不老なのをいいことに、移りゆく世代を眺めながら辺境で気ままに過ごす 作:無性主人公広めたい
村が、ようやく息をついていた。誰かが「終わった」と言い、誰かが笑って、誰かが泣いている。傾いだ杭のあいだを、怪我人を運ぶ足音が行き交う。
その安堵の輪のいちばん外に、オレは立っていた。みんなと同じ朝の光を浴びているはずなのに、うまく息が吸えない。目だけが、連中の消えていった街道の奥から、離れてくれない。まぶたの裏には、まだあの一閃が残っている。枯れ草でも払うみたいに若い衆を斬った動きと、朝日に浮かんだ、片方だけ潰れた目。
「行っちまうなら、それでいい」
さっき、ギレスは「深追いはするな」と言った。追って息の根を止めろと息巻く者もいたが、こっちも手負いだ、と。村を守るには、それが正しい。
みんなには、あいつらが逃げていったように見えている。オレにだけ、あの背中が『また来る』と言っているのが聞こえた。次は、この細道じゃ受け切れない。
だったら。
オレは自分の手のひらを見た。全部が1だったころより、たしかに厚くなった手だ。石籠を運べる。畑を耕せる。でも、剣なんて握ったこともない。あいつと正面でやり合えば、たぶん一呼吸ももたない。
——それでも、ひとつだけ、オレにはある。
あいつは、オレを覚えていない。
同じ教室にいたはずなのに。オレの窓を覗いて『不老? いないのと同じだろ』と笑ったくせに。今のオレは髪が伸びて、村の服を着て、あのころの制服の男とは別人だ。忘れられている。この世でただ一人、あいつが警戒すらしない相手が、オレだ。
逃げるのだけは、昔から得意だった。城を追い出されたあの日のオレなら、とっくに背を向けていた。……それができなくなるくらいには、この村が、好きになってしまったらしい。
だから――オレが、行くしかない。剣なんて握れない。でも、あいつには、オレの姿すら見えていない。それが、たったひとつ、オレに残された手だ。
村を出る前に、爺さんの納屋へ寄って、ひとつかみの草を、腰の袋にしまった。
村はずれへ足を向けたとき、うしろから声がかかった。
「ユウ。……どこ行くんだ?」
テオだった。水路の泥を膝までつけたまま、運びかけの石を抱えて、こっちを見ている。……いちばん、会いたくない相手に会ってしまった。
「……ちょっと、爺さんに言われた草を、探しにな」
嘘は、いやになるくらい、するりと出た。
「こんなときに? ……まだ、あぶないよ。あいつら、そこらにいるかも」
「……だからだよ。みんなが落ち着いてるうちに、採れるものは採っておかないと」
テオは、まだ何か言いたそうにしていた。でも、オレが笑ってみせると、しぶしぶ石を抱え直した。
「……気をつけろよ。すぐ、帰ってこいよ」
「うん。……ありがとうな、テオ」
母さんとフェナを頼む、とは、言えなかった。オレは、ただ手を振って、背を向けた。
袖の中で、マロがもぞりと動いた。
「……お前は、来なくてもいいんだぞ」
「きゅう」
寝ぼけたふりで返事をよこすみたいに、そう鳴いた。オレは、小さく笑った。
街道の奥は、退いていく連中が踏み荒らした跡が、点々と土をえぐって続いていた。
*
道のまんなかは歩かなかった。畦の陰、灌木の裏、崩れた石積みのかげ。連中の背が土埃の向こうに小さく見えるくらいの距離を、ずっと保った。
全部で、六人だった。
そのいちばん前を、背筋だけがまっすぐな男が歩いている。片目の男だ。
一度、いちばんうしろの男が足を止めて振り返った。
オレは灌木の裏で息を殺した。心臓が、耳のうしろで鳴っている。全部が6になっても、この怖さだけは、全部が1だったころと変わらない。見つかれば、それで終わりだ。あの片目に狩りの獣みたいに追われて、オレは村へ帰れない。
男は、しばらくして、また前を向いて歩きだした。
……はあ、と、細く息を吐く。
陽が傾いて、連中が街道をそれた。崩れかけた見張り小屋の跡に、火を焚きはじめる。オレは風下の窪みに身を伏せた。マロは袖の中で身を固くして、鼻先だけを火のほうへ向けている。
火明かりが、片目の男の横顔を照らした。
朝、細道の向こうに立っていたときは、ただ恐ろしいだけだった。こうして近くで見るのは、はじめてだ。
その男が、火にかざした手を、小刻みに震わせていた。
「……くそ。また、あの音が聞こえる」
うわ言みたいに、そう言った。誰にも聞かせるつもりのない声で。隣の男が「頭、しっかりしてくれよ」と力なく言う。片目の男は答えない。ただ、潰れた右目のあたりを、指で強く押さえた。
前線あがりの勇者くずれだと、あの痩せた男は言っていた。国じゅうに褒められて送り出された果てが、これか。
憎い、とは、思えなかった。
あいつがオレにしたことを、忘れちゃいない。忘れちゃいないけど。あの震える手を見ていると、胸の奥が、ただうすら寒くなるだけだった。
マロが、袖の中でじっとしている。火のほうを見たまま、動かない。
哀れだとは、思う。それでも、あの男を、このまま行かせるわけにはいかない。この村に、二度目は、ないから。
オレは、火に揺れる横顔から、目をそらせないでいた。