四月二十一日。対精霊攻略訓練開始から十日後。
ついに士道のギャルゲーを用いた訓練が修了した。
全CGコンプ、グッドエンド到達に歓喜の雄叫びを上げる士道。その身体には中学時代の黒歴史を晒されるという悍ましい傷が多数刻まれている。祈里も腰巻きタオル一丁で男泣きをしていた。その足元に、丁寧に畳まれた制服と上下肌着を置いて。
「ハァ……やっとか。じゃ早速だけど次の訓練に移るわよ。時間も少し押しちゃったし」
「そのことだが、いきなり生身の女性で大丈夫かね?」
「平気よ。失敗しても失われるのは士道の社会的信頼だけだもの」
「なにサラッと言ってくれてんだテメェ」
サラッと恐ろしい事を言ってのける妹女王陛下に流石の士道も口を挟む。
「士道、お前がどんな噂を立てられようと俺はお前の味方だ」
「腰巻きタオル一丁の奴が味方にいたら余計噂立つわ!てかもう噂立ってんだよ!腐女子が選ぶベストカップルランキングに俺と兄貴が一位で載ってんだ!」
「あー、話進めて良い?」
ほぼ全裸の祈里を視界に入れないよう机の上のディスプレイを注視したまま言う琴里。ディスプレイにはこの学校の学区内の様子が映っている。
「む、彼女なんて良いんじゃないか」と、令音が指で示した先には、祈里と士道がよく見知った人物が廊下を歩くカメラ映像があった。
「ふぅん……まあアリかもね。よし。士道──この岡崎珠恵教諭を口説いてきなさい」
「ハァッ!?」
数分後、士道に小型インカムを手渡し、周囲に羽虫サイズの高感度カメラを追従させて送り出す。
制服姿に着替え直した祈里は再び物理準備室に戻って、ディスプレイへと目をやる。士道に追従させたカメラの調子は良好のようだ。指先に載ってしまうほどのサイズなのにノイズの一欠片もなかった。
「おぉ、流石に鮮明だな」
「当たり前よ。うちの最新技術で作ったんだもの。てか、一個聞いて良い?」
「どうした?」
「その内輪なに?」
琴里が呆れた様に顎で指したのは、祈里の右手に握られた青色の派手な内輪だった。表裏面にそれぞれ「頑張れ♡シドー」と「マイ☆ベスト☆ブラザー」という語がドギツイ赤色で印字されている。
「応援内輪だが……?」
「そんなこと分かってるわよ。なんでそんなもの作ってきたのかって聞いてんの……ちょっ、その“え、わかんないの?“みたいな顔やめなさいよ!私がおかしいみたいじゃない!」
「だが、見れば分かるじゃないか。令音さんはどう思います」
「ノーコメント」
「ほら!やっぱりおかしいのは祈里よ!」
妹に責められ大人にハシゴを外され消沈する祈里。と、そこでタマちゃん教諭を発見したという連絡が士道から入る。
士道の周囲に追従させた高感度カメラも確かにタマちゃん教諭を映していた。
「うまく近付けたみたいね。よし、士道。まずは落ち着いて話を持ち掛けなさい」
「そうだ。それにこれは訓練。しくじったって死んだりしないよ」
琴里と一緒に机の上のマイクから士道へ声をかける。インカムの調子も良いようだ。すぐに士道から『んなこと言ったって……』という応答が帰ってくる。
「情けないわね。──とりあえず、無難に相手を褒めてみなさい」
「これまでの訓練を思い出すんだ。お前は土壇場に強いタイプだからきっとできる」
兄妹二人で助言とエールを送る。少しして、士道はタマちゃん教諭の服装を褒め始めた。
結果から言うと、最初の手応えはそれなりに確認できたのだが、それに味を締めてしまった士道は少々やり過ぎてしまった。タマちゃん教諭が身に着けているものを手当たり次第に褒め出してしまったのだ。
『──その出席簿も凄く良いです!』
『あは……あの、五河くん?』
やり過ぎよこのハゲ、と琴里がツッコむ。士道は凹んだような顔をするが、実際、タマちゃん教諭の反応は最初の喜びからすっかり困惑の苦笑へと変わってしまっていた。
おそらく次に間違えた事を言えば、流石のタマちゃん教諭でも会話を打ち切って仕事に戻っていってしまうだろう。
見かねた令音がすかさず助け舟を出す。
シン、これから私の言うことを、そのまま彼女に伝えてみるんだ。まずは──。
──あの、先生。
──俺、学校に来るのが凄く楽しいんです。
──先生が担任になってくれたから。
──実は俺、前から先生のことが!
