不老なのをいいことに、移りゆく世代を眺めながら辺境で気ままに過ごす 作:無性主人公広めたい
あの男は必ず戻ってくる。
窪みの底から火を見張りながら、オレはそのことだけを考えていた。あいつは負けて退いたんじゃない。この村がどれだけやれるかを測りに来ただけだ。次は寄せ集めじゃない頭数で戻ってきて、あの一閃で村を薙ぐ。テオもフェナも、爺さんの残した納屋も、まとめて。
今日はしのいだ。だが、二度目はない。
だから、行かせない。ここで。
剣なんて握れない。全部が6のこの体で正面からやり合えば、一呼吸ももたないだろう。でも、オレにはあいつが持っていないものがある。あいつは、オレを覚えていない。肩を越すまで伸びた髪も、着古した村の服も、あのころの制服の男の面影を、すっかり塗りつぶしてくれている。だから近づいても、警戒されないはず。
腰の袋の紐をゆるめ、その隣の小刀の柄を、指先でそっと確かめた。すぐに、取り出せるように。
オレは、窪みを出た。
*
道の真ん中は歩かない。畑のふちの陰、灌木の裏。火のまわりでは、三人が丸くなって寝息を立てている。あとの二人は、火から離れた暗がりのほうへ、見張りだか用足しだか、だらしなく歩いていって姿が見えない。寄せ集めに、きちんとした夜番を立てるほどの規律はないらしい。数えれば、あいつを入れて六人。眠らずにいるのは、あいつだけだ。火の正面で膝を抱え、潰れた右目のあたりを、指で押さえている。
「……くそ。また、あの音が」
うわ言のような声が、火のはぜる音に混じって届いた。前線で、いったいなにを聞いてきたのか。国じゅうに褒められて送り出された果てが、この震える手なのか。
見つかれば、終わりだ。息を殺して、一歩ずつ近づく。袖の中で、マロが身を固くしている。
あと数歩、というところで、足の下で枝が鳴った。
あいつの顔が、こっちを向いた。
残った左目が、火を映して光る。あいつは、闇に立つオレを、鋭く睨んだ。
「……誰だ」
低い、警戒の声。伸びた髪と、線の細くなった顔。火明かりの向こうのあいつには、オレは得体の知れない影にしか見えていないらしい。
その視線が、オレの体を上から下へなぞる。その一瞬、あいつの目の前に、あいつにだけ見える窓のようなものが開いたのが、気配で分かった。
——鑑定、みたいなやつか。息を呑む。この距離で、覗かれた。
覗かれているのは、たぶん、全部が6の、オレの貧相な数字だ。何年生きたところで、ろくに伸びやしない。あいつの口の端が、嗤いに歪む。
「……レベル6? そんな雑魚が、何の用だ」
吐き捨てる声。だが、その視線が、数字の下——スキルの欄で、止まった。あそこには、二つ、並んでいるはずだ。あの日、オレがつかまされた札が。
「デイリーリワードと……不老、だと?」
馬鹿にしかけた声が、後半でつぶれた。その隣の二文字で、あいつの動きが止まる。宙の窓と、目の前のオレの顔。そのあいだを、視線が何度も往復した。知っているはずの二枚の札と、知らない顔。それが、うまく結びつかないでいるらしい。
「その顔は……いや。この二枚を揃って掴まされた奴を、俺は一人しか知らない。たしか、あの教室に、いた……」
あいつが見ているのは、オレの顔じゃない。宙の窓に並んだ、変わらない文字のほうだ。髪が伸びて線が細くなり、日に灼けたオレの顔は、あいつの記憶の中の制服の男子生徒と、もう重ならない。それでも窓の中の、あの二つの札だけは、あのころのまま、そこに出ているはずだ。みなが笑って、頭数から外した、二つ。
「白瀬……ユウ。そうだ、白瀬ユウだ。……はっ、お前、生きてたのか」
信じられない、というふうに、あいつは目を細めた。だがその目に、すぐに妙な熱が差す。残った左の目が、火より熱く光った。
「生きてたのか。あの教室の落ちこぼれが、こんなところで。……なあ、笑えるよな。俺もお前も、あいつらに使い捨てられた口だ」
膝を抱えたまま、あいつは低く呪詛を漏らしはじめた。
「王都だよ。何もかも焼くんだ。俺を使い潰した王も、上でぬくぬく肥え太ってる奴らも、まとめて灰にする。……なあ、お前も来いよ。あんな辺境の村なんかより、よっぽど胸がすくぜ」
熱に浮かされたように、あいつはしゃべり続ける。だが、王都まで攻め上がる兵も、その兵を食わせる糧も、今のあいつにはない。だから、と。
「まずはこのあたりの村を、順に潰していく。さっきの村もだ。今日は下見だよ。備蓄を奪って、女子供は奴隷に売り払う。その金で兵を雇って、上まで攻め上がるのさ」
