天宮市上空、高度一五〇〇〇メートル。
空中艦〈フラクシナス〉、ブリッジ。
艦のクルー達が慌ただしくブリッジを行き交っている。琴里と令音は既に軍服に着替えており、副司令官の神無月やクルーたちを交えて現状確認をしている。
一方、祈里は〈フラクシナス〉に転送されるなり琴里たちの向かうブリッジとは別方向に駆け出し、下層部の格納庫へと向かっていた。
いくつかの扉をセキュリティパスで抜け、最後に大仰な隔壁をくぐり抜けると、そこには一面鉄色の空間が広がっている。〈フラクシナス〉の格納庫だ。
『祈里、こちらの解析データをそっちにも送るよ。同期しておいてくれたまえ』
耳に当てたインカムから、令音の声が聞こえてくる。返事をする間もなく端末に現在の精霊の出現位置、その状態、ASTの展開状況などが一度に表示される。
「精霊が校舎の中に入っていますね。ASTは待ち作戦でしょうか」
『ああ。CR-ユニットは屋内戦闘を想定していない。よって、精霊が建物内に入った場合のASTの初動対応は大抵、精霊が飛び出してくるのを期待した待機だ。……十分にシンが接触するチャンスと言える』
「ツイてますね。あ、そういえば、ごく稀にいきなり建造物破壊による燻り出しをすることがありますよね。そうなる危険は今回は無いんでしょうか」
『正直なところ、無いとは言えない。が、可能性としては低いだろう。陸自にはリアライザを用いた災害復興部隊が存在するとはいえ、彼らを出動させるのもタダではないし、実際に修復が完了がするまでの間に住民を別の場所で生活させる行政手配も必要になるからね』
「魔法で簡単に壊れた街を直せるからって、すぐに建物を壊しには来ないってことですか……」
理解が早くて助かるよ、と令音が言った。
やがて目的の区画へと到着する祈里。そして
巨大だ。ASTの隊員が装着しているものとは、全く異なる設計思想のもと開発・調整されたそれは、ひたすらに巨大であった。身長が一八〇センチメートルを超えない者であっても、一度装着すればオートフィッティングの作用により全高は優に二メートル五〇センチを越すだろう。
CR-ユニット〈ヨルムンガンド〉──その本質は徹底的な秘匿性とラタトスクの理念の体現にある。
すなわち、正体を知られず動き、精霊との対話を支援すること。
『スーツの着心地はどうだい?暑かったり、締付けがキツかったりはしないかね。ASTのものと違って、全身をカバーするタイプだからね』
〈ヨルムンガンド〉のワイヤリングスーツはさながらSF作品の強化外骨格のような雰囲気だった。頭部に至っては人面を大きく外れたヘルメットに覆われている。
仮に
もっとも、そうなってしまえば未知のCR-ユニットの関与という情報をASTに渡してしまうので、それはそれで避けたい自体だが。
装着を終えた祈里が問題無いことを報告すると、令音は「なら、結構」とだけ言って、カタパルトハッチに向かうよう指示をした。次いで、琴里のハキハキとした声が聞こえてくる。
『士道を校舎に転送したわ。ASTの攻撃の激しさ次第では、〈ヨルムンガンド〉にも働いてもらうことになる。覚悟はできてるかしら?なんて、あんたには今更聞くことじゃないわね』
声越しに、好物の飴を咥えながら肩を竦める妹の姿が目に浮かぶ。
五年。
それが祈里と琴里が精霊対策に向けて準備と訓練を重ねてきた時間だ。当時、祈里は一二歳、琴里は八歳。
学校へ通う傍ら、ラタトスクでこのような時のために必要な知識と技能を叩き込み、愛する
祈里は握る拳を更に固くする。
──やってみせるさ。ブレる覚悟なんて、ない。
『ハッチオープン!〈ヨルムンガンド〉──リリィィィス!』
琴里の元気な号令により、〈フラクシナス〉の艦底が重低音を響かせて巨大に開かれた。深淵のようなダークブルーの宇宙を背負い、鋼鉄の巨躯が轟然と射出される。
〈ヨルムンガンド〉は、冷たいライトグレーの輝きを纏いながら、虚空へと降臨した。その姿はまさに、世界を呑み込む神話の怪物そのものだった。
