「ハァッ……ハァッ…ッ!」
避難があらかた完了し、人気の失せた街並みを士道が駆けていく。
ベース配分も無くただ全速力で走り続けてきた士道の身体は足の痛みや手先の痺れ、喉の粘膜が渇き張り付くといった悲鳴を上げ始めていた。
だが士道は走るのを止めない。危険とか疲労とかは関係なかった。大切な妹の為に、大切な家族の為に全力を出し続けるのにそんな思考は邪魔だ。
「ハァッ……ハァッ……あ?……なんだあれ?」
走り続ける中で上を見上げた時、視界の端、空の向こうで何かが動くのが見えた。人影のようなものが複数。
士道がよく目を凝らして見てみようとしたその時だった。
「伏せろっ!」
背後から突然声をかけられ、身体を引き倒される。強盗!?こんな時に!?なんて事を考えるまもなく士道は完全に身体を押さえ込まれ、視界を塞がれる。
そして次の瞬間、まばゆい閃光と轟音、衝撃波に士道の五体は襲われた。誰かに身体を押さえられていたことで、却って士道は怪我をせずにすんだ。仰向けの状態でも、足元から凄まじい突風が吹き抜けていくのが分かる。
もしも立った状態のままであったら、今頃士道は衝撃波に押されてゴロゴロと後方まで転がっていたことだろう。
「大丈夫か?」
やがて辺りが静かになり突風も止んだ頃、自分を引き倒した相手にそう声をかけられる。士道はその声と声の持ち主に驚愕した。
「あ、兄貴!?」
「ああ、俺だよ。お前なんで避難誘導から外れちゃうんだ。死ぬかもしれないんだぞ」
そう言って士道の兄、五河祈里は士道の身体を起こしながら珍しく怒った顔をした。
祈里は琴里の兄というだけあって、やや跳ねた髪を除けば顔立ちは琴里とそっくりだ。毎日トレーニングをしているので筋肉はあるはずなのだが、着痩せでもするタイプなのか線が細く、ハッキリ言って男としてはあまり迫力があるタイプではない。
だから祈里のそんな怒り顔を前にしても士道はそこまで怖くなかった。
「ごめん……兄貴。さっきは助かったよ。でも兄貴こそなんで外に?」
「え!?いや、そのあれだ。俺はシェルターの中でお前が列から外れてどっか言ったって聞いたから、連れ戻す為に追いかけてきたんだよ。理由は後で聞くからとりあえず今はここから──」
「ま、待ってくれ!実は……って、え?」
急にしどろもどろになりつつも士道の手を引きこの場から離れようとする祈里。そこに待ったをかける。琴里がまだ避難していないことを伝えなければ。きっと祈里なら分かってくれるだろう、という期待も込めて。
だが、説明は叶わなかった。目の前に広がる惨状に言葉を失ったのだ。
「なんだよこれ……街が?ない?」
「これが空間震だ」
絶句する士道の横で祈里はいつもの穏やかな雰囲気を潜め、冷静に言い切った。
これが空間震。空間を丸ごと削り取り、どれだけ頑強な建造物でも問答無用で破壊し、さながら隕石落下地点のようなクレーターを残していく災害。
教科書や映像でなら何度も見たことがある光景だが、実際にこの目で見るのは初めてだった。
しかし、対する祈里はあたかもこれ以外にも見たことがあるとでも言うように不思議な落ち着きを見せていたが、士道がそのことを不思議に思うのも間もなく、その思考は脳の片隅へと追いやられる。
「誰か、いる……?」
「そうみたいだな……」
恐ろしいクレーターの中心に人影を見つけたのだ。不思議な装具に身を包んだその誰かは、ゆっくりと右手に携えた板状の巨大な何かを振りかぶると、そのまま横一線に薙ぎ払った。
「危ない!」
「うわっ!?」
祈里が叫び、士道の視界がグッと低くなる。
次の瞬間、祈里と士道の背後にあるあらゆる建物が綺麗な断面を見せ、その断面の片割れが宙に舞った。まるで巨大な剣で切断されたかのように。
わけがわからない。だが一つ確かなことは、少女が剣を振り抜く直前に祈里に自分の頭を掴まれ、上体を低くされていなければ、今頃自分の身体もこの建物の仲間入りをしていたことだろうということだけ。
「た、助かったよ……兄貴……」
「気にするな。立てるか?早く逃げ……うっ!?」
「……ひっ!?」
差し伸べられた兄の腕に捕まり、立ち上がろうとした時だ、二人は動きを止めた。
先ほどまでクレーターの中心にいたはずの少女が自分たちの目の前まで来ていたからだ。祈里が反射的に身構え、士道が咄嗟に死を覚悟する。
「……お前たちも、か……」
心地良く耳に響く声で、酷く憂鬱そうにそう呟く少女に士道は目を奪われていた。夜色の長い髪、宝石のごとく鮮やかな瞳、愛らしさと凛々しさが同居する顔、お姫様のドレスにも騎士の甲冑にも見える装い──この世の誰よりも美しいのではないかと思ってしまうほど、彼女は美しかったのだ。
士道は呆然と、少女に尋ねる。
「君、は……」
「名、か?……そんなものはない」
今にも泣き出しそうな表情でその少女は答える。そして先ほど建物を切り飛ばしたと思しき大剣の切っ先を向けてくる。
「い……!?待った待った!」
「ちょ、ちょっと待った!」
士道と祈里は同時に声を上げる。
祈里は手を突き出し「待った」をかけているが、少女があと数センチ剣を押し込めばその手はきっと串刺しになるだろう。
「なんだ?」
「その剣を向けるのをやめて欲しい……どうしてこんなことをするんだ」
「何故だと?もちろん早めに脅威を取り除く為だが?どうせ──」
──どうせ、貴様たちも私を殺しに来たのだろう?