なんでもないことのように、そう言った。テオやフェナのいる村を、路銀あつかいで。
——ああ。やっぱり、こいつは村へ来る。今日は下見だと、自分の口で言った。
答えなかった。ただ、あいつを見ていた。その視線に、あいつがふと気づく。しゃべるのをやめて、オレの目の中を覗きこむ。同調でも、恐怖でもない。まっすぐな拒みを、そこに読み取ったんだろう。
あいつの顔から、熱が引いていく。誘う相手を見る目から、ただ邪魔なものを見る目へ。
「……なんだ、その目は。まあ、いい。どぶ鼠は、どぶ鼠らしく、消えろ」
剣が、鞘を走った。羽虫でも払うような、無造作な一薙ぎ。オレの首を、狙って。
その瞬間、袖の中のマロの背を、指で強く押した。決めておいた合図。
——いまだ。
袖の中から、声にならない圧が放たれた。あの夜、林で化け物を縫い止めたのと、同じあれだ。振り抜きの途中で、あいつの体が、金縛りにあったように強張った。——効いた。獣にしか効かないかもしれない、その賭けに、勝ったんだ。
だが、切っ先はもう動きだしていた。止まりきる寸前の刃が、オレの頬を浅く裂いていく。熱い線が走って、痛みは遅れて追いついてきた。
この一瞬しか、ない。腰の小刀を抜く。刃には、爺さんに教わった傷薬とは逆の草を、幾晩もかけて煮詰めた汁が、塗り重ねてある。それを、あいつの首筋へ、浅く、突き入れた。
金縛りが解けた。あいつが、喉の傷に手をやる。指についたわずかな血を見て、その口の端が、また嗤いに歪んだ。剣聖の体が、この程度の傷で、どうにかなるものか。あいつは、そう思っている。
「……こんな、かすり傷で。この俺を、どうこうできると思ったか」
嗤った喉の奥から、ふいに、ひゅう、と細い音が漏れた。斬るための傷じゃない。毒を、体のなかへ回すための傷だ。剣ではなく、爺さんの草で。あいつの嗤いが、途中で凍りついた。膝が折れ、片手が地面をかく。見開いた左目の光が、みるみるにごっていく。
「な……んだ、これは……毒、か……っ。おい、待て、待ってくれ」
崩れかけた体で、あいつはオレの足首にすがりついた。
「なあ、白瀬……俺たちは、同じだろう。捨てられた者どうしだ。解毒の草を、持ってるんだろう。……出してくれ。お前のためにも、悪いようにはしない。王都を獲ったら、お前を——」
最後までは、聞かなかった。腰の小刀を握り直す。崩れたあいつの喉へ、今度は深く、突き入れた。ためらいは、なかった。交渉の言葉が、そこで潰れる。
「な……ぜ……この……が……」
それが最後だった。踏み潰すつもりだった村の男に討たれたことも、その男が何者なのかも、分からないまま——あいつは、事切れた。
*
暗がりから火のほうへ戻ってきた二人が、足を止めた。片方が、掠れた声をあげる。
「頭……!?」
頭目が地に伏し、そのかたわらに、火を背にした影がひとつ立っている。火を背にしているぶん、オレの顔は、闇に沈んで見えないはずだ。連中の目に映ったのは——あの剣聖を、たったひとりで、音もなく沈めた『何か』。その叫びに叩き起こされた残りの三人も身を起こし、同じものを見て凍りついた。
「剣聖を……あの剣聖を、殺しやがった……っ」
誰も、得物を拾わなかった。火を蹴散らし、我先に、闇の中へ散っていく。オレが何者かなんて、もう誰の頭にもない。
追わなかった。追う力なんて、はじめから無い。
それに——もし、あいつらが恐れず、いっせいに飛びかかってきていたら。たぶん、負けていたのはオレのほうだった。全ステータスが6の、貧相な数字だ。オレを生かしたのは、強さなんかじゃない。連中が勝手に抱いた、恐れだけだ。今ごろになって、膝が小さく震えだした。
頭を失えば、あとはただの食い詰めた寄せ集めだ。あの一閃がなければ、この村を落とす力は、どこにも残っていない。
オレは、村を守った。
頬の傷から垂れた血が、顎の先で冷えていく。人を、殺した。あの夜の化け物とは、違う。今夜のこれは、まぎれもなく、人だった。それでも、間違えたとは思わない。あいつを行かせていれば、朝いちばんに死ぬのは、テオたちだったのだから。
東の空が、白みはじめている。
このことは、誰にも言えない。ギレスにも、テオにも。守ったのに、守ったと、言えない。
オレは、村への道を歩きだした。マロが、袖の中で、小さく鳴いた。
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