天宮市上空、高度一〇〇メートル付近。
都立来禅高校校舎のほぼ真上。
祈里が配置についてから少しして、士道が無事精霊とのコンタクトに成功した報告が入る。しかし精霊の反応は悪い。士道のことを覚えていないのか、猜疑心に溢れた表情で士道のことを睨みつけていた。
また、〈ヨルムンガンド〉のセンサーは、現在地から五〇メートルほど下方にASTの戦闘部隊が自分たちの有利な開けた地形に精霊が飛び出してくるのを今か今かと心待ちにしている様子を捉えている。
祈里は〈ヨルムンガンド〉のステルスモードを維持したまま、彼女たちの動向を〈フラクシナス〉へモニターし始めた。
と、そこで〈フラクシナス〉AIからブリッジのメンバーへ、精霊との対話を成功させる為の理想的な会話パターンの提示が始まる。
例えば、たった今精霊が士道に発した「お前は何物だ」という問いへの最も効果的な返答として、
①『俺は五河士道、君を救いに来た』
②『通りすがりの一般人ですやめて殺さないで』
③『人に名を尋ねる時はまず自分から名乗れ』
と、いった風に提示する。
一言で言えば、ギャルゲーの選択肢だった。
琴里はブリッジメンバーに指示する。
『各々、理想的な選択肢を選びなさい!五秒以内!』
ラタトスク機関選りすぐりの精鋭である〈フラクシナス〉クルー達が選択肢に投票する。祈里は現場要員なので投票権は与えられていない──はずなのだが、何故だか予定と異なり、自分にも投票権が回ってきて困惑する。
「ん?すみません、令音さん。何か自分にも投票権が回ってきたのですが、システムの故障でしょうか」
『おや、おかしいね。そんなはずはないのだが』
ブリッジの令音が不思議そうにコンソールを弄ると、琴里の傍に控えていた男、〈フラクシナス〉副艦長“神無月恭平“が挙手をした。
『あ、それ私です。こっそり〈ヨルムンガンド〉にも投票権が回るように権限を付与しておきました』
『勝手なことしてんじゃないわよこの豚。いや豚に失礼ね。豚は賢いから勝手なことしないもの。豚未満の男はどうするのが最適かAIに聞こうかし、らァッ!』
『グハァッ……ぶ、ブヒヒヒヒィ゙!』
琴里が何かを勢いよく叩きつける音と、成人男性の嬌声が聞こえてきて冷や汗を垂らす祈里。令音が『まあ、そういうことらしいから良ければ君も投票してくれたまえ。ただし、その時は責任感を持って欲しい』と言ってくれなければ、まさに自分がこの状況をどうしたものかとAIに尋ねるところであった。
「うーん……そうだな」
まず最初に浮かんだのは①であった。士道は以前、この精霊と会ったことがある。であれば、こちらは精霊とお話をしに来ているのだから、再度友好をアピールしておくのが良いと考えたからだ。
「いや……でも、反応を見ると精霊は士道のことを覚えてないのか?だったら……」
次に浮かんだのが②である。とにかく敵意が無いことを伝えて警戒を解かせるべきではないか。
「待て待て……確かあの精霊の子は人に怖がられたりするのを嫌がってそうなんじゃなかったか?それに、せっかく話しをするチャンスを無くしてしまう……か?」
最後に残ったのは③である。だが、祈里はこの選択肢にはあまり気乗りがしなかった。確か、あの精霊は「名は無い」と言っていた気がする。持っていないもの聞いても却って怒らせるだけなのではないか。
どん詰まりだった。
「ハァー……やっぱりゲームと違って選択が重いな……よし、考えをまとめよう」
最初に②を除外する。理由は今この瞬間を切り抜けられても、次に対話をするチャンスを無くしかねないからだ。
次に①を除外する。理由は自己紹介をするのは良いが、実態の分からない相手に“救いに来た“と言われても怪しいだけだからだ。
「つまり、選ぶべきは③!」
祈里は勢いよく投票ボタンを押して回答を送る。③を選んだ理由は単なる消去法だけでなく、この中で最も会話が続きそうな内容だったからである。既に投票時間が過ぎていたため祈里の回答は無効となるが、回答を送ったことで、祈里にも投票結果が表示される。
