不老なのをいいことに、移りゆく世代を眺めながら辺境で気ままに過ごしていたら、知らないうちにレベルが限界を振り切っていた 作:無性主人公広めたい
翌朝、オレは、ねぐらにしていた岩陰を出て、森を抜けることにした。
理由は、単純だ。ここじゃ、長くはもたない。
木の実と沢の水で、飢えはしのげる。岩の隙間で、夜もなんとか越せる。でもそれは、『生きている』というより、『まだ死んでいない』に近い。
冬が来たら? 熱を出したら? 一人きりのこの森で、そんなものは、たぶん、静かな終わりに直結する。
生き延びる、と決めたなら――人のいるところへ、行くしかない。
懐の卵は、今朝も、ほんのり、あたたかかった。「……行くぞ」と声をかけても、返事なんて、あるわけもない。それでも、なんとなく、心強い。
それから、何日、歩いただろう。――正直、数えるのは、途中でやめた。
やることは、ずっと同じだった。日が高いうちに歩き、暗くなる前に隠れる。魔物らしき影を見たら、戦うなんて論外だから、息を殺して遠回りする。腹が減ったら、小動物が食べている実を見つけて、同じものをかじる。水は、澄んだ流れを選んで飲む。
顔や手を、その冷たい水ですすぐくらいはできても、まともに湯を浴びたのは、この世界に来てから、一度もない。汗と土埃で髪はごわつき、自分でも、饐えたような匂いがするのが分かる。そして夜、隠れ家で膝を抱えると、決まって、あの光る窓が、ぽうっと浮かんだ。
『デイリーリワード――経験値 +1』
……1。昨日は、2だった。その前は、また1。日によって、ちょっとだけ違うらしい。たまに、しなびた木の実がひとつ、おまけで付いてくることもあった。
毎晩、眠る前に、それだけが、ぽん、と増える。手元の経験値は、いつのまにか、二十を、少し超えていた。
でも――レベルは、あいかわらず、1のままだ。
一度、次のレベルまでにどれだけ要るのか、確かめてみたことがある。……見なきゃよかった。まだ、ずいぶん、遠かった。この、一日1や2の積み立てで、そこへ届くのは、だいぶ、先の話に、なりそうだ。
まあ、いい。時間だけは、腐るほど、あるんだから。
それでも、歩いた日も、休んだ日も、たった1ずつ、ちゃんと積もってはいた。それだけは、確かだった。
地味だ。とにかく、地味だった。
……つい、笑ってしまう。オレは一応、『異世界に召喚された勇者』の、はずだったんだよな。魔王を倒してくれ、と、あの豪華な広間で、王様に頭を下げられた側の。
それが今や、実のなる木を探して、獣の食べ残しをありがたがって、こそこそ茂みに隠れる、ただの薄汚れた放浪者だ。
――まあ、悪くはない、けど。
派手に持ち上げられて最前線へ送られた連中より、たぶん、ずっと、命の心配は少ない。
何日目かの、昼下がり。いつものように沢で水を飲もうと、水面に顔を寄せて――ふと、手が止まった。
水に映った自分の顔が、なんだか、少し、違う。
頬の線が、前より細い。目元も、やわらかい。ひげが伸びる気配は、まるでない。……これじゃあ、まるで、女の子みたいだ。冴えない男子だったはずの面影は、いつのまにか、ずいぶん薄れていた。
自分の頬を、つまんでみる。すべすべだ。
ちぐはぐなのは、身なりのほうが、男のまんまだからだろう。よれて薄汚れた、男物の学生服。この世界の誰も着ていない、妙な仕立ての一着だ。顔だけが、それとちぐはぐに、変わっていく。
……歳を取らない、というのは、こういうことも含むんだろうか。時間から外れた体は、少しずつ、元の造りから、ずれていくのかもしれない。
……まあ、いいか。顔がどうなろうと、腹はふくれないし、追われもしない。深く考えるのはやめて、オレは水をすくって飲んだ。
転機は、その日の夕方に来た。
なだらかな丘を越えると――視界が、開けた。
眼下に、四角く区切られた畑が、いくつも広がっている。その真ん中に、寄り集まった、小さな家々。屋根のいくつかから、細い煙が、まっすぐ立ちのぼっていた。夕餉の、煙だ。
人が、いる。
その、なんてことのない風景が、やけに、まぶしく見えた。人の暮らしの灯りを目にするのは、いったい、何日ぶりだろう。
オレは、転がるように丘を下って、村へ近づいた。近づいてから、少し、足がすくむ。……余所者が、いきなり訪ねて、追い払われないだろうか。丸腰で、みすぼらしくて、この世界じゃ見かけない妙な服を着て、おまけに――男か女かも分からない、変な奴だ。
村のはずれ、畑の脇で、迷っていたときだった。
「――ねえ。おにいちゃん? おねえちゃん?」
足元から、声がした。
見ると、五つか六つくらいの子供が、泥だらけの手で、オレの服の裾を、ちょんと引っぱっている。まんまるな目で、まじまじと、オレの顔を見上げていた。
「どっち?」
……どっち、か。子供は、正直だ。
「……さあ。オレにも、よく分からないんだ」
そう答えると、子供は、けらけら笑った。警戒なんて、これっぽっちもない。むしろ、珍しいおもちゃでも見つけたみたいな、きらきらした目だ。
その屈託のなさに、なんだか、つられて、ちょっと笑ってしまった。
「ねえ、どこから来たの? おなか、すいてる?」
すいてる。死ぬほど。
「かあちゃん! かあちゃーん! へんな人来た! きれいな人!」
子供が、畑の向こうへ、元気よく駆けていく。「へんな人」で「きれいな人」か。……なかなか、的確だ。
やがて、手を布で拭きながら、母親らしき女の人が、怪訝そうな顔で、こちらへ歩いてくる。その目には、余所者への警戒が、確かにあった。――でも、その後ろから、さっきの子供が、オレを指さして、何か一生懸命、訴えている。
さて。どう、転ぶか。
オレは、できるだけあやしくないように、へたくそな笑みを浮かべて、深く、頭を下げた。