、看板も、無駄に飛び出した謎のオブジェもない。
空がそのまま空として広がっている。飛びやすい。
高度を上げる。
下を見る。
古い線路、砂丘、小さく見えるヒナちゃんたち。
その先、煙。煙の向こうに、何かがある。
巨大な直線、線路の上に乗っているようにも見える。
砲身。
まだ全体は見えない。それでも見えた。大きすぎて、距離感がおかしくなる。
遠くにあるはずなのに、近くにあるように見える。煙が輪郭を隠しているのに、存在感だけがはっきりしている。胸の奥が重くなる。シェマタ。たぶん、あれだ。
その時、耳の奥が強くざらついた。煙が、こちらを見た気がした。違う。煙は見ない。それでも、見られたと感じた。
「っ」
私は翼を畳みかけた。まずい、近づきすぎた。すぐに戻らないと。私は急いで高度を下げた。砂が近づく。風を受けて、着地する。少し乱れた。足が砂に沈んで、前のめりになる。
「イト」
ヒナちゃんがすぐに駆け寄ってきた。私は変身を解く。喉が少し渇いていた。
「見えた」
「何が」
アコちゃんが問う。
「大きい砲身みたいなの。煙の奥。線路の上にある。まだ完成してるかは分からないけど、かなり大きい」
イツキ先輩の目が細くなる。
「位置は」
私は地図を指す。
「このあたり。たぶん、古い線路跡の先」
「やはりね」
イツキ先輩は静かに呟いた。
「黒原さん」
アコちゃんが私を見る。
「他には?」
「見られた気がした」
「見られた?」
「煙に」
自分で言って、意味が分からない。でも、それが一番近い表現だった。ヒナちゃんの表情が硬くなる。
「近づきすぎた?」
「たぶん。ごめん」
「戻ってきたならいい」
ヒナちゃんは短く言った。でも、指先は少し強く握られていた。ホシノちゃんは黙って私を見ていた。さっきまでの警戒とは違う目だった。
「……超人ってやつですね」
小さく口にする。
「一応」
「……変な人」
「今日二回目」
「数えてるんですか」
「刺さったので」
ホシノちゃんは少しだけ目を逸らした。笑ったわけではない。でも、口元がほんの少し緩んだ気がした。
私たちは古い観測塔の影で一度休憩を取った。砂漠の日差しを避けるためだ。観測塔といっても、ほとんど廃墟だった。
鉄骨は錆び、階段は途中で崩れている。昔はここから砂漠の様子を見ていたのかもしれない。今は、風の音だけが通り抜けている。
イツキ先輩とアコちゃんは地図を確認している。ヒナちゃんは周囲を警戒。私は水を飲んでいた。喉が生き返る。水は偉大。メロンパンも偉大。でも、砂漠では水の方が偉大かもしれない。非常に悔しい。
「さっきの」
声がした。ホシノちゃんだった。少し離れた場所に座っている。けれど、こちらを見ていた。
「大丈夫なんですか」
「さっきの?」
「変身。あと、空を飛んだこと」
「ああ。体は大丈夫」
「体は?」
鋭い。
「心は微妙」
「微妙なんですか」
「うん。まあ、いろいろあって」
私は水筒を閉めた。
「ホシノちゃんは、怖くなかった?」
「何がですか」
「私を見て」
ホシノちゃんは少し黙った。それから、視線を砂へ落とす。
「怖くないと言えば嘘になります」
「正直」
「嘘ついても仕方ないので」
「似てるね」
「何がですか」
「そこ」
ホシノちゃんは眉を寄せた。
「似てません」
「早い」
「似てません」
「二回言った」
「大事なので」
ちょっと面白い。でも、笑う場面ではない気もしたので、私は口を閉じた。ホシノちゃんは遠くの砂漠を見る。
「あの兵器、本当にアビドスにあるんですね」
「……うん」
ホシノちゃんの手が、膝の上でぎゅっと握られる。
「迷惑ですね」
低い声だった。
「人の土地で、勝手にそんなものを作って」
「うん」
「ゲヘナの問題なら、ゲヘナでやってほしい」
「私も」
「でも、そう言っても、あれは消えないんですよね」
「……そうだね」
私は頷くことしかできなかった。ホシノちゃんの言っていることは正しい。アビドスは巻き込まれた側だ。
ゲヘナの生徒会が、ロカが、黒服が、勝手にこの砂漠を使っている。それを止めるために来た私たちも、結局は外から来た厄介ごとなのかもしれない。
