不老なのをいいことに、移りゆく世代を眺めながら辺境で気ままに過ごしていたら、知らないうちにレベルが限界を振り切っていた 作:無性主人公広めたい
村に置いてもらってから、ふた月あまりが、過ぎた。
あの、骨まで凍えた朝は、いつのまにか、遠くなっていた。畑の土は、黒々と、湿って、畝のあいだには、名も知らない草の花が、点々と、咲いている。青い麦が、朝日を受けて、風に、いっせいに、波打っていた。
あのシャドウハウンドの夜も、もう、ずいぶん前のことのように、思える。……季節は、ちゃんと、巡るんだな。この世界でも。そんな、当たり前のことが、なんだか、少し、うれしいような。
朝は、鶏小屋から始まる。餌をやって、卵をあらためて、傾いた止まり木を、直す。それから、裏の草地へ、山羊を、追っていく。
畑に回れば、伸びた草を抜き、水をやり、昼を過ぎれば、用水路の泥を、さらう。……村の、こまごました仕事を、オレは、たいてい、任されるように、なっていた。
誰にでもできる、地味な仕事ばかりだ。それでも、朝、目が覚めれば、やることが、ある。腹が減れば、働いた分の、飯がある。
――たいそうな、望みじゃない。でも、確かな、手ざわりが、あった。この村で、働き手として、日々を、やっていく。今のオレには、それが、いちばん、地に足のついた、暮らしに、思えていた。
畑は、村じゅうの家のものが、細い畦で仕切られて、ひとつづきに広がっている。牛も犂も数えるほどしかないから、耕しどきには、誰の畝だろうと、手の空いた者が、みんなで出た。オレも、その列の端に、混じる。
……冬が来て、麦を蒔いて、また冬が来る。その、決まりきった巡りのなかに、いつのまにか、オレの居場所も、ひとつ、まぎれこんでいた。
畑や井戸端では、たまに、遠い話が、風のたよりみたいに、こぼれ聞こえてくる。街道が物騒だとか、塩も鉄も値が上がる一方だとか。……たぶん、あの城が、勇者たちを、魔王の前線へ、送り出しているんだろう。オレが放り出された、あの騒ぎの、続きだ。
……けれど、どの話も、オレには、絵物語の一節みたいに、遠い。あの広間の、まんなかにいたはずなのに。
畝にしゃがんで草を抜きながら、その声を、半分だけ、聞くともなしに、聞き流す。麦の穂を揺らす、この風のほうが、よっぽど、オレの一日には、近かった。
擦り切れてきた制服の袖を、まくりあげる。伸びた前髪を、手の甲で、払う。
肩の上のマロは、あいかわらず、気ままだった。鶏を、つついてみたり、山羊の背に、飛び乗って、振り落とされかけたり。……お前は、ほんと、気楽で、いいな。
井戸端では、テオの母親のマレナが、洗い物をしていた。村はずれで行き倒れかけていたオレを、テオが見つけて、呼びに走った——その相手が、この人だ。
「……テオのやつ、あんたにばっかり、なついちまって、しょうがないよ」
マレナは、洗い物の手を止めて、苦笑まじりに、そう、こぼした。……このマレナは、口ぶりこそ素っ気ないが、なんだかんだ、余所者のオレを、気にかけてくれる。
余った汁を器に足してくれたり、袖の綻びに気づいて糸を回してくれたり。たぶん、テオが、こんなにオレに懐いているせいだろう。
*
その日の、昼下がり。畑に、村長のオルドが、ぶらりと、やってきた。手に、布でくるんだ、小さな包みを、提げている。
オレが、手を止めると、オルドは、あさっての方を向いたまま、ふん、と鼻を鳴らして、その包みを、押しつけてきた。
「……これを、村はずれの、爺さんのとこへ、届けてこい」
「爺さん……?」
「薬師の爺だ。村の、いちばん、はずれ。……いけば、分かる」
薬師。……そういえば、村で、誰かが腹を下したの、熱を出したの、という話のたびに、その名が、ちらほら、出ていた気がする。けれど、当の爺さんの姿を、オレは、まだ、一度も、見たことが、なかった。
オルドは、それだけ言うと、渋い顔で、付け加えた。
