不老なのをいいことに、移りゆく世代を眺めながら辺境で気ままに過ごす 作:無性主人公広めたい
行商人の荷馬車が去ってから、幾日か。耳の奥に残っていたあの行商人の一言——街道に、食い詰め者があふれてる——も、幸い、それきりなんの尾も引かなかった。
あれからこの辺境の村を訪ねてくる者は、誰ひとりいない。麦は青いまま風に波打ち、鶏は相変わらずやかましく、オレは擦り切れた制服の袖をまくって、爺さんの納屋で根を刻む、いつもの日々に戻っていた。……悪いことは遠くの噂の顔をして、先ぶれもなくやってくる。あれだけ身構えておいて、なんだ、取り越し苦労か。
そう思って束ねた前髪の結び目を意味もなく直したりしている、そんな昼下がり。街道のほうから、四つか五つの人影が村へと折れてくる。
はじめは、また行商人の類か、と思った。めったに客のない村だ。この半月で二組も来るとは珍しい。……そんなのんきなことを考えていた。
だが、畑の畦から顔を上げて、その一団をひと目見たとき。オレの腹の底がすっと冷えた。
……違う。あれは荷を売りに来た人間の歩き方じゃない。
男が四人と、痩せた一人。荷らしい荷は背負っていない。代わりに腰には、鞘の傷んだ剣だの革を巻いた棒きれだのをぶら下げている。着ているものは、あちこち継ぎの当たった垢じみた旅装。どこかで食い詰めて街道に流れ出た手合いだろう。……だが、いちばん引っかかったのは、その目だった。
村の家々を、畑を、干した洗濯物を——値踏みするように、なめるように見ている。品物の値を計る行商人の目とは違う。あれは「ここから何がいくつ奪えるか」を数えている目だ。
肩の上でマロがぴくりと身を硬くした。いつもの、幌の色に鼻をひくつかせるあの調子とは違う。低い、押し殺したような鳴きがひとつ。
オレはそっと、袖口へマロを押し込んだ。……お前は引っ込んでろ。あんな刃物を提げた連中に、見つかるんじゃない。
先頭の、いちばん体格のいい男が広場に出てきた村長のオルドを顎でしゃくった。
「よう、爺さん。ここらでいっとう蓄えのある家は、どこだ。……なに、通りすがりの旅の者だ。飯と寝床を恵んでもらおうってだけさ」
口ぶりは穏やかだ。だが、恵んでくれと言いながら、その手はもう腰の剣の柄にかかっている。頼んでいるんじゃない。試しているんだ。断るのか、と。
オルドはしわだらけの顔をいっそう渋くして、それでも逆らわなかった。
「……見てのとおりの貧しい村だ。たいしたもてなしはできんが」
「上等、上等。ないものを寄越せとは言わねえよ」
男は笑った。目だけが笑っていない。
それから男たちは、我が物顔で村を歩きはじめた。井戸を覗き、家畜小屋を覗き、女房たちが後ろへ子を隠すのを面白そうに眺める。あからさまな下見だ。この村にどれだけの蓄えがあって、どれだけ手向かってくる者がいるか。それを勘定している。……そして、たぶんその答えを、男たちはもう出している。
継ぐ畑もない次男坊たちは、この戦のご時世に何人も稼ぎへ出ている。残って畑を守っているのは、年寄りと、女と、子供と、ハーロや村長オルドの息子のギレスのような、生まれてこのかた鍬しか握ったことのない農民ばかりだ。戦い慣れた者なんて、この村にはひとりもいない。
名ばかりの領主の兵とて、とうに戦へ駆り出されて、この辺境まで護りに来る者はいやしない。そこへ、剣も持てない痩せた余所者がひとり。柵は、去年の魔物騒ぎで直したきりの粗末なものだ。
抵抗しない、楽な獲物。
男たちの目には、この村がそう映っている。読み違いようもない。
オレは人垣のいちばん外で口をつぐんでいた。奥歯を、そっと噛みしめる。だが、動かない。動けない、と言うほうが正しい。
……考えろ。相手は魔物じゃない。人だ。刃物を持った慣れた手合いが、四人と、一人。こっちは全部が1の丸腰だ。飛び出したところで、オレは老いないだけのただの的でしかない。
あの夜マロが魔物を動けなくした——あれだって、相手が人間では同じようにいくとは思えない。人が四人、刃物を提げて散らばっていたら、あの力ひとつじゃどうにもならない。
ここで下手に楯突けば。殺されるのはオレだ。そうして、オレが地面に転がされるのを見れば、村はいっそう竦みあがる。だから、動かない。今は、見る。相手の数を、得物を、目のくばり方を——ただ覚える。逃げるのだけは得意なんだ。息を殺して、やり過ごすのも。
男たちはひとしきり村を検分すると、井戸の水をがぶ飲みし、軒先に干してあった芋を断りもなく袋に詰めて、街道のほうへ引き上げていった。
去りぎわ、頭目の男が振り返って白い歯を見せる。
「いい村だ。……また寄らせてもらうぜ。次は、ちゃんと手土産の相談もしてもらわねえとな」
手土産。……つまり、次に来るときは、恵んでくれ、では済まさないということだ。今日のは値踏みだ。品定めの済んだ客は、必ず買いに戻ってくる。
男たちの背が街道の土埃に紛れて見えなくなった頃。ざわつく人垣の中から、ギレスがオレのほうへ寄ってきた。……村長オルドの息子で、あの夜、村はずれでオレと討った魔物の骸を、いっしょに灯りの下で検分した男だ。ふだんは畑の行き帰りに、「よう、ユウ」と気さくに声をかけてくる。
「なあ、ユウ」
男は言いにくそうに、ざらついた声を落とした。
「あんたは……よそから流れてきたんだろう。ああいう手合いを……見たこと、あるか。あいつら、また来ると思うか」
オレは少し面食らった。この村で、誰かがオレに——素性の知れない痩せた余所者に、こうして頭を下げるようにしてものを訊いてきたのは初めてだった。
……ああ、そうか。この人はオレを丸腰でシャドウハウンドを討った男だと思っている。だから、こういうときに頼れる、と。違う。あれはオレじゃない。オレの手柄なんてひとつもない。
そう言いかけて——やめた。言ったところで、この人は信じない。それに。
袖口でマロが小さく身じろぎした。
……放っておけるか。ここはオレの寝床のある村だ。爺さんの、薬くさい納屋のある村だ。テオの、駆けてくる村だ。せっかくやっと拾ってもらった居場所なんだ。
「……来ると思う」
オレは慎重に言葉を選んだ。安請け合いはしない。できもしないことをできると言って、この人をあてにさせるわけにはいかない。
「……あいつらの目、この村を値踏みしてた。ああいうのは、たぶんまた来る。……そう、遠くないうちに。今度は手ぶらじゃ帰らないと思う」
男の顔がこわばった。
「けど」と、オレは続けた。
「まだ、実害は出ちゃいない。芋の、ひと袋だけだ。……考える時間は、ある。あるはずだ」
どう考えるのか、その先はまだなにも見えていない。全部が1の、丸腰のオレに、いったい何ができるのかも。ただ、ひとつだけわかっていることがあった。
あの男たちが次に来る前に。この村と、オレ自身の身の振り方を——頭で考えておかなければならない。逃げるのか、しのぐのか、それとも。
街道の向こうで風が麦をざわりと撫でていった。まだ見えない何かは、もう遠くの噂ではなく、はっきりとした足音になって、こちらへ近づきはじめていた。