不老なのをいいことに、移りゆく世代を眺めながら辺境で気ままに過ごす 作:無性主人公広めたい
翌朝、根を刻む前に水路へ下りた。
初夏の朝の水は、まだ冷たい。堰から先のいちばん下は溜まりのようになっていて、覆いかぶさった枝で日が入らず、沈んだ葉が黒く重なって、水は濁っているというより暗かった。
石の陰を覗きこむ。
いた。
スライムだ。こぶしを二つ並べたくらいの塊で、水とおなじ色をしている。どこまでがそいつなのか、見ているだけでは分からない。ゆっくりふくらんで、ゆっくり縮む。たぶん、それだけをずっと繰り返している。
村の子どもでも知っている。水の流れを詰まらせれば掻き出されるが、そうでもなければ誰も追い払わない。畑を荒らすでも噛みつくでもないからだ。オレだって、この村に来てからずっとそばを通っていて、気にしたことは一度もなかった。
前の世界のゲームにも、おなじ名前のやつがいた。いちばん最初に出てきて、いちばん弱いやつだ。こっちで同じ名を聞いたときは、すこし笑った。扱いも、たいして変わらない。
水のうえに手をかざして、しゃがんだ。
犬にやったのと、おなじ順番でいくことにした。効かないものから落としていけば、いつか残る。
念じた。
息を吐いたときみたいに、体の内側がすこし軽くなった。
同時に、水の底で塊が光った。
白いというより、薄く濁った光だ。ゆっくりふくらんで、ゆっくり縮む――その拍にあわせて、明るくなって、暗くなる。数を三つ数えるあいだ光って、それから、もとの水の色へ戻った。
……魔力か。
作るにゃ魔力が要る、と爺さんは言っていた。まぶたの裏の窓に並んでいるその数字が、いままで何をするためのものなのか分からずにいたが、いま初めて動いたらしい。
犬のときは、光りもしなかった。
今度は、はっきり起きた。
頭のなかに声が響いたわけでもないし、あの光る窓が出てきたわけでもない。それでも、光が消えたとき、そいつはこっちを向いていた。向きなんてあるのかも分からない相手なのに、それだけは分かった。
「……ええと」
声をかけるのも間が抜けている。それでも、ほかにやりようがなかった。
「出て、こられるか」
スライムは石の陰からずるりと抜けて、浅いほうへ寄ってきた。水を押しのけるでもなく、押しのけられるでもなく、底の葉を巻きこみながら、まっすぐこっちへ来る。オレの指の先、あと拳ひとつというところで止まった。
水のなかへ、手を入れてみた。
そいつは逃げずに、指のあいだへ入りこんできた。ぬるくもなく、冷たくもない。押した指のぶんだけ沈んで、離すと元へ戻る。しばらくそうしていて、それから、するりと抜けていった。
『ぷ』
水面で、小さな泡がひとつ弾けた。
……いま、鳴いたか。
どこかから空気が抜けただけかもしれない。そう思って、もう一度、指を沈めてみた。
『ぷぷ』
おなじ音が返ってきた。
どういう理屈で鳴っているのかは分からない。分からないが、二度めは、あきらかにこっちの指を待ってから鳴いた。
立ちあがって、土手のほうへ二歩あがった。
ついてきた。
水から出るとは思わなかった。濡れた跡を一本残して、草の上をゆっくり這ってくる。急ぐでも遅れるでもなく、オレの歩幅にちょうど合っている。
「……止まれ」
止まった。
試しに指で先を示すと示したほうへ寄っていくし、呼べば戻ってくる。犬に何日も言い続けて一度も通らなかったことが、こっちは最初から通っていた。
「……もう、戻っていい」
これは、聞かなかった。
足もとまで来て、またふくらんで、縮んだ。通る言葉と通らない言葉があるらしい。
石の陰を、もう一度覗いた。
ひとまわり小さいのが、もうひとつ残っている。おなじように念じると、そいつもおなじように光って、水から出てきた。二匹めが来たら一匹めが石へ帰るのかと思ったが、そんな様子もない。二つとも、オレの足もとでふくらんだり縮んだりしている。
二匹めのあとは、すこし息が上がっていた。走ったわけでもないのに、だ。
……よく分からない。
「ユウ。それ、なに」
土手のうえにフェナが立っていた。手には木の桶をさげている。水を汲みに来たらしい。
「スライム」
「知ってる」
知っていた。オレの返事のほうが間抜けだった。
「連れてくの」
「……たぶん」
「なにに使うの」
答えが出てこなかった。この子の二つめの問いは、いつもオレの底に当たる。
フェナは黙ったまま、足もとの二つをしばらく見おろした。
その二つが、そろって『ぷ』と鳴いた。
フェナは桶を持ちなおした。
「鶏のほうが、かわいいよ」
それだけ言って、上流のほうへ歩いていった。
こっちは足もとを見た。
水の底にいるものだから、きれいなものとは思われていない。オレだって、こうなるまでは近寄りもしなかった。
*
村を横切って納屋まで運ぶのに、水を張った桶をふたつ使った。
抱えて歩けば足もとをついてくるとは思ったが、道の途中で誰かに踏まれてもかわいそうだし、こっちが説明に困る。桶へ入ってくれと言ったら、二つとも素直に入った。底の葉を少し掬って一緒に入れてやると、そのまま沈んで動かなくなった。
納屋は、いつもの匂いがした。
刻み台の脇、甕の列の手前に桶を並べて置く。手を洗って、根を出して、いつもどおり刻みはじめた。
