不老なのをいいことに、移りゆく世代を眺めながら辺境で気ままに過ごしていたら、知らないうちにレベルが限界を振り切っていた 作:無性主人公広めたい
どれくらい、そうして、いたのか。
放り出した鍬を、拾う気力も、湧かない。膝をついたまま、ただ、震えているオレの耳に、ふいに――下生えを、踏み分ける、幾つもの足音が、割りこんできた。
振り返る。
暗い林のあいだを、揺れながら近づいてくる、松明の灯り。ひとつ、ふたつ、みっつ。
「――だ、誰だっ」
村に残った、数少ない、男たちだった。手に手に、鋤や、棒きれを、握りしめている。ここ数日、夜ごとに、犬が、騒いでいた。あの獣が、村へ降りてくるかもしれない――家を継がない次男坊は、何人も、この戦のご時世に稼ぎへ出て、村にいない。
昼の畑で汗を流す長男や年寄りが、それでも、かわるがわる、夜の村はずれを、見回っていたらしい。
その、先頭の松明が、地面の黒い塊を、照らし出した。
「……なんだ、こりゃあ」
「魔物だ」
別の男が、呻くように、あとを、継いだ。それから、その黒い毛並みと、長すぎる四肢に、目を、凝らして。
「……いや。この、黒いのは……シャドウハウンドだ。ここらにゃ、数年に一度、山から迷い込んでくる……。鶏や、犬を、食い荒らしてたのは、こいつか」
「事切れてる……。めった打ちに、されて、やがる」
と、別の松明の灯りが、まっすぐ、こちらへ、向いた。
思わず、目を、細める。
男たちの視線が、いっせいに、突き刺さってくるのが、分かった。血まみれの鍬を、握りしめたまま、地べたに、へたりこんでいる、オレ。汚れているだろう、頬。柄を握る指は、いくら力を込めても、震えが、止まらない。
そして――ついさっき、あの獣から、はねた、返り血。制服の袖を、黒く、汚している。何もかも、灯りの下に、さらけ出されて、隠しようが、なかった。
「……この魔物を。お前が、ひとりで、やった、のか」
ひとりが、かすれた声で、言った。信じられない、という響き。けれど、その目の前に、答えは、そっくり、転がっている。
仕留められたシャドウハウンドも、それを殴りつけた鍬も、オレの、この、返り血も。オレが、認めようが、認めまいが、絵は、もう、出来上がっていた。
オレは、口を、開こうとして――結局、うまく、言葉に、ならなかった。喉が、からからに、渇いている。
「……つ、通り道を、確かめに、来ただけ、なんだ。そうしたら、こいつに、気づかれて。……無我夢中で」
半分は、本当だ。もう半分――肩の上で、じっと、林を睨んでいた、この毛玉のことは、言えなかった。あの、腹の底を掴むみたいな圧のことも。……言ったところで、誰も、信じない。オレ自身、まだ、信じきれて、いないのだから。
男たちは、しばらく、誰も、動かなかった。松明の灯りの中で、ただ、オレと、魔物の骸とを、見比べている。
どう見ても、頼りない、丸腰の、余所者が。あのシャドウハウンドを。たった、ひとりで。――その、『どうやって』の、ところで、誰もが、二の句を、継げずに、いた。
と、その、張り詰めた静けさを、破ったのは、村長オルドの息子の、ギレスだった。いま松明を提げて来た男たちを、夜ごと、束ねている、働き盛りの男だ。……ゆうべまでは、他の連中と同じに、素性の知れないオレを、遠くから、うかがうように見ていた、その、ひとりが。
ずい、と歩み寄って、オレの肩を、ぶ厚い手で、叩く。
「……よく、やった。よくやったぞ、あんた!」
その一言が、堰を、切ったみたいだった。
「ああ、まったくだ……! こいつのおかげで、村が、助かったんだ」
「鶏に、犬に……次は、どの家の子か、って。うちの婆さんも、子供らも、夜な夜な、おちおち、眠れやしなかった。……あんたのおかげで、今夜からは、安心して眠れる」
さっきまで、得体の知れないものを見るみたいに、オレを遠巻きにしていた男たちが。今度は、口々にそう言いながら、寄ってくる。
村長のオルドも、人垣を分けて、進み出た。この村のことを、なにもかも差配している、抜け目のない老人だ。素性も知れないオレを、渋々ながら置くと決めたのも、この人だった。
