不老なのをいいことに、移りゆく世代を眺めながら辺境で気ままに過ごしていたら、知らないうちにレベルが限界を振り切っていた   作:無性主人公広めたい

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5話 居候のはじまり

 深く下げた頭の上を、しばらく、沈黙が通り過ぎていった。

 

 顔を上げるのが、こわい。追い払われる言葉が降ってくるなら、なるべく、あとで聞きたい。

 

「……あんた、見ない顔だね」

 

 顔を上げると、母親らしいその人は、布で手を拭きながら、値踏みするように、オレを見ていた。声に、隠す気もない警戒が、ある。

 

 当然だ。素性の知れない余所者が、いきなり畑先に立っていれば、誰だって、そういう目になる。

 

「……旅の人、かい」

 

 オレは、あいまいに笑って、小さく、うなずくに留めた。

 

 女の人は、まだ、距離を詰めてこない。足元の子供が、また近づこうとするのを、腕で、そっと、後ろへ庇った。

 

 ——うん。まっとうだ。この辺境で、丸腰の余所者を警戒しない方が、どうかしている。

 

 ただ、すぐに追い払う、というふうでも、なかった。オレのこの、痩せて、頼りなくて、脅威にもならなそうな見てくれ。

 

 ——皮肉なものだ。城で『戦えない』と切り捨てられた、その同じ弱さが、ここでは辛うじて、門前払いだけは、免れさせているらしい。

 

「あの。オレ、旅の途中で、道に迷ってしまって」

 

 オレは、慎重に、言葉を選ぶ。どこから来たのか。何者なのか。

 

 ——そういうことは、なるべく、濁しておきたい。『異世界に召喚された勇者くずれで、王様に追い出されました』なんて、正直に言ったところで、信じてもらえるわけがないし、ろくなことにならない。

 

「しばらく、休める場所と……その、何か、手伝えることが、あればと思って」

 

 働きます、と、頭を下げ足す。物乞いに来た、と思われたくは、なかった。それくらいの矜持は、まだ、残っているらしい。

 

「手伝い、ねえ」

 

 母親が、あごに手をあてて、思案する。その、ほんの少しの間が、やけに長く感じた。

 

「……ちょっと、待ってな。あたしじゃ、決められないから」

 

 そう言って、彼女は、子供に何事か言いつけると、畑の向こうの、いちばん大きな家のほうへ、歩いていった。

 

 残されたオレは、子供と、二人。

 

「ねえ、どこから来たの? 遠い?」

 

「ああ。……ずいぶん、遠くからだよ」

 

「ふうん。……ねえ、あとで、いっしょに遊ぶ?」

 

 話が、ころころ変わる。よく分からない勢いで、子供は、勝手に距離を詰めてくる。屈託がない、というのは、こういうことを言うんだろう。

 

 まんまるな目に見上げられていると、張りつめていたものが、ほんの少し、ゆるむのを感じた。

 

 やがて、母親が戻ってきた。その後ろに、腰の曲がりかけた、白髪の老人が、ゆっくりと、ついてくる。

 

 日に灼けて、皺の深い顔。この村を、切り盛りしている——たぶん、村長か、それに類する立場の人間なんだろう。

 

 老人は、オレの前まで来ると、頭のてっぺんから、擦り切れた靴の先まで、無遠慮に、じろりと検分した。人を、というより、家畜か、荷でも値踏みするような目だ。その視線が、オレの着ているものの上で、ふと、留まる。

 

 ——学校の制服。この世界の誰も着ていない、妙な仕立ての一着だ。旅で薄汚れてはいても、見慣れない形と、生地の良さだけは、隠しようもない。

 

 それがかえって、『どこの誰とも知れない怪しい奴』という看板を、いっそう、際立たせているらしかった。老人の目が、ほんの一瞬、その生地の上で、値打ちでも計るみたいに、細くなった。

 

「よそ者か」

 

「はい」

 