「ごめん」
気づけば、口から出ていた。ホシノちゃんがこちらを見る。
「あなたが謝ることなんですか」
「違うと思う」
「なら謝らないでください」
「はい」
怒られたが、嫌な怒られ方ではなかった。
「あなた、すぐ謝るんですね」
「そうかな」
「そうです」
「……最近、こんなのばっかで」
ホシノちゃんは少しだけ首を傾げた。
「あなたも、大変そうですね」
「ホシノちゃんもね」
「私は別に」
「ユメさんのこと、すごく心配してた」
ホシノちゃんの目が鋭くなる。しまった、踏み込みすぎたか。でも、ホシノちゃんは怒らなかった。少し沈黙してから、ぽつりと口を開く。
「ユメ先輩は、すぐ無茶をします」
ホシノちゃんは、ほんの少しだけ息を吐いた。
「それに、お人好しで、警戒心が薄いんです」
「……それは、大変だね」
「分かりますか」
「ま、まあね」
自惚れじゃなきゃ、私がその権化と言ってもいいかもしれない。身に覚えがありすぎる。
「だから、私が守らないと」
ホシノちゃんは静かに言った。その声は硬かった。硬すぎるくらいに。私は少しだけ迷ってから、言葉を返す。
「守りたい人がいるのは、いいことだと思う」
「……」
「でも、自分を削りすぎると、守られる側が怒るよ」
一体どの口が言っているのだろうか。ホシノちゃんもそれに気づいたのか、じっと私を見る。
「それ、あなたが言うんですか」
「今、自分でも思った」
「説得力ないです」
「ないですね」
二人で黙る。風が吹いた。砂が少し舞う。沈黙は、さっきほど居心地が悪くなかった。
「でも」
ホシノちゃんが小さく言う。
「覚えておきます」
「うん」
「あなたも、覚えておいた方がいいですよ」
「はい」
また怒られた。でも、さっきより少しだけ距離が近くなった気がした。気がしただけかもしれない。でも、それでいい。
その時、乾いた空気を裂くように、銃声が響いた。ヒナちゃんが即座に銃を構える。アコちゃんが端末を閉じる。イツキ先輩が顔を上げた。ホシノちゃんも立ち上がる。
「敵?」
私は耳を澄ませた。コールではない。これは普通の気配。数は多くない。足音は三つ。けれど、圧がある。三人分とは思えないくらい、濃い。
「遮蔽物へ」
アコちゃんの声が飛ぶ。私たちは観測塔の陰へ移動した。
砂丘の向こうから、白い制服の生徒たちが姿を現す。
三人。
トリニティの校章のついた正義実現委員会の制服。
その先頭に立つ生徒は、こちらを見ると、面倒くさそうに頭を掻いた。
「……まあ、全員殴ればいいか」
第一声がそれだった。え。何。物騒。
「梶噛ナナナ」
イツキ先輩が名前を呼ぶ。その声には、少しだけ呆れが混じっていた。知り合いらしい。相手、梶噛ナナナさんは、イツキ先輩を見て目を細める。
「お、イツキじゃねぇか。何してんだ?」
「それはこっちの台詞です」
知り合いらしい。
「トリニティ正義実現委員会が、なぜここにいる」
イツキ先輩が問いかける。ナナナさんは肩を回した。
「アビドス砂漠で、ゲヘナの連中が怪しい兵器を作ってるって話があった。ついでに、ゲヘナ風紀委員会が少数で入ったって情報もある」
「それで?」
「全部怪しい」
「なるほど」
イツキ先輩は頷いた。
「それで全員殴ると」
「早いだろ」
「……なんというか、あなたがトリニティに所属しているのが不思議でたまらないよ」
雑。本当に雑。けれど、正義実現委員会から来ているのは三人だけだった。ナナナさん、その後ろにいる、目つきの鋭い生徒、背筋を伸ばした落ち着いた生徒。
三人だけ。それなのに、こちらの空気は張り詰めている。人数で押されているわけではない。単純に、三人とも強いのだ。
「こちらはアビドスの許可を得て調査中だ」
イツキ先輩が告げる。
「砂漠内にある兵器は、ゲヘナ生徒会側のものだ。我々風紀委員会はそれを止めるために来た」
「証拠は」
「今、確認している」
「じゃあまだねぇんだろ」
「厳密にはね」
ナナナさんが笑った。笑ったというより、口角を上げた。
