不老なのをいいことに、移りゆく世代を眺めながら辺境で気ままに過ごす 作:無性主人公広めたい
あれから、四年が過ぎた。
テオは十五になった。畑でオレを見あげていた子が、いまはオレの頭ひとつぶん上から見おろしてくる。鍬を担ぐ肩には、父親のハーロに似た厚みがついた。
この四年、あいつは本気だった。
春から秋は畑に出る。雪が来て畑が閉じるあいだは、町へ出た。剣を教えている人がいると、どこかで聞きつけてきたらしい。発つのは初雪の前で、帰ってくるのは雪が解けるころ。ひと冬まるごと、向こうで寝起きしていたことになる。
帰ってくるたび、あいつの手の皮は厚くなっていた。豆がつぶれて、固まって、その上にまた豆ができて。
オレに剣の良し悪しは分からない。分からないなりに、その手に四年ぶんが積もっていることだけは分かった。
*
オレのほうは、あいかわらずだ。
爺さんの遺した納屋へ通い、根を刻み、奥の甕を寝かせる。水路に映る顔は、この村へ流れついたころとほとんど変わっていない。この村に来てから九年ぶんの季節が過ぎたけど、変わらなかったのはオレだけだ。……まあ、そのことは、今さらどうこう言っても仕方がない。
ただ、ひとつだけ、来たころとはっきり違うことがある。
薬が、売れるのだ。
このあたりに癒し手がいないのは、昔からだ。辺境のこの村に聖癒は届かない。爺さんが生きていたころだって、熱を出せば煎じた草、腕を折れば添え木と塗り薬。それがここらの当たり前だった。
変わったのは、その『ここら』の広さのほうだ。
四年前、南へ下っていった流民たちが言っていたとおりになった。聖癒を授かった者は残らず前線へ持っていかれて、いまでは町にも、街道沿いの大きな村にも、癒せる人がいないらしい。
行商人は来るたびに買い付けを増やした。爺さんのころは年に何度かだった包みが、いまでは月ごとに納屋を出ていく。
おかげで、オレの腰の袋はやたらと重い。使い道がないぶん、重くなる一方だった。
*
テオが村を出ると言いだしたのは、その年の初夏だ。納屋裏で冒険者になると決めた、あの日からちょうど四年めになる。
発つ前の日の昼過ぎ、オレはあいつを納屋の裏へ呼んだ。
地面に置いた細長い布包みを、あごで示す。テオは膝をついて、それを開いた。
出てきたのは、一振りの剣だった。木の枝じゃない。町の鍛冶屋で見立ててもらった、本物の剣だ。
「……これ」
テオの声が、途中で掠れた。
「ユウ。これ、いいのかよ。こんな、高いもんだろ」
「高いよ」
オレは正直に言った。安いのも並べてもらったけれど、やめた。鉄が薄いと、受けたときに折れることがあるのだと、鍛冶屋の男が教えてくれた。
「折れたら、そこで終わりだろ。……だったら、けちるところじゃないと思う」
「けど、そんな金、どこから」
「薬が売れるんだ」
テオはまだ疑うような顔をしている。
「売れるって、どのくらい」
「……行商人が、月に一度、買いに来る」
テオは黙って、地面の剣をもう一度見た。それから、指を折りかけて、やめた。月に一度の包みがどれだけになるのか、こいつには見当がついていない。
オレは肩をすくめた。金の話は、どうも慣れない。
剣のほかにも、渡すものがあった。革を三枚重ねてもらった胸当てと、底の厚い靴。それから、腰に下げる小さな袋をふたつ。
「胸当ては、重いと思う。慣れてくれ。靴は……いちばん高いのにした。足がだめになったら、そこから先はどこへも行けない」
オレは、ふたつの袋を順に指さした。
「こっちは傷薬と、傷を洗う水を清める薬。……これは、覚えのあるやつだろ。もうひとつは粉だ。灰と、砕いた白い石を混ぜてある。まずいと思ったら、相手の目にぶちまけろ。目をやられたら、獣でも人でも一瞬は止まる。その隙に、逃げるんだ」
テオは粉の袋を手のひらでひっくり返して、口の端をゆがめて笑った。
「ユウは、ほんとに逃げろばっかりだ」
「……ほかに言えることがないんだ、オレには」
仕方ないだろう。この世界へ放り出されてから今日まで、オレがまともに考えてきたのは、どうやって逃げるか、どうやって死なずに済ませるか、その二つきりなんだから。
*
それから、オレは袖に手を入れた。
まるい毛の塊が、もぞもぞと出てくる。マロは寝起きの顔のまま、テオの手のひらのうえへ、ころんと転がった。