「なんの用だ。物乞いなら、ほかを当たってくれ。見てのとおりの、貧しい村だ。他人に恵んでやる余裕なんぞ、ありゃしない」

 

「いえ」オレは、慌てて頭を下げた。「働かせて、ください。飯と、寝るところだけ、いただければ。……なんでも、やります」

 

 老人は、ふん、と鼻を鳴らして、しばらく黙ったまま、オレの細い腕や、薄い肩を、もう一度、眺めた。どこから来た、とも、なぜ流れてきた、とも、訊いてはこない。

 

 興味が、ないんだろう。使えるか、使えないか。この老人にとって大事なのは、たぶん、それだけだ。——正直、好都合だった。素性を、詮索されずに済む。

 

 ……値踏みされている。こいつを置いて、損か、得か。それを、そろばんでも弾くみたいに、勘定しているのが、分かった。

 

「見たとこ、ろくに力もなさそうだ」老人は、ぼそりと言った。「盗んで逃げる度胸も、なさそうな面だな」

 

 失礼だ、とは、思わなかった。むしろ、正確だ。なんの取り柄もない、脅威にもならない見てくれ。それが今、天秤の上で、辛うじて、こっちに傾こうとしている。

 

「まあ、いい。ちょうど、猫の手も借りたい時期ではある」

 

 温情なんかじゃ、ない。ただの、算盤の答えだ。

 

「置いてやる。ただし、飯は、働いた分だけ。使いものにならなけりゃ、その日で、出てってもらう。妙な真似を一つでもすれば、次の朝は、この村にはいられんと思え。——それで、いいなら」

 

「……はい。じゅうぶんです」

 

 信用なんて、これっぽっちも、されちゃいない。見張られ、値踏みされ、使えるかどうかを、試される。それだけの話だ。

 

 ——それでも。追い出されずに、屋根の下に、置いてもらえる。丸腰で野を彷徨っていた昨日までを思えば、それが今のオレには、どれほど、ありがたいことか。

 

   *

 

 その晩、土の床の隅で、オレに出されたのは、器にひとつの、具の少ない汁物と、固くなったパンの端切れだった。

 

 施し、ではない。明日から使う手を、初日に飢え死にされても寝覚めが悪い——その程度の、最低限の燃料だ。それでも。

 

 最初の一口を、すすった瞬間。喉を通って、腹の底に、じんわりと熱が落ちていって——それだけのことで、鼻の奥が、つんと、痛くなった。

 

 あぶない。危うく、泣くところだった。

 

 ……我ながら、情けない。誰かに優しくされたわけでも、なんでもない。ただ、あたたかいものが、腹に落ちた。たった、それだけのことで。

 

 木の実をかじり、獣の食べ残しをうかがい、震えて岩陰に丸まっていた、あの何日か。それを思えば、この、味の薄い一杯が——どうしようもなく、しみた。

 

 夢中で、器を空にする。もう一杯、とは、言わなかった。言える立場じゃないことくらいは、わきまえているつもりだ。

 

 土の床の向こうでは、村の者が数人、暖炉を囲んで、飯を食っている。ときおり、こっちへ、ちらりと目をよこす。値踏みするような、品定めするような目だ。

 

 誰も、話しかけては、こない。——当然だ。今日ふらりと現れた、どこの馬の骨とも知れない奴に、かけてやる言葉なんて、あるわけがない。

 

 ただ、さっきの子供だけが、母親の膝の上から、めずらしそうに、オレを見ていた。オレが器を舐めるように空にするのを見て、なにが可笑しいのか、けらけらと笑う。

 

 その口を、母親が、しっ、と、たしなめた。——余所者を、じろじろ見るんじゃない。たぶん、そういうことだろう。

 

   *

 

 翌朝から、オレの、村での日々が始まった。

 

 任されるのは、働き口、と呼ぶのもおこがましい用事ばかりだ。畑の石を拾い、雑草を抜き、桶で沢の水を運び、家畜の糞を片づける。誰にでもできて、誰もやりたがらない、そんな雑用ばかり。