「じゃあ、やっぱり殴ってから聞くか」
「あなたは」
イツキ先輩の声が低くなる。
「あなたは昔からそうだ。考える前に暴力へ行く」
「考えた結果、暴力が一番早いんだよ」
「それを考えたとは言わない」
空気が張り詰める。ヒナちゃんが静かに前へ出た。ナナナさんの後ろにいた目つきの鋭い生徒が、それに反応する。
一歩。ただ一歩だけ前に出た。
それだけで、砂漠の空気が重くなった。
ホシノちゃんが身構える。私は背中の奥が熱くなるのを感じた。
まずい。ここで撃ち合いになったら、本当にまずい。アビドスの砂漠で、ゲヘナとトリニティとアビドスが撃ち合う。
ロカが作った兵器を見に来たはずなのに、こっちで戦争を始めることになる。
「待ってください!」
私は思わず声を上げた。全員の視線がこちらに向いた。怖い。でも、言ってしまったので続けるしかない。
「今ここで撃ち合ったら、向こうの思うつぼです」
「向こう?」
ナナナさんが私を見る。
「ゲヘナ生徒会。五摂ロカ。シェマタを作ってる側です」
その名前を出した瞬間、ナナナさんの目が少し変わった。ロカ。その名前の重さを、この人も知っている。
「黒原さん」
アコちゃんが小さく制止する。でも、私は止まれなかった。いや、今回は突っ込んでいない。喋っているだけ。たぶん許される。
「私たちは、あの兵器を止めるために来ました。アビドスの人たちも巻き込まれている。トリニティもそれを調べに来たなら、目的は同じはずです」
「目的が同じなら信用できるって?」
ナナナさんが問いかける。
「できないと思います」
「おい」
「でも、今は信用するしかないと思います。少なくとも、ここで殴り合うよりは」
ナナナさんは私をじっと見た。視線が鋭い。ホシノちゃんとは違う。ヒナちゃんとも違う。この人は、暴力の使い方を知っている目をしている。自分を暴力装置として扱っている目。そんな気がした。
「お前、何だ」
「黒原イトです。ゲヘナ風紀委員会情報部、一年生」
「情報部の一年が、前に出て喋ってんのか」
「よく怒られます」
「だろうな」
即答された。ナナナさんは少しだけ笑った。それから、イツキ先輩を見る。
「おい、イツキ」
「何かな」
「こいつ、信用できんのか」
「信用できる部分と、できない部分がある」
「どういう意味だよ」
「善性は信用できる。判断は時々信用できない」
「そんなぁ」
私は小さく抗議した。ヒナちゃんとアコちゃんの視線が痛い。反論しづらい。
「じゃあ、まあ」
ナナナさんは肩の力を抜いた。
「一旦、殴るのはやめる」
空気が少しだけ緩んだ。私は長く息を吐く。生きた。戦闘を回避できた。偉い。
「ただし」
ナナナさんが続ける。
「何にせよ、トリニティも無関係じゃねぇ。あれがどっち向いて撃つか分かんねぇからな」
「同感だ」
イツキ先輩が頷く。
「なら、共同で確認する。アビドス、ゲヘナ、トリニティ。三校でだ」
ホシノちゃんが眉を寄せる。
「勝手に決めないでください。ここはアビドスです」
「だから君たちが中心だ」
イツキ先輩はすぐに言葉を返した。
「アビドスの土地である以上、最終判断はアビドスにある。私たちは情報と戦力を提供する」
ホシノちゃんは少し黙る。それから、ユメさんとの通信機を取り出した。
「ユメ先輩に確認します」
「そうしてくれ」
通信が繋がる。少し砂混じりの音。ホシノちゃんが短く状況を説明する。ゲヘナ、トリニティ、兵器、共同調査。しばらくして、通信の向こうからユメさんの声が聞こえた。
『分かりました。アビドスとして、共同調査を受け入れます』
「ユメ先輩」
『ただし、アビドスの生徒を危険に晒す行動は認めません。それと、勝手に撃ち合いを始めるのも禁止です』
柔らかい声。でも、はっきりしていた。ナナナさんが少しだけ肩を竦める。
「言われてるぞ、ゲヘナ」
「あなたもだよ、トリニティ」
「うるせぇ」
イツキ先輩とナナナさんのやり取りを見て、私は少しだけ力が抜けた。三校。アビドス。ゲヘナ。トリニティ。さっきまで撃ち合いかけていた相手と、今度は一緒に砂漠の奥を見ることになる。
