不老なのをいいことに、移りゆく世代を眺めながら辺境で気ままに過ごす 作:無性主人公広めたい
刈り入れの日は、村長のギレスと年寄りたちが、穂を歯で潰して決める。まだ早い、いや明日でいい、と言い合って、どちらかが折れるまで畑のふちにしゃがんでいる。オレも真似て噛んでみたことがあるが、いつ噛んでも同じ硬さに思えた。九年いても、こういうものは分からないままだ。
その明日が来て、村じゅうの手が畑へ出た。
畑は家ごとの細長い持ち分が、草を残した細い帯で仕切られて、ひとつづきに広がっている。持ち分はあちこちに散っているから、どの家も自分の分を刈って回る。村が決めるのは、日と順番だけだ。
「東の低いとこからやれ。あそこは水を持つからな。乾いたとこは、あとでも遅くねえ」
ギレスの声で、家ごとに畑へ散っていく。オレは鎌を借りて、ハーロの持ち分に入った。テオが出ていってから、この家は刈る手がひとつ足りない。
穂の下へ刃を入れて、握った束を手前へ引く。それだけのことなのに、隣で刈っているマレナは同じあいだにオレの倍を進んでいる。腰の落とし方も、束の掴み方も、こっちより無駄がない。力ならたぶんオレのほうがあるはずで、それでも手は遅い。力と腕は、どうやら別のものらしい。
「あんた、その握り方じゃ、日が暮れるまでに腰をやるよ。柄はもっと短く持ちな」
顔も上げずにマレナが言った。言われたとおりに柄を短く持ち替えると、たしかに引きが軽くなる。
九年かけて、まだこんなことを教わっている。
朝のうちは、みんな黙って刈っていた。西のほうに薄い雲が出ていたからだ。刈り倒した麦を濡らせば、乾くまでのあいだに芽が出たり黴が来たりする。降られる前に、というのが今日の村の考えていることのぜんぶだった。
刈ったそばから束にして紐をかけ、幾つかずつ穂を上にして立てかけていく。境の草には年寄りたちが座って、藁を縒って紐をこしらえている。腰は立たなくても、手だけは止まらない。子どもらは刈る者のうしろについて、落ちた穂を拾ってまわる。
フェナが、腰にさげた袋を膨らませて通りかかった。
「ユウ。そこ、いちばん落ちてる」
「……悪かったな」
「べつに。ないと、拾えない」
返す言葉を探しているうちに、もう次の持ち分へ行ってしまった。
日がいちばん高くなったころ、いったん草の帯に腰を下ろして水を回した。首筋が汗と麦の埃でざらついて、腕の内側が痒い。ハーロが布で顔を拭きながら、まだ刈り残っている先のほうを見ている。
「おい。今年は、畑を空けたやつが少なかったな」
「……そうですね」
「例年なら、ひとりふたりは寝こんでる。……暑さがましだったんだろ」
オレは、そうですね、ともう一度言った。それから水を飲んで、鎌を持って立ち上がった。
雲は、けっきょく西の山の上を通り過ぎていった。
最後の一枚を刈り終えたのは、日がだいぶ傾いてからだ。刈り株ばかりになった畑は、遠くの端まで見通せるくらい平らになって、そのぶん村が広く見えた。立てかけた束が、そこらじゅうで細い影を長く倒している。乾いたのを荷車へ積むのは明日からで、刈り株に家畜を入れるのは、どの家も運び出してからだ。
*
戸口に人が立ったのは、暗くなりかけてからだった。境の草で紐を縒っていた年寄りのひとりで、腰を片手で押さえている。刈り入れのあとは、たいていこれだ。
温めて当てる草を袋に分けて、火にかける長さをもう一度言った。年寄りは「毎年、世話をかけるな」と言って帰っていった。毎年、というのは、オレの前にここで薬をあつかっていた爺さん——薬師の師匠の代からの話だろう。オレはその手仕事を継いだだけだ。
納屋へ入って、燭台に火を移す。
壁ぎわの六匹のスライムは、朝と同じ格好で沈んでいる。刈り入れのあいだも、朝と夕の草やりだけは欠かせなかった。一匹ずつ食わせる草が違うから、まとめてというわけにいかない。腕が張っていても、皿の順に一つまみずつ落として回る。
渡したぶんは、どれもきれいに無くなっている。世話をしてやっても、礼のひとつ返るでもない。腹だけは、こっちの都合にかまわず減るらしい。
戸を開けたままにしておくと、村のあちこちから麦を打つ音が聞こえてくる。刈り株の畑に次の種が下りるまで、しばらくはこの音がつづく。
