不老なのをいいことに、移りゆく世代を眺めながら辺境で気ままに過ごす 作:無性主人公広めたい
行商人が村に来たのは、それから幾日かののちだった。昼下がり、麦畑の向こうの街道から、幌をかけた荷馬車が一台、土埃を上げてゆっくりと近づいてくるのが見えた。車輪の軋む音を聞きつけて、村の広場にはたちまち人が集まる。年寄りも、女も、子供も。めったにない賑わいだ。
オレもその端にいた。爺さんに「あの行商人が来たら、これを渡しておけ」と、乾かした陽草の包みを預かっていたからだ。この村の薬草は、街道を渡り歩くこの手の商人が遠くの町へ運んでいくらしい。偏屈な爺さんの数少ない得意先なのだと、通ううちになんとなく知った。
肩のマロが見慣れない幌の色に鼻先をひくつかせる。オレは革ひもで後ろに束ねた前髪を指先で直した。
この三月で髪はずいぶん伸びて、刻みの手元にかかると邪魔なので、こうして括るようになった。沢で身体を洗うのにももう慣れた。……もっとも、着ているものだけはあいかわらず、この世界の誰も着ていない妙な仕立ての一着のままだけれど。
やがて、広場の真ん中に荷を広げた行商人は、髭の濃い恰幅のいい男だった。塩だの、針だの、色のついた布だのを並べながら、口のほうはひっきりなしに動いている。商売の半分は品物で、もう半分はどうやら噂話らしい。
「――で、王都のほうはな。そりゃあたいした景気だ」
男の声がひときわ張った。
「勇者様がたが北の魔物どもを片っ端から蹴散らしていなさる。なんでも炎ひとつで山を焼いたとか。英雄様の名が日に日に増えていく。都じゃあいま、その話でもちきりよ」
村人がおお、と沸いた。子供が見えない剣を振るまねをしてはしゃぐ。
……炎ひとつで山を焼く。オレは遠くで鳴る花火の音でも聞くように、その話を聞いていた。あの、二桁も三桁も軽々と伸ばしていった連中の誰かだろう。鷹宮あたりがいかにもやりそうな話だ。あのまばゆい光の下に、もしオレが残っていたら。全部が1の役立たずなんて、たぶんいちばん先に前へ押し出されて、すり潰されていた。……そう思うと、賑やかな話ほど遠くで鳴っていてくれたほうがありがたい。
オレの手元にあるのは、薬くさい納屋と、麦畑と、この肩の毛玉だ。それでじゅうぶんだった。
人だかりが少し落ち着いた頃合いに、オレは預かった包みを渡そうと荷車のそばへ寄った。すると行商人は、その手元より先にオレの身なりのほうへ目を留めた。品定めでもするような、抜け目のない目だ。
「あんた……見ない顔だな。それに、その服。このあたりじゃとんとお目にかからない、妙な仕立てだ」
男は少し声を落とした。
「まさか、あんたも王都から流れてきた口かい。勇者様のおこぼれか、何かで」
心臓がひとつ跳ねた。
――まずい。オレはできるだけ間の抜けた笑いを顔に貼りつける。ここでむきになって否定するのも、かえって怪しい。
「まさか。勇者だなんて、とんでもない。……行き倒れかけてたのを、この村に拾ってもらった拾われ者ですよ。ご覧のとおりの」
嘘はつかない。ただ、肝心なところだけを濁す。城のことも、追い出されたことも、言わずに済ませる。
男はふうん、と鼻を鳴らして、それきり追ってはこなかった。代わりに、差し出した包みを受け取ると、慣れた手つきで結び目をほどき、中の乾かし草の匂いを深く嗅いだ。とたん、その顔がほころぶ。
「――ああ、これだ、これ。ガレンの爺さんの陽草だ。乾かしの加減がまるで違う」
男はしみじみと言った。