結果から言うと、最も③に票が集まっていた。どうやら祈里も〈フラクシナス〉クルーと同意見だったらしい。
『ほほう、祈里くんも③ですか。理由をお聞きしても』
復活していた神無月が聞いてきたので理由を説明すると、納得したように声を和らげる。
『やはり君にも投票権を渡してみて正解でした。今後もよろしければ投票してみてください。無論、その時は責任感ある一票を期待します』
それから士道の会話は多少の想定外もありつつもスムーズに進んだ。〈フラクシナス〉に搭載されたAIによる解析結果から、精霊の反応が上々であること、士道への好感度も高まりつつあることが判明する。
特に大きかったのは、精霊の少女に名前を付けられたことだろう。初めて出会ったのが四月十日であるから、“十香“と士道によって名付けられたその精霊は、今まで士道も祈里も〈フラクシナス〉のクルーも見たことが無い満足気な表情をしていた。
しかし、それは長くは続かなかった。
〈ヨルムンガンド〉のセンサーが捉えたのは、砲火と轟音、崩壊する校舎。
下方に位置しているAST部隊が精霊の燻り出しを開始したのだ。
天宮市地上。
都立来禅高校三階、二年四組、教室内。
崩壊した瓦礫の陰。
「早く逃げろシドー。私と一緒にいては同胞に討たれることになるぞ」
士道との会話に一喜一憂し楽しげにしていた表情から一変、酷く痛ましく歪んでしまった表情で、十香と名付けられた精霊は士道にそう言った。
しかし、この五河士道という少年はこんな時だからこそ逃げる事を選ばない男だった。
「逃げられるかよ、こんなところで!」
十香の傍に座り込み、彼女の困惑を余所に毅然と言い放つ。
「今は俺とのお話タイムだろ?あんな奴ら気にすんな。──この世界の情報、欲しいんだろ?俺に答えられることならなんでも答えてやる」
士道の言葉かその真っ直ぐな瞳か、あるいはその両方だろうか。十香は目を開くと、士道の正面に座り込んだ。
この間にも絶えず攻撃は行われているが、幸い十香の霊装なるものの恩恵で、士道にも十香にも被害はない。
しかし、このまま攻撃を受け続けてしまえば、そのうち校舎が潰れるか、そうでなくても精霊の傍の士道に気づかれて救助が行われてしまうかだった。
『あのASTがこんなに早く強硬策に切り替えるなんてね……どういう風の吹き回しよ。仕方ない、祈里を使うか』
祈里?なぜそこで祈里なんだ?インカム越しに聞こえた言葉に士道がそう思った刹那。唐突に、ASTの銃撃が止んだ。あまりに不自然に訪れた静けさに十香も困惑し、警戒心をあらわにしている。
士道は尋ねる。
「何が起こったんだ琴里?これは……」
『フフン。簡単に言えば“こんな事もあろうかと“ってやつよ』
「はあ?」
『とにかくこれでしばらくASTの気はそっちから逸れるわ。対話を続けなさい。モタモタしてると効果薄まるから』
都立来禅高校校舎上空、高度五〇メートル付近。
折紙は我が目を疑っていた。折紙だけではない。AST隊員全員がなんの前兆もなく自分たちの頭上に出現したそれに、絶句していた。
「あれは、精霊……?」
折紙が思わず口にする。だが、折紙の上司でASTのリーダー“日下部燎子“は首を縦にも横にも振らなかった。
「なんなのあれ……精霊反応に似ている、けどこれまで出現したどの精霊とも異なる反応……まさか新種なの?」
頭上に出現したその〈精霊モドキ〉は、不思議なベールのようなものに身を包んでいて全貌は全く分からない。索敵カメラを飛ばそうが、ワイヤリングスーツの望遠機能で最大まで拡大表示しようが、その姿の詳細はノイズで掻き消されてしまうのだ。その上、なにやら電子音地味た奇怪な“鳴き声“まで発している。
不気味なこと、この上なかった。否応にでも注意を引きつけられてしまう。
「攻撃許可は?」
「ちょっと待って。今、本部からの指示を待ってる……」