「言っとくが。……偏屈だぞ、あれは。村のもんも、用がなけりゃ、近寄らん。まあ……お前なら、いいだろう」
……つまり、村のもんは、あの偏屈な爺さんには、あまり近づきたがらない、ということらしい。まあ、こういう半端な用が、オレに回ってくるのは、いつものことだ。オレは、包みを、受け取った。
*
村の、いちばんはずれ。林に、半分、飲まれかけるように、その、古い納屋は、建っていた。
戸を、叩く。返事は、ない。もう一度、叩いて、そっと、押し開けると――むっと、鼻をつく、匂い。埃と、乾いた草と、土と、それから、何か、苦い、薬くさい匂いが、いっしょくたに、こもっていた。
薄暗い納屋の中に、天井から、幾束もの草が、逆さに吊るされて、風もないのに、かすかに、揺れている。
「……勝手に、入るな」
奥から、しわがれた声が、飛んだ。目を凝らすと、板敷きの隅で、痩せて背の丸い、白髪の爺さんが、こちらに背を向けたまま、何かを、乳鉢で、擂っていた。ごり、ごり、と、単調な音。振り向きも、しない。
「村長から、これを」
オレが、包みを、板敷きの端に置くと、爺さんは、ちらりと、それを見ただけで、また、手元に、目を戻した。
「……ご苦労。用は、それだけだろう。帰れ」
にべも、ない。……まあ、聞いていた、とおりだ。オレは、頭を下げて、出ていこうとして――ふと、足が、止まった。
棚に、ずらりと並んだ、素焼きの甕。壁に吊るされた、名も知らない草の束。隅で、根を擂る、その、単調な手つき。……なんだか、目が、離せなかった。
「……何を、作ってるんですか」
訊いてから、しまった、と思った。偏屈な爺だ。怒鳴られるかと、身構えた。けれど、爺さんは、手を止めずに、ぼそりと、言った。
「傷薬だ。……そこの、干した根を、寄越せ。細かく、刻んで」
え、と、思う間も、なかった。気づけば、オレは、言われるまま、小刀を握って、板敷きに、座り込んでいた。……頼まれたわけでも、引き受けたわけでも、ない。ただ、その場の流れで、なんとなく、オレは、この爺さんの手伝いを、することに、なっていた。
とん、とん、と、たどたどしく、根を刻む。爺さんは、それを、横目で見て、
「……もっと、細けえ。気を、急くな」
と、注文だけは、一人前に、つけてきた。
*
どれくらい、そうしていたのか。ふと、手を止めて、目を上げると――納屋の、いちばん奥。暗がりに沈んだ一角に、ひときわ大きな甕が、いくつも、据えられているのが、見えた。分厚い木の蓋に、縄が、幾重にも、掛けてある。壁際に並んだ、口の開いた甕とは、あきらかに、扱いが、違った。
なんだろう。つい、腰を、浮かせかけた、その時。
「……そっちは、触るな」
爺さんの声が、低く、飛んできた。さっきまでの、気のない調子とは、どこか、違う。振り向くと、皺だらけの目が、じっと、こちらを、見ていた。
「寝かせてる。……それだけだ」
それきり、爺さんは、口を、つぐんだ。訊くな、という、気配だけが、はっきりと、あった。……よそ者に、話すようなことじゃ、ない。そういうことだろう。
オレは、素直に、腰を、下ろした。何を、何のために、寝かせているのか。気には、なったけれど――訊かないでおく。それが、この村で、オレが覚えた、いちばん確かな、身の処し方だ。
結局、日が暮れるまで、オレは、黙って、草を刻み、根を擂り、干し場の隅に、並べた。慣れない匂いに、頭が、くらくらした。指先は、草の汁で、うっすら、緑に、染まる。
「……また、来ても、いいですか」
帰りぎわ、そう訊くと、爺さんは、答えなかった。ただ、聞こえなかったふりで、また、乳鉢に、向き直る。
……断られては、いない。愛想もなければ、礼も言わない。奥の甕に、何を寝かせているのかも、教えてくれない。妙な、爺さんだ。……それでも、なぜだか、オレは、また、この薄暗い納屋を、覗きに来たい気が、していた。
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