不老なのをいいことに、移りゆく世代を眺めながら辺境で気ままに過ごしていたら、知らないうちにレベルが限界を振り切っていた   作:無性主人公広めたい

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10話 任される仕事

 あの夜から、数日が、過ぎた。

 

 朝は、あいかわらず、むごいくらいに、早い。まだ外は薄暗くて、藁の寝床は、骨の芯まで、冷えきっている。オレは、うめきながら、身を起こした。瞼が、鉛みたいに、重い。かじかんだ指は、感覚が、遠い。……もう少しだけ、寝ていたい。そう思っても、村の朝は、待ってはくれない。

 

 凍てついた井戸端で顔を洗えば、水は刃みたいに冷たくて、うっ、と、息が詰まった。眠気だけは、いっぺんに、吹き飛ぶ。

 

 いっぽう、懐のマロときたら。朝の冷えなど、どこ吹く風だ。オレの服の、いちばんあたたかい場所で、まんまるに、なりきっている。

 

 ときおり、思い出したように、ふに、と手足を伸ばしては、また、ほう、と、小さく息をついて、丸くなる。毛に埋もれた腹が、寝息にあわせて、ゆっくり、ふくらんでは、しぼむ。この世の憂いなんて、ひとつも、背負っていない顔で。

 

「……お前は、いい身分だな」

 

 きゅう、と、寝ぼけたような返事。というより、あれは、寝言に、近い。

 

 村では、まだ、あの晩の話が、あちこちで、続いていた。畑へ向かうオレを見つけると、すれ違いざま、年寄りが、感心したように、肩を、叩いてくる。

 

「よう。……たいした、もんだったなあ」

 

 丸腰で、あのシャドウハウンドをやった余所者。このごろは、そういう目で、迎えられる。ゆうべまで、遠巻きに、値踏みするだけだった、あの人たちに、だ。……もっとも、そのたびオレは、どう返していいか分からずに、あいまいに、頭を下げるばかりなのだけど。

 

 あれを本当に止めたのが、この懐の毛玉だなんて――そんなこと、言ったところで、いったい、誰が、信じる。オレ自身、まだ、半分も、信じきれていないっていうのに。オレにできたのは、震える手で、鍬を振り下ろした、それだけだ。

 

 畑への道に出ると、向こうから、小さな影が、いくつか、駆けてきた。先頭は、テオだ。そのうしろから、女の子と、男の子が、ひとりずつ、ついてくる。

 

 女の子は、村長オルドの家の孫娘で、ミラという。テオと、おない歳くらいだ。男の子のほうは、その遊び仲間の、コル。今日は、この三人で、連れ立ってきたらしい。

 

 ……はじめて畑で裾を引かれたときは、テオ、ひとりきりだった。それが、このごろは、こうして、二人、三人と、連れ立ってくる。オレを見ても、逃げも、身構えも、しない小さいのが、少しずつ、増えている。……悪い、気分じゃ、ない。

 

「ユウ! マロは、いる?」

 

 テオは、オレの顔じゃなくて、まっさきに、懐を覗きこんでくる。……まあ、そんなものだ。マロが、袖口から、ひょい、と顔を出すと、三人そろって、ぱあっと、目を輝かせた。

 

「きょうも、もふもふ!」

 

「そっと、な」

 

 しゃがんだ拍子に、袖口が、目に入る。何度、沢で洗っても、あの晩の黒い染みは、うっすらと、袖に残ったままだった。転生してから、ずっと、着たきりの、制服。この世界には、こんな服を着た者は、どこにもいない。

 

 すっかり、旅の埃に汚れて、それでも、一目で余所者だと、知れてしまう。……服のことも、いつか、ちゃんと考えないとな。そう思いながら、いつも、後回しにしていた。

 

   *

 

 朝の井戸の水から、刃のようなするどさが、少しずつ、抜けてきた。長い冬も、そろそろ、峠を越えたらしい。

 

 ある日の昼下がり。村長のオルドが、ぶらりと、畑まで出てきた。

 