「じゃあ、こっちも名乗っとくか」
ナナナさんが背後へ顎をしゃくった。
「いつまでも怪しい三人組のままじゃ、共同戦線って感じでもねぇしな」
まず、背の高い生徒が一歩前に出た。目つきは鋭い。けれど、さっき感じたような、ただ暴れ出しそうな危うさとは少し違った。重心が低く、足運びに無駄がない。口数が少ない分、立っているだけで圧がある。獣というより、抜かれていない刃。そう思った。
「剣先ツルギ」
低い声だった。短く、必要なことだけを置くような名乗り。それだけ言って、ツルギさんは口を閉じた。ナナナさんが片眉を上げる。
「所属も言え」
「……正義実現委員会」
少し間を置いて、ツルギさんは言葉を足した。それ以上は言わない。敵意をむき出しにしているわけではない。けれど、こちらが不用意に踏み込めば、即座に斬り返される。そんな空気だった。
ヒナちゃんが静かにツルギさんを見る。ツルギさんもまた、黙って見返した。視線がぶつかる。音はしない。でも、砂漠の空気が少し重くなった。
「……強いな」
ツルギさんがぽつりと呟いた。
「あなたも」
ヒナちゃんが短く返す。会話はそれで終わった強い人同士の会話は、どうしてこうも省エネなのだろう。
「羽川ハスミです」
次に、落ち着いた立ち姿の生徒が前に出た。
「同じく、トリニティ総合学園、正義実現委員会所属です」
丁寧な声だった。背筋は伸びていて、こちらを見る目も落ち着いている。けれど、柔らかいわけではない。特に、ゲヘナ風紀委員会という言葉が出た時、その目の温度がほんの少しだけ下がった気がした。
嫌悪。とまでは言わない。でも、忌避感はある。ゲヘナだから信用しない。そういう線が、礼儀正しい言葉の奥に引かれていた。
「先ほどは戦闘態勢を取る形になり、失礼しました。ただ、不確定情報の中でゲヘナの部隊と接触した以上、警戒は必要だったと判断しています。ご理解ください」
謝罪の形をしている。でも、謝りきってはいない。必要なら次も同じことをする。そういう声だった。
「天雨アコです。ゲヘナ風紀委員会所属。現地での連絡、調整を担当します」
アコちゃんが応じる。
「こちらも警戒は理解しています。ただし、次に戦闘態勢へ移行する場合は、先に一言いただけると助かります」
「努力します」
ハスミさんは静かに頷いた。その返事は丁寧だった。ただ、約束ではなかった。必要なら撃つ。その線引きは崩さない。トリニティの人は上品だ。上品だけど、怖い。ゲヘナの怖さとは別種の怖さである。
「空崎ヒナ」
ヒナちゃんも短く名乗った。
「ゲヘナ風紀委員会所属。戦闘時は前に出る」
ハスミさんの視線が、ほんの一瞬だけヒナちゃんで止まった。警戒。評価。そして、少しの距離。ゲヘナの生徒としては信用していない。けれど、戦力としては無視できない。そう判断している目だった。
「承知しました。こちらも、無用な衝突は避けます」
無用な。その言い方が、少しだけ引っかかった。必要なら衝突する。そう聞こえたのは、たぶん私の考えすぎではない。
「黒原イトです。ゲヘナ風紀委員会情報部、一年生」
流れで私も名乗った。ツルギさんとハスミさんの視線が、今度はこちらへ向いた。ツルギさんの目が、ほんの少し細くなる。
「情報部?」
「はい」
「さっき前に出て喋ってた」
「よく怒られます」
「……だろうな」
納得されてしまった。心外。いや、反論しづらい。
「黒原さんは、先ほど上空から偵察を行っていた方ですね」
ハスミさんが静かに尋ねる。
「見ていたんですか」
「はい。遠目でしたが、翼を確認しました」
「……情報部です」
「それで済ませるつもりですか」
「済まないとは思っています」
今日、同じ会話をした気がする。ホシノちゃんの時だ。私の説明能力は成長していない。
「超人、という話でしたね」
ハスミさんの声は落ち着いていた。けれど、目は少しも緩んでいない。
「詳細は、後ほど共有できる範囲で伺います。今は、あの煙の奥にあるものを確認する方が先でしょう」
「話が早くて助かる」
イツキ先輩が頷いた。