都立来禅高校校舎上空、高度一〇〇メートル付近。
祈里は〈ヨルムンガンド〉でASTの出方を伺っていた。
〈ヨルムンガンド〉の巨体のほとんどは、自身の姿を消す為の光学迷彩モジュールと、自身の姿と反応を別の何かに見せる偽装モジュール、そしてそれらを制御する
多重搭載されたそれらモジュールの機能を状況によって切り替える事で、〈フラクシナス〉の端末としての哨戒活動と、敵性脅威の注意を引く支援活動を可能とするのだ。
むしろ、それを可能とするためにモジュール類を多重搭載した結果、人間の倍ほどもあるサイズになってしまったと言っても過言ではない。ちなみに、機体の考案・設計には村雨令音が関わっている。
〈ヨルムンガンド〉がステルスモードを偽装モードに切り替えてから、約五分が経過した頃、ASTに動きがあった。
銃撃が〈ヨルムンガンド〉──つまり祈里に向かって放たれ始めたのだ。
「来たか」
祈里はそう呟いて、冷静に回避機動を取る。全身の
偽装モードで“表現“される姿や霊波反応も併せると、ASTには今自分たちが対面しているものが精霊のような“精霊モドキ“に見えているに違いなかった。
「俺は、君たちと戦う為に来たんじゃない。だから攻撃はしない──」
一際速いAST隊員が祈里を自身の武器の射程に捉える。折紙だ。
折紙は精霊によって両親を失ったと言っていたらしい。そんな自分のような人間を増やさない為にASTに入隊したとも。
そこに嘘は全く無いのだろう。祈里に向かって放たれる攻撃は、そのどれもが鋭く的確で、決してリアライザ適性頼りの荒削りな戦い方ではなかった。
血の滲むのような研鑽の果てに身に着けた戦い方そのものだ。
「──だが、代わりに俺と
士道が精霊と対話をする、その時間さえ稼げれば良い。
祈里は折紙や他のAST隊員からの攻撃を躱し続け、時には様子を伺う様に静止し、彼女たちの注意が自分へ向けられるように振る舞う。
さながら首輪から外れた犬と、それを捕まえようと追いかける飼い主のような攻防だった。
一方、追いかける飼い主側のASTは突然現れた“精霊モドキ“の不可解な挙動に苛立ち始めていた。
「おちょくってくれるわぁ……」
「たまにこちらの動きを観察するように立ち止まる瞬間がある。そこを突ければ、あるいは」
折紙の提案に燎子が頷き、部下へと指示を飛ばす。一部の隊員を未だ校舎内から動く気配のない精霊〈プリンセス〉(十香へASTが付けた識別名だ)の監視に回し、その他を空へと引き上げる。
折紙と燎子が銃撃し、その回避した先を他のAST隊員が更に追い詰める作戦だ。しかし、効果は薄い。
“精霊モドキ“はその巨大な異様に反してラジコン飛行機のごとき軽快さで、AST隊員たちの攻撃をギリギリのところでくぐり抜ける。
AST隊員は構わず攻撃を続けながら、相手を特定の空域へと誘導し始め、そして、急に追うのを止めた。
「ビンゴ!」
燎子が指を鳴らす。“精霊モドキ“はやはり、停止した。
どうやら“彼女“は追いかけっこがしたいらしい。それが分かればやり方はいくらでもある。
「──ッ!」
停止した“精霊モドキ“の遥か下方、いつの間にかその目を盗んで地上付近で潜伏飛行をしていた折紙が全速力で急上昇し、“精霊モドキ“の懐へと入り込んだ。その手には対精霊用のレーザーブレイド〈ノーペイン〉が抜刀状態で握られている。合わせて燎子が突進する。挟み打ち。
「貰った」
確かに斬り裂いた、はずだった。
折紙が現在の自分の状態を認識し直した時、彼女は凄まじい速度で地上へ投げ出され、来禅高校の校舎へ墜落していた。
『精霊反応、どちらとも消失。取り逃しました』
通信機から淡々と告げられる本部の報告に、折紙はただ歯を食い縛ることしかできなかった。
※折紙と燎子に挟み打ちで斬りかかられる瞬間、ヨルムンガンドがスラスターを全開に開いてその場から飛び立ったため、折紙と燎子の刃がごっつんこして燎子は斜め上空に、折紙は斜め地上に弾かれた。