日に灼けた皺深い顔で、ふん、と、鼻を鳴らす。
「……たいした、もんだ。丸腰で、シャドウハウンドを、な」
叱るような、呆れたような。それでも、そのしわがれた声には、隠しきれない安堵が、にじんでいた。
「立てるか。こんなところに、へたりこんでたら、冷えるぞ。……戻って、あったかいものでも、腹に入れろ」
村へ、戻ると。
報せを聞いて、起きていた女や、年寄り、子供までが、戸口から、わっと、出てきた。魔物が、討たれた。その一言に、あちこちで、安堵の吐息と、どよめきが、あがる。
気づけば、オレは、いちばん大きな家の、暖炉の、いちばんいい場所に、座らされていた。
誰かが、木の器に、なみなみと熱いものを注いで、押しつけてくる。別の誰かは、干した肉を。焼いた芋を。
「ほら、食え食え、ユウ! 震えてるじゃないか」
「飲め、飲め。今夜は、命の恩人だ。遠慮するな」
ゆうべまで、オレに、飯は働いた分だけ、と。値踏みするみたいに器を寄越していた、あの人たちが。今夜は、競うみたいに、オレの器を、満たしてくる。
……正直、落ち着かなかった。
だって、あのシャドウハウンドを、本当に止めたのは、オレじゃない。この、懐で、素知らぬ顔をしている毛玉だ。オレは、ただ、震える手で、鍬を振り下ろした、だけ。
なのに、みんな、オレを見て、口々に礼を言って、器を差し出してくる。……こそばゆくて、少しだけ、後ろめたくて。
でも。
熱いものが、喉を通って、冷えきった体の芯を、じんわりとあたためていく。……ずるいな、と思う。思うのに。その、あたたかさを、オレは、どうしても、突き返せなかった。
その夜。
ようやく人心地がついて、あてがわれた寝床に横になっても、しばらくは、眠れなかった。目を閉じると、まぶたの裏に、いつものように、窓が浮かぶ。
『デイリーリワード――経験値 +2』
……今日は、2か。昨日は、1だった。その日、その日で、気まぐれに、違う。相変わらず、レベルは、1のまま。ただ、窓の隅で、積みあがっていく数字だけが、ゆうべより、少しだけ、増えている。
働いても、働かなくても。眠っていても。窓の隅の数字は、ただ、律儀に、ふたつ、増えた。魔物を殺したことも、この村が、はじめてオレを数えてくれたことも、たぶん、この数字には、何の関わりもない。
ただ、日が暮れただけで、勝手に。……なんだか、今夜のオレの胸のうちとは、まるで、うらはらに、のんきな数字だ。
賑やかな夜だった。腹も、あたたかい。それなのに。
手のひらには、まだ、あの感触が、残っている。柄を伝って、腕に返ってきた、鈍い、重み。濁った眼から、光が消えていく、あの瞬間が、ふとした拍子に、よみがえる。
――オレは、生きものを、殺した。
元いた世界の、オレは、命を奪ったことも、奪う必要も、なかった。そういうことは、いつも、どこかの、誰かが、代わりに、やってくれる。そんな世界に、いた。
それが、今夜、この両手で。……どれだけ器を重ねても、この重さだけは、うまく、流し込めなかった。
それでも。ゆうべまで、頭数にすら入っていなかったオレを。あの村が、今夜、はじめて、『数えて』、くれた。手に残った重さと、腹の底のあたたかさ。そのふたつは、うまくひとつには、ならない。
けれど、どちらも、確かに、今夜、オレが掴んだ、ものだった。
懐で、マロが、ちいさく、あたたかい。この、まんまるの毛玉が、ついさっき、あのシャドウハウンドを、動けなくした。孵ったばかりの、こんな、ちいさな体で。……お前は、ほんとうに、何なんだ。
訊いても、返事は、ない。ただ、あたたかいだけだ。
まあ、いい。今夜のところは。
明日は、たぶん、また、いつもの、雑用の朝だ。けれど、その『いつも』が、ゆうべまでとは、ほんの少しだけ、色が違う気がして。――オレは、その小さな違いを、抱えたまま、そっと、目を、閉じた。
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