不老なのをいいことに、移りゆく世代を眺めながら辺境で気ままに過ごす 作:無性主人公広めたい
また初夏が巡ってきた。朝の畑仕事のあいまに、ふと袖口へ目をやると、擦り切れた糸が幾本もほつれて垂れていた。指でなでつけてみても、もうどうにもならない。……この村に置いてもらって一年とすこし。あらためて数えてみて、我ながらすこし驚いた。ずいぶんと長くここにいる。
その一年でいろいろと変わった。いちばん目に見えて変わったのは、この着たきりの制服だった。城を追い出されたときからずっと身につけていた一着。仕立ての良さだけはこの村のどの服とも違っていたが、そのぶん、畑や水路の暮らしにはまるで向いていなかった。洗っても洗っても、袖口の擦り切れは日ごとにひどくなるばかりで、生地はもう限界だった。
見かねたテオの母さんが、余りものだと言って、村で着るふうのざっくりした上着を押しつけてくれた。袖を通すと、まるではじめからここの人間だったみたいにしっくりと馴染んだ。
制服は捨てなかった。きれいに畳んで、寝床の隅の木箱にしまった。……これは、オレがあっちの世界にいたっていう、たったひとつの証だ。もう帰る場所なんてないと、王さまもはっきり言った。それでも、なんとなく火にくべる気にはなれなかった。
髪も伸びた。伸びるにまかせていたら、いまでは肩を越してうっとうしい。水路の水面にふと映った顔は……我ながら、ずいぶんと線の細い中性的な顔をしていた。
この顔のことで、一度こんなことがあった。
水汲みの帰り、すれ違った若い娘のひとりが、なにやらもじもじと、オレの顔をうかがっている。どうかしたのかと足を止めると、娘は思いきったように口を開いた。
「あの……噂で聞いたんですけど。ユウさんって、ほんとうに男の人なんですか?」
あんまりまっすぐ訊かれたので、オレはすこし面食らった。
「……ああ、男だよ。生まれたときから」
すると娘は目をまんまるにして、「ええっ」と素っ頓狂な声をあげた。それきり逃げるように行ってしまう。
……そんなに驚くことか。ほうっておいてくれ、とオレは思う。
変わったのは、オレだけじゃなかった。
テオはこの一年で、ずいぶん背が伸びた。前はオレの腰のあたりだったのが、いまは胸の下まである。マロを追いかけてすっ転ぶ回数が減って、かわりに、やたら口が達者になった。
薬づくりをオレに仕込んでくれている薬屋の師匠――ガレンの爺さんの手は、逆にすこし心もとなくなった。細かい根を刻むとき、たまに手元がかすかに震える。爺さんはそれを隠すみたいに、わざと乱暴に刻む。オレは気づかないふりをして、隣で自分の乳鉢を擂っていた。
……なんというか。みんなすこしずつ動いている。同じ場所にいるようで。
そのガレンの爺さんが近ごろオレに任せる仕事を増やしていた。
はじめは、根を洗うだの薬研を回すだのの、下働きばかりだった。それがいまでは、傷薬の下ごしらえの途中までを、まるごとオレの手に預けてくる。「そこまではお前がやれ」とぼそりと言って、爺さんは奥の別の手仕事にかかる。……あの棚の奥の、布をかけた青い一束。あれにはまだ触らせてもらえない。「まだお前にゃ早い」の一点張りだ。
まあ、いい。急ぐ性分でもないし。いつか通っているうちに、見せてもらえる日も来るだろう。
その夜のことだ。寝床でマロを腹にのせてうとうとしていたら、まぶたの裏に、いつものあの光る窓がふっと浮かんだ。
『デイリーリワード――経験値 +1』
毎晩の、ちいさな贈り物。もう見慣れて、なんとも思わなくなっていた一行だ。ぼんやり眺めて閉じようとして――ふと、その隣の、ずっと動かなかった別の窓に目がいった。
いつもは、なんべん見ても地を這うようなちいさな数字が並んでいるだけだった。体力も、力も、速さも、魔力も。ぜんぶ1。この世界に来てから、そこだけは石みたいに動かなかった。
ところが、その夜の窓はいつもとちがっていた。
白瀬ユウ Lv.2
体力 2 力 2 速さ 2 魔力 2
スキル:デイリーリワード/不老
……いちばん上の、レベルの数字が。ずっと1だったのが2になっていた。それにあわせて下の段の、体力も、力も、速さも、魔力も、ぜんぶ1から2へ律儀に繰り上がっている。
レベルが上がって、ステータスも増えた。ということは――と、オレは思わず身を起こした。もしかしたら、すこしは力がついたんじゃないか。腕にぐっと力を込めて、こぶしを握って、開いて。それから、片手を床について、体を持ち上げようとしてみる。
……うん。よく分からない。ほんのちょっぴり軽くなった気もしないでもないが、たぶん気のせいの範囲だ。数字が2になったところで、頼りない細腕は頼りないまま。桶ひとつ楽に運べるようになったわけでもない。床についた手はすぐに、ぷるぷると震えて力尽きた。
……なんだ。レベルが上がったって、この程度か。ちょっと期待したオレがばかみたいだ。オレはがっくりと肩を落として、また寝床に倒れこんだ。
それでも――しばらくオレはその『2』を見ていた。一年かかったのか、と思う。まる一年、毎晩こつこつ、ぽっちりずつ積もらせて、やっと1が2になった。
……たったひとつ。あいつら――城でオレを置いていった連中が見たら、腹を抱えて笑うだろう。一年で、レベルがひとつきり、とな。
でも、なぜだか悪い気はしなかった。
これは、誰かに取り上げられる数字じゃない。オレがこの村で一日ずつ生きて、積み上げたぶんだ。それが、はじめて目に見える形でひとつ動いた。……それだけで、オレにはじゅうぶんだった。
腹の上でマロがきゅう、と鳴いた。まるでいっしょに、その窓を覗きこんでいるみたいに。
「……見たか、マロ。オレも、ちょっとは伸びてるみたいだぞ」
マロはとぼけた黒い目でオレを見上げて、それからまた、ぬくぬくと丸くなった。
オレは腹の上の、マロのちいさな重みをたしかめて、目を閉じた。