「──で、これが精霊って呼ばれてる怪物で、こっちがAST。陸自の対精霊部隊よ。厄介なものに巻き込まれてくれたわね。祈里がいなかったらニ、三回くらい死んでたかもしれないわよ?」
天宮市上空高度一五〇〇〇メートル。ラタトスク機関保有の空中艦〈フラクシナス〉のブリッジで、五河琴里はそう言った。
彼女の説明を受けているのは彼女の義兄、五河士道。
だが、彼は次々と展開される情報に脳がパンク気味であった。
無理からぬことだ。
地上で気絶し、次に目を覚ましたときには見知らぬ場所、その正体は空飛ぶ艦、更にはそこに自分の兄妹が所属しており、妹に至っては司令官である。
もう何がなんだか分からなかった。堪らず声を張り上げる。
「ちょ、ちょっと待った!」
「何、どうしたのよ。せっかく司令官直々に説明してあげているっていうのに。もっと光栄に咽び泣いて見せなさいよ。今なら光栄に足の裏くらいなら舐めさせて上げるわよ」
本当ですか、と歓喜に叫んだのは琴里の傍に控えた長髪の男、〈フラクシナス〉副艦長“神無月恭平“である。
「あんたじゃない」
「ぎゃぉふ……ッ!」
鳩尾に琴里の肘鉄を打ち込まれ沈む神無月。それを更に後ろから苦笑を滲ませた表情で五河祈里が見ていた。
「い、祈里くん……エチケット袋を持っていますか……?」
「持ってないので我慢することをオススメします」
「そ、そんなっ……いや、確かにこの苦しみも司令の恩寵……っ、吐き出すのは勿体ないっ!ありがとうございます祈里くん!私はまた新たなステージへと進めます!」
そんなやり取りを尻目に士道は尋ねる。
「琴里……なんだよな?無事だったんだな……」
「だからそう言ってるじゃない。もう妹の話を忘れたの?物覚えが悪いと思っていたけど、ここまでとは予想外だったわ」
「なんかもう、意味がわからなすぎて頭がワニワニパニックなんだよ……」
「はぁ……じゃあ別に一度に理解する必要はないわよ。とりあえず今はざっくり空間震の原因が精霊で、私たちラタトスク機関はその精霊との対話で空間震を解決する組織ってことを理解していれば良いわ。で、その具体的方法だけど、精霊を恋をさせるのよ」
「どういうこと!?」
士道が叫び、琴里がやれやれと肩を竦める。神無月の背中を擦っていた祈里が立ち上がり、代わって答えた。
「実は精霊の力をどうにかする秘密兵器をラタトスクは持っているんだ。だけど、それが効果を発揮するためにはちょっとした条件が必要でね。そこで、その条件をクリアするために精霊には恋をしてもらう必要があるってわけだ」
「そ、そんなことで……」
「そう。そんなことで、だよ。世界から空間震を失くすためには、そんなことで十分なんだ」
祈里はそう言って、おもむろに琴里の頭を撫でた。慈しむような手付き。でもどこか憐れむようでもある。琴里は一瞬心地良さそうに瞼を閉じたが、すぐにハッとして「上司の頭を気安く撫でるな」と祈里の手を払った。
急にどうしてそんなことをしたのか士道は不思議に思ったが、次の琴里の一言でやはりその思考は頭の片隅へと追いやられるのだった。
「そういうわけで、士道!貴方には精霊を落とす為の訓練をしてもらうわ!」
「はい?」
次の日、祈里は〈フラクシナス〉の解析官“村雨令音“に呼び出されて力仕事をしていた。先日、琴里が宣告した精霊を落とす為の訓練に使用する機材の準備である。
場所は都立来禅高校の物理準備室。これからはこの準備室が士道の訓練施設の一つになる。なぜ解析官の令音がここにいるのかと言うと、学校でも士道に訓練を付ける為に〈ラタトスク〉によって物理教師兼士道のクラスの副担任という立場を与えられたからだ。
目にたっぷりとクマを拵えた令音が祈里によって室内に搬入されたPCに配線をしていく。ときおり長い前髪が眼鏡にかかって見づらそうだ。
「そっちもやりましょうか?」
「いや、結構だよ祈里くん。むしろ昼休憩時に呼び出してすまないね。機材は揃ったし、配線は自分でやるから君は先に昼食を済ませると良い。時間も時間だからここで食べていっても構わないよ」
