不老なのをいいことに、移りゆく世代を眺めながら辺境で気ままに過ごす 作:無性主人公広めたい
村の垣根が見えてきたころには、空はもうすっかり白んでいた。
頬の傷は血が乾いて、引きつるみたいにこわばっている。袖の中のマロが、村が近づくにつれてそわそわと鼻先を動かしはじめた。帰ってきた、と分かるのだろう。
井戸のそばに、人影がひとつあった。水を汲んでいる。テオだ。ずいぶんと朝が早い。オレに気づくと、桶をほうり出すみたいにして駆けてくる。
「ユウ! どこ行ってたんだよ、朝までっ。爺さんの草を探しに行くって……あっ」
勢いこんだ声が、途中で止まった。目が、オレの頬に吸い寄せられている。
「その顔、どうしたんだよ。血、出てるじゃんか」
「……ああ、これ」
オレは指の背で、乾いた血をこすった。
「暗いなかを歩いてたら、柵のとがったとこに引っかけてさ。畑のふちの。……大したことない」
嘘は、するりと出てきた。我ながら、すこし驚くくらいに。
テオは「気をつけろよな」と口を尖らせて、また井戸のほうへ戻っていく。その背中を見送りながら、オレは、そっと目を伏せた。
ゆうべ、あの男を殺した。テオたちの村へ、朝いちばんに刃を向けるはずだった男を。だから、もう来ない。——けれど、そのことを、オレはこの村の誰にも言えない。
あの男だって、好きであんなふうになったわけじゃないんだろう。……そう思うと、勝ったという気持ちは、どこからも湧いてこない。
井戸の水で頬を洗い、腰の袋の傷薬を薄く塗る。それだけ済ませて、オレは自分の寝床へ帰った。
*
連中は、あれきり村へは来なかった。
頭を失った寄せ集めが、どこでどう散ったのか、村の誰も知らない。いつまで経っても襲ってこない連中のことを、そのうち誰も口にしなくなった。ギレスはしばらく街道に見張りを立てさせていたが、なにも起きない日がひと月もつづくと、それも間遠になっていった。
村は、また元の日々へ戻っていく。それは、思っていたよりずっと静かなことだった。
南へ送り返した、あの流民たちのことも、ときどき思い出す。痩せた男と、熱を出した子。無事に南の町へたどり着けたのか、道半ばで力尽きたのか、オレには知りようがない。
そうして、村がすっかり落ち着きを取り戻すころには、季節がひとつ移ろっていた。畑には次の種が下ろされ、井戸端の話から、あの物騒な連中のことは、すっかり消えている。
*
その日、薬の使いを頼まれて納屋の裏手へまわると、テオがいた。
村の子らのなかで、こんなことをしているのは、まだこいつひとりきりだ。どこで拾ってきたのか、手ごろな木の枝を削って剣のかたちにしたのを握って、うんうん唸りながら、めちゃくちゃに振り回していた。汗だくで、膝小僧は擦りむいて血がにじんでいる。
「……なにしてるんだ、テオ」
声をかけると、テオはびくりとして、それから照れ隠しみたいに、その木剣を後ろへ隠した。けれど隠しきれないと分かると、今度は思いきったように、まっすぐこっちを見た。
「おれ、決めたんだ。冒険者になる」
「冒険者?」
「うん。この前、村が襲われただろ。あの、こわい奴らに。……あのとき、おれ、なんにもできなかった。ただこわくて、家の隅で震えてただけだ」
テオは、木剣の柄をぎゅっと握りなおした。
「今度また村が襲われても、そのときは、おれが戦えるようになりたい。母さんも、フェナも、村のみんなも、おれが守れるように。だから強くなる。魔物を倒して、レベルを上げて、冒険者になるんだ」
まっすぐな言葉だった。
「そうか」と、オレは言った。それしか、言えなかった。
オレには、剣は振れない。握ったことも、ない。だから、テオに剣の振り方を教えてやることは、どうしたってできない。
でも、と思う。剣を振るのはテオでも、そのテオが生きて帰ってこられるように後ろで支えることなら、オレにもできる。
オレはテオのそばへしゃがんで、その擦りむいた膝をのぞきこんだ。腰の袋から傷薬を取り出して、指にとる。爺さんに、いちばんはじめに教わった、ただの傷薬だ。
「けど、ひとつだけ。……無理に前へ出るな。かっこよく勝とうとするな。まず、生きて帰ってこい。それが、いちばん難しくて、いちばん大事なことだと思う」
「……なんだよ、それ。冒険者ってのは、もっとこう、ばーんと敵をやっつけるもんだろ」
「そうかもな。でも、死んだら、次はないんだ」
その言葉は、たぶん、オレ自身がいちばんよく知っている。
テオは、ふうん、と分かったような分からないような顔をした。それでも膝の薬がしみたのか、いてて、と情けない声をあげる。それがおかしくて、オレはすこし笑った。
薬を塗り終えて立ち上がると、テオはもう木剣を握りなおしている。膝の痛みなんかどこ吹く風で、また夢中で振りはじめた。汗を光らせたその背中は、いつしかオレと並び、それでもまだ、伸びていくのだろう。
*
それから、幾日かしてのことだ。村を歩いていると、あちこちで木の枝を振りまわす子供らを見かけるようになった。納屋裏で汗みずくになって素振りをするテオを、どこかで見たのだろう。ひとり、またひとりとその真似をはじめて、いつのまにか、村の子らのあいだに剣ごっこが広まっていた。
その真ん中には、いつだってテオがいる。誰よりも本気の顔で枝を振り、寄ってくる小さい子に、こうやるんだと得意げに振り方を教えてやっている。
その光景を、オレは井戸端から、ぼんやりと眺めてた。
剣は振れなくても、あの子らのためにオレにできることは、きっとまだある。それがなんなのか、なにか考えてあげてもいいのかもな。