不老なのをいいことに、移りゆく世代を眺めながら辺境で気ままに過ごす   作:無性主人公広めたい

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15話 牙を研ぐ

 あの一団が街道の向こうへ消えて、まだ半日と経っていない。

 

『また来る』。あいつらはそう言い残していった。それが明日なのか三日後なのか、次に月が満ちる頃なのか——誰にもわからない。わからないからこそ、のんびり腰を据えて構えている暇なんてどこにもなかった。

 

 オレはオレで、頭の隅の天秤が揺れて止まらなかった。……逃げるという手もたしかにあった。荷物なんてもとからない。擦り切れた制服一枚と、袖の中の毛玉。それだけ抱えて、夜明け前にそっと村を出ればいい。身ひとつで消えるのはたぶんオレにいちばん向いている。

 でも、朝起きれば鶏がやかましく鳴いて、爺さんの納屋からは薬草の匂いがして、畑へ出ればテオが「マロー!」と駆けてくる。……やっと拾ってもらった居場所だ。それを背中で見捨てて、またあてもなく街道をさまよう自分をどうしても思い描けなかった。

 残る。腹はそこで据わっていた。据わってはいたが、ステータスがぜんぶ1の——体力も、力も、なにもかもが最低値のまま止まったこの丸腰の身でいったい何ができるのかは、あいかわらずなにも見えていない。

 

 村のほうも落ち着かなかった。井戸端でも畑の畦でも、寄ればあの野盗の話になる。差し出して穏便にやり過ごすべきだ、という声。冗談じゃない、という声。蓄えを渡したところで、次はもっと寄越せと来るに決まっている、という声。まとまらない。まとまらないが、いつ戻ってくるとも知れない相手にいつまでも言い争ってはいられなかった。

 

 その夜。村長のオルドの家に村の主だった者が集まった。オレも隅のほうに呼ばれた。狭い土の床の広間に暖炉の火が赤くそれぞれの顔を照らしている。……こんなに人が寄るのを見るのは、討伐の夜の歓待と、行商人が来た日くらいのものだ。ただ、あのときのような浮ついた熱はどこにもなかった。

 

「差し出そう」と、年寄りのひとりがしわがれた声で言った。節くれだった指で膝をそろりと撫でる。

 

「芋のひと袋で済んだんだ。蓄えを少し分けて、機嫌よく帰ってもらえば……」

 

「済むもんか」

 

 遮ったのはギレスだった。村長オルドの息子で、夜回りを束ねている働き盛りの男だ。

 

「一度、恵んでもらえるとわかった家に、あいつらはまた来る。次は芋じゃ足りねえ。その次は、もっとだ。……獣なら、柵を直して追い払える。人が相手で追い返せもしねえとなりゃ、この村はしまいだよ」

 

 広間がしんとなった。誰も言い返さない。……たぶん、みんな腹の底ではわかっていたことをギレスが声に出しただけなんだと思う。

 

「迎え撃つ」

 

 オルドが低く言った。それは問いかけじゃなかった。皺だらけの顔を暖炉の火が深く彫っている。

 

「うちの村で、盗人の好きにはさせん。……異存のある者は」

 

 誰も手を挙げなかった。

 決まって、それからふっと広間じゅうの目がオレのほうを向いた。……ああ、そうか。この人たちはオレを丸腰でシャドウハウンドを討った男だと思っている。だから、こういう夜にはなにか頼りになる知恵を持っているはずだ、と。

 違う、と、また喉まで出かかって——やめた。ここで「あれはオレじゃない」と言ったところで話がこんがらがるだけだ。その、集まった目の中から、ギレスがこっちへ膝を向けた。

 

「ユウ。あんた、昼間、あいつらを畑の畦からずっと見てたろう」

 

 いつもの気さくな声じゃなかった。夜回りを束ねる男の顔だ。

 

「気づいたことが、あるなら……聞かせてくれ」

 

 ――ああ、そうか。この人は素性も知れない余所者のオレにわざわざ膝を向けて意見を訊いてくれている。……だったら、隅で口をつぐんでいるのは違う。

 

「……えっと」

 

 オレは束ねた前髪の結び目を意味もなく直しながら口を開いた。

 

「戦い方は、オレ、なんにもわからないです。ほんとに。……ただ、言われたとおり、あいつらをずっと見てたんで。気づいたことなら、少し」

 

 昼間、目に焼きつけた光景を一つずつ指を折るみたいにたぐり寄せる。

 

「あいつら、四人と、痩せたのが一人。得物は、傷んだ剣と、棒きれ。……たぶん、あれは下見です。村をすっかりなめてました。抵抗されるなんて、これっぽっちも思ってない。……だから、本気で獲りに来るときは、あの五人じゃ済まないはずで。もっと頭数を連れてくると思うんです」

 