「こいつも、連れていけ」
テオが目を丸くした。
「……は?」
「マロだ。お前と一緒に行かせる」
「いや、待てよ。マロは、ユウの——」
「聞け」
オレは、テオの手のなかの毛玉を指さした。
「こいつはな、鼻と耳が、おかしいくらい利くんだ。夜道でも、獣でも人でも、こっちの目に見えるよりずっと前にこいつが先に気づく。……で、そういうときだけ鳴き方が変わる。ふだんは『きゅう』とか、間の抜けた声しか出さないくせに、そのときだけは低く、押し殺したみたいに唸るんだ」
「……唸る」
「そう。その声が聞こえたら、なにも見えてなくても、いるってことだ。引き返せ。それだけ守ってくれれば、こいつはお前の目より先に働く」
テオは、手のひらのうえのマロをまじまじと見おろした。それから、ゆっくり息を吐いた。
「……そっか。おれ、目はふたつしかないもんな」
「そういうことだ」
「けど、ユウはどうすんだよ。マロがいなくなったら」
「オレはずっと村にいるつもりだ」
危ないところへ行くのは、オレじゃない。
マロはテオの手のうえで一度ぐるりと回ってから、テオの袖口へ自分から潜りこんだ。
まあ、そうだろうな。こいつは孵ったころからテオに追いかけまわされて、揉みくちゃにされて、それでも一度だって逃げたことがない。名前を呼ばれれば懐から顔を出すし、テオの手のなかにいるときも、うちの寝床にいるときと同じとぼけた顔をしている。
この一匹がついていくなら。……オレは、ずいぶん安心して、テオを見送ることができる。
*
発つ朝は、よく晴れた。
テオの家の前に、村の連中が集まっていた。村長ギレスの娘のミラが腕を組んで仁王立ちしている。コルは荷の紐を引っぱって、結び目が緩いだのなんだのと騒いでいる。ふたりとも、昔から変わらない。
父親のハーロが、荷袋をひょいと持ち上げた。でかい図体をかがめて、テオの肩に掛けてやる。
「重いか」
「重くない」
「そうか」
それきり、ハーロは何も言わなかった。言わないかわりに、掛けた紐を二度、三度と引いて位置を直している。もう直すところなんてないのに、何度も。
母親のマレナは、布に包んだパンをテオの胸へ押しつけた。
「持ってきな」
「そんなに食えねえよ」
「食えなかったら、捨てな」
そう言って、マレナは背を向けた。背を向けたまま袖口で目のあたりを一度こすったのを、オレは見なかったことにした。
テオの妹のフェナが、兄の上着の裾を握って離さない。テオは困った顔でしゃがみこんで、耳もとに短くなにか言った。フェナは首を横に振って、それでも、指を離した。
最後に、テオがオレのところへ来た。
「ユウ」
「うん」
「……行ってくる」
「ああ。……無理に前へ出るな」
「かっこよく勝とうとするな、まず生きて帰ってこい、だろ」
テオはオレの声色を真似て、それからけらけら笑った。
「耳にたこができてるよ」
テオは剣を吊り、胸当ての紐を締めなおして、村のとば口へ歩いていった。袖口から白いまるいのがひとつ顔を出して、こっちを見ている。
「頼んだぞ」
オレが言うと、それは尻尾の先を一度だけ振ってみせた。
街道へ続く脇道は、途中で林に入って見えなくなる。テオの背中がそこへ吸い込まれるまで、村の連中はずっと立っていた。ハーロは腕を組んだまま動かず、マレナはいつのまにか鍬を担いで畑のほうへ歩きだしている。
林の口は、もう静かだ。
オレが持たせてやれたのは、どれも、あいつのかわりに戦ってはくれないものばかりだった。それだけのことに、四年かかった。
あいつは、いつか帰ってくる。帰ってきたとき、この村があって、オレがいる。……たぶん、それがオレの仕事なんだと思う。
*
その夜、寝床はいやに広かった。腹の上にも、袖の中にも、あのあたたかいまるいのがいない。
……まあ、いい。貸しただけだ。
うとうとしかけたころ、まぶたの裏でいつもの窓が光った。毎日ひとつの、ちいさな贈り物。いつもどおり、ろくに読まずに目を逸らそうとして——逸らせなかった。
窓のいちばん上、レベルの数字の桁がひとつ増えている。その下に並ぶ数字も、どれも見た覚えのない並びだ。
そして今夜の贈り物は、『経験値』ですらなかった。読んだことのない一行が、そこに載っている。
……なんだ、これ。