少女の顔が今にも泣き出しそうな表情でそう答える。士道はその顔とその言葉に酷く胸を締め付けられるのを感じた。
「そんなわけ、ないだろ……!」
「そうだ……俺たちはたまたまここにいただけだ!それに、ほらよく見ろ!俺とこの可愛い士道の格好を!俺たちが、君を殺しに来た奴らの仲間に見えるかい!?」
「む……」
少女は困ったように眉を寄せる。士道は「可愛い士道」ってなんだよ、と内心ツッコむ。三人の間に微妙な空気が流れた。
その時だった。轟音と共に空から何か先端の尖った金属筒が降り注いで来たのは。しかし、その金属筒が三人に当たることは無かった。その全てが少女の手前の空間で止まり、ひしゃげ、その場で爆発する。来るはずの爆風も爆炎も、熱ささえ祈里と士道は感じなかった。
「こんなものは無駄だと何故学習しない」
金属筒は戦闘機などが積んでいるミサイルのようだった。それが振ってきた方向に士道が目をやると、空に浮かぶ人影を数人分捉えた。全員何か機械的な装いをしていて、一様に敵意の籠もった視線を少女に向けているようだった。
立て続けに二度、三度とミサイルを発射し、そのどれもが少女の前に無力であることを悟ると、空の人影のうちの一つが目にも止まらぬ速さで少女に突っ込んできた。
こっちに来るなよ!と祈里は毒づきながらも、あくまで冷静であった。こんな時、慌ててしまうことこそ命取りだからだ。
「鳶一、折紙?」
「五河士道?それに五河祈里……?」
「お前、なんだよその格好……?」
空から豪速で舞い降りた人影と士道は顔見知りのようだったが、お互いに「なぜこんなところにいる?」という顔をする。
鳶一折紙の名前を祈里は知っている。成績はいつも学年首位、この前の模試に至っては全国トップであったとか。そう言えば去年のクラスの間で「とんでもなく可愛い新入生が来たぞ」と一時期噂になってた気もする。
だが、まさか、ASTであったとは驚きだ。
「逃げて。ここは危険」
それだけ言い残すと折紙は機械の剣を展開し、少女に斬りかかる。爆裂と轟音。誰からの注意も自分たちから外れたことを認識した祈里は、士道を立ち上がらせこの場から退く事を決める。
「士道逃げるぞ!彼女の言う通りここはとてもまずい!」
「逃げるってどこに!?」
「とにかく付いてこい!……ASTめ、逃げ遅れがいてもお構いなしとはな」
「えー、えす、てぃー?」
兄に手を引かれるままに廃墟を後にする。そういえば以前にもこんな事があった気がする、そう士道は記憶の奥底が疼く感じがした。
それからしばらく逃げ続けて、辺りが急に静かになる。戦闘が終わったんだ、とは祈里。
そこで士道は今まで気になっていたが聞くどころでは無かった全ての疑問を祈里にぶつけた。
「兄貴!あいつらなんなんだ!?兄貴は何か知ってんのか!?どうして折紙がいるんだ!?……兄貴?」
「いやだから!戦闘に巻き込まれたのは仕方ないだろ。だいたいなんで電話に出ないんだよ。一回呼ばれたらシェルターの非常電話からってことにして連絡すれば良かったじゃないか……」
祈里が耳元に手を当てながら、何かブツブツと独り言を言っている。よく見ると耳には小型のインカムが取り付けられていて、それで誰かと話しているようだった。
「とにかく、危機は乗り越えたぞ。フラクシナスに回収を頼む。ちょっと予定外だったが、精霊のことも、ASTのことも、士道はこの目で見たんだから丁度良いだろ──琴里」
琴里?通話の相手は琴里なのか?
それを聞こうと思った時、士道は急激に身体の力が抜けるのを感じその場に倒れ込んだ。
ゴツン、と頭がアスファルトにぶつかる音と、兄の心配する声が聞こえた気がしたが、あり得ないことの連続で心身ともに疲労困憊だった士道の意識はぷっつりと途切れるのだった。