「お、じゃあお言葉に甘えて……」
祈里はそう言いつつ機材を梱包していたダンボールを折りたたんで部屋の壁に適当に立て掛け、丁度近くにあった椅子に腰を下ろす。そして先に購買部で購入していた焼きそばパンの袋を開けるとそのまま齧りついた。甘辛いソースが麺とよく絡み、ほろ苦いパンと合わせて絶妙な旨味を口の中で広げる。
「それで足りるかね?」
「大丈夫ですよ、足ります」
嘘だ。昼食を求めて戦争が始まる購買部から素早く撤退し物理準備室へ手伝いに行く為に、手近にあったパンを一個だけ買ったというだけだった。
「ふむ……」
「な、何か?」
令音は配線の手を止め、顎に指を当てて考える仕草をした後、自分の鞄のところまで行く。そこから何かの袋を取り出すと、それを祈里の前に差し出した。
「無理をしなくて良い。これは今朝方コンビニで買ってきたおにぎりだ。腹の足しにしたまえ」
「え、そんな……悪いですよ。それに令音さんはどうするんですか」
「それこそ君は気にしなくて良いことさ。ここにいる間、私は教師でもあるからね。教師として生徒の体調を気遣うのは当然だろう?」
「はぁ」
「それに、授業を受けなくちゃいけない君と違って、教師の私にはこっそり食事を買いに行く時間くらいあるさ」
一瞬迷った後、祈里は深々と頭下げてお礼を言い、袋に手を伸ばした。
放課後、すぐに物理準備室へと向かい令音と今日の訓練内容について認識合わせをし、一通りチェックした後、本日の主役とも言える士道を呼びに行く。
途中、廊下で鉢合わせしたのでこれ幸いと合流したが、士道は少し浮かない表情をしていた。
「兄貴、実はさっき鳶一折紙に呼び出されたんだ」
少し進むと、士道が祈里にしか聞こえない声量でそう切り出した。
「なに?何かされたのか?」
「いや……それが、昨日見たことは全部忘れろって。精霊とか、自分がASTにいる事とかも黙ってて欲しいって……それから」
「それから?」
「いや、やっぱり何でも無いよ」
「えぇ……そこまで言ってそれはナシだろ。教えてくれよ」
士道は眉間にシワを寄せたまま目を逸らし、意を決するように口を開いた。
「それが……鳶一の両親は、精霊のせいで、死んだって──五年前に」
祈里は黙って聞く。
「自分のような人間を増やしたくなくて、ASTに、入ったって」
「……そうか」
「俺は、やっぱり甘いだけなのかな」
それは独り言ともつかない呟きだった。
きっと、士道は昨日琴里の前で切った啖呵を折紙の前でも言えるのか、と複雑な想いを抱えているのだろう。
「そんなことはない」
「え?」
「士道の選択は間違っていないよ。自分でも、まだそう思ってるんだろ?精霊だって、好きで破壊をしているわけじゃないはずだ、昨日の子、あんなに悲しい顔をしているなら好きで力を振るっているわけじゃないはずだって」
「兄貴……」
「精霊との対話が実現すれば、戦いも空間震も収まる。それこそ、折紙が経験したような出来事を減らせるんだ。俺たちは俺たちに出来ることをしよう」
「そうだな……ありがとう、兄貴」
士道は表情を緩ませると、前を向いて廊下を歩み始めた。
元気の出るようなことを言えただろうか、なんて思いつつ祈里も前を向く、すると視界に非常に見覚えのあるツインテールと白いリボンがぴょんこぴょんこと跳ねているのが見えた。その近くにはタマちゃん教諭。
士道も気づいたらしく、「あ!」と声を発する。その声で向こうも気づいたらしい。
「おにーちゃあああん!!それにおにぃぃ〜!」
吸い込まれるように士道の腹へと突撃したのは琴里だ。
士道の訓練を監督する為にやって来たのだが、そんなことは寝耳に水な士道は驚いていた。
やがて令音、琴里、祈里、士道の四人は物理準備室へと辿り着き、令音によって中へと案内される。
そこに広がっていたのは、祈里と令音によって拵えられた、様々なコンピューターの立ち並ぶ物理準備室とは名ばかりの秘密基地だった。
「なんですかこの部屋……この機械……!?」