 オレが、草を抜く手を止めて頭を下げると、オルドは、ふん、と鼻を鳴らし、しばらく、無言で、こちらの手元を、見ていた。日に灼けた顔の、落ちくぼんだ目が、探るように、細くなる。

 

 ……あの、抜け目のない村長が、わざわざ、オレのところまで、足を運んでくる。めったに、ないことだ。……なんだか、いやな予感がして、オレは、思わず、身構えた。

 

「……お前さん。じきに、溝さらいだ。……お前も、入れ」

 

 オレは、危うく、鍬を、取り落としそうになった。

 

 溝さらい――春に川の水を畑へ引く前に、村じゅうの溝を、さらっておく。年に一度の、村総出の、大仕事だ。その水を畑へ回す用水路は、村の、命綱でもある。ひとつ間違えれば、一年の実りが、ふいになる。

 

 これまでのオレが任されてきたのは、石を運び、草を抜く、誰にでもできる雑用ばかりだった。妙な真似をすれば、その日で追い出す。刃物は貸さない。家の中には、入れない。――そういう、見張り付きの、余所者。それが、オレだった。その村が、いちばん大事な仕事の列に。オレを、入れるという。

 

「……いいん、ですか。オレなんかに」

 

「かまわん。使えなきゃ、外すだけだ」

 

 相変わらず、愛想の、かけらもない。それでも。「その日で、追い出す」とは、もう、言わなかった。

 

 ……たぶん、これが、答えなのだと思う。大げさな、歓迎の言葉なんて、ひとつも、ない。ただ、この村が、オレに、ひとつ、仕事を、預けてくれた。それだけ。それだけのことが、じんわりと、腹の底で、あたたかかった。

 

 このごろは、道ですれ違う村人も、ちいさく顎を引くくらいのことは、してくれる。「おう」とか、「そこの籠、運んどけ」とか。手放しに親しげ、というわけじゃ、ない。ただ、ぶっきらぼうに、用を言いつけてくるだけ。……でも、それはたぶん、オレが、この村にいて当たり前の顔に、なりはじめた、ってことなんだろう。

 

   *

 

 溝さらいの日は、村じゅうが、川筋に出た。ふだんは各自が手すきに浚う溝も、この日ばかりは、手の空いた者は、男も、女も、底の底まで、さらいあげる。その列の端に、オレも、混じっている。

 

 用水路の泥は、重かった。腰まで冷たい水に浸かって、底の泥を、掬っては、放り上げる。半日で、腕が、笑った。それでも、隣で、年寄りが「……筋は、悪くねえ」と、ぼそりと言うのが、なんだか、くすぐったくて、嬉しかった。

 

 夕暮れ。泥だらけで、畑の小道を、村へと戻る。あちこちの家から、夕食の煙が、まっすぐに、立ちのぼっていた。肩の上のマロが、その匂いに、ひくひくと、鼻を動かす。……ずいぶん、遠くまで、来たものだ。城を、追い出された、あの日から。

 

 その晩も、藁の寝床で、マロと、丸くなる。まぶたの裏に、いつもの窓が、浮かんだ。

 

『デイリーリワード――経験値 +1』

 

 ……今日は、1か。昨日は、2で、その前は、また、1。相変わらず、その日、その日で、気まぐれに、違う。ときどき、しなびた木の実が、ひとつ、おまけについてくることも、ある。

 

 レベルのほうは、びくとも、しない。窓の隅で、積みあがった数字だけが、そろそろ、ひと月ぶんくらいには、なるだろうか。それでも、次のレベルまでは、まだ、ずいぶん、遠い。

 

 働いても、寝ていても、この数字だけは、律儀に、ひとつずつ、増えていく。……ちっぽけだ。用水路の泥さらいを任された、たったそれだけのことで浮ついている今のオレには、この、亀みたいな歩みが、なんだか、可笑しくもあった。

 

 まあ、いい。今日は、任される仕事が、ひとつ、増えた。オレには、それで、じゅうぶんだ。

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