「いいか、兄さん。あんたが世話になってるガレンの爺さんはな、腕だけならこの街道じゃ名の知れた薬師なんだ。あの人の傷薬なら、と遠くの村からわざわざ使いを寄越すとこもあるくらいでな。おれも、あの草を運べる日は実入りがいい」
……ガレン、というのか。通いつめても、オレはあの無口な爺さんの名すら知らずにいた。それを行商人のほうが、こともなげに口にする。……そうなのか。オレは少し驚いていた。村はずれのあの爺さんの薬が、そんな遠くまで。道理で、刻みひとつにあれだけうるさいわけだ。
「けどな、あの人ももう歳だ。ひとりじゃとても手が回らねえ。……そのくせ、とんだ偏屈でな。弟子にしてくれって者が来ても、これまではにべもなく追い返してたって話だ。……それが、あんたみたいな余所者をこうしてそばに置いてる。よっぽど気に入られてるんだな、あんた」
気に入られてる、か。面と向かって言われると、どうにもこそばゆい。……それでも、オレのこのまだ粟粒には遠い刻みでも、いつかどこかの村の誰かの傷に届くのかもしれない。役に立てるのかもしれない。そう思うと、なんだかそわそわして、オレは束ねた前髪の革ひもの結び目を意味もなく直した。悪くない。悪くない気分だった。
その、ゆるんだ気分に水を差すみたいに、男が荷を畳む手をふと止めた。
「……いまはなおさら、あの爺さんの草がありがたい時勢でな」
男は周りをちらと見てから、声を一段落とした。オレにだけ聞かせるように続ける。
「北の前線じゃあ、傷を負う兵があとを絶たねえ。……で、教団が聖癒の担い手を根こそぎ前へ駆り出してる。神授の癒しの手だ。村に一人いるか、いないかの、その手を片っ端からな。おかげで、後ろの村じゃあ、指を落としても、腹を裂かれても、聖なる癒しを施せる者がどこにもいやしねえ」
男は包みを荷の奥へ大事そうに仕舞った。
「そういう土地じゃあ、よく効く傷薬ひとつがそのまま命綱だ。あの爺さんの草にゃ、遠くの村の連中が手を合わせて、拝むみてえに礼を言う。……ほんとだぜ。薬師ってなあ、いまや聖なる癒しの代わりだ」
男はそこでふっと声をひそめた。
「……もっとも、物騒なのは、なにも北の前線ばかりじゃねえ。おれみたいに街道を渡り歩いてりゃ、いやでもわかる。戦で食い詰めた者だの、前線から逃げ出した者だの……行き場をなくした手合いが、この頃は街道にあふれかえってる。隊商が身ぐるみ剥がれた、なんて話も、近ごろじゃ珍しかねえ。……この分じゃ、そのうち、そういう食い詰め者が、こんな辺境の村にまでふらりと足を向けねえとも限らねえぜ。兄さん、あんたも、見慣れねえ顔にゃ、せいぜい用心するこった」
それだけ言うと、男はまた、いつもの調子のいい商売声に戻った。
オレは去っていく荷馬車の幌をしばらく見送っていた。……薬師が、聖なる癒しの代わり。廃れたはずの地味な手仕事が、まわりまわってこんなふうに要り用になる。なんだか、妙な話だ。
もっとも、それはずっと遠い北の話だ。関わらない。それがいちばんいい。……そう、思う。思うのだけれど。
ただ——男の言った、街道に食い詰め者があふれてる、というあの一言。あれだけは、妙に耳の奥に残った。
北の前線とは違う。街道は、この村のすぐそこまで続いている。……何年ぶりに魔物が里へ降りてきた、あの夜のように。悪いことは、たいていこうして、遠くの噂の顔をして、先ぶれもなくやってくるものだ。
街道の土埃が風に流れて消える。その向こうに、まだ見えない何かがほんの少しずつこちらへ近づいてきているような気がして、オレは爺さんの待つ村はずれの納屋へ足を速めた。