考えても、使い道が浮かばない。養殖って書かれていることだし、なんとなく二匹ばかり連れて帰った。それで、終わっている。
日が傾いてから、刻み台の屑を手で寄せた。
根を刻めば、かならずかすが出る。爪の先ほどの薄い切れ端で、白っぽくて、まだ湿っている。薬にするには小さすぎるから、まとめて畑の隅へ捨てにいくぶんだ。
掌からいくらかこぼれるのも毎度のことで、そのうちの一つまみが、桶の縁を越えて落ちた。
拾おうとして、指を止めた。
水のなかで、スライムがゆっくり寄ってきている。沈んでいくかすの真下へ回りこんで、体の縁をめくるように持ちあげ、そのまま内側へくるみこんだ。かすは体のまんなかまで沈んで、そこで止まった。
水とおなじ色をしているから、なかが透けて見える。
ふくらんで、縮む。
その拍がひとつ来るたびに、薄い切れ端が割れていく。ひとつが二つになり、二つが四つになり、粒がどんどん小さくなる。しまいには粒の形が見えなくなって、白い粉になった。
噛む口も、すり潰す石もないのに、乳鉢で当てたのとおなじ細かさになっている。
粉は消えず、体のなかに散らばったまま、拍にあわせてゆっくり回っている。
もう一つまみ、落としてみた。
おなじことが起きて、食い終わってから『ぷ』と鳴いた。
*
その夜、寝床でいつもの窓が光った。
今夜の贈り物は経験値がひとつ。それはいい。
目が、その下で止まった。
白瀬ユウ Lv.10
体力 10 力 10 速さ 10 魔力 12
スキル:デイリーリワード/不老/養殖(下級)【スライム】
スキルの名前に目を留める。下の段も、あの晩とは変わっていた。
【養殖(下級)】
養殖可能種族 スライム ※固定済
以後、ほかの種族は養殖不可
養殖可能数 制限なし
……固定済。
これで、オレが増やせるのはスライムだけになった。
……まあ、ほかの魔物になんて、どのみち近づけもしないのでいいのだけど。
*
翌朝、納屋の戸を開けて、まず匂いに気がついた。
いつもの匂いではない。桶に顔を寄せる。
根の匂いの角が取れて、すこし甘くなっていた。刻んだばかりの根は、こんな匂いをしない。
中を覗くと、昨日は粉のまま散らばっていたものが、どこにも見当たらなかった。代わりに、水とおなじ色だった体に、薄い濁りが差している。
……腐ったんじゃない。
腐るのと醸すのが紙一重なのは、爺さんに何度も言われた。腐ったなら、鼻の奥を刺す匂いになる。この匂いは逆だ。刺すところがなくなって、丸くなっている。
寝かせて、待って、別のものに変わるほうだ。
……発酵か。こいつの、体のなかで。
顔を上げると、桶の向こうに甕の列があった。三百年かけて、中の層が崩れるのを待っているやつらだ。
オレは封の縄を締め直してから、根を出して、刻みはじめた。
*
その日から、餌をやることにした。
刻んだあとのかす、搾ったあとのかす、傷んで捨てるはずだった根、洗ったときに底へ落ちた土。木を削ったくずと石は残ったが、それ以外はどれも食った。幾日かして、刻みかすばかり食わせたほうは濁りが日ごとに濃くなって指を押し返し、搾りかすのほうは色が変わらないかわりに嵩が増えているのに気がついた。
何を食わせたかが、そのまま体に出るらしい。
乳棒を止めて、しばらく桶を覗いた。
入れるものを変えれば、出てくるものが変わる。爺さんに叩きこまれたのは、結局そういう順番の話ばかりだった。何をやったら何が起きたかを、頭と手に刻んでおく。
……なら、屑でなくてもいいわけだ。
*
次の朝、陽草を一つまみ、桶へ落とした。
乾かして粉にするほどよく効く、血止めの草だ。刻んで、乳鉢で当てて、これ以上は細かくならないというところまで持っていったやつを、そのまま入れてやる。
呑みこむまでは、屑のときとおなじだった。違ったのは、そこから先だ。
乳鉢で止まったはずの粉が、まだ崩れる。拍がひとつ来るたびに白い散らばりが薄くなって、しまいには、どこにあるのかも分からなくなった。
翌朝、体は濁っていなかった。
桶の底に、うっすらと白く沈んでいる。食い物とは思わなかったらしい。
指ですくうと、粉というより、粉の影みたいな細かさだった。鼻を寄せると、あの甘さがある。
乾かして、いつもの割で練った。
色が濃い。指で伸ばすと、いつもより粘る。
その日の昼まえ、刻みで左の指を浅く切った。薬師をやっていれば、めずらしくもない傷だ。
いつもなら棚の傷薬を出すところを、朝に練ったほうを塗ってみた。
日が傾くころにもう一度見てみると、指の傷はもう塞がっていた。
この深さなら、いつもの傷薬でも治りはする。ただし丸一日はかかるもので、朝に切れば口が閉じるのは翌朝だと、何度も切っているから体のほうが覚えている。それが、日の落ちるより先に閉じた。
……こいつの腹を通すと、草の効きが上がるのかもしれない。
そう思ってから、指の切り傷ひとつで言えることではないな、と思い直した。丸一日が半日に足りないくらいになっただけで、切った先から塞がるわけでもない。
一匹に通せる量など、たかが知れている。一つまみで一つまみだ。嵩の増えたほうは、いまの桶ではそのうち収まらなくなる。
「……明日は、もうすこし多めに通してみるか」
桶のなかで、二つが順に『ぷぷ』と鳴いた。
返事のつもりなのか、ただ空気が抜けただけなのかは、あいかわらず分からない。