『──俺、本気なんです。先生と本気で結婚したいと思ってるんです!』
その一言が決定的だった。先ほどまで顔を赤らめつつも冗談半分に聞いていたはずのタマちゃん教諭の目がくわっと座り、士道を見据える。
それは、「おや、何か雰囲気が変わったぞ」とディスプレイ越しの琴里・祈里・令音も気づくくらいの変化だった。
『本気ですか』
『えっ?あ、はぁ、まぁ……』
『五河くんが結婚できる年齢になったら、私もう三〇歳超えちゃうんですよ。それでも良いんですか。両親に挨拶しに来てくれるんですか。婿養子とか大丈夫ですか。高校卒業したらうちの実家継いでくれるんですか』
『……あの、先生……?』
「一体何が起こったんです?」
タマちゃん教諭のあまりの変貌ぶりに祈里が口角を引くつかせながら令音の方を見る。タマちゃん教諭のことは以前から知っているが、このような姿は一度だって見たことが無いからだ。
しかし、そんなのはたった一年間、それも学校内のやり取りだけを見ての話にすぎない。生徒に愛されるタマちゃん教諭ではなく岡崎珠恵という女性個人については、祈里もまた全く知らなかったというわけだ。
令音はいつもの態度を崩さず、冷静に答える。
「いや、独身・女性・二十九歳にとって、結婚は必殺文句らしい。にしても、彼女は極端すぎるね」
「はぁ……」
そんな事を話している間にもディスプレイの向こうの士道はどんどん追い詰められていく。婚姻届、というワードも聞こえてきた。いよいよ士道の将来が危うい。
「潮時ね」
目的は達したと判断したらしい琴里が撤退の指示を出す。すると士道はこれまでにない早さで指示を受け取り適当に謝ってその場から一目散に退散した。
それがいけなかった。
「あっ!」
少しして、士道が曲がり角で生徒の一人とぶつかってしまった。お互いに転倒したようで、追従していたカメラの映像も大きく揺れる。
次にカメラが士道の視点の高さに合わせた時、琴里が祈里の視界を手のひらで覆った。ぺちり、と可愛い音が鳴る。
「うおっ!?いきなりなにをするんだ!?」
「だまらっしゃいこのスケベ。今、鳶一折紙の下着が丸見えてんのよ」
「それは大変だ……ということは、もしかして今、指の隙間から少し見えてるのがまさに──ぐああっ!?目をグリグリしないで……!」
五河兄妹のやり取りを余所に令音が手元のコンソールを操作し、カメラ位置を高く設定する。視点が士道と折紙の二人をやや見下ろす形になったところで、祈里は琴里の指から解放された。
すると琴里が信じられない事を言い出す。
「丁度良いわ、彼女でも訓練しときましょう」
やっぱり同年代のデータも欲しいしね。そう付け加えた。
士道はタマちゃん教諭の時以上に乗り気がしないようだったが、精霊との対話のことを持ち出されてしまい、やはり渋々とだが鳶一折紙にも仕掛けることにした。
『と、鳶一!』
『なに』
『その服、可愛いな』
『制服』
『ですよねー』
あんまりな対応に琴里がマイクを掴んで叱責する。
「なんで制服をチョイスするのよこのウスバカゲロウ」
「だが経験を活かすのは見事だった」
「……シン、手伝おうか?」
再び令音の助け舟に乗り、士道は折紙との会話を展開していく。
──俺、前から鳶一のこと知ってたんだ。
──同じクラスになれたの凄く嬉しくて。
──それだけじゃなくて、放課後に体操着を嗅いだり。
──なんか俺たち気が合うな。付き合ってくれないか。
『って、いくらなんでも急すぎるだろ!』
堪らず士道が叫んだ。まさかそのまま言うとは令音も思わなかったようだが、であれば何でそのまま言えと指示したんだと士道が吠える。
しかし、士道の反応と打って変わって、折紙の反応は極めて予想外のものであった。
『構わない』
『は?』
『構わない、と言った』
『ななななな何が?』
『付き合っても構わない。男女交際』
なんだこの子!?、と祈里は思わず後ずさった。
琴里も冷や汗を垂らしている。令音だけは興味深そうに顎に手を当てていた。
なぜだかうまく行ってしまったが、果たしてこれを成功サンプルに数えて良いものだろうか。祈里と琴里は目を合わせ、解析官の判定を待つ。
しかし、それは下されることは無かった。不愉快なサイレンが学校中、この物理準備室にも響く。琴里たちが所持している携帯電話でも、同様のアラームが鳴っていた。
空間震警報だ。例え百度聞いても慣れそうにない。
「士道、空間震警報よ。〈フラクシナス〉に移動するわ。準備室前まで戻りなさい」
やっぱり精霊なのか?と戸惑い気味に士道が問う。琴里は別ディスプレイに表示された〈フラクシナス〉からの霊波反応を見てから言った。
「ええ。そして出現予定地は、ここよ」