 言いながら、頭の中で村の絵を広げる。

 次に来るのは、下見の五人じゃない。蓄えを根こそぎ持っていくつもりなら、その何倍かを連れてくる。……そうなったら、開けた広場で刃物とやり合っても、こっちに勝ち目はない。戦い慣れた連中に頭数でも負けて、鍬や棒きれで束になったところで、あっさり散らされる。

 でも、ふいに、前の世界で読んだ古い戦の話が頭をよぎった。……大昔の、どこか遠い国の話だ。ほんのひと握りの手勢が山にはさまれた細い道に陣取って、何十倍もの大軍を何日も食い止めたという。数で負けていても、大勢が一度に攻めかかれない場所を選べば、相手はその数をいっぺんには活かせない。

 剣なんて握ったこともない。火ひとつ、まともに熾せないくせに。……なのに、こういう理屈だけはなぜか頭の隅にこびりついている。うろ覚えの、受け売りだ。……だけど。

 

「……あの。たぶん、なんですけど」

 

 オレはおそるおそる切り出した。

 

「広いところで、まともにやり合うのは、まずいと思うんです。あいつらは、剣の使い方を知ってる。オレたちは、知らない。……だったら、剣を振り回しにくい狭いところへ、来てもらえたら、って。昔、そうやって少ない手勢で大軍を食い止めた戦が、あったそうで。……大昔の、本で読んだ話ですけど」

 

 水路の泥さらいを任されたときの腰まで冷たかった感触を思い出す。村へ入る道は街道から折れた細い一本道。両脇は水を引いた溝と、短冊みたいに仕切られた畑のぬかるんだ畦だ。

 オレは暖炉の燃えさしを一本つまんで、土の床に村の絵を描いた。街道。そこから折れて、細くなっていく村の入り口の道。その両脇の、水路と、畑の畦。

 

「村に入る道、細いでしょう。あの両脇、いま水路に水が来てて、ぬかるんでて。……あそこなら、何人来ても、いっぺんには横に広がれない。足も、取られる。剣より、そのほうが、こっちの人数が活きるんじゃないかって……思うんですけど」

 

 語尾がだんだん小さくなる。……偉そうなことを言ってしまった気がして、いたたまれない。

 

 だが、ギレスは腕を組んでしばらく黙ってからひとつ頷いた。

 

「……悪くねえ」

 

 それから、話はオレの手を離れていった。あそこの畦は崩れかけてるから土で固めよう、鐘を鳴らす役は誰それの婆さんに、若いのは棒の先を焼いて尖らせろ——男たちが口々に絵を描きはじめる。誰がどこに立つか。合図をどうするか。

 オレが出したのはきっかけのひと欠片で。それを村の形に組み上げていくのはこの人たちの仕事だった。……それでいいんだ、と思う。オレが旗を振る話じゃ、ない。

 

 支度は翌日から始まった。男たちが古い柵から朽ちかけた杭を掘り起こす。それを村の入り口の道の手前に切っ先を外へ向けて斜めに打ち込んでいく。

 オレも重い木槌を握って、一本、また一本と地面に打ち込むのを手伝った。なにせ、力の数字も1きりだ。テオの父親のハーロが三度で打ち込む杭をオレは十も叩かないと埋められない。それでも、日が高くなるころには道の手前に外を向いた杭の列がずらりと並んだ。

 女たちは子供を村の真ん中のいちばん頑丈な家に集める段取りをつける。崩れかけた畦は土嚢で固める。それぞれが、それぞれの持ち場を決めていく。

 

 試しに、と、ギレスがその杭の列へ駆け込む恰好をしてみせた。斜めの杭に行く手を阻まれてギレスの足が止まる。まっすぐ走り込めば、切っ先が腹に来る。避けようとすれば、道はいよいよ細くなって、家と柵の間へ押し込まれる。

 

「……なるほど。こりゃあ、走っちゃ、来られねえな」

 

 オレは頭の中であの晩、土の床に描いた絵をいま目の前の景色に重ねた。街道から来た男たちはこの杭に阻まれてまっすぐ来られない。横へ逃げれば、水を回した畦のぬかるみ。残るのは、二人並ぶのがやっとの、あの細い道だけだ。

 燃えさしで地面に引いただけの線がいま本物の杭と、本物のぬかるみになって目の前に立ち上がっている。

 嵌まった、と思った。オレの引いた線のその一つがたしかに形になった。こんな手応えは前の世界を入れても、一度も味わったことがなかった。数字の窓にはなにも増えない。それでも、いまこの村の地面にオレの考えたことが一つたしかに残った。

 オレにも持ち場が要る。

 

「見張りを、やらせてください」と、オレはギレスに言った。「街道の、いちばん近く。あいつらが来たら、いちばん先に気づける場所。オレ、逃げ足だけは自信あるんで。……何かあっても、たぶん、報せに走れます」