「細かい調整は君に任せていいのかな、羽川ハスミ君」
「必要な範囲であれば」
ハスミさんは、ほんの少しだけ間を置いた。
「ただし、トリニティとしての判断までゲヘナ側に預けるつもりはありません」
「当然だ」
イツキ先輩は気にした様子もなく答える。
「こちらも、君たちに全権を渡すつもりはない」
「でしょうね」
ハスミさんの返答は穏やかだった。穏やかなのに、温度が低い。アコちゃんが、そのやり取りを横目で見ていた。たぶん、内心では何か言いたいのだと思う。
でも、言わない。今は揉める場面ではない。それを全員が分かっている。分かっているから、ぎりぎり会話になっている。
ツルギさんは、煙の方を見ていた。じっと。今すぐ走り出す、という感じではない。むしろ、静かだった。ただ、その静けさが怖い。戦うべき相手が見えた瞬間に、迷わず前へ出る人なのだと思った。
「……行くのか」
ツルギさんが呟く。
「まだです」
ハスミさんが即座に答えた。
「アビドス側の判断、ゲヘナ側の情報、トリニティ側の確認。それらを合わせてからです」
「分かった」
ツルギさんは短く返した。意外と素直だった。いや、素直というより、納得できる手順なら従う人なのかもしれない。
「助かります」
ハスミさんが静かに言う。ツルギさんは少しだけ顔をそらした。
「別に」
その横顔が、ほんの少しだけ居心地悪そうに見えた。怖い人。強い人。でも、それだけではないのかもしれない。私はそう思った。
「まあ、詳しい話は後にしろ」
ナナナさんが軽く手を振った。
「今は、あの煙の奥をどうするかだ」
「同感だ」
イツキ先輩が頷く。
「共同で確認する。アビドス、ゲヘナ、トリニティ。三校でだ」
ホシノちゃんはまだ納得しきっていない顔だったが、通信機を握ったまま頷いた。
「アビドスとしては、先ほどのユメ先輩の判断に従います。ただし、勝手な行動はやめてください。ここはアビドスです」
「分かっている」
イツキ先輩が答える。
「アビドスの土地である以上、最終判断はアビドスにある。私たちは情報と戦力を提供する」
「トリニティも、それで構いません」
ハスミさんが続けた。
「対象がトリニティ圏へ被害を及ぼす可能性がある以上、こちらも調査と対処には参加します。ただし、無用な交戦は避けます」
「細けぇことはそれでいい」
ナナナさんが言う。
「要するに、あれがヤバいなら全員で止める。そういうことだろ」
「雑ですが、概ね」
ハスミさんが少しだけ困ったように言葉を添えた。正義実現委員会も大変そうだ。どこも大変だ。
共同戦線。言葉にすると格好いい。でも、実際にはかなり不安だ。不安しかない。それでも。砂漠の向こうには、もっと大きなものがある。シェマタ。煙の超人。ロカの影。私たちはそちらを見なければならない。
「黒原さん」
アコちゃんが小さく声を掛けてきた。
「はい」
「今回は、お手柄でしたね」
「でしょう」
「調子に乗らないでください」
「はい」
いつものやり取り。少しだけ安心した。ヒナちゃんが私の隣に立つ。
「ありがとう、イト」
「ヒナちゃ~ん!」
素直に褒めてくれるのはヒナちゃんだけだ。私は思わずヒナちゃんの髪へ手を伸ばした。もふもふ。今日も良いもふもふ。
「……イト」
「はい」
「今はやめて」
「はい」
怒られた。でも、完全には怒っていなかった。たぶん。ホシノちゃんがこちらを見ている。
「あなた、変な人ですね」
「三回目だからね」
「気にしすぎじゃないですか」
「私はゲヘナ一の博愛主義者にして平和主義者なの」
「自分で言うんですね」
「言っていかないと伝わらないので」
ホシノちゃんは、ほんの少しだけ笑った。私はそれを見て、少しだけ嬉しくなった。
砂漠の風が吹く。遠くで、煙が揺れている。その奥に、巨大な砲身が眠っている。アビドスの砂漠に、ゲヘナの兵器が隠され、トリニティから三人の正義実現委員会が現れた。めちゃくちゃだ。
本当にめちゃくちゃだが、今は同じ方向を見ることになった。三校共同戦線。その言葉が、砂混じりの風の中で、少しだけ重く響いた。