 

 素性の知れない余所者に、大事な仕事も、刃物も、家の中も——初めから、任されるわけがない。当たり前だ。

 

 力仕事は、正直、こたえた。なにせ、こっちは、体力も、力も、1。水を張った桶ひとつ運ぶのにもよろけて、村の子供にすら、危なっかしいと笑われる始末だ。

 

 村の大人たちは、しばらく、オレを、遠巻きにしていた。すれ違っても、目は合わせない。何か盗りゃしないかと、道具の数を、それとなく確かめていく者もいた。——それも、まっとうだ。逆の立場なら、オレだって、そうする。

 

 だから、ただ、黙って働いた。文句も言わず、逃げもせず、言われたことを、その日、その日、こなしていく。

 

 朝は鶏の声で起き、日が暮れるまで土にまみれ、夜は納屋の藁に、泥のように倒れ込む。——それしか、できることは、なかったし。それだけは、力が1でも、できることだった。

 

 それでも、屋根の下は、ありがたかった。あの凍える岩陰とは違って、夜、風が来ない。沢の水で、こびりついた泥と汗を、ようやくまともに洗い落とせた日には——饐えた匂いの薄れた自分の腕を嗅いで、我ながら、少し、笑ってしまった。

 

 火ひとつ熾せずに、震えて丸まっていた、あの夜のことを思えば。土の床の隅にまで届く、暖炉のおこぼれの暖でさえ、じんと、身にしみた。

 

 何日か。いや、十日ばかりも、経った頃だろうか。

 

 ——ようやく、風向きが、少しだけ、変わった。

 

 すれ違いざま、あごひとつで、「そこの桶、あっちさ運んどけ」と、ぶっきらぼうに使いを頼まれる。それだけのことが、こっちを『いないもの』のように扱っていた頃を思えば、ずいぶんな進歩だった。

 

 『妙な奴だが、まあ、よく働く』——漏れ聞こえてくる評は、せいぜい、そのあたり。

 

 でも、それで、じゅうぶんだった。

 

 ……つい、笑ってしまう。あの広間で、勇者だ、なんだと、持ち上げられていた頃には。まさか自分が、獣くらいしか通らない辺境の村で、家畜の糞をかき集めて、『まあ、よく働く』の一言に、こんなにも、ほっとする日が来るとは。

 

 でも、悪くない。ちっとも、悪くない。

 

 夜。藁の匂いのする寝床で、くたくたの身体を伸ばすと、決まって、まぶたの裏に、あの光る窓が、ぽうっと、浮かんだ。

 

『デイリーリワード――経験値 +2』

 

 ……今日は、2。昨日は、1。

 

 手元の数字は、あいかわらず、亀の歩みだ。レベルは、1のまま、びくともしない。それでも、この数字は、逃げも、消えもしない。

 

 畑仕事とは、逆かもしれない。手をかけずとも、ただ日を重ねるだけで、少しずつ、勝手に積もっていく。いつか、なにかには、なるのかもしれない。——そう思えば、悪い気は、しなかった。

 

 窓を消して、寝返りを打つ。懐の卵に、そっと、手を添える。

 

 ——あれ。

 

 指先に触れた、その表面が。今朝までとは、少し、違う気がした。

 

 あいかわらず、あたたかい。けれど、そのあたたかさの奥で。とん、とん、と——ごく、かすかに。何かが、内側から、殻を、そっと叩いている。ような。

 

 オレは、思わず、身を起こした。両手で、そっと、卵を包み込む。

 

 気のせいだろうか。いや——たしかに、動いた。

 

「……お前。もしかして」

 

 返事は、ない。あるわけが、ない。

 

 でも、その夜。オレは、なかなか、寝つけなかった。あたたかい殻を、飽きもせず、両手で包んだまま。

 

 この、名も知らぬ卵の中で、何かが、少しずつ、動きだしている——その気配を、ただ、じっと、見守っていた。

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