 

 ギレスは渋い顔をした。いちばん危ない場所だ、と。……わかってる。わかってて言った。地形の知恵だけ村に押しつけて、自分は安全な真ん中で震えている。そんなのはいやだった。全部が1の丸腰でも、覚えたことを走ることくらいはできる。

 

 袖の中でマロが身じろぎした。……お前は、と、オレは心の中で話しかける。お前は気配を教えてくれ。それだけでいい。

 あの夜、林でマロが放った、あの空気ごと重くなるような力を——オレはいまだになんだったのかわかっていない。もう一度出せと言って、出るものなのか。人に効くものなのか。四人がばらばらに散ったら、どうなのか。……なにもわからない。わからないものを切り札みたいにあてにはできない。

 だから、頼るのはそこじゃない。お前の、そのやたらと利く鼻と耳だ。それなら信じられる。

 

 マロはきゅ、と小さく鳴いて、オレの袖口でまた丸くなった。その晩、オレは爺さんの納屋の隅で遅くまで陽草を刻んでいた。

 

「……戦の、支度か」

 

 乳鉢を動かす手も止めず、爺さんがぼそりと言う。オレが余計なことに首を突っ込んでいるのはとっくに知っているらしい。

 

「怪我人が出ると思って。血を止めるやつ、多めに練っておこうかと」

 

「……ふん」

 

 爺さんはそれきり、なにも言わなかった。ただ、棚の奥から乾かした陽草の束をもうひとつ黙ってオレの前に置いた。……足りないだろう、というふうに。オレは俯いて刻む手を速めた。粟粒みたいに揃った刻み、とはいかない。それでも、このこつこつ練った一包みが明日、誰かの傷を塞ぐかもしれない。そう思うと、指先にいつもより力がこもった。

 

 支度がひととおり整ってから、村は夜番を立てた。とはいえ、いつ来るとも知れない相手を村じゅうが毎晩起きて待つわけにもいかない。畑も、仕事もある。だから、手の空いた者が順ぐりに村はずれを張ることにした。

 オレは街道にいちばん近い、朽ちかけた小屋を持ち場にもらった。藁を少し敷いて、マロを腹にのせ、身を横たえる。深くは眠らないように。……本当の耳はオレじゃない。腹の上の、この毛玉だ。マロが気配を拾ったら、飛び起きて走ればいい。それが買って出たオレの務めだった。

 そうして、幾晩かが静かに過ぎた。何も来ない夜が続くと、張りつめていたものがいつのまにかたるんでくる。村の夜番もだんだんあくびを噛み殺すようになった。……それでも、オレは毎晩、この小屋に潜り込んだ。

 

 その夜も、いつものように藁にくるまって目を閉じた。まぶたの裏にいつもの窓がふっと灯った。

 

『デイリーリワード――経験値 +1』

 

 ……今日も、ひとつ。城を追い出された日から、数えきれない夜を越えてきて、積みあがった数字はもうずいぶん大きい。なのに、レベルはあいかわらず1のまま。この数字がいつか、なにかになるのか——その先の絵は今夜も結べない。

 まあ、いい。急ぐ話じゃ、ない。……ただ、今夜だけはこのなんの役にも立たない1が少しだけ恨めしかった。この暗がりのいちばん先で番をして、何かあればまっさきに走らなきゃならないのは、全部が1のただのオレなんだから。

 

 どれくらい、眠ったのか。袖の中のあたたかい重みがふいに固くなった。

 浅い眠りの底で、耳よりも先に腕がそれを覚えた。マロだ。袖口の中で小さな体をぎゅっと強張らせて起き上がっている。いつもは、ふにゃりと力の抜けているくせに、いまは背すじがぴんとこわばって。濡れた鼻先も、丸い耳も、戸の隙間の外――街道のある暗いほうへまっすぐ据わっていた。その喉の奥から声が漏れた。

 

「く、るるる……」

 

 荷馬車の幌をもの珍しげに嗅ぎまわる、あの、のんきな鳴きじゃない。押し殺すみたいに、低く、低く。小刻みに身を震わせて、それでも漏れてしまう――あの夜、林で聞いた、あの声だ。こいつがこんな声を出すのはほんものが来たときだけ。言葉なんて、ない。それでも、腕の中のちっぽけな毛玉が、いまはっきりと報せてくる。――来る、と。

 

 オレは藁をはねのけて跳ね起きた。心臓が耳の奥で鳴っている。戸の隙間の外はまだ暗い。その暗がりの、街道のずっと向こうから——ひたひたと、幾つもの足音がぬかるんだ道をこちらへ踏んでくる。

 

 ……来た。

 

 オレは、袖の中のマロにそっと手を添えた。冷たい夜気を深く吸い込む。……ちゃんと、報せに走ろう。それが、オレの持ち場だ。






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