「部屋の備品さ?」
「疑問形!?ここ物理準備室なんですよね!?あと元々いた先生はどうしたんですか!?」
「ああ、彼か……うむ」
一〇秒ほど沈黙。
「まあそこで立っていても仕方ない。さ、奥へ進みたまえ」
「うむ、の次は!?兄貴何か知ってる!?」
「琴里、飴食べるかい?」
「無視!?」
士道の疑問を華麗に弾き、琴里の口にどこから取り出したのだろうかチュッパチャプスを咥えさせる祈里。琴里は美味しそうに口の中で一舐めした後、ポケットから黒いリボンを取り出し、既にツインテールを結んでいる白いリボンと交換するように身に着けた。
すると、
「なにそこで突っ立ってるのよ士道。もしかしてカカシ希望?辞めときなさい。貴方の間抜け面じゃ、カラスも追い払えないわよ。ああ、でも人間は寄って来なくなるかもね。あまりのキモさに」
と、先日も〈フラクシナス〉のブリッジで見せた女王様に変身するのだった。
「お前、どっちが本性なんだよ……?」
「失礼しちゃうわ。そんなんじゃ女の子にモテないわよ?あ、だからまだ童貞だったんだっけ。ごめんなさいね、初歩的なことを指摘して。ま、それはともかく訓練を始めましょう。令音」
琴里の呼びかけで令音は士道を部屋の奥へと導き、そこにあった椅子に座らせる。そして目の前のモニターにある画面が表示された。どこからどう見てもギャルゲーのそれである。
「今から士道にはこれをプレイして貰って女性への対応を学んで貰うわ」
「ギャルゲーで!?」
「訓練の第一段階よ。それともいきなり本物の女の子で実践が良かったかしら?失敗したら社会的信頼を失うことになるけど?学校にも多少居づらくなるかもね?」
その言葉に気圧される士道、令音が補足するように続けた。
「なに、これはラタトスク総監修による現実のシチュエーションを限りなく再現した特注ゲームさ。ちなみに15禁」
「ああ、エロゲではないんですね」
士道がそう言うと琴里、令音、祈里が矢継ぎ早に発言する。
「やだ……最低……」
「シン、君は一六だろう。18禁のゲームが出来るわけ無いじゃないか」
「その、女の子の前でああいうエッチなゲームの話をするのは、あんまり良くないと思うんだ……」
「味方がいないっ!?」
士道はツッコみはその甲斐も無く虚空へ消えた。やがて令音に促され、渋々といった風にコントローラーを握る。
士道の対精霊攻略訓練・第一段階が始まった。
「ねえーよ!こんなシチュエーション!!あっ……」
「どうかしたかね?」
「いや……」
「なんで!?じゃあどれが正解なんだよ!?」
「ハァーほんっと使えないわね。もしもし私よ、例のアレよろしく」
「どこに電話して……ってなにこの画面に写った人……ん?手に持ってんのはまさか」
「士道がまたミスったわ。じゃ、士道の黒歴史をばら撒いて」
「やめて──!!」
「女の子との会話に緊張感を持ってもらうためのペナルティよ。甘んじて受け入れなさい」
「ぐわ───っ!!また間違えちまった!!!?」
「思えばシンばかりペナルティを負うのは不公平だね。仕方ない、シンが間違えるごとに私は一枚服を脱ごう」
「確かに……弟がこんなに頑張っているのに俺は無傷なんて……俺も脱ぎます!」
「なんで!?」
『奥義!瞬閃豪爆破ァァァァァァァ!!』
「イヤァァァァア──ッ!!!?」
「プッ、ククッ……奥義って」
「もう殺して……」
こうして、士道の訓練は放課後からとっぷり日がくれるまで及んだ。
それまでにギャルゲー攻略をミスしたペナルティで一体どれだけの黒歴史が世に放たれたかなんて、士道は数えたくもなかった。
四月十一日、来禅高校、放課後──。
士道が祈里、令音と合流する前──。
「五河士道」
「鳶一……?」
「来て」
「鳶一、どこに行くんだよ?ここ三年の……」
「五河祈里も呼ぶ」
「いない……もう帰宅した?」
「さあ?トイレとか?」
「鞄がある。もう少し待つ」
「来ない」
「来ないな」
「仕方ない。後で貴方から彼にも伝えて貰う」
そして屋上へ──。