不老なのをいいことに、移りゆく世代を眺めながら辺境で気ままに過ごす 作:無性主人公広めたい
オレは負っていた籠を地面に下ろして、ギレスの隣に並んだ。
街道の土埃は、さっき納屋を出たときより、ずっと近くまで来ていた。軋む荷車と、そのまわりをぞろぞろ流れてくる人影。荷車といっても、まともに荷を積んだものは少ない。多くは、自分の足で歩けない年寄りや、ぐったりした子供を乗せているようだった。
近づくにつれて、その群れの様子がはっきりしてくる。どの顔も、土と疲れで黒ずんでいた。上等な身なりの者も、粗末な者も、みんな同じように泥をかぶって、見分けがつかない。子を負ぶった女。片足を引きずる男。布を巻いた腕を、大事そうに抱えた老人。荷を売りに来た行商人の目でも、いつかこの村を値踏みした、あの男たちのぎらついた目でもなかった。ただ、行く先を失くした者の、うつろな目だ。
先頭にいた痩せた男が、ギレスの前でよろけるように足を止めた。
「……水を。水を、分けてもらえねえか。子供が、もう、何日も、まともに飲んでねえんだ」
声はかすれて、語尾が細く震えていた。ギレスがとっさに言葉を返せずにいるあいだに、男は堰を切ったようにしゃべりだした。
「北の砦が、抜けたんだ。戦が、村のすぐそこまで来てな。みんな、着の身着のままで逃げてきた。……王都のほうへ回っても、門は開かねえ。どこの町も、もう、余所者を入れる余裕はねえって、追い返された」
男は、腕の中の子を揺すり上げた。巻いた布の隙間から、熱っぽく赤い頬がのぞいている。
「怪我をしても、熱を出しても、癒してくれる手が、もうねえんだ。教会の、神さまの癒しを授かった人らは、みんな、前線へ連れていかれた。兵隊の傷が先で、おれたちまで手が回らねえ。……南へ下れば、なんとかなるって、それだけを頼りに、歩いてる」
オレは、その言葉を黙って聞いていた。
勇者が北の魔物を薙ぎ払っただの、炎ひとつで山を焼いただの——行商人や、あの街道の流れ者の口から、遠い花火の音のように聞いてきた話だ。その戦から、こんなものが流れてくるとは思ってもみなかった。
よりにもよって、こんな村にまで、と思う。太い街道を外れた、脇道の奥の行き止まり。その遠さだけが、これまで村を守っていた。
いつか誰かが漏らせば、と恐れたことがある。……漏らすまでもなかったらしい。
ギレスは、群れの端から端までを、ゆっくりと目で追った。それから、腹の底で低く唸った。
いつのまにか、村の外れには村人が集まってきていた。マレナが幼い娘をかばうように引き寄せ、ハーロが鍬を提げたまま、立ちすくんでいる。誰も、うかつには口を開かない。
……村じゅうで、この人数は、養えない。
オレにも、それくらいは分かった。村の蓄えは、村の者が春をしのぐのにやっとだ。麦が入るのは、まだ先の話だ。この群れを村へ入れて、施した端から蓄えは底をつく。そうなればこんどは、村のほうが立ち行かなくなる。
だが、追い返せるか。水の一杯も飲んでいない子を抱えた人たちを、来た道のほうへ、押し返せるか。オレだって、剣も握れない痩せた余所者として、この村の門口に立った身だ。あのとき村がオレを突き放していたら、いまここに立ってはいなかった。
オレには、答えが出せなかった。ただ、痩せた男の腕の子から、目を逸らせずにいた。
*
「ユウ」
街道を見据えたまま、ギレスがオレを呼んだ。
「あんた、どう見る。……こいつら、どうしたらいいと思う」
オレは、少し面食らった。村長になったギレスが、こんなときに真っ先に、余所者のオレへ顔を向けるとは思わなかった。野盗を畑のはずれからただ見ていたころとは、頼られ方の重みが違う。
知恵なんて、たいそうなものはない。あるのは、つい何日か前まで爺さんの納屋で草を刻んできた手と、うろ覚えの受け売りだけだ。それでも、黙っているわけにはいかなかった。
「……全部を、村で抱えるのは、たぶん、むりだと思います」
慎重に、言葉を選んだ。
「けど、この人たちが行きたいのは南です。村に抱えるんじゃなくて……水と、動けない人の手当てだけして、来た道へ送り返す。本街道まで戻れば、南へ下れます。それなら、蓄えを根こそぎにしないで、済むかもしれない。……あくまで、たぶん、ですけど」
ギレスは、腕を組んで黙りこんだ。それから、短く顎を引いた。
「……悪くねえ。おい、桶を持ってこい。順に、水を回せ。押し合うな。子供と、動けねえのが先だ」
伝法な声が飛ぶと、竦んでいた村人が、ようやく動きだした。ハーロが真っ先に鍬を放り出し、井戸のほうへ駆けていく。
オレは、腰の袋に手をやった。さっき水を乞うた痩せた男の、腕の中の子。抱かれたその小さな足が、目についた。裸足のまま街道を歩き通したのか、指の付け根がぱっくりと割れて、赤く膿を持ちかけている。ほとんど、考えるより先に手が動いていた。
袋から傷薬を取り出し、割れた皮膚へ薄く塗ってやる。爺さんに、いちばん初めに教わった、ただの傷薬だ。魔力なんぞいらねえ、お前にもできる、と。
「……しみるぞ。すこし、我慢な」
子はぐずったが、父親の胸にしがみついて、じっとしていた。熱で潤んだ目が、オレの手元をぼんやりと見ている。
熱のほうは、この傷薬じゃどうにもならない。火を焚いて、煎じ薬を飲ませて、ひと晩あたたかくして寝かせてやりたい。だがそれは、いまここで、オレにしてやれることじゃなかった。この子はじきに、また街道を歩きだす。
それでも、足の傷だけは、塞いでやれる。
「……あんた、薬師さんかね」
父親が、かすれた声で言った。
薬師。その言葉が、胸の奥を小さく引っかいた。
オレは、まだ半人前だ。爺さんの刻みには、まるで届かない。その爺さんも、もういない。
「……ただの、弟子です」
そう答えるのが、精いっぱいだった。
薬を仕舞おうとしたとき、痩せた男が、ふいに声を落とした。
「……あんたら、気をつけな」
男は、自分たちが来たほうの街道を、怯えた目で振り返った。
「おれたちの、うしろだ。……食い詰めて、奪うことを覚えた連中が、ついてくる。弱った者から、なけなしの荷を巻き上げてる奴らだ」
オレは、街道の先へ目をやった。
袖のなかで、マロがもぞりと動いた。いつもの甘えた鳴きとは違う、低く短いひと声。その鼻先が、群れのずっと後ろのほうを向いている。
つられて目をやっても、街道のずっと奥は、土埃と傾いた陽に潰されて、白くかすむばかりだった。よろめく人影の、そのいちばん後ろ――白い霞のなかに、ほんの一瞬、締まった動きがちらついた気がした。だが、それきりだ。姿までは、もう見分けられない。
――あの痩せた男が言っていた連中が、ついてきている。