*
乾いた束を荷車で運びこんで、打ち場で叩くのは、刈ってから幾日かあとになる。オレはハーロの家の打ち場を手伝っていた。
棒の先で束を叩くと、穂から粒が落ちて布に散る。落ちきったら束をひっくり返して、また叩く。単純な仕事だが、力任せに振ると粒が飛んで散らばるから、加減がいる。
布のふちでは、フェナがしゃがんで散った粒を拾っていた。落ちた粒のありかを、こっちが見落とすさきに見つけている。手を止めず、口も利かず、ただ拾っていた。
「そこ、まだ落ちていませんよ」
打ち場の入り口から、ミラが布の隅を指した。村長ギレスの娘で、出ていったテオと同い年の十五になる。このごろ背が伸びて、大人にまじって村のことを取りしきりたがる。この村ではそろそろ年ごろということらしいが、オレの目には、まだ子供にしか見えない。ことばつきだけが、いつのまにか背伸びした丁寧なものになっている。
「端から順にやってくださいね。飛ばすと、あとで拾うのが増えますから。あたしが見ておきますので」
「……ああ」
ミラは布のまわりを一周して、オレの手もとをのぞきこんだ。
「ユウさんって、結婚とか、考えてないんですか」
「……特に」
「あら。だったら、あたしがもらってあげてもいいんですよ。父さんも、あんたのことは気に入ってますし」
冗談めかしてはいるが、オレの手もとの働きぶりを値踏みするみたいに見ている。半分は、本気で言っているらしかった。
「……いや。それは、さすがに」
「なにが『さすがに』ですか。歳だって、そんなに離れて——」
「オレ、もう三十近いよ。この村に来て九年、その前を足せば」
ミラの口が、開いたまま止まった。
「……え」
「えっ、三十? 待ってください、そんな……ぜんぜん、見えないのに。ほんとに?」
「ほんとに」
「……あれ。い、言われてみれば、あたしが小さいころのユウさんって、そういえば……」
言いかけて、ミラは口をつぐんだ。眉を寄せて宙を見ていたが、じきに、どうでもよくなったように首を振った。
布の粒をひとつつまんで、ぽいと放る。
「……い、今の、やっぱりなしで。あたし、なんにも言ってませんから」
フェナが、粒を拾う手を止めずに言った。
「ユウは、もらわないよ」
「どうして」
「スライムがいるから」
オレは黙って束をひっくり返した。気の利いた返しは、浮かんでこない。
ミラが手を打った。
「あ、そうだ。言い忘れていました。神官さまが、来るんですよ。この村に」
あちこちで、棒を振る手が止まった。
「神官さま?」
「父さんが、そう言っていました。子供を、ひとり残らず集めろって。……洗礼の儀、だそうです」
*
神官が村のとば口に立ったのは、それから三日あとだ。
麦を打つ音がやんで、村じゅうが街道のほうを見ていた。馬に乗った神官がひとりと、供が三人だった。供はみな埃をかぶり、ひとりは足を引きずっている。
神官は馬を下りると、ギレスに向かって用件だけを言った。
「洗礼の儀にございます。この村の子らを、ひとり残らず集めていただきたい。……手間は取らせません。日の高いうちに、次の村へ発ちますので」
丁重な物言いだったが、こちらの返事を待つ気配はなかった。
村の年寄りが、隣の者に小声でこぼしている。神官さまなんて、いつ以来だ、と。
辺境に、教団の手はついぞ届かない。オレがこの村へ来てから、神官を見るのは初めてだ。その、来ないはずの相手が、疲れた足で、こんなところまで来ている。
子供らが、親に押されて前へ出されていく。フェナも、マレナに背を押されて列のうしろに並んだ。並びながら、フェナは神官から目を離さなかった。愛想も、怖がりもせず、ただじっと、上から下まで見ている。相手が神官でも、この子は変わらない。
戦は、遠いところの話だと思っていた。それが辺境から人手も護りも順に吸い上げて、とうとう子供の中身まで検めに来た。
あの儀で、子供は初めて力を授かるという。授けるのは神で、神官は場を取り仕切るだけだと供のひとりが言った。どの子に何が出るかは、その神官にも分からないらしい。
オレは呼ばれもしないし、列に並ぶ子供でもない。
ただ、この村の子に何が出るかが、この村の外から降りてくる。それだけのことが、腹の底を冷たくした。